新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の刺激的出来事についてたらたらした文章で報告中。自宅は北海道ながら現在は仕事の関係で大阪在住。血液はB型かつ高脂血症の中年サラリーマン。

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

三浦綾子

3日の休みは3分のごとく終わる♪メンデルスゾーン/真夏の夜の夢

20200320Lunch  午前中から酒の買い出し
 早いものでもう月曜日のご到来である。
 なんでもって休みの日というのはあっという間に過ぎ去ってしまうのだろう。

 たとえば先週の金曜日(晴れ渡っていなかった春分の日)。

 朝は5時過ぎに目が覚めた。
 窓をたたきつける雨粒の音が、デリケートな私をたたき起こしたのだ。

 ブログアップし、ヤフオクに出品中のCDの状況をチェックし(あいかわらず誰にも見向いてもらっていなかった)、「ちぇっ、まだ歯が痛いや」と心の中で悪態をつきつつも不安におびえ(この件について明日説明いたしたい)、そのあとその歯が抜けたらどうしようと思いつつも朝ご飯を食べ(同左)、CDのリッピングを行ない、10時過ぎに近所のスーパーに行って、4リットル入りのブラックニッカ・クリアと函館の炭酸水メーカー・小原の炭酸水と、サッポロ黒ラベルのサンゴー缶の6本パックを買い(中国産のウナギのかば焼きを買おうかどうか迷ったが、妻がその日の夕食はお好み焼きだと言っていたので、やめた)、リュックにそれらを詰めて帰宅すると、詰めすぎだったのかリュックのファスナーがバカになってカバの口のように開いていて、よく途中で落とさなかったものだと妙な感心をし、でファスナーは何度かシャッシャッしているうちに直った。

20181102Yokado  妻がいない間に秘め事を
 で、妻が仕事に出かけ、1人残された私は再びリッピングをし、でも2枚取り込んだくらいで昼になり、妻がいないことをいいことにヘルシーな食品とは言い難いホンコン焼きそばをこっそり作って食べた。そのことはその日、リアルタイムで逆向きのヨーカドーのマークみたいなところでつぶやいたので、もうご存知の方も少なからずいる。

 そのあと読みかけの「ひつじが丘」を数ページ読み、「出てくる奴らはみなどーしよーもないな」と自分のことを棚に上げて心の中で非難し、20分ほど昼寝をした。

 爽快とは言えないお目覚めのあとは、外で雪崩しをしたが小雨も降っていたので5分でやめて、そのあとは夏でもないのに「真夏の夜の夢」とかを聴きながらブログ記事を書き溜め。

 そうこうしているうちに夕方になり、年のせいか足も冷えていたので風呂に入り、そのうち妻が帰って来て、お好み焼きを焼きながらビールやハイボールを飲み、そして10時前には眠りについた。

 こんな生産的とは言えない1日なのに、あっという間に終わってしまうのだ。
 今回は3日間の休みだった。なのにもう平日。
 やれやれ。

MendelssohnMidsummer まっ、今週もがんばりましょうね、そこの奥さまっ!

 メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」。


 「ひつじが丘」はもう少しで読み終える予定である。

 キリスト教信者って、三浦綾子の小説に出てくる人たちのように、みんなあんなに寛容なのだろうか?
 みんながみんなそうだとは到底思えないのだが……

おふくろの力を借りたくなかった日♪高階哲夫/時計台の鐘

2016-10-05_72sub  ちらしなら力が出ないんです
 このあいだの-っても、もう5日も前のことになるが-月曜日の朝、札幌駅で電車を降り、改札内のKIOSKでいつものように昼食用の弁当を買おうとした私。

 この日もレギュラーサイズ(ミニサイズではないという意味)で手ごろな値段の弁当としては、サザエの「おふくろの味弁当」と弁菜亭の「幕の内弁当」が棚にあった。また、この日の変わりダネとして、サザエのちらし寿司&天丼弁当があった。長方形の弁当箱の左側にちらし寿司、右側に天丼、中央におかずが配置されているものである。
 食べ飽きたというほど食べてはいないけど、この日の気分は「おふくろ」でも「幕の内」でもなかった。が、このちらし寿司&天丼弁当を買っても、三浦綾子さんとは違い、昼になってもテンションが上がらないように思えた。

