政治活動が災いしたのは確か
「クラシック迷宮図書館 片山杜秀の本(3)」のなかの「黛敏郎をバカにするな!」(初出は1999年8月の“レコード芸術”)。
ここで片山氏が取り上げているのは岩城宏之の「作曲家・武満徹と人間・黛敏郎」という本。
片山氏は、1960年代の途中までは黛の方が有名だったが、67年に武満の「ノヴェンバー・ステップス」が初演されたころから逆転劇が始まったと指摘。
そして、岩城の文を紹介する。
黛さんは、パリに留学し1年で帰ってきて、盛んに作曲したわけです。しかし、あとで調べてみると、それらは全部ヨーロッパで仕入れてきたものでした。のちに作曲しなくなったのは、悪くいえば、タネが切れたのかもしれません。つまり、作曲家としての本当のオリジナリティはなかったかもしれない。
岩城は黛と親しかった。
その岩城がこんなことを書いているとは!
また、片山氏は、
ご本人は僕に、70年代以後、作品数が減ったのは、『タネが切れた』からではなく、政治活動のせいで音楽界から干され、作品の委嘱がこなくなったせいだ、書きたいものはいっぱいあるよと言っていた。
と書いている。
小さな伊福部ワールド
私は黛の作品も武満の作品もそう数多く知っているわけではない。
ただ、何度か書いているように武満の音楽の良さが私には“わからない”。
では黛の良さは“わかるのか”と言われると、やっぱりわからない。が、武満を聴くときほど居心地が悪くはない。
そして、私が黛敏郎(Mayuzumi,Toshiro 1929-97 神奈川)ってすごいと思うのは、こう言っては叱られるかもしれないが、イベントのために書いた小品を耳にするときである。
その小品は「Hommage a A.IFUKUBE」。
ここでも取り上げているが、この曲は師である伊福部昭の叙勲を祝うコンサート(1988年2月27日)のために、他の弟子8人の作品とともに書き上げられたもの。
9人のなかでは、黛の曲が実に面白い。師の作品3曲が自然と結び付けられからみ合い、最後にはいつの間にやらゴジラのテーマに似ているラヴェルのピアノ協奏曲の第3楽章が現われるというもの。
ゴジラ・メインタイトル→交響譚詩第1楽章→アイ アイ ゴムテイラ→交響譚詩第1楽章→アイ アイ ゴムテイラ→交響譚詩第2楽章→交響譚詩第1楽章→ゴジラ・メインタイトル→ラヴェル「ピアノ協奏曲」第3楽章、という流れ。
黛の曲というと、どこか小難しい印象があるが、この曲を聴くとそのテクに感心してしまう。
9人の弟子たちのトリを務めるのにふさわしいものだ。
そのときのライヴ録音を。石井眞木指揮新星日響のメンバーによる演奏。
EMI(EMI × TOWER RECORDS Excellent COLLECTION Vol.4)。
札響が真に全国区になったコンサート
ところで、日曜日の記事では札響第167回定期演奏会のことを取り上げたが、その前の月、つまり1976年12月の第166回定期は、
このような大胆な試みは、東京のオーケストラでも行えなかったもので“正にど胆を抜かれた企画”(在京オケの関係者)で“札響はスゴイ”とオーケストラ関係者を驚かせた。
(札幌市教育委員会編 さっぽろ文庫57「札幌と音楽」:北海道新聞社)
という、全武満徹作品のプログラムだった。
私はこの演奏会には行っていない。
もし行っていたら、武満に対する思いが180度変わっていたかもしれない。
片山氏は、こうしめくくっている。
数十年前、R.シュトラウスよりマーラーが演奏されるようになると、だれが予想できた?二人のほんとうの勝負はおそらくこれから始まるのさ。
これが書かれてから18年経つが、いやいやまだ情勢は変わっていない。タケちゃん優勢、トシちゃん劣勢だ。
この先、30年、50年経つと形勢は逆転するのだろうか?
これ、聴けば聴くほど、上手いなぁ、匠の技だなぁと感心しちゃいます。