新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の刺激的出来事について北海道から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の中年サラリーマン。

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

コンサート・レビュー

むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪1975年の「第九」

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  ポールタウンからも入れるなんて便利ぃ~っ!
 わずか8ページのパンフレットだが、あらためていま見ると突っ込みたくなるいくつかの発見がある。

 まず表紙。
 この演奏会の会場は北海道厚生年金会館だったが、なんと演奏会の主催は札幌市民会館なのである。
 本当かい?
 そもそも札幌市民会館が主催者になるなんてことあるの?「札幌交響楽団」の間違い?
 だとしたら、相当なことやらかしちゃったってことね。

 表紙の裏面(2ページ)には、人類の進化ともいうべき、「高さの発見」が認められる。
 にしても、このころは別売りではあるが、ステレオセットにはマイクが不可欠のような存在。いったい何のためだったのだろう?

 5ページの対訳では、「げに」のあとになぜか力のこもった太線のダッシュが。

 7ページの広告の「原初の姿と精神を完全に握りしめてそびえたつ堂々たる」もすごいが、「11大序曲」っていう言葉もここ以外で目にしたことのない語句だ。

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 この日の演奏家は、私は通っていた学習塾(西野文化教室)の理科の先生と行った。
 蛯〇先生の本業は北大生だった。アルバイトの講師である。
 蛯〇先生は終演後、西明美さんがちあきなおみに似ていると盛んに言っていた。

 ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の交響曲「イタリアのハロルド(Harold en Italie)」Op.16,H.68(1834)を今井信子のヴィオラ独奏で。


Harold

むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第154回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

   「安全牌」宣言!
 いまあらためて見ると、13ページのグラモフォンの広告って、ある意味すごいと思う。
 読みようによっては「売れそうなものしかリリースしません」って宣言しているように思えるからだ。

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 札響に何度も来てくれたコシュラー。まだ若い!
 「日本社会党結党30周年音楽祭」ってのもすごい(14ページ)。


MozartOvertures

むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第35回北電FC

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  植生 or 埴生?遊星 or 惑星?、デズ?
 この日の「北電ファミリーコンサート」も第33回同様ゲストなし。
 そのためであろう。当夜も解説が載ったパンフレットが配られた(もっとも小倉朗の曲については、まったく作品の解説になっていないが)。

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 この日のコンサートでは、「カルメン」組曲がいちばん楽しめたが、ここではチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第5番ホ短調Op.64(1888)を。

Tchaikovsky5EliskaSSO 札響は札響のチャイ5でも、エリシュカの指揮で



むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第152回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  このころシューベルトの「グレート」は第7番だった!
 札幌交響楽団は1961年9月に第1回定期演奏会を開いたわけだが、第152回定期が行なわれた1975年9月は、パンフレット(札響だより)の表紙にあるように、創立14周年の月にあたる。
 そのため、これまで札響が演奏したことのある作品が増ページで掲載されている。
 このころはまだレパートリーが少なかったため本誌に載せることができたが、いつからのことかは今は定かでないが、その後は別刷りになった。

 ところで、この日のチャイコフスキーの4番にはすごい興奮させられた。
 いや、曲自体が聴き手を高ぶらずにはおられないものなのだ。私だけではなく、会場全体が興奮のるつぼ。
 ただそれだけではない。すばらしい演奏だったのだ。
 アンコールとして、フィナーレのコーダが、それでも拍手が鳴りやまないため、さらに第3楽章の一部が演奏された。

 そしてまたさらに、私はフィナーレのコーダで目の当たりにした吉岡さんのみごとなシンバルの高速打ちにしびれたのであった。

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 こんなことが許されるのかというほど超ヘンテコに変形されたファンファーレで始まるチシルヴェストリ指揮によるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第4番ヘ短調Op.36(1877-78)を。


SilvestriBox

むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第151回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  南ドイツ新聞の評がすてき!
 この日の演奏会は、良くない意味でよく覚えている。

 モーツァルトの交響曲第32番は、私がクラシック音楽を聴くようになってまだ日が浅いうちに知った曲。NHKの第2放送でN響による演奏をエアチェックし、雑音が混じり放題の録音を聴いて親しんだ。

 その32番が生で聴けるとあって楽しみに行き、実際楽しめた。
 しかしのあとがだめだった。
 コンチェルトで私は爆睡してしまったのだ。しかも前かがみにではなく、首を思いっきり後ろに反らして。後ろの席の人にたいへん申し訳ないことをした。
 そして恥ずかしさと、せめてメイン・プログラムは良い状況で聴いていただこうと後ろの席の人に配慮して、2曲目が終わったあとの休憩中に逃げるように帰宅の途についたのだった。