 そこで決心した。
 奮発しちゃうことにしたのだ。

  あっちの幕の内料金に350円上積みし……
 同じく改札内にある、駅弁売り場に。

 買ったのは札幌駅の駅弁の中で唯一の幕の内である「いしかり」である。

20200316Ishikari1.JPG

 この弁当はロングセラー商品である。
 たぶん、私が高校生の頃に誕生した。
 私は勝手に、エル特急「いしかり」の運転を記念して誕生した弁当だと思っていた。ちょうどそのころに売り出されたと思うのだ。

 ひさびさに食べた「いしかり」(850円)。北海道の産物が凝縮された玉手箱だ(とはいえ、価格的にもちろんカニとかイクラは入っておりません)。

20200316Ishikari2.JPG

 細かいところまでは覚えていないが、少なくとも肉豆腐風(すき焼き風)の煮物はむかしと変わらず(ただしむかしは味がもっと濃かったような)。あれっ、鶏の照り焼きみたいのは入ってなかったっけ?

 でも、安定の味。ただ、私にはわずかにボリューム不足かも。

SamejimaNihon 高階哲夫の「時計台の鐘」。


  もう口にできないのだろうか……
 幕の内弁当といえば「こだま」が食べた~いっ!
 もう人生の中で口にすることはできないんだろう。

 食べたいといえば、「ちとせラーメン」が食べたい!
 けど、電車賃往復2,000円以上かけて新千歳空港に食べに行くわけにいかないしな。

 新千歳空港といえば、もうほとんど飛行機に乗る機会がなくなったいま-もちろん出張などない-、スーパーフライヤーズ・カードの会員のままでいる意味が果たしてあるのだろうか?
 あまりSFC会員からANAの一般カードに戻したっていう人の話は聞いたことがないけど……

非日常的日本語が好き!(だった)♪ベルリオーズ/ばらの精

Mansfield  天使のオサ降臨!
 日曜日の記事の話の続きである。
 マンスフィールドである。

 マンスフィールドだけではなく、学生のころ一時期海外の小説ばかり読んでいたことがある。
 カフカやソルジェニーツィンは別として、英語圏の作家の小説を読みたいと思うきっかけとなったのは、『英標』である

 そしてまた、翻訳された海外小説の、かたい、およそ日常では使わないような言葉とか言い回しが、なんとなく好きでもあった。

 三浦綾子の「ひつじが丘」でその名が出てきた、マンスフィールドの短編小説「園遊会」。
 その出だしはこう始まる(「the garden party マンフィールド短編集」安藤一郎訳:新潮文庫)

 それで、ついに、天気はまったく上々となった。たとえあつらえたとしても、それ以上、園遊会(ガーデン・パーティー)にもってこいの日は得られなかったであろう。風はないし、暖かで、空には一点の雲もなかった。ただ空の青さに、ときどき初夏のころを見るように、明るい金いろの(もや)がうすくかかっていた。園丁はもう夜明けから立ち働いて、芝生を刈ったり掃いたりして、芝草と、前にヒナギクのあった黒い平らな薔薇形(ばらがた)の花壇までが輝くようになった。薔薇の花はといえば、薔薇というものは園遊会で人々の心を(とら)える唯一の花であり、だれもが自分で知っていると思う唯一の花であるということを、薔薇そのものがちゃんと心得ているとおもわれるほどだった。何百という薔薇、そう、文字どおり何百という花が一晩で咲きだしていた。緑の薔薇の木々は、まるで天使の(おさ)たちが舞い下ったかのように、垂れ伏していた。

 ねえねえ、あなた、「いやあ、今日の天気はまったくの上々だな」なんて言います?
 ねえねえ、そこの君、「たとえあつらえたとしても、こんなに豚汁を食べるのにふさわしい日はない」なんて言ったり済ます?
 “黒い平らな薔薇形の花壇”ってどんな形なんでしょう。想像がふくらみますわね。
 “だれもが自分で~~~ほどだった”って文の言わんとしていること、すんなり腑に落ちちゃったりします?

