RecoGei201801  口?渇いてます
 私が『レコード芸術』の1月号を立ち読みしたのは23日のことだった。

 尋ねられてもいないのに詳細をご報告したように、イオンのなかにある《morimoto》にクリスマスケーキを、《日本一》に鶏の半身揚げを取りに行き、丸大のペパーポークまでついでに購入した際、書店でペラペラとページをめくり、「でも、ボク、いらない」と買わなかったのだ。

 しかし、その決意もゆるく『レコ芸』を買ってしまった。
 25日のことだ。

 「舌の根も乾かぬうちに、なんてやつだ」と私を非難するのは、しかし、間違いだ。
 2日もあれば舌だって根まで乾くってもんだ(特に口呼吸を続けた場合)。

  私を見つめる赤の後光のモーツァルト
 買ったのは新千歳空港ターミナルビルの書店。

 最初に1階の-JR新千歳空港駅からANA側の出発ロビーへと上がるエスカレーター(地下1階~1階)に乗った先にある-文教堂に寄った。

 このときは『レコ芸』を買う気はなかった。
 もう一度、パラパラと眺めてみようと思っただけだ。
 しかしこの書店には『レコ芸』がなかった。内心、ちょっぴりほっとした。あったら買わねばならない気持ちになっただろうからだ。

 そしてまたエスカレーター(1階~2階)に乗り出発ロビーで職場へのおみやげを買い、少しだけうろうろしていると-〇〇カードはお持ちですか?と2回声をかけられた-またまた文教堂の前にたどりついた。もちろん先ほどとは別の文教堂である。
 一応整理しておくと、文教堂は1階(到着ロビーではない、離れ小島のようになっているフロア)と、2階にあるのだ。ついでに言うと、2階のJAL側には紀伊国屋書店がある。

RecoGei201801Dokusha その2階の文教堂には『レコ芸』があった。
 しかも表紙をこちらに向けて置いてある。

 目が合った。ヴォルフィーと。

 「私をこのまま置いてきぼりにするつもり?」
 そう訴えられている気がした。

 なので買った。
 カバンが重くなるのに……

 しかし、買って良かったと思うことがある。

  ぼっち×3で衣付きチキンに舌鼓
 というのも、読者投稿欄『読者投書箱』に札幌市民を称える声が載っていたからである。
 いや、エリシュカの最後の公演に感動したという内容なのだが、なかなか読んでいて心温まるものだった。
 この人は絶対に善い人に違いないと思わざるを得ない。

 この日の夕方。
 千葉課長が「クリぼっちですか?」と聞いてきた。

 『クリぼっち』という言葉の意味を知らなかったが、クリスマスに独りぼっちのことだと教えてくれたので、すぐに実用化し「クリぼっちです」と私は答えた。

 さらに千葉課長の部下も『クリぼっち』であることが判明し、3人で麻婆豆腐と青菜炒め、そしてクリスマスといえばチキンということで鶏のから揚げを食べに、あの店に行った。
 中華でクリスマスも悪くなかった。

DeliusEdition  今日はしらさぎじゃなくつばめ
 いまだクリスマスのことを書いているが、今年も今日で終わり。トリ年からイヌ年になる。

 なんとなく象徴的に、ディーリアス(Frederick Delius 1862-1934 イギリス)の弦楽四重奏曲

 1916年に完成したが、翌17年にスケルツォ楽章を追加している。

 ディーリアスは楽譜の第3楽章に「Late Swallows」、つまり「去りゆくつばめ」と記している。

 フィッツウィリアム弦楽四重奏団の演奏を。

 1978年録音。デッカ。

   このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】
    ※ポイント10倍キャンペーンは1/3 23:59まで
   Sibelius:String Quartet Op.56 "Voces Intimae"/Delius:String Quartet/Sonata in one movement for Cello and Piano:Fitzwilliam String Quartet/George Isaac(vc)/Martin Jones(p)

 なお、この第3楽章はのちにディーリアスの弟子のフェンビーが弦楽合奏曲に編曲し、「去りゆくつばめ」とした。
 いまでは、フェンビー編のこの独立した楽曲の方が有名である。

 それではみなさん、よいお年をお迎えくださいますよう。

 では、お互いの気が向けば、また明日!

    

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