コンチェルト・グロッソ
♪ 作品情報 ♪
【構成】 2楽章(約10分)
【編成】 vn 3, va 3, vc 3, bc(通奏低音)
【本作品について取り上げた過去の主な記事】
≫ 協奏曲と交響曲のはざまで……♪マゼールのブランデンブルク協
メニューイン/バース音楽祭管弦楽団。
♪ 作品情報 ♪
【構成】 4楽章(約20分)
【編成】 狩猟ホルン 2, ob 3, fag 1, vn-picc 1, vn 2, va 1, vc 1, 通奏低音
【本作品について取り上げた過去の主な記事】
≫ これは絶対に聴く価値あり!♪コンチェルト・ケルンのブランデンブルク協
≫ 録音中はお静かに……♪カザルスの「ブランデンブルク協」
≫ 協奏曲と交響曲のはざまで……♪マゼールのブランデンブルク協
コンチェルト・ケルン。
2013-14年録音。BERLIN Classics。
当時のシーズン会員は“札響友の会”
私が初めて札幌交響楽団の定期演奏会に行ったのは1973年12月14日のこと。
第133回定期演奏会だった。
今週末(19・20日)に開催される札響の定期演奏会が第599回目を数えるということで、隔世の感がある。
当時のチケットの値段。
私が買ったC席の12月から3月までの4回分のシーズンチケットが1,200円(いきなり定期会員になったのだ。当時の定期会員は“友の会会員”と称した)。セラフィムの廉価盤LP1枚と同じ価格で、1回あたり300円!
これまた隔世の感がある。
チェリストだったシュバルツの弾き振り
私が定期デビュー(もちろん聴き手として)したこの日のプログラムは、
① R.シュテファン/オーケストラのための音楽
② J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲第5番
③ ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」
指揮はP.シュヴァルツで、②のソリストはヴァイオリンが佐々木一樹、フルートが細川順三(ともに札響の団員でコンサートマスターとフルートの首席奏者)。
そしてチェンバロが当時札幌に居を移したばかりの小林道夫だった(プログラムに“小林道夫氏札幌在住歓迎”と書かれているのがなんとも微笑ましい)。
また、シュヴァルツはブランデンブルク協奏曲ではチェロを弾きながら指揮をしていた。
ブランデンブルク協奏曲で私が最初に聴いたのは、第2番と第6番。
この定期の何か月か前にNHK-FMをエアチェックして知った。ただ、誰の演奏だったのか、なぜか汚い字で書かれた録音帳に記録が残っていない。
バロック音楽ではヴィヴァルディの(「四季」のなかの)「春」を聴いたときに、なんて魅惑的な音楽だろうと思ったが、衝撃度、うずうず度、幸福度はそのはるか上をいった。
第2番の華々しさと躍動感、第6番の音の織り成し重層する渋さに、一発で虜になった。
これらの響き、メロディーはモノラルながらもスピーカーから部屋に宝石を散りばめたような感じがした。
札幌市民会館の古臭さを忘れさせる新鮮な音
そして初の第5番を生で聴くことになる。
この曲はチェンバロ協奏曲並みに長いチェンバロの独奏が特徴。バッハはチェンバロという通奏低音の楽器を独奏楽器へと格上げした(バッハがチェンバロ協奏曲を書くのは、この作品よりもあとのこと)。
そんなことも知らないまま演奏が始まった。
しょっぱなからメロディーのすばらしさに心が打ち震えた。
また、初めて見るチェンバロという楽器。鍵盤の色がピアノと白黒が逆なのも神秘的だった。
そして長大なチェンバロのソロに入る。
こんなに美しい響きがあるのかと思った。
会場にいた誰もが幸せな気持ちになっていたと思う。そして、たぶんほとんどの人がこの曲を生で聴くのは初めてだったのではないだろうか。
この演奏会のあと、たまたまレコード芸術に広告が載っていたブランデンブルク協奏曲全曲の2枚組LPを注文した。駆け込んだ店はカスタムパルコに入っていたコーヨー無線のレコードショップ。
演奏はメニューインが弾き振りしたバース音楽祭管弦楽団。
セラフィム・レーベルなので、2枚でも2,400円だった。
そのLPは年明けの1月8日なってようやく入荷した。
その後、今日までいろいろなブランデンブルク協奏曲の録音を聴いてきた。ブログでも少なからずの録音を取り上げている。
