20180418fanta  冷蔵庫の奥でひっそりと脱気
 大阪に転勤してきて3ヵ月近くなる。
 転勤してきたときから気になっていることがある。

 事務所の給湯室にある冷蔵庫に入っている、ファンタグレープの1.5リットルのペットボトルだ。
 誰かが冷やしている、私物であることは間違いない。

 私がそれを最初に目にしたとき、すでに2/3ほどが消費されていた。
 そしていま、ペットボトルの中に残っている量は1/3ほどだ。
 つまり3か月間、その状態のままということだ。

 その理由を推察するに、

 ① 熟成中である。
 ② 持ち主が所有権放棄されている。
 ③ すでに持ち主がいなくなっている。

ということだが、さらに問題なのは、すでに『開栓前』の賞味期限もとうに過ぎてしまっていることだ。

 私は③の可能性が高いと思っている。つまり、持ち主が飲みかけのファンタを処分しないままどこかへ転勤してしまったということだ。
 だが、①の可能性も捨てきれない。お節介に私が捨ててしまい、「私は()がすっかり抜けきったファンタが大好きなのに、誰かが勝手に飲んでしまったか捨ててしまった」と大騒ぎになり、持ち主からパワハラだのセクハラだの下りっ腹だのと罵られたら目も当てられない。

 この件について氷山係長に相談してみたが、「どうなんでしょうねぇ」と、彼には珍しく前向きな答えが返ってこなかった。きっと彼も、触らぬ神に祟りなしと考えているのだろう。

  寛大なミュンシュ?
 ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の幻想交響曲(Symphonie fantastique)Op.14(1830/改訂'31)。

 厳密に数えたことはないが、おそらく私が最も数多くディスクを持っているのがこの作品。

 ベルリオーズはシェイクスピア劇団の女優のH.スミスソンに狂ったようにお熱を上げ、ストーカーまがいのこともしたが、まったく相手にされない。その苦しい恋心を描いたのがこの幻想交響曲で、彼女への思いが募りすぎ、彼女を殺す幻想を見て、最後には彼女をグロテスクな魔女にしてしまう。

 しっかし、勝手に好きになられて、魔女にまで仕立て上げられたら、女性としてもたまったもんじゃない。
 が、私も高校生の頃の片思い&失恋の経験からこの作品に大いに共感し、それからというもの、「これは良い!」「これはどうもなぁ~」といろいろな演奏を聴いてきたのだった(自己の体験がベルリオーズと重ね合わせるはめになるまでは、そしてそれで救われた気になるまでは特に好きな作品ではなかった。そしてまた、私は当時も今もベルリオーズのような狂気的な人間ではない)。

BerliozSFMunchBuda さて、今日は気の抜けたというか、なんでこんなことになったのかとってもファンタスティックなミュンシュ/ブダペスト交響楽団の演奏を。

 あのミュンシュがこんな演奏の音源の発売をよく許可したものだと不思議に思ってしまうが-許可してないのかもしれないが、そのあたりのおとなの情事事情はよくわからない-、ここに書いたようにとにかく鐘がすべてを台無しにしてしまっている。

 奏者はよっぽど体調が悪かったか、あるいは例えば奥さんが産気づいていて心ここに非ずってな状況。それほどズレズレ、ときには勝手に有給休符ってものだ。

 ま、こういうずっこけが世界的に流通しているってのも貴重と言えば貴重だが。

 1966年録音。フンガロトン。

 あのファンタ、ただの紫色の砂糖水になってしまっているのだろうが、いったいいつ、誰が、処分に向けた活動を開始するのか見ものである。