UrahisaLiszt  あまり知られていない生涯
 浦久俊彦の「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか」(新潮新書)。

 先日、新千歳空港1Fの文教堂の担当にワゴンが置かれ、何種類かの新潮新書が並べられていた。
 そのなかにこの本もあり、でも私はそれを買わずに大阪に着いてから電子書籍版を購入した。

 リストという作曲家にそう興味があるわけではないが-そもそもピアノ独奏曲をそんなに好んで聴かないので-、なんだかこの本からは「ためになるぞ」オーラが出ているような気がして買ったのだが、とてもおもしろく、ためになる内容だった。


 著者はリストについて《まえがき》のなかで、


 これだけの人物にもかかわらず、その生涯は一般にほとんど知られていない。そもそも、リストに関する書物が、いま日本で何冊刊行されているか、ご存じだろうか。本書初版刊行時、すでに絶版となっている書を除けば、たった一冊である。


と書いているが、なるほど、確かにリストにスポットを当てた本を見かけた記憶がない。

LisztCampaScore  春樹氏のおかげでマニアックな曲のCDも売れた?
 リストの名は、せいぜい「ハンガリー狂詩曲第2番」の作曲家。あるいはここ10数年の間でフジ子・ヘミングのおかげで「ラ・カンパネラ」の作曲家として一般にも名が知れるようになったレベルなのかもしれない(掲載した楽譜は「ラ・カンパネッラ」。全音ピアノピース。人里離れたところにある沼の春の様子のよう=おたまじゃくしがいっぱい)。


 村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」には、リストの「巡礼の年」が出てくるが、この曲をすべて(全4集26曲)聴いたことがある人は、クラシック音楽ファンのなかにだってそういないだろう。

 この本のなかで特に印象に残ったのは、ヨーロッパで立て続けに起こった革命によって、音楽が貴族のものからブルジョアのものになり、『奴隷的聴衆』が台頭したというところ。

 『奴隷的聴衆』というのはヒンデミット(1895-1963)が使った言葉だそうだが、著者はこう解説してくれている。


 音楽を聴くとき、音楽を自己の精神を高めるための道具として用い、音楽によって自分のなかにひとつの像を創りあげようとする能動的で知的な動きと、音楽の流れのままに、その音楽が与える印象に身を任せる受動的で感情的な動きという、ふたつの聴き方がある。
 前者は人間が働きかける方向(知的作用)であり、後者は音楽が人間に働きかける方向(情的作用)である。どちらが欠けても、人間と音楽の関係は成立しない。
 ところが、19世紀になって、音楽享受層が激変し、大量の「聴衆」が誕生すると、音楽における知的作用と情的作用は、大きくバランスを崩し、音楽にひたすら快楽を求め、音楽の官能的誘惑に服従し、音の洪水に身を任せるという「奴隷的聴衆」が大量に発生する。
 彼らは、音楽の精神的な内容よりも、派手で表面的な技巧(物質性)を重視する。まるでサーカスのような曲芸的な音楽に喝采を送るのだ。やがて、音楽の精神性は忘れ去られ、音楽は単なる見世物となる。
 音楽家は、外形が完全であればあるほど、聴衆を感動させられると考え、聴衆だけでなく音楽家までもが技巧の虜となり、技巧の習得のみに明け暮れ、人間性の欠いた芸術家が誕生する。こうして、音楽の精神性は空虚なものとなり、音楽は堕落への坂道を転げ落ちるのだ。


 こうして、リストもそうだったように『ヴィルトゥオーゾ』という超絶技巧を駆使するスターが生まれたのだった。


  失神する前にヌルヌルするご婦人
 リストの姿を見て失神する女性たちがいたが、むかし観た「パガニーニ」という映画では、パガニーニがステージ上でヴァイオリンを弾く姿を見ながら、ご婦人がパンティーに手を入れ自慰にふける場面があった。
 それが事実かどうかはわからないが、でも、日本でも矢沢永吉のコンサートで客席でそういうことをしている淑女(この時点でそうは呼べないか)がいたという記事が週刊誌に載っていたのを読んだことがある。そういうこと=自慰=マスターベーション=オナニーである。が、語源からすれば、女性の場合にオナニーと使うのは正しいのだろうか?

 きっと、パガニーニのコンサートの出来事もあながちウソではないのだろう(ちなみに、リストも20歳のときに聴いたパガニーニの演奏に感動し、超絶技巧を目指すようになったという)。
 
 それはともかくとして、リストというと数々の女性スキャンダルという負のイメージの方が私には強かったが、この本によって(まだ、半分までしか読み進んでいないが)、リストがリストでなければならなかった時代背景を理解することができた。

 リストさん、あなたのこと私、なかなか誤解していたかもしれません。

   紙の本 フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか

 リスト(Liszt,Franz 1811-86 ハンガリー)の「パガニーニによる大練習曲(Grandes etudes de Paganini)」S.141(1851)。


 1838年に作曲した「パガニーニによる超絶技巧練習曲集(Etudes d'execution transcendante d'apres)」S.140を改作したもの。

 パガニーニ(1782-1840)の「24の奇想曲」やヴァイオリン協奏曲第2番をヒジョーに難しいピアノ曲に編曲した-こうなると作曲といえるのだろうが-6曲からなる曲集である。


 6曲は、


 1. 第1番ト短調「トレモロ」
 2. 第2番変ホ長調「オクターヴ」
 3. 第3番嬰ト短調「ラ・カンパネッラ」
 4. 第4番ホ長調「アルペッジョ」
 5. 第5番ホ長調「狩り」
 6. 第6番イ短調「主題と変奏」


LisztWatts 第3番が有名な「ラ・カンパネッラ(カンパネラ)で、この曲はフジ子・ヘミングで、という気はファンの方には申し訳ないが、私にはない。

 「ミス・タッチを批判する方が愚かしい」と彼女は言ったそうだが、一度聴いた彼女の「ラ・カンパネッラ」-FMだったのかTVだったのか思い出せない-はミス・タッチがありすぎ。

 フジ子さんがどんなに強気な主張をしようとも、ミス・タッチの少ない演奏を聴きたいというのが私の正直な気持ち。


 やっぱ、ワッツだよなぁ。

 で、「パガニーニによる大練習曲」からは第3~5番の3曲が収められたディスクを。


 ワッツの「ラ・カンパネッラ」は言うことなしなのだが、1台のピアノとは思えない色彩に富んだ音色で奏でられる「狩り」の演奏もすばらしい。


 1985年録音。EMI。

   このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】
   ラ・カンパネラ[リスト:ピアノ名曲集]


 失神といえば、むか~し、オックスというグループサウンズのメンバーが、演奏していて陶酔して失神するっていうんで大騒ぎになっていた。

 私はまだお子ちゃまだったのでそれをTVで観たことはないが、いま観たらけっこうクサい演技に見えるのかもしれない。


    

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