当時はなかったピリオド演奏。“正統的とは言えないかもしれない”カザルスの演奏etc.etc……
しかし、私にはこのメニューインの思いっきりモダン・スタイルな演奏を忘れるわけにはいかない。
いま聴くとさすがに古い録音の聴き苦しさを否定できないが、当時の演奏スタイルのものとしては決して悪くないものだと思う(LPを処分したあと、簡単にCDが手に入るかと思いきや、なかなか発見できずにずいぶんと苦労した)。
LPジャケットの中面にはメニューインの写真が載っていた。
まだ若いヴァイオリニストなのでびっくりした。じゃあこの録音をしたときはまだ少年だったんじゃないか?と無意味(だとのちにわかる)な想像もした。
が、実は写真は若き日のメニューインの姿だったということ(たぶん録音当時)。
そのときはすでに56歳(でも、若かったか)。
セラフィム盤では、指揮者のケンペやチェリストのトルトゥリエなど、この“若き日の写真”にずいぶん騙された。
メニューインのブランデンブルク協奏曲は第1番から第6番まですべてがはつらつとしていて聴いていて楽しくなるが、とりわけクリフトが吹く第2番のトランペットの高音は他ではなかなか耳にできないほどの華やかな輝きを放っている。
1959年録音。EMI。
先週、会議が行なわれた金沢のホテル。
廊下にはBGMでブランデンブルクの5番が流れていた。
誰の演奏かはわからないが、なんだかテンポを大胆に動かしたり、強弱のメリハリをつけた個性的で奇妙な演奏だった。
なお、R.シュテファン(1887-1915)の作品は、その後聴く機会がないままである。
もちろん本来の目的は会議です
時刻表を手に入れることの苦労話を2日間にわたって書いたが、今回の出張の用務の間に私が行なったことは時刻表を探し求めることだけではもちろんなかった。
恒例の通院も行ったし、床屋にも行った。
会議があったホテルでは、廊下にブランデンブルク協奏曲第4番がBGMで流れていた。
ということで、手っ取り早くバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)のブランデンブルク協奏曲第4番(Brandenburgisches Konzert Nr.4)ト長調BWV.1049(1720頃?)。
独奏ヴァイオリンと2本のブロックフレーテ(リコーダー)、弦楽(2ヴァイオリン、ヴィオラ、ヴィオローネ、チェロ)、通奏低音のためのコンチェルト。
今日はここで大絶賛している(私が)、コンチェルト・ケルンによる演奏を。
ブロックフレーテの代わりにエコー・フルートなる奇怪な楽器を用いている。
2013~14年録音。ベルリン・クラシックス。
黒い涙のよう
今回は、寒い季節-つまり新芽が動き出す前-にしか散布できない石灰硫黄合剤の散布も行なった。
石灰硫黄合剤は、ひどく臭う。
硫黄山のふもとでゆで卵を食べるより強烈な、あのゆで卵のような臭いがする。
しかしこれはカイガラムシに効果的であり、殺菌作用もある。
現在は少量ボトルでは売られていないようだが、私の家には500ml入りボトルがある。
実は10年も前に買ったものだ。
それをずっと使わないまま保管してあった。なぜなら、寒い時期に農薬散布するのが億劫だったから。
ということは、もう薬効が失われているかもしれない。いや、失われているに違いない。
でも、気休めで散布することにした(臭いだけは効果がありそうなほどじゅうぶんにくさかったし)。
散布する木は桃色ナツツバキ。
ポーポーちゃんが巣を作った木だが、この木には夏の間、アリが富士山登山を目指す人のように殺到する。
つまりカイガラムシがついていて、こいつが排泄する甘い露を手に入れるために大挙してやってくるわけだ。
おまけに害虫ハンドブックに書かれているとおり、まさに教科書的にスス病がちゃんと発生。
樹皮はひどく汚くなっている。
どれくらい汚いかお見せしよう。
1か月ほどあとに、今度はオルトラン水和剤かアクテリック乳剤を散布し、そのころ活動を開始するであろうカイガラムシの幼虫(農薬をものともしない殻をまだかぶっていない)を退治する予定である。
ところで、今回の床屋での店主の話題は、札幌に初出店したコメダ珈琲に行って来たということだった。
小倉トーストの味がおいしくて、とっても感動したと言っていた。
そうですか……
満足してうれしそうに語っている、そのことに文句をつける気はこれっぽっちもないが、でも、ふだんどんなものをお召し上がりになってんだろう?
