SSO364_367  またまたまぁらぁ
 第361回定期(94年9月)で、シャローンがマーラーの第2番を取り上げたばかりなのに、札響は3か月後の12月に行なわれた第364回でもマーラーを取り上げた。

 こんなに短期間で再びだなんて、マーラー協会からの要請があったのだろうか?それとも、グスタフ友の会から圧力がかかったのだろうか?あるいは私の内なる願いが通じたのだろうか?


 そうではない。カネパのせいなのだ。


  強打への期待に鳩胸状態
 実は当初、この第364回定期演奏会の出し物はヴェルディの「レクイエム」だった。

 私は初めて生で聴くヴェルディのレクイエム、特に「ディエス・イレ」や「リベラ・メ」の楽章で『(ズッ)ドン!(ズッ)ドン!(ズッ)ドン!(ズッ)ドン!』と暴力的に打ち叩かれる大太鼓のサディスティックな響きに、それはもうマゾ男のように期待していた。

 ところが、合唱を歌うカネパ合唱団という(私にとっては)得体の知れない団体様が来日不可能となってしまった。そんなわけで、急きょ演目がマーラーの「さすらう若人の歌」(抜粋)と交響曲第4番に変更となった。

SSO364Info

 さらに、これでは治まらず、「さすらう若人の歌(さすらう若者の歌)」は「亡き子をしのぶ歌」になった。

SSO364PN

 いまと違い、マーラーの交響曲のなかでは規模の小さい第4番は、私にとってはちょっとそそられ度が小さかった。なので、このプログラム変更は、「なーんだ4番かぁ……。トロンボーンもテューバも入らない。それならだんぜんヴェルディを聴きたかった。ゾクゾクしたかった。攻めまくって欲しかった」とがっかりしたものだった。

  見つめ合い、うなずき合う2人
 そんな後ろ向きの姿勢で臨んだコンサート当日。

 だが、これがすこぶる良い演奏だった。

 マーラーの第4番はこれまでも何度も札響で聴いている曲。上に書いたように編成が小さいので札響でも取り上げやすかったのだろう。

 指揮の広上淳一も、ソプラノの松本美和子も、定期では初協演。
 たぶん私にとって、広上という指揮者を初めて知ったコンサートでもあった。

SSO364thProfile

 広上の指揮台での大きなアクションは岩城宏之を思い出させた。が、そのタクトから引き出される音楽は岩城よりも無機質ではない。

 そして第4番の終楽章では、松本としばしば見つめ合いながら、息がぴったりと合った演奏。この2人、抱き合うんじゃないかってくらいの世界。
 いいよ、いいよ。2人で、歌詞にあるようにおいしい梨でも葡萄でも、鹿肉でも兎の肉でも食べなさい!って言いたくなるような-良い意味で-、素敵な管弦楽に包まれた2人の世界。

 そんな演奏が悪いわけがなく、過去に札響で聴いた、あるいはその後札響で聴いた、どの第4番よりも引き込まれる演奏だった。

  動きに惑わされる?
 その後、広上による演奏は札響のステージでも、あるいは札響以外のオーケストラを振った録音でも数多く接してきた。だが、彼って録音には恵まれていないのではないか?

 生では、ステージ上の動きに正比例するようにスケールの大きい演奏を聴かせてくれるのだが、録音ではどこかこじんまりとした枠の中に収まってしまっているような感じがする。この日の夜のマラ4のような魅力を放ってくれないのが残念だ。

 あるいは、指揮台の上の動きからスケールが大きいように聴こえるが、音楽だけを聴けば繊細に音を紡ぎあげていくスタイルの指揮者なのだろうか?
 もしかすると、第4番にはその『こじんまりさ』がうまくマッチしたのかも知れない。

Mahler4Tennstedt 広上淳一がロイヤル・フィルを振ったベルリオーズの「幻想交響曲」(1996年録音。DENON)。
 この演奏は、私が抱いている暴れん坊将軍・広上のイメージとはかけ離れた典型的なものの1つ。

 でもディスクはすでに入手困難なので、気分を変えて、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第4番ト長調(1892,1899-1900/改訂1901-10)を、テンシュテット/ロンドン・フィル、ポップ(S)の演奏で。

 ここで書いたように、すばらしい演奏!ただし、あの晩の広上/札響&松本の演奏は、これとは逆の座標に位置する天国的演奏だった(と思う)。

 1982年録音。ワーナー(原盤:EMI)。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   【UHQCD】マーラー:交響曲 第4番

 さて、今日は久々に手料理でも作るとするか……