 この訳に限らず、翻訳された海外文学を読むと、訳者って必ずしも日本語の達人ではなく、けっこうニッポン語が苦手なのかもなんて思ってしまう(誤解なら即座に謝る)。
 けど、若いころはこのぎくしゃくしているともいえる文章がなんとなくかっこよく思えたものだ。

 もっとも、このマンスフィールドの安藤氏の訳は、昭和28(1953)年に翻訳したものを、さらにS32改訂補筆したもの。ひどく古い。
 その当時はこういう日本語が世の中では当たり前だったのかもしれないでござるな。

Berlioz14bBou ベルリオーズの「ばらの精」。
 歌曲集「夏の夜」(全6曲)の第2曲である。


 日曜日の記事でブーレーズ指揮の「レリオ」の録音を紹介しているが、今日紹介しているCDボックスにも昨日のCDと同一音源である「レリオ」の演奏が収録されている。

 いま、私がバラを育てるようになったのは、この小説の影響によるところは、まったくない。

そういう言い方が気に入らんかったんでしょうなぁ♪ベルリオーズ/レリオ

Miura_YuuariAsaari  白洋舎創設者の波乱万丈な人生
 先月末に、ようやく「夕あり朝あり」を読み終えた。

 三浦綾子がクリーニングの『白洋舎』を創業した五十嵐健治氏の生涯を描いた伝記小説だ。

 読了までずいぶんと時間がかかってしまったのは、出張などで公共交通機関を利用して読書に充てられるまとまった時間がなかったことがあるが、それ以上に「どんどん読み進みたいとは駆り立てられなかった」というのが正直な感想である。

 五十嵐氏の波乱にとんだ人生、キリスト者としてのすばらしさはわかるのだが、同じようにすばらしい人物であるニシムラの創業者・西村久蔵を描いた「愛の鬼才」に比べ、私の気持ちは盛り上がらないまま終わってしまった。

 「夕あり朝あり」は五十嵐氏の独白という形で物語が進んで行くが、それが私に合わなかったのかもしれないし、その五十嵐氏の独白の“~なりましてな”、“~ようですな”、“~でしょうな”、“~でしたなあ”などという話し方が私の肌に合わななかったのかもしれない。


 幻想交響曲Op.14の続編であり、最後に幻想交響曲の『恋人の主題』が現われ、レリオ(つまり「幻想交響曲」でふられて自殺を図った男ということになる)が「Encore! Encore,et pour toujours!」と言う(あのすばらしい愛をもう一度、って感じなわけだ。掲載譜はKALMUS社のスコア)。

 そこのところに私なんかはひどく感動したものだが、今思えばなぜあたかもやらせのようにあんなにオーバーに感動してしまったのか自分でもよくわからない。あのころは多感な青年だったってことね、たぶん。


  やはり《紙の本》は落ち着く
 さて、次に読むのは(また三浦綾子作品で)「ひつじが丘」。
 今回は電子書籍ではなく《紙の本》にした。以前、三浦綾子記念文学館で買った皮の文庫本カバーをかけて読んでいる。

 物語のはじめの方で、英語教師の竹山と授業態度の良くない奈緒実について書いている箇所がある。

 翌日、竹山は奈緒実の態度を、決して許すまいと思って教室に出た。テキストは、竹山がガリ版刷りにした、マンスフィールドの「園遊会」である。奈緒実は、相変わらず視線を外に向けていた。

Miura_Hitsujigaoka マンスフィールド!
 懐かしい……

 マンスフィールドについて、このままスルーするわけには、私はいかない。

 近く続きを……

「ニシムラ」と札響の意外なる関係♪札響第1回定期ライヴ

SSO1stConcertCD  札響の貴重な記録(←じゃあ買えよって?)
 先日の記事で取り上げた三浦綾子の「愛の鬼才-西村久蔵の歩んだ道」のなかには、北海道のクラシック音楽ファンにとっては忘れてはならない人物の名前も出てくる。

 西村は札商で教師を務めていたことは書いたが、生徒たちのいろいろな相談に対し力を尽くしたという。

 ……和田という生徒が校内にハーモニカ・バンドをつくり、育てていたが、ある日久蔵に、一度でよいから大衆の前で演奏したい旨を申し出た。聞くや否や、久蔵はさっそく時計台の責任者に交渉し、その館内での演奏ができるよう万端を手配した。当時、時計台内において、このような催しの例はなかったが、立錐の余地もない盛況裡に演奏は終わった。
 このハーモニカ・バンドが札商音楽部を生み、この音楽部から札幌交響楽団の指揮者、荒谷正雄が生まれた。この荒谷氏は「私の音楽進学に蔭ながら応援してくれたのが西村先生だった」と述懐している。