おとといからまた出張で北海道に来ている。
今月の私はあまり支社にいる日がない。
それで千葉課長がひどくさびしがっているのは、その瞳の色でわかる。
しかし、許してくれ。
こっちでの仕事があるし、それにあわせて(あとで書くように、移動の効率化も考慮して)休みも取ってるし、ポーポーちゃんの様子も見なきゃならないし、バラの剪定や落ち葉拾いもしなければならないのだ。
肺気腫予備軍が集う、薄暗い喫煙ルームの中。
さびしげな千葉課長の瞳にさっと桃紫色の光が走ったかと思うと、こんな意地悪なことを言った。
「MUUSAN、今月は単身赴任手当要らないんじゃないですか?」
な、な、何を言う!
今回の札幌での用務は、昨日と来週の火曜日と再来週の月曜日である。
ひどく予定が飛び石級なのだ。
昨日の業務を終え今日戻る、そして土日祝をはさみ火曜日の朝再び札幌へ飛び、水曜日に名古屋へ戻る。木曜日は祝日なので休みだが、金曜日に支社に出勤し、月曜は朝から会議なので日曜日のうちから札幌へ移動。
こうするのが王道のように思われるかもしれないが、これだと3度名古屋と札幌を往復しなければならない。
しかもそうしたところで、支社に出ることができるのは金曜日だけということになる。
つまり、私はずっと滞在することで3往復分の費用約20万円をを1往復分に抑え、3度の飯、のあとの服薬よりも好きな仕事を犠牲にして、来週金曜日は有給休暇をとるという苦渋の決断をしたのだ。
それに単身赴任手当をいただいているので、自宅のある札幌へ出張する場合は当然宿泊費は支給されない。この点でも今回長く居残っても会社に迷惑をおかけしていない。
これほどまでのコスト意識をもっているのだ。
なのに単身赴任手当を没収しようとは、まったくもってデビル千葉である。
没収されたら滞在見合いの水道料金と電気料金、食費を妻に納められなくなってしまうではないか!
って、でも千葉課長の寂しい気持ちはよくわかる。
ところで余計なことだが、ミレーの有名な絵画は“落穂拾い”である。落葉拾いではないのだ。
子どものころは落穂って何か知らなくてとっても苦労した、って経験は私にはない。
一粒残らず奪取してくれた
庭に落ちたプルーンやナツツバキなどの葉。
といっても、前回私はプルーンの木を思い切って大胆に剪定したので(「大きくなりすぎたので切って」とあれほど言っていた妻に笑われたほど、すっきりさせたのだ)、ごっそり葉が落ちているわけではない。
むしろ冬に向けて、そろそろバラを強剪定しておく方が重要な作業になるかもしれない。
それよりなにより、私は人生初めての光景を目にした。
“アリの巣コロリ”の中のエサ、クロアリ向けの黄色い顆粒が、すっかりとなくなっているではないか!
私が数日間目を離したすきに、やつらはせっせと美味しい毒餌を巣に運んだのだ。
そのわりに、まだ周囲をうろうろしているクロアリが少なからずいるのが気にかかるが、女王アリが「皆の者、よくぞこのような見たこともない魅惑のラムネ菓子を大量に運んでくれた」と働きアリたちをねぎらい、みんなでラムネパーティーの大宴会をするに違いない。
やがて地下に張り巡らされた通路には方々から断末魔の叫びが響き渡り、全体がコロリっちゃうのだ(と期待したい)。
教訓 : アリの巣コロリを設置したあとは、そのことを忘れるくらい無関心になれ!