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 それにしても、海外渡航公演から1カ月でシュヴァルツは札響を去ったことになる。
 なんか最後はすごい慌ただしさだったんだ。あのころは気づかなかったけど。

 送別演奏会には私も聴きに行ったが、不思議なことに当日のパンフレットが残っていない。

MozartMackerrasComp そしてまた、高校生になると4ページに広告が載っている「クレモナ」に、私はときおり行くようになったのだった。

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第32番ト長調K.318(1779)。




むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第148回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  この月に札響2枚目のLPが発売される
 ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲はあまり演奏会で取り上げられることがない。
 この日、演奏そのものの感動とか強い印象とかが残ったわけではないが、フデチェックの独奏でこの曲を生で聴けたのは貴重な体験だった。

 なお、フデチェックはソロの曲をアンコールで弾いたが、私にはその曲を知らなかった。

 そしてまた、ブルックナーの第6番を生で聴けたのも、これまた貴重だった。この半年ほどあとに、この曲を岩城宏之がNHK交響楽団を振った演奏がFMで放送され、エアチェックした私はそれを繰り返し聴いた。そんなこともあって、第6番はその後、ブルックナーの交響曲のなかで私が最も好きな作品となり、いまに至っている。

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 発売前から『話題盤』だったらしい札響のレコード、私も買った(15ページの広告)。
 ただこのレコード、どうも録音が平板で良いとは言えなかった。

 それにしても“静かに待たれていた実力指揮者”っていう表現もすごい(12ページの広告)。

BrucknerSym6 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第6番イ長調WAB.106(1879-81)。
 LPでは私はホルスト・シュタイン/ウィーン・フィルの演奏のものを買って聴いており、この演奏が好きだったのだが、CD化されたのかどうかもわからないが、LPを処分したあとは再会できないままでいる。
 シュタイン盤以外ではレーグナー/ベルリン放送響の演奏が好きであり、お薦めするところである。

   ブルックナー: 交響曲第4番~第9番(写真を載せたCDと同一音源盤)

むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第147回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  私にとってのスター指揮者登場
 この日のコンサートのことはここに書いてあるので、ここで余計なことは書かない。
 だが、1つだけ言っておきたいことがある。

 それは、1975年当時、ムーティは若獅子だったらしいってことだ(7ページをご覧いただきたい)。

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 J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の「フーガの技法(Die Kunst der Fuge)」BWV.1080(1745-50,'51刊)を。

BachBWV1080MAK パスカル&ビッチ編のオーケストラ版に私はその後出逢っていないので、バッハの原曲そのものを。

   J・S・バッハ:フーガの技法(写真掲載のCDとたぶん同一音源盤)

むかしの札響公演パンフを画像データ化してご紹介♪第144回定期演奏会

 ※ このシリーズを始めたきっかけについてはこちらをお読みください。

  その後録音に恵まれず、日本では名前を聞かなくなった指揮者
 さて、1974年12月の第144回定期演奏会から私は再び「札響友の会」に入った。
 その第144回定期は、会場が札幌市民会館ではなく北海道厚生年金会館だった。そのためチケットの文字も緑で区別されている。これらのホール(会館)が2つとももう存在してないことに自分の年齢を感じてしまう。

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 グシュルバウアーは、7ページにその広告が載っているが、当時レコードをリリースした。その「ジュピター」を札幌でも披露してくれたのだった。
 この日のプログラムは派手さのない、地味というか渋いプログラムだったが、若輩者の私も楽しめた(演奏が良かったのだと思う)。

 数か月のブランク後にパンフレットを手にしたわけだが、掲載されている広告の顔ぶれも変わっている。それにしても、やはり広告がおもしろいし、時代を感じさせる。

 表2ページ(表紙の裏)はTEACからパイオニアに変わった。ところで、カタログ請求するのに“ステレオの有無”を書かなければならないことになっている。有無によって待遇に差があったのだろうか?

