新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の刺激的出来事について北海道から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の中年サラリーマン。

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

本・雑誌

それが淫靡なことだと少年は薄々気づいていた♪DSch/貧乏の歌

KohiyamaYukiarashi_Booklive  嵐の次は嵐
 小檜山博の「雪嵐」を読み終えた。
 なんとも複雑な気持ちにさせられた。貧乏であらゆることにがまんを強いられ、あるいは金持ちの子にいじめられ、そしてまた歯が折れたり指の一部を失ったりしても、『腐る』ことなく毎日を生きている主人公の少年が、あまりにもけなげすぎるのだ。
 この少年に勇気をもらったなんて気にはとてもならない。
 「同情するなら金よこせ」じゃないが、なんてかわいそうなんだろうと同情してしまう(金を払う気はない)。

 父親と母親の夫婦喧嘩がエスカレートしないかいつもビクビクし、多くの同級生が小学校卒業と同時に『町』の学校へと転校するなか、自分は貧乏で居残るしかなく……
 小学生なのにこんなに苦労するなんてかわいそうすぎる。

 また、少年ははっきりとではないが、知り合いの男女が『馬の種つけ」みたいな格好を目撃したりもする。
 多感な少年にとっては、それがなにかははっきりとわかっていなかったにせよ、でも感じるものはあったはずだ。

 作者の実体験を基に創作された作品だろうが、おもしろかったけど切なかったという不思議な読後感が残っている。
 小檜山博のほかの小説を読みたいが、現在、ほぼ入手困難である。とても残念だ。

 「雪嵐」の次は、また『嵐』。三浦綾子の「嵐吹く時も」である。
  
MiuraAyakoArashi

 読みかけていた2冊(小説ではないこれこれ)は、ついぞ途中で読むのを放棄してしまった。
 そんな根性無しの私であるが、上下巻の長編小説を読むのに挑戦するのである。

Shostako15Haitink ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の「貧乏の歌(The Song of Poverty)」。「ユダヤの民族詩より(From Jewish Folk Poetry)」Op.79(全11曲。1948)の第7曲である。


原点回帰であらためて良さを知る♪レーガー/モーツァルトVar

HinWeber  年度初めは初心(?)に帰り……
 「バッハに帰れ」運動の作曲家といえばレーガー(Max Reger 1873-1916 ドイツ)である。

 ハロルド・C・ショーンバーグの「大作曲家の生涯」(亀井旭/玉木裕共訳:共同通信社 1978年)では、

 世紀末のドイツの作曲家で、前を向くよりは挑戦的に後ろを向いたのは「バッハに帰れ」運動の中心人物、マックス・レーガーだった。彼は一人きりで活動し、ドイツ以外の国では彼の音楽はほとんど知られなかった。現在ではドイツ国内でもあまり演奏されることはない。『モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ』とか『ヒラー変奏曲』といった作品でしかレーガーを知っていない、とみられる二十世紀の批評家の大半にとって、レーガーは怪物である-意味のないフーガを持つ膨大な曲を作った作曲家、というわけだ。

と書かれている。

 私もレーガーの曲で聴いたことがある作品は「モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ(Variationen und Fuge uber ein Thema von Mozart)」Op.132(1914)だけである。
 それも、ヒンデミットのウェーバー・バリエーションが聴きたくて買ったCDに一緒に収録されていたのだ。そうでなかったら、レーガーの作品を1曲も聴かないで今日に至っているかもしれない。

 それはそうと、年度初めとなる先週の木曜日は、ひっさびさに弁菜亭(札幌駅立売商会)の「幕の内弁当」を買って食べた。
 昨年の3月に出会ったこの弁当、ちょっと物足りないかなと近ごろは手にすることがなかった。
 しかし、原点に立ち返ってみたのだ(いったい何の原点だ?)。

