R-KorsakovAnsemet  北海道には伊福部昭がいたのに……
 少し前のことだが、山田耕筰の作品を取り上げた

 そして、もっと前のことだが、樺太(サハリン)に関する資料が展示されている北海道庁赤レンガ庁舎のなかの『樺太部屋』について書いた。
 そして、その部屋には山田耕筰が曲をつけた『樺太島歌(からふとしまうた)』の歌詞も展示されていることを、これっぽちも触れていなかった。

 ということで、そのことについて。

 「樺太島歌」は日本は樺太庁の庁歌。


 1938(昭和13)年に歌詞の公募が行なわれ、11月に本間一咲のものが選ばれた。
 はたして最初から曲は山田耕筰(Kosaku,Yamada 1886-1965 東京)に頼むことが決まっていたのかどうか知らないが、翌39年の5月にはSPレコードが発売されている。


DSCN0138 ちなみにのちに「サハリン島先住民の3つの揺籃歌」(1949)を書いた伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)は、この時点ですでに「ピアノ組曲」(1933)、「日本狂詩曲」(1935)、「土俗的三連画」(1937)を作曲していたが、まだ厚岸の森林事務所に勤めていた。


 北海道にチェレプニン賞第1位を受賞した作曲家がいるのに声がかからなかったのは、連絡を取りようにも田舎すぎてできなかったのか、それともまだ才能は未知数と思われたのか、彼の日本的な音楽のためにはなから作曲者選びの候補に入れられなかったのか、あるいは作曲できる林務官がいること自体知られてなかったのか……

 山田が曲をつけた「樺太島歌」は現在(たぶん)耳にするすべがないのでどんな感じの音楽かわからないが、もし伊福部が書いたら、「北海道賛歌」みたいなジワジワズドーンという重い曲になったと思われる。

 実は詞を書いた本間も東京の人。
 たぶんこの島歌プロジェクトは北海道マターではなく、東京中心で進められたのだろう。

  樺太庁が置かれていた大泊

 ということで「樺太島歌」の音源を紹介することはできないので、リムスキー=コルサコフ(Nikorai Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)の「ドゥビーヌシカ(Dubinushka)」Op.62(1905/改訂1906)。


 なぜ今日、リムスキー=コルサコフなのかというと、サハリンで人口第2の都市がコルサコフ(かつての大泊町)だから。
 だったらなぜ第1の都市じゃないのか?としつこく問われたなら、「第1の都市ユジノサハリンスクは、音楽にこじつけられなかったから」と正直に答えよう。

 「ドゥビヌシカ」は『丸太』の意味で、ロシア民謡。木を切り倒すときに歌われた『仕事の歌』だが、のちにいろいろな歌詞がつけられて『革命歌』としても歌われた。


 リムスキー=コルサコフの「ドゥビヌシカ」はこのロシア民謡を管弦楽編曲したもの。編曲の翌年には、さらに任意で合唱が加わるように改訂されている。さらに、4手ピアノ用にも編曲している(1906-07)。
 
 アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団の演奏を。


 1958年録音。デッカ。


   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   Rimsky-Korsakov: Scheherazade, etc / Ernest Ansermet


 おやっ?これは……

 ※ 本日、本館更新日