新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の刺激的出来事についてたらたらした文章で報告中。自宅は北海道ながら現在は仕事の関係で大阪在住。血液はB型かつ高脂血症の中年サラリーマン。

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

コンサート・レビュー

私の札響感動史(45)♪いまの札響の礎を築いた団員たちの顔ぶれ

SSO200th  「タラス・ブーリバ」の良さを知った夜 
 2008年に札幌に転勤になったあと、最初に聴いた札響のコンサートは、4月11日の第508回定期であった。

 指揮はエリシュカ。私にとっては、この日が初めてエリシュカ/札響の組み合わせを聴く機会となった。

 プログラムはヤナーチェクの「タラス・ブーリバ」とモーツァルトのピアノ協奏曲第24番(独奏:伊藤恵)。
 メイン・プログラムはドヴォルザークの交響曲第6番だったが、これは聴かずに前半で Kitara をあとにした。

 このとき、私がエリシュカと札響の相思相愛のアツアツぶりや相性の良さを強烈に感じたかというと、正直なところそうではなかった。
 ただし、年齢のわりに若々しい演奏をすること。そして、「タラス・ブーリバ」がこんなに良い曲だったとはと感じさせてくれたことが、強く印象に残った(このように、感想も絶賛的)。

  “育ちが良い”GM4
 次に Kitara に足を運んだのは、翌月の5月23日の第509回定期。
 指揮は尾高忠明、独唱は天羽明恵でモーツァルトの交響曲第40番とマーラーの交響曲第4番。

 この日の演奏について、私はおおむね好意的な感想を書いているが、しかしマーラーではもっとオーケストラを鳴らしてほしいという不満ももっている。

  聴き手を引き込む高関
 さらに翌月の6月の第510回定期では高関健の指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(独奏:シフリッツ)とストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴いた。

 この回ではA日程B日程の両方を聴いているが、やっぱり高関健がモーレツな勢いで指揮者として進化しているのを感じさせられた。

 また、なぜか高関健のラフマニノフの第3楽章でのある場面での動きが、不思議なことにいまでもはっきりと記憶に残っている。

  『指揮者による』のは当然のことなのに……
 そして、7月19日に行なわれたPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)で、尾高指揮による札響の「ウエスト・サイド・ストーリー~シンフォニック・ダンス」を聴いたとき、東京の演奏がつまらなく感じた理由がわかった(東京公演は毎回尾高の指揮だった)。

 それは当たり前すぎるほど当たり前のことだったのだが、私の、あまりに『札響』そのものを聴きに行くという思いが強すぎて、気づかなかったのだ。

 つまり、「尾高が振る札響の演奏が(私には)つまらない」、ということだったのだ。

 ふだんから、あの指揮者の演奏は良い!などと言っているくせに、こと札響になると「札響は良い!」ということばかりを考え、指揮者による違いや功罪が頭から吹っ飛んでいたのだ。

 この日のPMFの「シンフォニック・ダンス」のダンスっぽくない演奏を聴き(なぜかこの曲について、私は触れていない)、シロウトのようにはたとそのことに気づいたのだった(シロウトだけど)。

 もちろん尾高ファンの方々もたくさんいるだろうし、尾高忠明が札響の成長に大きく貢献したことは間違いないだろう。いまや日本を代表する指揮者でもある。

 しかし、少なくとも私には、いつでも他人行儀な演奏に聴こえてしまう。
 その後も、尾高の指揮するコンサートでは、好きなプログラムなので期待してホールに行くが、いつも消化不良の思いをさせられた。
 まだ正指揮者として高関がいたので消化不良のままで閉塞までに至らずに収まっていたが、それゆえに高関が2012年3月をもって正指揮者を降りたときは残念でならなかった。

Tweeter20180924 昨年の秋のことだが、ツイッターで札響のことを呟いたことがある。
 それに返信してくださった方がいた。それが画面のものである。

 そっか、予定調和か……

 確かにそうかもしれない。私にはその表現が思いつかなかったけど、核心をついていると思う。

 岩城宏之が札響の正指揮者に就任したとき、札響を日本のクリーヴランド管弦楽団にする、という目標をたてた。

 アメリカの地方オーケストラの1つに過ぎなかったクリーヴランド管弦楽団は、ジョージ・セルを音楽監督に迎えたあと、徹底的にしごかれ、20数年で世界のトップオーケストラにまで育ったのである。

 その岩城は1988年3月をもって音楽監督から桂冠指揮者になったが、これは事実上の退任であった。12年半にわたる岩城の時代は終焉した。
 そのはっきりとした理由はわからないが、楽員との間に軋轢があったという噂もあった(その点では、2004年から音楽監督の座にあった尾高忠明は楽員に慕われていたということだ←これまた噂)。
 また、岩城自身の健康上の問題もあったのかもしれない。
 岩城は1987年に頸椎後縦靭帯骨化症、89年には胃がんを患った。
 さらにその後、2001年に咽頭腫瘍、05年には肺がんとなり、2006年6月13日に心不全で亡くなっている

 私にとっては最も印象深い札響の指揮者である岩城の指揮を、最後に見たのはいつだったか?
 おそらく1987年9月の第284回定期だと思う。
 岩城はそのあとも札響を振りに来ているものの、私は聴きに行けていない。
 岩城の終わりは就任時の華々しさとは正反対に、実にひっそりとしたものだった。私はなんだかあと味の悪さを感じたものだった。

  岩城の目標は岩城の死後になって達成された
 岩城の時代に札響が『日本のクリーヴランド管』になったかというと、そこまでは至らなかった。
 だが、そのあとの秋山和慶、尾高忠明、高関健が、岩城がいいところまで磨き上げた原石にさらに磨きをかけ、日本で1、2のオーケストラに育て上げた。
 ただ、再三私が感想を書いているように、尾高は札響の顔となったが(そして経営難も乗り切ったが)、肝心な演奏そのものとなると印象に残るものは多いとは言えない。