 7ページには TDK のカセットテープの広告が。この SD は私も何本か使っていたが、切れやすかった記憶がある。TDK が登場し、富士フィルムのカセットテープの広告が消えた。

 10ページには“あなたの部屋も喜ぶ”っていうなんだか不思議な表現があるし、11ページでは“なにによらずお問い合わせください”って、なんでもええの?ってことが書かれている。

 共済ホールにはチェンバロが備わったようだし(17ページ)、家具調ステレオだったトリオのVラインは、コンポーネントスタイルのシステムKラインに変わっている。このころから家具調ステレオは市場から消えていったのだろう。

BrahmsSym4Sapporoso では、ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の交響曲第4番ホ短調Op.98(1884-85)をエリシュカ/札響の演奏で。



私の札響感動史(45)♪いまの札響の礎を築いた団員たちの顔ぶれ

SSO200th  「タラス・ブーリバ」の良さを知った夜 
 2008年に札幌に転勤になったあと、最初に聴いた札響のコンサートは、4月11日の第508回定期であった。

 指揮はエリシュカ。私にとっては、この日が初めてエリシュカ/札響の組み合わせを聴く機会となった。

 プログラムはヤナーチェクの「タラス・ブーリバ」とモーツァルトのピアノ協奏曲第24番(独奏:伊藤恵)。
 メイン・プログラムはドヴォルザークの交響曲第6番だったが、これは聴かずに前半で Kitara をあとにした。

 このとき、私がエリシュカと札響の相思相愛のアツアツぶりや相性の良さを強烈に感じたかというと、正直なところそうではなかった。
 ただし、年齢のわりに若々しい演奏をすること。そして、「タラス・ブーリバ」がこんなに良い曲だったとはと感じさせてくれたことが、強く印象に残った(このように、感想も絶賛的)。

  “育ちが良い”GM4
 次に Kitara に足を運んだのは、翌月の5月23日の第509回定期。
 指揮は尾高忠明、独唱は天羽明恵でモーツァルトの交響曲第40番とマーラーの交響曲第4番。

 この日の演奏について、私はおおむね好意的な感想を書いているが、しかしマーラーではもっとオーケストラを鳴らしてほしいという不満ももっている。

  聴き手を引き込む高関
 さらに翌月の6月の第510回定期では高関健の指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(独奏:シフリッツ)とストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴いた。

 この回ではA日程B日程の両方を聴いているが、やっぱり高関健がモーレツな勢いで指揮者として進化しているのを感じさせられた。

 また、なぜか高関健のラフマニノフの第3楽章でのある場面での動きが、不思議なことにいまでもはっきりと記憶に残っている。

  『指揮者による』のは当然のことなのに……
 そして、7月19日に行なわれたPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)で、尾高指揮による札響の「ウエスト・サイド・ストーリー~シンフォニック・ダンス」を聴いたとき、東京の演奏がつまらなく感じた理由がわかった(東京公演は毎回尾高の指揮だった)。

 それは当たり前すぎるほど当たり前のことだったのだが、私の、あまりに『札響』そのものを聴きに行くという思いが強すぎて、気づかなかったのだ。

 つまり、「尾高が振る札響の演奏が(私には)つまらない」、ということだったのだ。

 ふだんから、あの指揮者の演奏は良い!などと言っているくせに、こと札響になると「札響は良い!」ということばかりを考え、指揮者による違いや功罪が頭から吹っ飛んでいたのだ。

 この日のPMFの「シンフォニック・ダンス」のダンスっぽくない演奏を聴き(なぜかこの曲について、私は触れていない)、シロウトのようにはたとそのことに気づいたのだった(シロウトだけど)。

 もちろん尾高ファンの方々もたくさんいるだろうし、尾高忠明が札響の成長に大きく貢献したことは間違いないだろう。いまや日本を代表する指揮者でもある。

 しかし、少なくとも私には、いつでも他人行儀な演奏に聴こえてしまう。
 その後も、尾高の指揮するコンサートでは、好きなプログラムなので期待してホールに行くが、いつも消化不良の思いをさせられた。
 まだ正指揮者として高関がいたので消化不良のままで閉塞までに至らずに収まっていたが、それゆえに高関が2012年3月をもって正指揮者を降りたときは残念でならなかった。

Tweeter20180924 昨年の秋のことだが、ツイッターで札響のことを呟いたことがある。
 それに返信してくださった方がいた。それが画面のものである。

 そっか、予定調和か……

 確かにそうかもしれない。私にはその表現が思いつかなかったけど、核心をついていると思う。

 岩城宏之が札響の正指揮者に就任したとき、札響を日本のクリーヴランド管弦楽団にする、という目標をたてた。

 アメリカの地方オーケストラの1つに過ぎなかったクリーヴランド管弦楽団は、ジョージ・セルを音楽監督に迎えたあと、徹底的にしごかれ、20数年で世界のトップオーケストラにまで育ったのである。

