コンセント、要りますよね?
私は『その姿』を見たとき、村上春樹の「踊る小人」を思い浮かべた。
この短編小説はこのように始まる。
夢の中で小人が出てきて、僕に踊りませんかと言った。
それが夢だということはちゃんとわかっていたのだけれど、それでも夢の中でも僕は疲れていたので〈申しわけないけれど疲れていて踊れそうにない〉と丁寧に断った。小人はべつにそのことで気を悪くしたりはしなかった。小人は一人で踊った。
小人は地面にポータブル・プレイヤーを置いて、レコードをかけながら踊った。レコードはプレイヤーのまわりにいっぱいちらばっていた。小人はいったんかけたレコードをジャケットにしまわずにそのままに放り出しておいたので、最後にはどのレコードがどのジャケットに入っていたかわからなくなり、結局でたらめにつっこんでしまうことになった。おかげでグレン・ミラー・オーケストラのジャケットにローリング・ストーンズのレコードが入っていたり、ラヴェルの「ダフニスとクロエ組曲」のジャケットにミッチ・ミラー合唱団のレコードが入っていたりした。
地面に置いたレコード・プレイヤーが、どこから電源を取ってきているのか気になるところだが(電池式のレコード・プレーヤーというものを私は見たことがない)、それはさておき、『その姿』というのはこれである。
つまづかないようにね!
Dancer……
歩道の縁石に貼られているこのプレートを見たければ、見に行くがよい。
氷点橋の神楽側のたもとにある。
ただ注意しなければならない。
なぜなら、そこは“段差あり”で、ある種の危険が潜んでいるからである。
これ、2年前に旭川を訪れたときとまったく変わっていない。
“り”の部分がえぐれてしまっていることに道路保守の担当部署が気づいていないのか、あるいは“り”だけのためにわざわざお金をつぎ込んで直すのはもったいないと思っているのか、「“り”がなくても意味が通じるからいいんじゃない?」と市民が寛大な気持ちを持っているのか、そもそも“り”があろうとなかろうと、このことに誰も関心がないのか、のいずれかだろう。
こうなると、個人的にはずっとこのままであり続けてほしいような気もしてくる(ただめくれ上がった箇所が危ない気はする)。
ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)のバレエ「ダフニスとクロエ(Daphnis et Chloe)」(1909-12)の第2組曲(1913)。
〔夜明け/パントマイム/全員の踊り〕の3曲からなる。
デュトワ/モントリオール交響楽団、同合唱団の演奏を。
1980年録音。デッカ。……って、この録音と「踊る小人」を取り上げた記事を私は10年前にも書いていた。
10年前と思考回路は変わってないようだ。進化もないが後退もしていないかも、と前向きに考えることにしよう。
謝らなくてもいいんですよ
さて、旭川の街の中で見かけた、なんとなく気になる光景を。
バスの写真はここでも、そして最後の写真の店はこのときも紹介している。
旭川紀行はまだ終わらないぞ!
なんとなく撮ってみただけです。 ↓