 さらに、磨き上げられた宝石に波長の合う光をあてて、最上の輝きを放させたのがエリシュカだったと言えるだろう。
 いくら素晴らしい演奏を立て続けに聴かせてくれるとは言え、(尾高は別として)これがエリシュカだけだったら、かつてのシュヴァルツ時代のようにレパートリーが偏ってしまっただろう。しかしそこは、高関が若々しく大胆でエネルギッシュな演奏を披露してくれた。札響がこのように幅広いレパートリーをこなせるのも岩城、さらには後継の秋山の功績だろう。

RKorsakovScheSakkyo いまからほぼ40年前の1980年1月に行なわれた第200回定期演奏会。そのプログラムノーツには、当時の札響の楽員の写真が載っている。

 邦人作品などを積極的に取り上げるなど、岩城に《変革》とレパートリーの拡大を求められ、全国区のオーケストラになるために、あらゆる面での向上に努力していた時代だ。

 そんな、むかしの写真を勝手に載せるなと叱られそうだが、このメンバーの顔は私にとって(そして私と同世代、もしくはそれより古くからの札響ファンにとって)単に懐かしいというだけではなく、いまや日本を代表するオーケストラとなった札響の礎を築いた人たちということで、私は敬意を表し、ぜひいまの札響ファンに紹介したいのだ(ヤマザキマリのお母さん、“ヴィオラ母さん”の顔もある)。

 いまの札響ファン(特に会場が Kitara になってからの、いわゆる『 Kitara 世代 』のファン)にとっては、知らない顔も多いだろうし(創立からのメンバーもいる)、あるいはその団員が退団する演奏会に遭遇したという人もいるかもしれない。
 繰り返すが、このメンバー(と、それ以前のメンバー)が苦労し努力し研鑽したからこそ、いまの札響がある。

 私も北海道に戻ったらまた札響に通いたいと思っているが、メンバーが入れ替わってもいつまでも伝統の札響サウンドを守り続けてほしいと願っている。そしてまた、エリシュカ・ブームで札響が一時的に脚光を浴びたに過ぎないと言われないよう、これからも進化を続けてほしいと重ねて願うところである。

 そしてなによりも、さらに若い世代の人たちが札響のコンサートに足を運んでくれることを、これまた切に願ってやまない。

 片山氏のこの文を読んだのがきっかけではじめたこのシリーズは、今回をもって終了。

 このシリーズでは、私がブログを書き始める以前に聴いた札響のコンサートの感想を書いてきた。
 前回書いたように、2007年8月からブログを始めたので、それ以降に聴いたコンサートの感想は、都度ブログに書いている(2014年6月までは本館)。
  
SSO1980_Members1

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♪ 紹介したディスク ♪
 武満徹(Takemitsu,Toru 1930-96)の「星・島(Star - Isle)」(1982)。
 岩城宏之指揮による札幌交響楽団第232回定期演奏会(1982年12月23日・北海道厚生年金会館)のライヴ。
 定期演奏会で邦人作品を意識的に取り上げた岩城だったが、とりわけ武満作品の回数は多かった。また、武満自身も札響が奏でる自身の作品の演奏を高く評価していた。
 R-コルサコフの「シェエラザード」とのカップリング。
 FONTEC × TOWER RECORDS TWFS-90009(SACDハイブリッド)。

私の札響感動史(44)♪一流シェフになったのを確信させられた高関の指揮

SSO499th
  高関の札響でのバルトークが聴きたくて……
 札幌交響楽団の東京公演を聴きに行ったものの、なんにも心に響いてこず、前半で会場をあとにしたことを前回書いた。2007年11月のことだ。

 私は久しぶりに聴く札響に過度の期待をし過ぎていたのだろうか?
 感動・感激の渦に巻き込まれる妄想を抱き過ぎたのだろうか?
 札響の演奏というのは、もともとこういう-この程度の-ものだったのだろうか?

 いや、それは違う。

 なぜなら、私はその半年ほど前に自宅に帰ったとき、札響の定期演奏会を Kitara に聴きに行っており、そこですばらしい演奏を全身で受け止め、「さすが札響!」と大満足したからだ。

 なので、あの東京での響きは札響本来のものではないことはよくわかっていた。あんな事務的な響きであるはずがないのだ。だから耐えられなくって会場をあとにした。こんな演奏に付き合うなら、居酒屋に行って鉄板餃子を食べた方が時間の費やし方としてはずっと不健康ながらも幸せだ。

 その定期は5月26日の第499回(B日程)。
 指揮は高関健。
 演目はメンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」、モーツァルトのピアノ協奏曲第18番、そしてバルトークの「管弦楽のための協奏曲」。

 この年の1月に、聴きに行った高関が振った都響の演奏がすばらしかったので、この演奏会はぜひとも札幌に帰って聴きたいと思ったのだ。
 私は、高関が札響の専属指揮者だった1988年4月から1992年7月までの間、高関が登場した定期演奏会は1回しか聴いていない。第333回で、そのときのメインの出し物もバルトークの「管弦楽のための協奏曲」(このときは高関はすでに正指揮者を務めていた)。
 ここに書いたように、そのときもエキサイティングな名演を聴かせてくれた(ものすごく久しぶりのハイドシェックが弾くモーツァルトも実にチャーミングだった)。

  ばからしいほど単純な理由は、また今度
 都響で、高関がそれからも進化し続けていることを目の当たりにしたわけだが、そしてこの日のバルトークは曲目こそ違うが、都響の演奏に勝るとも劣らない、パワーと緻密さのバランスが絶妙な興奮度満点のものだった。

 ほら!これが札響なのだ。ものすごい実力をもったオーケストラなのだ。

 では、なぜ半年後の東京公演では気合が入っていないような音楽を奏でたのだろうか?