 その岩城は1988年3月をもって音楽監督から桂冠指揮者になったが、これは事実上の退任であった。12年半にわたる岩城の時代は終焉した。
 そのはっきりとした理由はわからないが、楽員との間に軋轢があったという噂もあった(その点では、2004年から音楽監督の座にあった尾高忠明は楽員に慕われていたということだ←これまた噂)。
 また、岩城自身の健康上の問題もあったのかもしれない。
 岩城は1987年に頸椎後縦靭帯骨化症、89年には胃がんを患った。
 さらにその後、2001年に咽頭腫瘍、05年には肺がんとなり、2006年6月13日に心不全で亡くなっている

 私にとっては最も印象深い札響の指揮者である岩城の指揮を、最後に見たのはいつだったか?
 おそらく1987年9月の第284回定期だと思う。
 岩城はそのあとも札響を振りに来ているものの、私は聴きに行けていない。
 岩城の終わりは就任時の華々しさとは正反対に、実にひっそりとしたものだった。私はなんだかあと味の悪さを感じたものだった。

  岩城の目標は岩城の死後になって達成された
 岩城の時代に札響が『日本のクリーヴランド管』になったかというと、そこまでは至らなかった。
 だが、そのあとの秋山和慶、尾高忠明、高関健が、岩城がいいところまで磨き上げた原石にさらに磨きをかけ、日本で1、2のオーケストラに育て上げた。
 ただ、再三私が感想を書いているように、尾高は札響の顔となったが(そして経営難も乗り切ったが)、肝心な演奏そのものとなると印象に残るものは多いとは言えない。

 さらに、磨き上げられた宝石に波長の合う光をあてて、最上の輝きを放させたのがエリシュカだったと言えるだろう。
 いくら素晴らしい演奏を立て続けに聴かせてくれるとは言え、(尾高は別として)これがエリシュカだけだったら、かつてのシュヴァルツ時代のようにレパートリーが偏ってしまっただろう。しかしそこは、高関が若々しく大胆でエネルギッシュな演奏を披露してくれた。札響がこのように幅広いレパートリーをこなせるのも岩城、さらには後継の秋山の功績だろう。

RKorsakovScheSakkyo いまからほぼ40年前の1980年1月に行なわれた第200回定期演奏会。そのプログラムノーツには、当時の札響の楽員の写真が載っている。

 邦人作品などを積極的に取り上げるなど、岩城に《変革》とレパートリーの拡大を求められ、全国区のオーケストラになるために、あらゆる面での向上に努力していた時代だ。

 そんな、むかしの写真を勝手に載せるなと叱られそうだが、このメンバーの顔は私にとって(そして私と同世代、もしくはそれより古くからの札響ファンにとって)単に懐かしいというだけではなく、いまや日本を代表するオーケストラとなった札響の礎を築いた人たちということで、私は敬意を表し、ぜひいまの札響ファンに紹介したいのだ(ヤマザキマリのお母さん、“ヴィオラ母さん”の顔もある)。

 いまの札響ファン(特に会場が Kitara になってからの、いわゆる『 Kitara 世代 』のファン)にとっては、知らない顔も多いだろうし(創立からのメンバーもいる)、あるいはその団員が退団する演奏会に遭遇したという人もいるかもしれない。
 繰り返すが、このメンバー(と、それ以前のメンバー)が苦労し努力し研鑽したからこそ、いまの札響がある。

 私も北海道に戻ったらまた札響に通いたいと思っているが、メンバーが入れ替わってもいつまでも伝統の札響サウンドを守り続けてほしいと願っている。そしてまた、エリシュカ・ブームで札響が一時的に脚光を浴びたに過ぎないと言われないよう、これからも進化を続けてほしいと重ねて願うところである。

 そしてなによりも、さらに若い世代の人たちが札響のコンサートに足を運んでくれることを、これまた切に願ってやまない。

 片山氏のこの文を読んだのがきっかけではじめたこのシリーズは、今回をもって終了。

 このシリーズでは、私がブログを書き始める以前に聴いた札響のコンサートの感想を書いてきた。
 前回書いたように、2007年8月からブログを始めたので、それ以降に聴いたコンサートの感想は、都度ブログに書いている(2014年6月までは本館)。
  
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♪ 紹介したディスク ♪
 武満徹(Takemitsu,Toru 1930-96)の「星・島(Star - Isle)」(1982)。
 岩城宏之指揮による札幌交響楽団第232回定期演奏会(1982年12月23日・北海道厚生年金会館)のライヴ。
 定期演奏会で邦人作品を意識的に取り上げた岩城だったが、とりわけ武満作品の回数は多かった。また、武満自身も札響が奏でる自身の作品の演奏を高く評価していた。
 R-コルサコフの「シェエラザード」とのカップリング。
 FONTEC × TOWER RECORDS TWFS-90009(SACDハイブリッド)。

私の札響感動史(44)♪一流シェフになったのを確信させられた高関の指揮

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  高関の札響でのバルトークが聴きたくて……
 札幌交響楽団の東京公演を聴きに行ったものの、なんにも心に響いてこず、前半で会場をあとにしたことを前回書いた。2007年11月のことだ。

 私は久しぶりに聴く札響に過度の期待をし過ぎていたのだろうか?
 感動・感激の渦に巻き込まれる妄想を抱き過ぎたのだろうか?
 札響の演奏というのは、もともとこういう-この程度の-ものだったのだろうか?