 その荒谷正雄が指揮した札幌交響楽団第1回定期演奏会(1961年9月6日)のライヴがCD化されている(私は未購入)。

 プログラムはモーツァルト/「フィガロの結婚」序曲、J.C.バッハ/シンフォニアOp.18-4、シューベルト/「ロザムンデ」より、そしてメインはベートーヴェンの交響曲第1番である。

   このSACDハイブリッドの詳しい情報 【タワレコ】

 幸いなことに、私は第300回の記念となる定期演奏会で、荒谷の指揮によるJ.C.バッハのシンフォニアの再演を聴くことができた。

和のなまと洋のナマ、どちらもそろえてます♪ブクステフーデ/BuxWV.210

MiuraAyako_AinoKisai  鬼才=人間とは思えないほどすごい才能
 4日の新千歳→大阪の飛行機の中で三浦綾子の「愛の鬼才-西村久蔵の歩んだ道」を読み終えた。

 敬虔なクリスチャンであり、またこのような人がいるのだろうかというぐらいすばらしい人柄の持ち主の伝記である(なのに私ときたら“鬼才”から、アダルト動画の監督で鬼才と呼ばれるヘンリー塚本のことを思い浮かべてしまった。おゆるしください)。

 久蔵の実家は牛乳処理・販売店を経営しており、久蔵は札幌商業高校の教師を務めるかたわら牛乳配達を手伝っていた。

 戦争がはじまり、景気が悪化して牛乳の売れ行きが低下したときに、その余った牛乳の新たな使い道としてシュークリーム製造を手がけた。いまの若い人は別として、北海道の人ならだれでも知っている「ニシムラ」の誕生である。そして、それが大ヒットしたのだった(必ずしも利益が上がっていたわけではないが)。

  ホクレンマーケット西野店は1976年に閉店
 私がまだ浦河に住んでいたときに、西野の祖父母の家に遊びに来てときに連れて行ってもらったホクレンマーケット西野店。
 このカマボコ型の大きな建物の中に「ニシムラ」も入っていた。看板には『和生・洋生 ニシムラ』と書いてあったと記憶している。洋生なんて言葉はいまではほとんど使わないだろうが、当時はまだ生の洋菓子っていうのが売り言葉になっていたのだろう。

 もっとも西村食品工業の創業者である西村久蔵が亡くなったのは1953年のことであり、私が「ニシムラ」を知った1970年ころとは約20年もの間が空いている(それでもまだ、洋生というのが売りだったのだが)。

 ところで、ホクレンマーケット(現在のホクレンショップ)は、ホクレンの年史によると、1965年に(札幌の)美園店が第1号店としてオープンした(写真。これら当時の写真も同年史による)。西野店も美園店のような建物だった。

HokurenMarketMisono

 次いで1966年に同じく札幌の南12条西14丁目に西店が2号店としてオープンしたそうだ。

HokurenMarketNishi

 私は1990年から数年間この山鼻地区に住んでいたことがあるが、引っ越した当初は、まだこの西店は営業していた。

 年史には3号店以降の記述が見当たらないので、西野店のオープンはいつかわからなかったが、1971年に私が西野に引っ越してくる前に、もうオープンしていたわけで、おそらく3号店か4号店くらいだと思われる。

 ホクレンマーケット西野店(下の写真の店舗かどうかはわからない)の明るく近代的で品ぞろえが豊富な光景に、浦河のフードセンターぐらいしか知らなかった私はとても驚いたのだが、そこで初めてテトラパックやブリックタイプの紙パックの牛乳を見て、これまたびっくり仰天したものだった。
 
HokurenMarket_b

 この写真のケーキ売り場のようなコーナーはニシムラの売り場かもしれない。これもどこの店舗の写真かはわからないが、西野店もこんな感じだった。

HokurenMarket_a

 なお、西村食品工業は2003年に倒産。現在は「どさんこエナジー」というエネルギー関連の会社の傘下で「ニシムラ」の屋号を復活させた店舗が千歳にあるそうだ。この記事によると、ニシムラの看板商品だったユカたんやレモンケーキも売られている。

  賛美しすぎ?
 ところで、この西村久蔵氏はすごい人格者だったことはわかるし、西村食品工業に関する箇所は興味深く読んだ。だが、三浦綾子はちょっと氏のことを絶賛しすぎではないだろうか?伝記としてもう少し淡々としていないと、読んでいてケーキを食べすぎたような食傷気味になる。まるで伝道書のようにも思える(そういう目的もある?)。それゆえ、この本は読者層がせまいかもしれない。