 その翌年の2008年、私は札幌の本社に転勤となった。
 配属となったのは総務系の部署で、協賛などで札響の事務局とかかわることもあった。
 仕事で札響と接することになるなんて、音楽を聴くようになってこのかた(ということは、事実上生まれてこのかた)、思ってもみないことであった。

 そしてまた、北海道に戻ったということで、ときおり札響の定期演奏会も聴きに行けるようになった(なお2007年8月よりブログを書き始めたので(2014年6月までの分は本館)、それ以降に聴きに行った演奏会の感想はそこで取り上げている)。
 そして、何度か通うようになって、あの心に訴えてこない演奏の原因がわかった。

 それはあまりにも当たり前すぎることで、「なんでそんなことに気づかなかったのだろう?このばか者めが!」と自分をののしるに十分値するものであった。

BartokRattle バルトーク(Bartok,Bela 1881-1945 ハンガリー)の「管弦楽のための協奏曲(Concerto for orchestra)」Sz.116(1943)。

 クーセヴィツキー夫人の追悼とクーセヴィツキー生誕70周年、ならびにボストン交響楽団指揮者就任20周年の記念のために書かれた。

 当時、アメリカでは知名度が低いためにあまり良い仕事に恵まれず、また白血病にかかって窮状にあったバルトークを助けようと、クーセヴィツキーが作曲を依頼したのだったが、こうして生まれたこの曲はバルトークの晩年の傑作となった。
 初演も大成功だったという。

 今日はラトル/バーミンガム市交響楽団の演奏で。

 1992年録音。EMI。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】

♪ 作品情報 ♪
【初演】 1944年・ボストン
【構成】 5楽章(約37分)
【編成】 orch(picc 1, fl 3, ob 3, E-H 1, cl 3, b-cl 1, fg 3, C-fg 1, hrn 4, trp 3, trb 3, tuba 1, timp, 打楽器各種(トライアングル, シンバル, 吊りシンバル, 小太鼓, 大太鼓, タムタム), hp 2, Str)
【本作品について取り上げた過去の主な記事】
  
Bartok♪ 作曲家情報 ♪こちらをご覧ください












私の札響感動史(43)♪札響の響きは東京の空気に合わなかったの?

TMSO20060617  常に札響と比べてる私。そして札響第一主義の私
 大阪に転勤となった私。2003年のことだ。いまのことではないので混同しないようご注意を。

 大阪在住中の3年間、足を運んだのは2005年12月の関西フィルの「第九」演奏会だけ(単身赴任だったので自宅に戻ることはしばしばあったが、そういうときでも札響の演奏会には一度も行っていない)。

 久しぶりに聴く生演奏。
 だが、「札響に比べるとだいぶ物足りないな……」と、どうしても『かつて聴いていた』札響と比較してしまう自分がいる。

 大阪の次は東京に転勤になった。
 東京都交響楽団を聴いても、どっちがどっちに似たわけではないのに、「都響のサウンドは札響に似てるな。けど、札響に比べて粗さがあるな」と、ここでも札響びいきになってしまう、困ったちゃんの私だった。

 ただ札響に近いものがあると感じたせいか、都響の響きは私の好みに合った。

  高関の『進化』を実感
 東京に住んでいた2年の間、(たっただけど)3回都響を聴きに行っている(他のオーケストラのコンサートには行っていない)。

 最初に行ったのは2006年6月の『東京芸術劇場シリーズVol.60 作曲家の肖像 ベルリオーズ』。指揮はファレッタ。お目当ては「幻想交響曲」。
 この演奏会で、私は上に書いたように、都響と札響のサウンドが似ていると感じた。ただ、初めての生・都響なので比べようもないが、都響のパワーが出きっていないように感じた。ステージが遠く感じるような、そんな響きだった。

TMSO200170124_639th 2回目は2007年1月の第639回定期・Bシリーズ。
 間宮芳生の「合唱のためのコンポジション第4番『子供の領分』」をやるということで、この機会を逃すと一生この曲を生で聴くことができないかも知れないと思い、出かけた。

 指揮は高関健。
 高関の指揮を聴くのは実はこのときが3回目(1回目は札響の特別演奏会、もう1回は定期演奏会)。
 正直、すっかり『立派な指揮者』になったと思った。そしてまた、札響の正指揮者としてこのあとも数々の力演、名演を聴かせてくれることになるとは、このときの私は想像もしていなかった(高関は2003年から札響の正指揮者になっていたが、私にはまだそれを聴く機会は訪れていなかった)。

 そしてまた、「この人、いい人なんだろうな」と思った。
 この日、「子供の領分」の児童合唱は指揮者のすぐ前、指揮者とオケの間に整列したが、子どもたちにお辞儀のタイミングなど、細やかに優しく師事していたからだ。

 前半に日本人作品、後半にバルトークという演奏順序にかわったが、後半のバルトークの過激でシャープな演奏は、ピアニストの力量ももちろんだが、都響の底力を見せつけられた気がした。もちろん、(生意気な言い方ですいませんけど)高関の成長ぶりも。

 日本有数のオケとなった札響の今の姿を語るとき、高関の名前はあまり出てこないが、かつては弱々しいと感じることもあった札響が都響のようなパワーを安定して出せるようになったのは高関の功績も大いにあるのではないかと思う。

 3回目はインバル指揮でマーラーの交響曲第7番。
 私がブログを書き始めたのは2007年の8月からなので、その感想はこちらをご覧いただければと思う。

  憤慨したわけではないが、前半で退館
 さて、東京勤務時代には毎回-といっても、2年しかいなかったので2回-札響の東京公演を聴きに行った。

 どちらも指揮は尾高忠明。

SSO2006_07Tokyo 2006年11月にサントリーホールで行なわれた演奏会のプログラムは、ノルドグレンの「左手のための協奏曲~小泉八雲『階段』による」(ピアノ:舘野泉)とマーラーの交響曲第5番。

 サントリーホールで札響によるマーラーの5番が聴けるなんて夢のよう、とまでは言わないが、大いに期待が持てる。
 ところがである。なんだか大きな音も空虚に鳴り響くって感じで、心に訴えてくるものがない。気持ちが冷めてしまったような、さびしい思いで地下鉄に乗って帰宅した。

 翌2007年11月の会場は東京芸術劇場。

 前半のプログラムはドビュッシー/「牧神の午後への前奏曲」、クラリネット独奏にメイエを迎えて武満徹/「ファンタズマ/カントス」とドビュッシー/「クラリネットと管弦楽のためのラプソディ」。

 札響の音は清澄だ。懐かしく感じる。
 しかし、曲目のせいだけじゃないと思うのだが、どの演奏もよそよそしく聴こえる。一言で言えばつまらない。後半の武満/「遠い呼び声の彼方へ!」(ヴァイオリン:堀米ゆず子)、ドビュッシー/「海」は聴かずに、一緒に行った職場の仲間と居酒屋に行って、どっぷりと俗世間の雰囲気につかった。
 もうブログを書き始めていたのに、演奏会に行くことは書いているのに、聴いた後のことを書いてないのは、私の裏切られた感がそうとう強かったんだと思う。