20210401PL1

20210401PL2

 しかしである。やっぱり食べるとワンコインでこれが食べられる幸福を感じざるを得ない。
 華々しさはない。実にベーシックだ。
 そして、本来のシューマイの味がしないシューマイや赤いウインナーなどのチープなおかずによって、「自分は駅弁とは違うんです」と背伸びをしていない態度が好ましい。

 あと100円プラスぐらいで、この幕の内の高級版なんかができると楽しいと思うのだが……

 そうそう、その札幌駅立売商会だが、コープさっぽろのグループ会社が全株式を取得したそうだ ⇒ こちらの記事

   Sir Colin Davis - The Philips Years(写真掲載のCDと同一音源盤)

対象年齢は何歳以上?(あるいは何歳以下?)♪チン/vc協1

  老い先長くない私には何年もかけられない
 そんなわけで、ステラの三省堂書店でこの本を買い、そして APIA の弘栄堂書店の店頭に積んであった(いや、並べてあった、かもしれない)、この本も思わず買ってしまった。

202103Book_Machigai1

 このような脳の萎縮につながりかねない現象を予防するために、本能的に買ってしまったのだ。

 買ってしまったあとに、「はて?この本はもしかしてお子様向けなのかしらん?」とも思ったが、まあいい。どうせそろそろ赤ちゃんがえりする年ごろの私だ。

 このまちがいさがし、「なんだカンタ~ン」と思いきや、全部見つけるのはけっこう難しい。
 たとえば30のまちがいがあるとして、20数個まではお茶の子さいさい(←よく考えると不思議な言葉だ)で見つけられるのだが、そのあとがなかなか発見できない。イライラ……

202103Book_Machigai2

 ぺんたと小春が『鏡の王国』から自分たちの世界に帰って来られるように、脳を酷使する所存である。

 ゴードン・シーウェン・チン(金希文 1957-  台湾)の「鏡の中の夢の罠(Dreams trapped inside the Mirror)」。
 チェロ協奏曲第1番(2006)の第2楽章にこのタイトルがつけられている。



私なんてノープロブレムじゃないか!♪チャイコ/vn協

  たまたま目についた本で開眼!
 昨日の記事の中の、まずはステラプレイスの三省堂書店の件。

 ここでたまたま目についたのがこの本である。
 浜松医大名誉教授である高田明和の「定年を病にしない」(ウェッジ)。
 店内を通り抜けようと歩いていただけなのに、目に飛び込んでくるとは痛い、じゃなくて、オーバーに言えば運命的な出会いだ。
 
202103Book_Teinen1

202103Book_Teinen2
 
 ご承知のとおり、先月定年退職を迎えた私
 この1年間は、今回再就職した会社に出向の身でお世話になっていたことも、みなさんご承知の通り
 もちろん環境が変わりいろいろとたいへんだろうことは覚悟していたが、タイミング悪くコロナの感染拡大で世の中全体も圧迫感のある日々。
 気持ちが晴れない、すっきりしない、在宅勤務は滅入るなどとこれまでもブログで文句をたれてきた

 そんなときに、三省堂書店エスカレーター横での出逢いである。
 この本の目次を見て、これは読んだ方がいいと直感。
 買ったあとインターネットでレビューを見ると、「読んでいて気持ちが暗くなる」「ひどい話ばかり集めていて途中で読むのをやめた」などというのもあったが、読み始めた私は「これはまさに現実の世界で、定年退職した誰の身にでも起こりうることだ」と受けとめた(ただし“量子力学では、電子にも「心」があると考えます。私たちのからだは主に電子からできていますので、それが全体として心をつくっているという考え方です”というところは、何を言ってんだかわからなかった)。

 納得して受けとめる同時に、現実に起こっているきびしい事例とその対処法や解決法を知り、私は自分が元の会社の紹介で再就職できて、再就職した会社でも嫌な思いをすることなく働かせてもらっていることに、もっとありがたがるべきだと、心新たにした。

 悶々とする日々が続くこともあったが、この本を読み吹っ切れた気がする。
 「私は恵まれている。私の第2の人生はまったくもってノープロブレムじゃないか!」とすっきりした。