BuxtehudeOrgan ブクステフーデ(Dietrich Buxtehude 1637頃-1707 ドイツ)のコラール幻想曲「いまぞ喜べ,愛するキリスト者よ(Nun freut euch, lieben Christen g'mein)」H.3-2-6,BuxWV.210。

 スパング=ハンセンのオルガンで。

 1990年録音。Classico。

   このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】

 かつて札幌の地下鉄の駅構内にあった「百円ケーキの店」もニシムラによるものだった。
 テレビドラマになったこともあり、なぜか『木の葉のこ』が出演していたのが記憶に残っている。

 では、仙台に行ってまいります。

アイスバーンでの運転よりも疲れた約30分♪GM/Sym9

20191230Evening  気候は穏やか
 早いものでもう1月3日である。

 専門用語で言うならば「正月三が日最後の日」である。

 そして仕事始めの前日ギリギリで帰るのは危険なので-悪天候による交通機関の乱れ、保安検査ミスによる搭乗手続きの一斉停止など-明日赴任地へ戻る身の私としては、すでにゴールデンウィークのことが気にかかっている。

 それにしても穏やかな正月であった。
 雪かきをまったくしなかったと言ってもよい。って、このようなビミョーな書き方をしたのは、元日は昼頃まで、ほんのわずかながらに雪が降ったため、“掃く程度”に雪かきをしたからである。

20200102Carport 年末年始のどこかでカーポートの雪下ろしをしなければならないと覚悟していたが、屋根には雪がほとんどない。こんな正月は初めてだ(写真は1月2日のカーポートの屋根の様子)。

  母は穏やかでないまま
 ところで元日は札幌市西区西野の私の実家に行かなければならない用事があり-前日食べすぎて胃が重かったうえに、気も重かった-この滑りやすい中、車を運転。

 伏古ICと札幌北ICの間を走行中、対向車線では黄色い車が逆向きに停止し、パトカーが事故処理していた。マチナカの高速道路でさえ、それぐらい凍結していたのである。

MiuraHatenakiOka 行って新年早々に十分に嫌な思いをしたあと-私の母の中には三浦綾子の諸作品に出て来るイヤな人物~「氷点」の辻口夏枝、「裁きの家」の小田島滝江、「果て遠き丘」の橋宮香也子、「泥流地帯」の武井シン、(男だが)「残像」の真木栄介、そしてギスギストゲトゲ時代の三浦綾子~がお徳用スペシャルブレンドのように混在しているのである-早々に帰って来た。
 いったい何が起こっているのか読者の方たちは見当がつかないだろうが、とにかく人を利用しようと常にこちらの隙を狙っているようなジコチューな危険人物と私は対峙したのである。

 それにしても、自分の母親ながら、自分の都合の良いように人-私たち夫婦-を利用しようとする態度には、絶対に心を開けないものがある。この複雑で困難な人物に関しては過去にも書いたことはあるものの(この記事から10年以上経っているのだ!)、なぜ自分の態度や主張が常識からひどく逸脱していることに気がつかないのか……。もっとも、他者の話に耳を傾けようとしないのだから、変わりようがないのだろうが……

 気分的にGM9だ。

MahlerRattle1-10 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第9番ニ長調(1909-10)。

 作品についてはここあたりをご覧いただきたいが、今日はラトル/ウィーン・フィルの1993年ライヴを。EMI。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】

 業務連絡:ysrさんメッセージありがとうございます。
      帯広時代はたいへんお世話になりました。
      そのむかし、最初はどなたかな?と考え込みました
      が、すぐにわかりました。お元気なようで何よりです。


三浦綾子が描く《妙なる家族のひずみ》♪ベルリオーズ/レクイエム

Miura_Zanzou2  何もカイゼンされないままに……
 三浦綾子の「残像」を、前回の出張の際に機内で読み終えた。

 最後の行に到達したときの感想は「えっ、これで終わり?」というもの。濃霧の手稲山山頂に置いてきぼりにされたようなものだ。

 あらゆることが解決されぬまま終わる。いや、どいつもこいつも(あの家もこの家も)世も末状態で、救済なんてしませんよっていうことなのだろう。ディエス・イレやトゥバ・ミルムで歌われる情景を思わせる。

 にしても、弘子たちが“磯部きしめん”なるシャレオツなランチを食べたのはどこかと、その痕跡を探るべく、私はわざわざ現地(中村屋旅館と札幌グランドホテル)まで足を運んでみたほどなのにやれやれである。