 私にはこの2回のコンサートを耳にし、札響のすばらしさの半分も東京の人たちには伝わっていないと、とても悔しい思いをしたものだが、なぜ魅力満開とならないのか、そのわけはわからなかった。

 おやおや、今日は「感動史」じゃなくて「勘当史」みたくなっちゃった。

DebussySuiteKrivine ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「クラリネットのための第1狂詩曲(Premiere rhapsodie pour clarinette et piano)」(1909-10)。

 パリ音楽院の高等評議会のメンバーになったドビュッシーが、音楽院のクラリネット科の卒業試験用に書いた約8分ほどの作品。
 1910年にピアノ伴奏版が完成したが、そのすぐあとにドビュッシー自身の編曲によって管弦楽伴奏版が作られた。

 スゾーのクラリネット、クリヴィヌ/国立リヨン管弦楽団の演奏を。

 1994-95年録音。DENON。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
  
Debussy♪ 作曲家情報 ♪
 
 印象主義音楽の開拓者。若いころK.v.メック夫人ナデージダの子供たちのピアノ教師を務め、ロシアにも旅した。ワグネリアンから出発、S.マラルメのサロンに参加して象徴派の詩人たちと交わり、東南アジアの音楽やムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」の音楽などの影響を受けて、全音音階を創造。その他、中世の旋法、五音音階なども用いてロマン派音楽から脱却した印象主義音楽により近代音楽の扉を開いた。
 (井上和男編著「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)による)

私の札響感動史(41)♪『伊福部昭音楽祭』が私の初キタラ

Ifukube199710b  そのコンサートのことはちっとも知らんかった!
 長年続けてきた札響定期会員をやめた最後の演奏会が前回書いた1996年3月の第378回定期演奏会だった。

 その次に札響を聴きに行ったのは、翌年97年の10月のこと。定期演奏会ではなく特別演奏会。たまたま職場でチケットを譲り受けたのだ。

 その特別演奏会というのが……な、な、な、な、なんと!『伊福部昭音楽祭』なるもの。いただいたのは夜の部の『交響楽の世界』のチケットだった。

 1997年はUHB(北海道文化放送)開局25周年、そして北海道新聞創刊55周年の年。その記念として、2社(UHBは道新グループ)がこのコンサートを主催したのだった。

  道新と伊福部の縁
 ちなみに、北海道新聞社は昭和22年に制定した『北海道新聞文化賞』の第1回目の受賞者に伊福部昭を選んでいるし、1984(昭和59)年には道新の1万5,000号記念として『伊福部昭の世界』なるコンサートを主催してくれている。

 また、UHBは開局25周年記念特別番組として「北の交響曲~映画音楽[ゴジラ]のもう一つの顔~」を、9月に放映していた(VHSに録画したが、いまや観る術がない)。

Ifukube199710c

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  NHKで事前に知っていた「協奏風交響曲」
 偶然だろうが、その前後のことだったと思うが、NHKが「伊福部昭を知っていますか」とかなんとかいう特別番組を放送(これもVHSに録画したが、どうしたらよいのでしょう)。
 東京空襲で焼失したと思われていた「ピアノと管絃(弦)楽のための協奏風交響曲」の楽譜がNHKの資料室で発見され、伊福部が総譜を復元。1942年の初演以来、長いときを経て演奏する様子が映された(ただし演奏会としての再演ではなかったよう。下に紹介するディスクの録音の様子か?)。

 さて、『伊福部昭音楽祭』の演目は「交響譚詩」に「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」(公開演奏会としての再演は、このときが最初のはず)、そして交響頌偈「釋迦(釈迦)」である。

 いやいや、まいった。「協奏風交響曲」に「釈迦」ですよ!おしっこちびりまくり!

 しかも、会場はこの年の7月にこけら落とししたばかりのKitara。My first Kitaraだ。「アタシ、どうしたらいいのかしら?」って感じだ(実際、なんてすばらしいホールなんだろう!と正装してこなかったことを恥じた←誇大表現)。

 ただし、席は最前列。いや、いただいた席なので文句は言えないけど、これが相撲だったら土俵から落ちてきた負け力士の下敷きになって圧死するような場所だ。

 ピアノ独奏は舘野泉。指揮は田中良和。合唱は市民参加による合唱団。

IfukubeSymphonyConcertante  プロコフィエフにも似たメカニックさだが……
 「釈迦」も良かったが(終楽章のチューブラー・ベル2台による鐘の音が印象的)、圧巻は「協奏風交響曲」。いやい、こんな前衛的な、でもまったく無味乾燥とはしていない熱い血が高血圧状態のすさまじい曲を、1941年に、札幌で作曲していたとは!

 伊福部昭は初演時にこう書いているそうだ。

 血液の審美と現代のダイナミズムの結合が、この作品主体である。またこれらに何等かの色彩を得たとすれば、それは私の個性と北方感覚の参加に他ならない。

 この「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲(Symphony concertante for piano and orchestra)」(1941)を、舘野泉のピアノ、大友直人/日本フィルハーモニー交響楽団の演奏で、あなたも血を沸騰させろ!

 『伊福部昭の芸術5 楽』。1997年録音。キング(レーベルはFIREBIRD)。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】※12/12までポイント15倍キャンペーン開催中!


