どんな音が鳴り響いたのか?
「クラシック迷宮図書館 片山杜秀の本(3)」のなかの「ハルビン、わがふるさと」という章(初出は1999年12月の“レコード芸術”)。
日本にはじめてやってきた外来プロ・オーケストラとは?1925年の東支鉄道交響楽団といってしまっていいのでは?東支鉄道響とはつまりハルビン響であり、むろんロシアの植民都市、ハルビンに所在したロシア人の交響楽団である。正確にいえば25年に、そのメンバーを主体とする40人ほどのロシア人が来日し、これに日本人楽員を加えて臨時オケを作り、東京と大阪で“日露交歓交響管弦楽大演奏会”と銘うって、カリンニコフの交響曲第1番、リムスキー=コルサコフの《シェエラザード》、ベートーヴェンの5番と7番の交響曲などを演奏したのだ。これが日本の地に“ほんもののオーケストラの音”が鳴り響いた最初だった。……
とある。
ロシア人40人に、地元日本人がどのくらい加わったのか、そしてまたその応援団員の技量がいかほどのものだったのかはわからないが、ここで注目すべきはプログラムにカリンニコフの交響曲第1番が入っていることである。
カリンニコフを広く知らしめたナクソスの功績
私が初めてカリンニコフ(Vasily Sergeyevich Kalinnikov 1866-1901 ロシア)の作品を聴いたのは、1981年のこと。
それこそ今後が心配な玉光堂の、当時は札幌でいちばんクラシックのLPが豊富に品ぞろえされていたすすきの店で買ったのだった(現在のすすきの店はラフィラという商業施設(=旧ヨークマツザカヤ→ロビンソン)の中にあるが、そことは別で、すすきの交差点の大通り側のケンタッキーの並びにあった)。
メロディアの廉価盤(1,500円)で、なんか聞いたことのない作曲家だけど買ってみるべさと、購入。
スヴェトラーノフ指揮の交響曲第2番イ長調(1895-97)だった。
これにはまった。
チャイコフスキーと比べるとヒステリックではなく、大河のように壮大、雄大。かといって、ロシア五人組ほど野暮ったくない。
メロディーが水だとしたら、この曲を耳にした私はもうセーム皮状態。あぁ、浸み込んでくるぅっ!
人によっては瀬川瑛子のようにボーっとしてない?と感じるかもしれないが、いえいえこのマッタリ感がまた魅力なのだ。
ロシア国民楽派とチャイコフスキーの両方をいいとこどりした、カツ丼のような存在だ。よく意味がわからんけど。
それから15年後。
今度は交響曲第1番ト短調(1894-95)を知った。
いまでこそあまり不自由しないくらいの数のカリンニコフのCD(交響曲に限るが)があるが、当時は極めてレア。
買ったCDはクチャル/ウクライナ国立交響楽団による演奏。第2番とのカップリング。
このナクソスによるクチャル盤によって、多くの人がカリンニコフの魅力を知ったはずだ。
そしてまた、ナクソスの名を世間に知らしめた1枚とも言える。
その第1番が、よりによってわが国で初めて“ほんもののオーケストラ”が鳴り響いたプログラムに入っていたとは!
カリンニコフの交響曲を1度でいいから生演奏で聴いてみたいと願っている私にとっては、「なんでそんなときに取り上げるんだよ!」と悪態のひとつもつきたくなる。しかも、1925年のことだから、作曲されてまだ30年の“ゲンダイオンガク”だったのだ。
そのときの演奏を聴いた人たちがどんな感想をもったのか、とても興味深い。
日記に“カリーンニコーフ氏の交響樂第壱番は、遠き露西亜の凍てつく大地にて暮らしを營む人々の悲しみをあらわしているやうであつた”とか書き残している人はいないものか。いないものだよな。
ナクソスに敬意を表し、クチャル/ウクライナ国立交響楽団の演奏を。
1994年録音。
オーケストラの響きがやや薄く感じるところがあるが、レベルの高い演奏だ。