 この小説に出てくる人物でいちばんまともに見える主人公の真木弘子も、近くにいたらややこしそうだ。西井市次郎だっておかしい。西井修は「続・氷点」の三井達也と同一人格だ。

 三浦綾子の小説は読んでいてイライラする(その登場人物のおかしさに)。
 けど、おもしろいのである。別な作品も読みたくなるのである。
 困ったものだ(いえ、うれしい悲鳴です)。

 ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)のレクイエムOp.5,H.75(1837)。

 作品についてはあの記事この記事をご参考にしていただきたいが、次の10の楽章からなる。

  1 レクイエム - キリエ(入祭唱 - 主よ、憐みたまえ))
  2 ディエス・イレ - トゥバ・ミルム(怒りの日 - 妙なるラッパの響き))
  3 クィド・スム・ミセル(そのとき憐れなるわれ)
  4 レックス・トレメンデ(おそるべき御稜威(みいつ)の王よ)
  5 クェレンス・メ(われをさがし求め)
  6 ラクリモサ(涙の日)
  7 オッフェルトリウム(奉献唱)
  8 オスティアス(賛美のいけにえ)
  9 サンクトゥス(聖なるかな)
 10 アニュス・デイ(神の子羊)

BerliozRequiem 録音は古いが、自分が知っている範囲内ではこの曲の最良の演奏と思っている、C.デイヴィス/ロンドン交響楽団、同合唱団、ウォンズ・ワース・スクール少年合唱団による演奏を。テノール独唱はダウド(この曲で独唱が登場するのは第9楽章のみである)。

 1969年録音。フィリップス。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】

 ※参考~ウィキペディアの「レクイエム」のページに載っている「ディエス・イレ」と「トゥバ・ミルム」の歌詞。

Dies irae

Tubamirum

年賀状のことが気になって寝つけなかった日曜日♪西村/ケチャ

MiuraAyako_AinoKisai   けっこう負担になる年賀状書き
 セコマはホットシェフの大盛の豚丼弁当を、ごはんをちょっと残して食べ終えたあと、私は昼寝の体勢に入った。が、寝つけなかった。なぜなら、心に引っかかることがあったのだ。

 カーナビがヒートアップしたこと?
 それもある。

 が、それ以上に気になっていたのが年賀状の作成である。
 テレビのCMでは元日に配達して欲しけりゃ25日までに出せと脅し文句を放っている。
 はがきを買っていただいているお客様への言葉とは思えないものだ。

 で、私には今日のこの日しか時間がない。
 作成といっても、表面も裏面も印刷はできている。
 あとは手書きでひとことメッセージを添えるだけだ。

 で、取り組んだ。

 もっと時間がかかるかと思ったが、1時間もかからないですんだ。
 考えてみりゃ、70枚ぐらいだからそんなものだろう。
 でも、どうしても何を書いていいのか思いつかない相手が2人いた。
 すまないが、そのまま出すことにした。

  だってカレールーに油が浮いてたんですもの
 翌日は新千歳空港で「ちとせラーメン」のしょうゆラーメンを食べてから大阪に戻ったことは、すでに報告したとおりである

 今日は午後の便で新千歳に飛ぶ。年末年始のお休みでの帰省である。

 今日から読む小説は、北海道民にはおなじみの(といっても今の若い人たちは知らない?)菓子店「ニシムラ」の創業者が主人公の、三浦綾子の「愛の鬼才」である。

NishimuraKetiak 西村は西村でも、今日は西村朗(Nishimura,Akira 1953-  大阪)の「ケチャ(Kecak)」(1979)。

 6人の打楽器奏者のための作品で、パーカッショングループ72の委嘱により作曲された。
 ここに書いたように、複雑なリズムが一糸乱れず繰り広げられる世界は、何度聴いても感嘆ものだ。

 パーカッショングループ72の演奏を。

 1988年録音。カメラータ。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】

20191224LAWSON_PL なお、大阪に戻った翌日の火曜日の昼ごはんはLAWSONの「タルタルチキン南蛮&鶏そぼろ弁当」で、店長さんはまあまあ元気だったし、弁当の鶏肉もタルタルの味も良かった。ただ、何が“南蛮”なのか不明のまま食べ終わってしまった。