 当日の立派なプログラムノーツには、伊福部が学生だった頃の札幌の地図も載っている。

 伊福部が早坂文雄三浦淳史と入り浸っていた名曲喫茶『ネヴォ』って、いまの『大阪屋』がある場所あたりにあったことがわかる。あの『丸惣』の仲小路をはさんで向かいってことになる。

Ifukube199710a

私の札響感動史(40)♪GMはたまにしかやらないのにガサガサガサ

SSO377_378  ロシア三昧(2曲だけど)
 ホルストの「惑星」で幕を閉じた1995年の定期演奏会

 翌96年に私が定期演奏会に行けたのは、たったの2回。


 1つは2月に行なわれた第377回。

 指揮は秋山和慶。ヴァイオリンは加藤知子(20年後に彼女の独奏で伊福部昭のヴァイオリン協奏曲第2番を聴けることになるなんて(第569回定期)、もちろん想像すらしなかった)。


 演目は、私の大好きなハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲。

 加藤は躍動感にあふれたダイナミックな演奏を披露。あのときはかわいらしいお嬢さんって感じだったが、すっかり大物のオーラが。
 オーケストラは相も変わらずエネルギッシュな好演。

 ラフマニノフの交響曲第2番も、メランコリックなところはとことん切なく美しく歌い、終楽章などでは札響パワーが炸裂。
 当時はいまほどの人気曲ではなかったこの交響曲を、秋山/札響のコンビによる安定した名演奏で聴けたことは貴重だった。


  日本のマーラー指揮者登場
 次に行ったのは、翌3月の第378回。


 指揮は若杉弘。演目はマーラーの交響曲第9番。

SSO378thFM_Ad いやぁ、ついぞ第9番まで取り上げてくれた(その後、現在に至るまで私が札響で聴いていない、あるいは札響が取り上げていないマーラーのシンフォニーは「大地の歌」と、10番の全曲版である)。

 若杉といえば、日本人指揮者のなかではマーラーのスペシャリストとして定評のある人。
 期待に胸がはちきれんばかりに膨れないワケがない。


 ところがである。

 当日私が感じたのは、なにかスカスカというか密度がない響き。
 それなりに満足はしたのだが、両端の遅い楽章は間延びした感じがしたし、中間2つのテンポが速くオケが強奏する箇所が多い楽章も、どうもノリが悪く感じた。
 そしてまた、オーケストラの注意力が散漫になったのか、終楽章ではふだんの札響ではありえない大ズレするパートも……

 

SSO378th_To Araya この演奏は後日、AIR-Gで放送され、私はエアチェックして聴き返したが、どこか他人行儀な演奏に聞こえた。

 なお、この番組には若杉も出演して、インタビューに対し「マーラーばかりやっているとオーケストラの音が荒れます」と言っていた。そういうもんなんですかね?


 この日のプログラムノーツには1枚の紙が挟み込まれていた。
 今宵のマーラーは札響の初代常任指揮者・荒谷正雄の追悼する演奏とさせていただく、という内容のことが書かれていた。

 すばらしい計らいだ。けど、そんな雰囲気の演奏ではなかった。


 のちに若杉/東京都交響楽団によるこの9番のライヴ(1991年)を聴いたとき、札響の演奏に通じるものを感じた。
 たぶん、これが若杉スタイルってものなのだ。
 ズレはハプニングとしても、なにかがさつきのある緻密とは言えない響き。

 どこか私にはなじめない演奏だ。


 ここのブログ記事で、私は若杉のすごさがわかったとほめているが、なぜそんな虚勢を張ったのか自分でも思い出せない。
 そしてまた、若杉/都響によるマーラー・シリーズのなかでは、まだ9番は良い方という意味で書いてもいる。生意気なこと言って申し訳ないが……

MahlerLevine2 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第9番ニ長調(1908-09)を、今日はレヴァイン/フィラデルフィア管弦楽団の演奏で。


 なんのことはない。私が初めて買ったマラ9のディスク(そんときはLP)がこれだったってこと。

 あっけらかんとした、たとえば追悼にはそぐわない演奏。それでも(って言い方は失礼だが)、当時はなかなか話題となった録音。

 あっ、良く言えば若々しくてはつらつとしているってこと。オロナミンCの世界ね。

 録音のせいか、音がちょっとキンキンしているのが難。


 1979年録音。RCA。


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  長きにわたる定期会員の継続を断念
 ところで、私はこの第378回もって定期会員をやめた。

 仕事の関係で年に数回しか通えないような状況が何年も続き、いくら固定した席をずっと確保しておきたいとはいえ、ちょいと無駄が過ぎると判断したのだ。

 翌シーズンのプログラムに魅力を感じなかったというのもある。

 ブリックナーという作曲家がどんな曲を書いているのかは気になったが(←これこれ!)。

SSO1996Season
 

私の札響感動史(39)♪力強い若き女性たちと裸足かも知れなかった女性たち

SSO372_373  女性とは思えない骨太さ
 1995年9月の第372回定期演奏会は、チェロの向山佳絵子を独奏に迎えて、オール・チェコ・プログラム。

 心がウキウキする「売られた花嫁」序曲で始まり、ドヴォルザークのコンチェルトでは向山の骨太で力強いチェロの音に驚かされた。
 「シンフォニエッタ」は、ヤナーチェク独特の野暮ったさというか田舎くささというか、まあそれが彼の民族っぽさなんだろうけど、そういう面をあまり強調しない、都会的な雰囲気の演奏。
 だが、音の饗宴を堪能することができた。

 翌10月の第373回はファリャの「三角帽子」の全曲を、手塚幸紀がメインで取り上げた。
 それにしても、独唱の出番がとっても少ないこの曲。「ステージで出番を待っているのはたいへんだろうな」と思いながらステージを観ていた。
 ただ、演奏会で全曲を聴けるのは貴重な体験だったものの、ちょっぴり長く間延びした感じがする。コンサートでは組曲版の方が「もっと聴きたかったのに」感があって、ちょうどいいのかも知れない。

 アルチュニアンのコンチェルトは、超絶技巧が要求されるもの。
 なのに、ちっともステージの光景が思い起こせない。

 不思議だ。

 当日、急きょプログラムが変更になった……ってことはなかったよな。

 第374回には行けず(井上道義指揮でメインは「ツァラトゥストラ」)。

SSO375_376  小玉ではない新人
 そして第375回。こうやって振り返ると、秋山和慶はほんとうに数多く札幌に来てくれていた。

 プログラムはピアノ独奏に児玉桃を迎えてのプロコフィエフ。

 どうでもいい話だが、児玉桃って工藤夕貴に似てるなって思った。
 そして、ダイナミックなプロコフィエフの第3コンチェルトを聴いて、「この若者ただ者ではない」と思った。大型新人現る!だ。