 いや、それは違う。

 なぜなら、私はその半年ほど前に自宅に帰ったとき、札響の定期演奏会を Kitara に聴きに行っており、そこですばらしい演奏を全身で受け止め、「さすが札響!」と大満足したからだ。

 なので、あの東京での響きは札響本来のものではないことはよくわかっていた。あんな事務的な響きであるはずがないのだ。だから耐えられなくって会場をあとにした。こんな演奏に付き合うなら、居酒屋に行って鉄板餃子を食べた方が時間の費やし方としてはずっと不健康ながらも幸せだ。

 その定期は5月26日の第499回(B日程)。
 指揮は高関健。
 演目はメンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」、モーツァルトのピアノ協奏曲第18番、そしてバルトークの「管弦楽のための協奏曲」。

 この年の1月に、聴きに行った高関が振った都響の演奏がすばらしかったので、この演奏会はぜひとも札幌に帰って聴きたいと思ったのだ。
 私は、高関が札響の専属指揮者だった1988年4月から1992年7月までの間、高関が登場した定期演奏会は1回しか聴いていない。第333回で、そのときのメインの出し物もバルトークの「管弦楽のための協奏曲」(このときは高関はすでに正指揮者を務めていた)。
 ここに書いたように、そのときもエキサイティングな名演を聴かせてくれた(ものすごく久しぶりのハイドシェックが弾くモーツァルトも実にチャーミングだった)。

  ばからしいほど単純な理由は、また今度
 都響で、高関がそれからも進化し続けていることを目の当たりにしたわけだが、そしてこの日のバルトークは曲目こそ違うが、都響の演奏に勝るとも劣らない、パワーと緻密さのバランスが絶妙な興奮度満点のものだった。

 ほら!これが札響なのだ。ものすごい実力をもったオーケストラなのだ。

 では、なぜ半年後の東京公演では気合が入っていないような音楽を奏でたのだろうか?

 その翌年の2008年、私は札幌の本社に転勤となった。
 配属となったのは総務系の部署で、協賛などで札響の事務局とかかわることもあった。
 仕事で札響と接することになるなんて、音楽を聴くようになってこのかた(ということは、事実上生まれてこのかた)、思ってもみないことであった。

 そしてまた、北海道に戻ったということで、ときおり札響の定期演奏会も聴きに行けるようになった(なお2007年8月よりブログを書き始めたので(2014年6月までの分は本館)、それ以降に聴きに行った演奏会の感想はそこで取り上げている)。
 そして、何度か通うようになって、あの心に訴えてこない演奏の原因がわかった。

 それはあまりにも当たり前すぎることで、「なんでそんなことに気づかなかったのだろう?このばか者めが!」と自分をののしるに十分値するものであった。

BartokRattle バルトーク(Bartok,Bela 1881-1945 ハンガリー)の「管弦楽のための協奏曲(Concerto for orchestra)」Sz.116(1943)。

 クーセヴィツキー夫人の追悼とクーセヴィツキー生誕70周年、ならびにボストン交響楽団指揮者就任20周年の記念のために書かれた。

 当時、アメリカでは知名度が低いためにあまり良い仕事に恵まれず、また白血病にかかって窮状にあったバルトークを助けようと、クーセヴィツキーが作曲を依頼したのだったが、こうして生まれたこの曲はバルトークの晩年の傑作となった。
 初演も大成功だったという。

 今日はラトル/バーミンガム市交響楽団の演奏で。

 1992年録音。EMI。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】

♪ 作品情報 ♪
【初演】 1944年・ボストン
【構成】 5楽章(約37分)
【編成】 orch(picc 1, fl 3, ob 3, E-H 1, cl 3, b-cl 1, fg 3, C-fg 1, hrn 4, trp 3, trb 3, tuba 1, timp, 打楽器各種(トライアングル, シンバル, 吊りシンバル, 小太鼓, 大太鼓, タムタム), hp 2, Str)
【本作品について取り上げた過去の主な記事】
  
Bartok♪ 作曲家情報 ♪こちらをご覧ください












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