 水曜日は外勤途中に、大阪駅の梅三小路にある居酒屋のランチメニューの「牛すじカレー」(¥800)。なかなかスパイシーだったが、その1時間後には胃がもたれた。

 木曜日の昼食は、京都の取引先に向かう車中で、デイリーヤマザキで買った『鮭ハラスおにぎり』(あまり時間がなかったのだ)。このおにぎり、ごはんの硬さや鮭の味がじつに良かった。デイリーヤマザキを利用することはめったにないが、レベルの高いおにぎりに出くわしてしまった。

 そして金曜日は支社の数名とそば屋へ行き、年越しそばを食べた(正確には海老三昧天丼&そばセットである)。
 このように私は日本の伝統を継承することに微力ながら貢献しているのである。

三浦綾子「残像」の「中村屋」説、即時撤回!♪伊福部/ウポポ

20191219ITM_PL   朝昼兼で『抜き』に備える
 さて、今日は先週の木曜日の話である。
 大阪から新千歳に飛び、新千歳から札幌まで走った日である。いえ、ですから飛行機と電車が。

 すでに報告したように、この日は15時過ぎに定例の血液検査の採血が予定されていた。
 なので、13時半過ぎに新千歳空港に到着したあと、優雅に遅めの昼食として「ちとせラーメン」を食べるわけにはいかなかった。

 そのため、これまた搭乗前に食事をするのは私にとってはある種の賭けではあるが、大阪空港で空弁を買って、飛行機に乗る前に食べた。
 あの「日本の朝食」弁当である。

 あいかわらず、私はこの弁当を朝に食べたことがなくて、ちょっぴり申し訳なく思っている。けど、この日は朝昼兼である。10:30過ぎにこれを食べ、採血は15時。ってことは、食後4時間半の血液だ。なんだか良いことが起きそうな気がする。

  小説の舞台を探る
 結果が出るのは翌日なので、翌日の会議前にまた病院に来ることにして(ってあらかじめ予約してたんだけど)、本社に行きいくつかの部署で打合せ。

 その打合せも4時過ぎに終わり、6時からの会食-この日のメンバーはアルフレッド氏や姥向井さんたち-まで時間があったので、私は現地取材とばかり、三浦綾子になったつもりで「中村屋旅館」に行ってみた。

 小説「残像」が書かれたときに「中村屋旅館」がどのような状態だったかわからない。
 いま、「中村屋旅館」は「緑苑ビル」のなかにある。そして緑苑ビルの地下は飲食店街になっているが、このビルが「残像」執筆時にもう建っていたとは思えない。

20191219Nakamuraya1

20191219Nakamuraya5

20191219Nakamuraya6

 だから弘子たちが行ったのは緑苑ビルの飲食店街ではなく(客を急募している店があったり、天井が空だったりするのよ)、旅館本体の食堂ではないかってことになる(小説では中華食堂と和食堂の2つがあるってことになっているし。旅館の“お食事”の看板も、ご覧のようにでている)。

20191219Nakamuraya2

20191219Nakamuraya3

20191219Nakamuraya4

  私の推測は間違いだった
 というよりも、そんなことではないことらしい。
 現地に行って私は自分の間違いに気づいたのだ。

 弘子が勤める放送局がHBCだとしたら-これは間違いない-「中村屋旅館」までは400~500mの距離がある。小説に書かれている200mにはあてはまらないのだ。
 昭文社の『スーパーマップル』を載せておこう。

20191219Nakamuraya_Map

 ってことは、やっぱりグランドホテルに食事に行ったってことになる(あるいは、いまはないが他にもモデルになるホテルが当時はあった?)。
 自分で推察し、結論を出し、そのうえでやっぱりおかしいと否定するなんて、なんて私は暇人なのだろう。

 当時はグランドホテルの地下に食堂があったのだろうか?
 いまはホールしかない。

20191219GrandH1

 この写真はグランドホテルからHBC方向を写したもの。
 手前の建物がグランドホテルで、奥の看板が出ているビル(矢印)がHBCである。

20191219GrandH2

20191219HBC

 また、以前HBCの駐車場だった場所に、現在HBCの新社屋が建設中である。

20191219HBCnew

 そんなとき、携帯電話が鳴った。
 アルフレッド氏からだった。

Ifukube_Tri_PCCR90079a 今日も札響のこのアルバムを。

 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)が作曲したHBCのコールサインが収録されている。

 2018年ライヴ録音。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】

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