 このとき児玉はまだ23歳。現在はパリに在住し(きっと大)活躍している。

 なお、来年5月の第619回札響定期に、児玉桃は姉の麻里とともに出演。
 プーランクの2台のピアノのためのコンチェルトを弾く。

 そして「惑星」。

 音の洪水に、そしてまた静かな楽章はその澄み切った札響の響きに、ただただ酔いしれた私。

 最後の、ステージ裏で女声合唱の声が遠のいていくのも、初めて実に効果的な工夫だと感じた。

 これって、徐々に舞台裏でステージ側から後退して離れて行くそうだけど、足音がしないように靴は脱いで歌うって何かの本に書いてあった。
 「手に靴を持って後ずさりしてるのかな」なんていう、曲とは関係ないことをしばし考えてしまった。

HolstLevine ホルスト(Gustav Holst 1874-1934 イギリス)の組曲「惑星(The planets)」Op.32(1914-16)。

 この曲のCDでは、いまやすっかり私のなかでは印象が悪くなっているセクハラ・レヴァインによる演奏が、やはり迫力満点、聴きごたえ十分である。

 「オーケストラをただ鳴らしまくっているだけじゃん」と言われれば、確かにそういう面もあるが、「占いで最悪のことを言われた」みたいにそんなに深刻になって聴くこともないわけで、ただただ絢爛豪華な響きを味わうには最適だ。

 1989年録音。グラモフォン。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   ホルスト:組曲≪惑星≫

 チラシには翌年1月第376回定期のプログラムも載っているが、マッシュちゃん指揮するブル5に、私は行けず、であった。

私の札響感動史(38)♪男の子2人の一生懸命な姿に視界不良となった私

SSO368_369  あのときの大野さんはまだ30歳半ばでしたもんね……
 前回取り上げた第364回定期演奏会のプログラムノーツ。


そのなかの、次回定期の演奏会の聴きどころを紹介する連載記事で、青澤唯夫氏がこう書いている。

 ……私が本格的に札響を聴きはじめたのは1991年からで、まだ日も浅いわけだから大きなことは言えないが、それにしても秋山和慶が指揮する時の札響は、聴き手にとってはもう安心して音楽に浸りきることができる。
 ほかの指揮者が危なっかしくて仕方ないというつもりはないが、秋山和慶の指揮は私たちの国のあらゆる指揮者のなかでも屈指の安定感を持つことは疑いない。……


 まったくもって同感である。
 そしてまた、安定しているだけではない。そのプログラムは実に挑戦的である。
 それが両立しているのがすごい。私はこれまで、秋山が指揮する札響で、つまらなかったと思ったことはない。


 さて、1995年に入り最初に行ったのは、その首席指揮者・秋山和慶が登場する1月ではなく、大野和士が指揮した2月の第366回定期。

 前半のワーグナー/ジークフリート牧歌、ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第1番(独奏:中村紘子)はなぜか印象に残っていないが、後半のルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」は、札響の緻密なアンサンブルが楽しめた。ただ、大野の指揮はちょっとまじめすぎるというか、まだ硬いというか……


SSO370_371  これまためったに聴けない生スクピーコン
 次に行ったのは4月の第368回。
 指揮は秋山。ピアノは伊藤恵。

 この日も秋山は珍しい曲を取り上げてくれた。
 スクリャービンのピアノ協奏曲である。


 非常に甘美でロマンティックな作品で、私がこんなに良いと思っているのに、なぜ世の中の人々はあまり関心を示さないのだろうかと、孤独のどん底に突き落とされたような思いをしていたのだが、秋山が取り上げてくれて「ほぅらね!これだって日本ではあまり演奏されることのない名曲』ってことさ!」と、市議会議員選挙で多くの支持を得たような気分になったものだ。

 ただ、甘美でロマンティックということは、一歩間違えると甘ったるく平板で退屈な演奏ってことになりかねない。

 しかしそこは『安定の秋山』(安定=優等生的ではない)。この曲の魅力をきっちりと聴かせてくれた。いつでも、さりげなくきちんと名演に仕立て上げちゃうところがすごい、秋山は。

 もちろん伊藤恵も言うことなし。ときに優雅にときに激しくと、豊かな表現でこの曲を弾いてくれた。


 スクリャービンで満足してしまったせいか、そのあとの「シェエラザード」はあまりよく覚えていない。このころから私の『メモリ不足』が始まっていたのだろうか?


 翌5月の第369回は札響桂冠指揮者・岩城宏之の登場。
 ドビュッシーの「夜想曲」とラヴェルの「ダフニスとクロエ」全曲という意欲的なプログラム。

SSO371PN これは行きたかった。つまり、私は行けなかった。
 結局、私が岩城/札響のステージを最後に見たのは、聴いたのは、いつのことになるのだろう?これより前か?それとも、このあとも聴く機会があったのか?
 今度、あらためて確認してみなきゃ


  海の向こうでは大ヒットしたレクイエムが札幌市民会館で
 6月も行けず、今度は7月の第375回。
 指揮は秋山、ヴァイオリン独奏が戸田弥生。


 モーツァルトの印象は残っていないが、「揚げひばり」は、札響の美しい弦の響きにのって、戸田が清楚な演奏を聴かせてくれた。

 そして、ロイド=ウェッバーの「レクイエム」。

 私は初めて聴くこの曲に、そして演奏に、すっかりやられてしまった。いや、気持ちが悪くなったんじゃなく、感動し、一目惚れした。


 そもそもロイド=ウェッバーという作曲家を知らなかった。
 「オペラ座の怪人」や「キャッツ」などの曲を誰が書いたかなんて関心がなかったんですもの。


 実際、この曲が発表されたときにはここに書いたような反応が起こったほどなのだ。

 このレクイエムの作曲者が有名なミュージカルの音楽を数々と手がけていたなんて思いもよらなかった私を、非難してはいけない。
 でも発表後、すぐにヒットチャートに躍り出たとか、そのなかでも特に第7楽章の「ピエ・イェズ」は超人気となったなんてことを知らなかった私は、ちょっぴり非難の対象となりそうだ。


 また、このレクイエムでは児童合唱のうち2人(ボーイソプラノとボーイアルト)が独唱も務めるが、おじさんはその姿-いっしょうけんめいきちんと上手に歌う姿-にもう涙腺が失禁しそうになった(児童合唱のメンバー全員もよくやってくれた!)。彼らももう30歳を過ぎてるな。いま、何してんのかな?