テレマン(Georg Philipp Telemann 1681-1767 ドイツ)の「ターフェルムジーク(Tafelmusik)」(1733)。
ターフェルムジークとはテーブルミュージック、つまり「食卓の音楽」。
とはいっても、食卓を囲みながら演奏するのではなく、食卓を囲んでいる人たちのために奏でる楽曲。
いまなら、レストランのBGM、ご家庭ならTVのプロ野球中継(の音声)などと同じである。
テレマンのこの作品は、組曲やコンチェルト、四重奏曲など全3巻18曲からなる。
私も全18曲は聴いたことがなく、パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団による抜粋盤(9曲)を聴いている。
モダン楽器による、のびやかな演奏だ。
そしてまた、私は自宅で食事をするとき、ターフェルムジークをかけながら、ってことは今のところ一度もない。
1980年録音。RCA。
顆粒はなくなったのに、小さなアリ向けだという無色透明なゼリー状(に見える)黒蜜入りのエサは一向に減っていない。
わが家の敷地に不法侵入している小さなアリは、やはり黒蜜より壇蜜の方が好きなようだ。
偏った憶測だが……
彼らのことが気になる
水曜日に乗った札幌14:20発の特急・スーパーおおぞら7号は、平日のこの時間にもかかわらずグリーン車も普通指定席車もすべていっぱい。すなわち専門用語でいうところの“満席”だった。
なぜ満席だとわかったかというと、車掌がそうアナウンスしていたわけで、自由席を利用する人は座席に荷物を置いて占有することのないようにお願いしたいということだった。
札幌駅を出発する時点で、私が乗っていた車両(もちろん指定席)もほぼ席が埋まっていた。
そこに高校生らしき青年3名が乗り込んできた。
スーツ姿だ。
両手、両肩がふさがり、通路を歩くのがやっと。
というのも、みんなものすごく大きなかばんと、大きなかばんと、ふつうのかばんにスーツが2着、さらには駅弁が入っていると思われるKIOSKの買い物袋を持っている。そのうち1人はさらにビニール傘まで持っている。
若いってすばらしい。
これだけ数多くの荷物を持って歩けるのに感心するが、数が多くて面倒な以上に、総重量はものすごいことになるだろう。
ホームには先生だろうか、何人かの男性と女性がいて、列車が発車するまで見送っていた。
巨大なかばんは円筒形で、何かスポーツに関連するものが入っていそうにも見えるが、スポーツの大会に出るなら移動時にわざわざスーツを着る必要もないだろうし、3人のスーツもお揃いではない。
じゃあ弁論大会か何かだろうか?
だったら口があればだいたいは済むだろうから、あんなに大量の荷物はいらないはずだ。
集団就職なんて今どきないだろう。
就職試験?受験?
時期的には早いような気がする。
どうもよくわからない。
彼らは釧路までの切符を持っていた。
ホテルにふさわしい選曲
話は変わる。
火曜日の会議は札幌市内のホテルで開催された。
私がエレベーターを降りて会議会場に向かって廊下を歩いていると、天井のスピーカーからちょうどブランデンブルク協奏曲第2番が流れ始めた。
誰の演奏かわからなかったが(まあ、わかるわけないよな)、シックな音楽もいいが、こういう祝祭的な曲も案外BGMに合うものだ。
バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の「ブランデンブルク協奏曲(Brandenburgische Konzerte)」(1721献呈)。
バッハの作品の中でも特に有名な曲の1つであるこの協奏曲集についてはそこやここなどで取り上げているが、バッハの自筆譜にはこの曲名はなく、「いくつかも楽器による協奏曲集(Concerts avec plusieurs instruments)」と書かれているだけである。
6曲の協奏曲のうち第2番はトランペットが独奏楽器として加わってることもあって、もっとも華やかである。
あのとき流れていた演奏はなんとなくコープマンぽかったので(たぶん違うに違いないけど)、コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団の演奏を。
1983年録音。ワーナー(エラート)。
コープマンの演奏って、昔は何を聴いてもものすごく刺激的に感じたのに、最近あまりそう感じなくなったのはなぜだろう?
刺激に対する私の感受性が鈍ったのか?