 プログラムノーツに“照明 (株)ライズ”と書かれているが、このステージでは特殊な『照明』が仕掛けられていた。
 
LloydWebberReqiem 曲の最後、オーケストラとオルガンがベスビオス火山の大噴火のように音響を炸裂させるところで-個人的にはこの破壊的な強奏が果たして必要なんだろうかと思っている-ステージの通常の照明が落とされ、赤い照明がステージ奥で照らされるのだ。まぁ、怖いことですこと……


 様々な打楽器やサキソフォン、シンセサイザーなどが用いられ通常のレクイエムと様相は違うが(ヴァイオリンは編成に加わらない)、聴き手のツボをおさえた傑作であることは間違いない。


 この曲のCDは、あいかわらずマゼール盤(イギリス室内管弦楽団、ウィンチェスター大聖堂聖歌隊他。1984年録音。EMI)しか出ていない(「ピエ・イェズ」だけなら他にも録音がある)。


 この曲のヴォーカル・スコアの表紙もCDと同じデザイン。

 きっと、いわゆるひとつの商業主義的なものがあるのだろう。


   このCDの詳しい情報 【タワレコ】※ポイント10倍キャンペーンは本日10/28 23:50まで
   Lloyd Webber: Requiem / Maazel, Domingo, Brightman

LW_RequiemScore

 スクリャービンのピアノ・コンチェルトについてはこのCDがお薦め。

私の札響感動史(37)♪ちょっぴりLoveっぽくて嫉妬しちゃった私

SSO364_367  またまたまぁらぁ
 第361回定期(94年9月)で、シャローンがマーラーの第2番を取り上げたばかりなのに、札響は3か月後の12月に行なわれた第364回でもマーラーを取り上げた。

 こんなに短期間で再びだなんて、マーラー協会からの要請があったのだろうか?それとも、グスタフ友の会から圧力がかかったのだろうか?あるいは私の内なる願いが通じたのだろうか?


 そうではない。カネパのせいなのだ。


  強打への期待に鳩胸状態
 実は当初、この第364回定期演奏会の出し物はヴェルディの「レクイエム」だった。

 私は初めて生で聴くヴェルディのレクイエム、特に「ディエス・イレ」や「リベラ・メ」の楽章で『(ズッ)ドン!(ズッ)ドン!(ズッ)ドン!(ズッ)ドン!』と暴力的に打ち叩かれる大太鼓のサディスティックな響きに、それはもうマゾ男のように期待していた。

 ところが、合唱を歌うカネパ合唱団という(私にとっては)得体の知れない団体様が来日不可能となってしまった。そんなわけで、急きょ演目がマーラーの「さすらう若人の歌」(抜粋)と交響曲第4番に変更となった。

SSO364Info

 さらに、これでは治まらず、「さすらう若人の歌(さすらう若者の歌)」は「亡き子をしのぶ歌」になった。

SSO364PN

 いまと違い、マーラーの交響曲のなかでは規模の小さい第4番は、私にとってはちょっとそそられ度が小さかった。なので、このプログラム変更は、「なーんだ4番かぁ……。トロンボーンもテューバも入らない。それならだんぜんヴェルディを聴きたかった。ゾクゾクしたかった。攻めまくって欲しかった」とがっかりしたものだった。

  見つめ合い、うなずき合う2人
 そんな後ろ向きの姿勢で臨んだコンサート当日。

 だが、これがすこぶる良い演奏だった。

 マーラーの第4番はこれまでも何度も札響で聴いている曲。上に書いたように編成が小さいので札響でも取り上げやすかったのだろう。

 指揮の広上淳一も、ソプラノの松本美和子も、定期では初協演。
 たぶん私にとって、広上という指揮者を初めて知ったコンサートでもあった。

SSO364thProfile

 広上の指揮台での大きなアクションは岩城宏之を思い出させた。が、そのタクトから引き出される音楽は岩城よりも無機質ではない。

 そして第4番の終楽章では、松本としばしば見つめ合いながら、息がぴったりと合った演奏。この2人、抱き合うんじゃないかってくらいの世界。
 いいよ、いいよ。2人で、歌詞にあるようにおいしい梨でも葡萄でも、鹿肉でも兎の肉でも食べなさい!って言いたくなるような-良い意味で-、素敵な管弦楽に包まれた2人の世界。

 そんな演奏が悪いわけがなく、過去に札響で聴いた、あるいはその後札響で聴いた、どの第4番よりも引き込まれる演奏だった。

  動きに惑わされる?
 その後、広上による演奏は札響のステージでも、あるいは札響以外のオーケストラを振った録音でも数多く接してきた。だが、彼って録音には恵まれていないのではないか?

 生では、ステージ上の動きに正比例するようにスケールの大きい演奏を聴かせてくれるのだが、録音ではどこかこじんまりとした枠の中に収まってしまっているような感じがする。この日の夜のマラ4のような魅力を放ってくれないのが残念だ。

 あるいは、指揮台の上の動きからスケールが大きいように聴こえるが、音楽だけを聴けば繊細に音を紡ぎあげていくスタイルの指揮者なのだろうか?
 もしかすると、第4番にはその『こじんまりさ』がうまくマッチしたのかも知れない。

Mahler4Tennstedt 広上淳一がロイヤル・フィルを振ったベルリオーズの「幻想交響曲」(1996年録音。DENON)。
 この演奏は、私が抱いている暴れん坊将軍・広上のイメージとはかけ離れた典型的なものの1つ。

 でもディスクはすでに入手困難なので、気分を変えて、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第4番ト長調(1892,1899-1900/改訂1901-10)を、テンシュテット/ロンドン・フィル、ポップ(S)の演奏で。

 ここで書いたように、すばらしい演奏!ただし、あの晩の広上/札響&松本の演奏は、これとは逆の座標に位置する天国的演奏だった(と思う)。

 1982年録音。ワーナー(原盤:EMI)。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   【UHQCD】マーラー:交響曲 第4番