昨日、今ではあまり耳にしないかもしれない“やっとこ”という道具の名前を書いた。
やっとこ……
村上春樹のファンなら、いやファンとまでいかなくてもその箇所の記憶が残っている人もいるだろう。
氏の「羊をめぐる冒険」(講談社文庫)の上巻に、意表を突いてやっとこが登場するくだりだ(119p)。
“僕”が“先生”の家に、迎えに来た車で向かう途中のことだ。バッハの無伴奏チェロ・ソナタが流れる車中で“僕”は眠り、夢をみた。
夢の中には乳牛が出てきた。わりにこざっぱりとしているが、それなりに苦労もしてきたといったタイプの乳牛である。我々は広い橋の上ですれちがった。気持の良い春の昼さがりだった。乳牛は片手に古い扇風機をさげていて、僕にそれを安く買い取ってくれませんかと言った。金はない、と僕は言った。本当になかったのだ。
それじゃやっとこと交換でもいいですが、と乳牛は言った。悪くない話だった。僕は乳牛と一緒に家に帰り一所懸命やっとこを探した。しかしやっとこはみつからなかった。
「おかしいなあ」と僕は言った。「本当に昨日まではあったんだよ」
この乳牛、それなりの苦労がまた1つ積み重なったようだ。かわいそうに……
あの弁当を配っているのがバロック野郎か?
28日火曜日は札幌で会議だった。
会場はよく利用するホテル。
前回のときはヴィヴァルディのリュート協奏曲がBGMで流れていた。
この日会議会場のフロアに行ったときに流れていたのは、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)のブランデンブルク協奏曲第4番ト長調BWV.1049の第1楽章だった。
前回といい今回といい、バロック音楽なのは偶然なのだろうか?
第4番の第1楽章の次に流れたのはブランデンブルク協奏曲第2番の第1楽章だった。
その次は……と気になるところだが、会議が始まったので確認できなかった。
4番の全曲ではなく第1楽章のみ、そして次は第2番の第1楽章と、選択基準はわからないがこのように意図的にセレクトされているということは、ホテルのBGM用にこういったCDとか有線放送とかがあるのだろうか?
それともホテルにこういう音楽が好きな“バロック野郎”がいて、自主制作しているのかもしれない。
思い出は強すぎて……
ブランデンブルク協奏曲(Brandenburgisches Konzert)はバッハの数ある作品の中でも最も私が愛好する作品だ。
これまでもいろいろな演奏を聴いてきた。モダン演奏の伸びやかな演奏に心が踊らされ、やがて攻撃ともいえる活発なピリオド演奏に心が奪われた。村上春樹の小説に出てくる“正統的とは言えないにしてもなかなかの凄みがある”カザルスの演奏も聴いてきた。
しかし私のこの曲の原点はメニューイン指揮バース音楽祭管弦楽団による演奏だ。もちろんモダン演奏。
今ではもっぱらピリオド演奏の方を好む私だが、たまに無性にメニューインのものを聴きたくなる。もはや演奏スタイルが古臭いだけでなく録音もソートウに古いのだが、理屈では説明できない瑞々さがある。
そして、なんというか心の緊張がほぐされる演奏なのだ。古き良き時代みたいな……
第4番のブロックフレーテ演奏はクリストファー・テイラーとリチャード・テイラー。
1959年録音。EMI。
今日はまだ乗れません!
さて、会議が終わったあとはそのままサツエキへ。
当初は翌29日の午後に戻る予定だったのだが、28日の夜にこちらで急な用事ができたので1日早く戻ることにした。
JRのチケットは27日の昼のうちに変更しておいた。
さっそうと改札を通ろうとした私だが、バタンと扉が閉まった。
ったく、このアタシを通せんぼする気か?お前の読み取りエラーだよ(と機械に悪態をつく。心のなかで)。
隣の改札に切符を入れる。
が、またバタン。
私が悪いことをしているような気になってきた。
駅員の所に行くと、一瞬その駅員もなんでかなぁという顔をしたが、すぐに扉が閉まる原因が明らかとなった。
乗車する列車の指定券を1日早めたはいいが、乗車券の方も修正しなければならないのを窓口の係員が失念していたのだ。
つまり指定券は28日の列車のもの。ところが乗車券は29日から有効となっていた。
もう、みどりのおじさん、いや、みどりの窓口のおじさんったらしっかりしてよぉ。
けどサツエキの人が自分が犯したミスのように謝ってくれたので笑顔で許すことにしよう。
列車は新夕張と占冠の間で1度、警笛とともに急とまではいかないが強いブレーキをかけた。
そのあと車窓から、走り去って行く遠目ではこざっぱりとした鹿が見えた。
危ない、危ない。
鹿をひいて遅れでもしたら大変なところだった。
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