 さて、今日は久々に手料理でも作るとするか……

私の札響感動史(36)♪魂をじわっと揺さぶられたシャローンのGM2

SSo361_362  ええ、聴くだけなのに緊張してたんです
 1994年9月7日の第361回定期演奏会は、札響初となるマーラーの交響曲第2番「復活」。

 指揮はデヴィット・シャローンである。

 シャローンといえば、1987年6月の第282回で、これまた札響初となったマーラーの交響曲第5番を振り、北海道厚生年金会館を興奮のるつぼと化した危険な指揮者である。
 あのとき、最後の音が鳴りやむかどうかというときに、「もう、アタシがまんできない」とばかりの割れんばかりの拍手。まるで保管庫の打ち上げ花火に引火したような大騒ぎだった。それは、エリシュカ最後のコンサートの「シェエラザード」が終わったあとの拍手喝采に勝るとも劣らないものだった。

 それが今度は第2番である。
 期待しない方がおバカというものだろう。
 「復活」はアマチュアではあるが北海道交響楽団の演奏を生で聴いたことがある。だから、生だとどんな感じかはわかっているつもりだ。でも、愛する札響の演奏だ。悪いが、北海道響とは比較にならないだろう。

 当日、仕事のせいで会場の厚生年金会館に着いたのはぎりぎりだった。
 ホールに駆けこむと、もうオーケストラはステージ上でチューニングを始めている。
 はあはあ言いながら席に着き、すぐに指揮者が登場。演奏が始まった。
 しまった!トイレに行きそびれてしまった。まずい!かなりまずい!
 第1楽章と第2楽章の間に、作曲者の指示通り最低5分のインターバルがあるだろうか?そのときに抜け出して排出しなければ、私の席は感動の涙ではなく、粗相の尿で濡れてしまう。

 ってな、夢を前日みた。これ、本当の話である。
 それぐらい、聴き手の私にも根拠のないプレッシャーがかかっていたのである。

Mahler2E  熱狂するつもりが……
 当日はそのようなトラブルもなく、きちんとトイレに行き、演奏に臨んだ。

 マーラーの5番では熱狂させられたが、この日の2番では穏やかな感動に包まれた。
 とても良い演奏だった。
 マーラーの2番は、他の彼の作品同様、あるいはそれ以上に大きな音が鳴り渡る作品だが、実演に接し興奮するのとはまた違う面をもつ、深遠な音楽だということに気づかされた。
 それは、シャローンのはったりをきかせないアプローチのせいもあっただろう。
 札響の上手さを十分に堪能できる曲でもあった。

 忘れられない定期演奏会の1つである。

 マーラーの2番のCDとして、ここではエッシャンバッハ/フィラデルフィア管弦楽団他による演奏をご紹介しておく。

 2007年ライヴ録音。ONDINE。

   このCDの詳しい情報【タワレコ】
   ※ポイント10倍キャンペーンは本日12日 23:59まで
   Mahler: Symphony No.2 "Resurrection" (5/2007) / Christoph Eschenbach(cond), Philadelphia Orchestra & Singers, Simona Saturova(S), etc


私の札響感動史(35)♪なぜか流れが悪く響きも粗かったタコ6

SSO350_351  写真ではサラリーマン。でもファゴットの名手
 1993年4月の第346回定期(オール・ショスタコ・プロ)のあとに私が行った札響の演奏会は、9月の第350回。

 マルク・アルブレヒトの指揮で、メインはマーラーの第1番だった。
 良くも悪くもフツーの演奏。
 それよりもファゴットのトルコヴィッチを迎えてのウェーバーのファゴット協奏曲ヘ長調が心踊らされるような演奏で楽しめた。アンコールのウェーバーの「ロンドJ.158」からの一部も素敵だった。

  フランス的=物足りなさも……
 翌10月は、なんとジャン・フルネが指揮台に。
 オール・フランスもののプログラム。
 ドビュッシーの「海」にしろ、サン=サーンスの交響曲第3番にしろ、力で押してくるようなところがまったくなく、フランスの本場の鳴らせ方ってこういうもんなんだなと、感心させられた。

  札響らしくない出来
 年が明けて、1994年1月から3月は北海道厚生年金会館が改修工事のため、会場は札幌市民会館に。

 1月の第354回は手塚幸紀の指揮で、メインはショスタコーヴィチの交響曲第6番。

SSO9401

 めったに生で聴ける曲ではないので楽しみにしていたが、厚生年金より響きが良いはずの市民会館なのに、どうも音に隙間がある。初期のナクソスのショスタコの録音のようだ。流れも良くない。
 後日、FM北海道で放送されたものをエアチェックして聴いたが、会場で聴いた時よりも響きが全然密ではなかった。残念であった。

 って、今回は「感動史」になってないな……

SilvestriBox  心臓麻痺に気をつけて、いざ海へ
 ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「海-3つの交響的スケッチ(La mer - 3 Esquisses symphoniques)」(1903-05)。

 印象主義音楽の管弦楽作品の代表的な傑作。
 そして今日は、上に書いた私の『感心』とは矛盾する演奏を。
 シルヴェストリ/パリ音楽院管弦楽団によるものだ。

 許光俊と鈴木淳史の「クラシックCD名盤バトル」(洋泉社新書)で、許氏はこの演奏についてこう書いている。

 ……ひとことで言うなら、まるで《禿山の一夜》のような《海》である(おもわず笑)。フランスのオーケストラでも指揮者によってはこんな演奏になるのかと肝をつぶすはずだ。音色や音の動きが鋭角的なのである。もったいぶらずにスパスパと行くので、真夏のラムネのように爽快である。-(中略)-まるで雪の舞う冬の日本海、正月恒例、男子総フンドシで寒中水泳、ヨシおれもやるぞみたいハイぶりなのだ。おそらく、名人揃いのパリ音楽院管が、暴れていいよと言われて大喜びで遊んだのであろう。いわば印象派ではなく野獣派的《海》である。この魅力は独特だ。

 許氏の書いていることはウソではない。ちょっと大盛りって気はするが……
 ただ、まったくもって、いつもの「海」の印象ががらりと変わる「海」である。

 1958年録音。EMI。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】


激励のお気持ち承り所


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