 たまには寄り道して本屋をのぞくと、こういう出会いがある。
 ネットで検索ばかりしてないで、もっと本屋に行くようにしなければ(でも、この本の電子書籍版もあるのを、紙の本の購入後に知った)。


   定年を病にしない(電子書籍版:Booklive)

TchaikovSkyDSchMidori このあいだ、五嶋みどりの弾くチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)のヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35(1878)を久々に聴いたが、やっぱ五嶋みどりってすごいわ。これまた元気が出た。


 あっ、でもチャイコフスキーって、精神状態は不安定だったはずだな……

春なのに今の私は「雪嵐」中♪マゼール/POのGM/Sym4

KohiyamaYukiarashi_Booklive   買ったのは本格的な冬になる前だったけど……
 このようなまことに個人的な事情で読むのを保留していた小檜山博の「雪嵐」を、今月に入って読み始めた。

 “読み始めた”ということは、まだ途中だということを示唆しているわけであり、現時点で40%の進度率である。

 とくにこの現象と密接に関係するわけだが、けっこう飲んだ後、寝る前にベッドの中で読んでも、次に読むときにはその箇所のストーリーが記憶から消失していることもあり、読む進むスピードが遅くなっている。

 まあ、そんな言い訳はみなさんには関係のないことだろうが、初めて読む小檜山小説は独特の味わいがある。

 むかしの農村地区での生活なら当たり前だったであろう過酷(ときには残忍)な出来事や、主人公の男の子の死んでもおかしくないような負傷といったアクシデントもあるが、(Bookliveの内容紹介にも書かれているが)この少年の気丈さや明るさに救われる。

 そしてまた、小檜山自身が囲まれて育った自然の情景の描写がとてもうまい。

KohiyamaYukiArashiScr 道ばたのタンポポが黄色い絵の具でもぶちまけたように広がり、それが陽の光をはじいて金色に光った。フキノトウが一尺にも伸び、そのわきの地面から赤ん坊の耳くらいの蕗がいくつも育っていた。……

という具合だ。

 ただ素朴な疑問だが、なぜ長音記号(伸ばし棒)を使わないのだろう?

 メエトル、ボオル、コンクリイト、スカアト、グロオブ、セエフ、スピイカ etc, etc……

 この小説が発表されたのは1986年。メートル、ボール、スピーカーなどと書くのが当然の時代だ。

 小説の舞台となった時代に合わせたのだろうが、あえてそう表記する意味があるのだろうか?(言っておくが、私はケチをつけているのではない。「どうしてかな?」かわいらしくほっぺたに指をあてながら思っているだけだ)。

 自宅のオーディオで、スピイカが2つもあったら部屋が珍味臭くなってしまいそうだ。

 そんなこと書いてたら、「いか飯」が食べたくなってきた。

Mahler4Maazel あなたには唐突感があるかもしれないが、私には唐突ではない(だって、この一環ですもの)マゼール/POによるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)のCD。第3番の次は、交響曲第4番ト長調(1892,1899-1901/改訂1901-10)を聴き直した。

 ここで取り上げたときと、今回も同じ感想。
 もっと毒気があってほしいが、心が疲れているときに第4番を聴かねあければならない義務が生じたときは、この演奏の方がゼッタイにいい。


抜本的な改革に踏み切らなかったと言われても……♪ルジツカ/Abbruche

MakiShowaKaitai  根っこは別なところにあるのでは?
 電子書籍で小檜山博の小説を買ったのに、いまだに手をつけられて(読み始めて)いないでいる。

 先日、来年度以降、国がJR北海道に対する支援を拡充する方針を発表した。
 ただでさえ営業状況が悪いのにコロナ禍で追い打ちをかけられたものの、JR北海道の改善努力は認められるということからの決定である。まずは一安心だ。

 それと同じころ、「YAHOO!ニュース」にある論説記事が載っているのを目にした。
 “「コロナ赤字で急浮上」JR北海道とJR四国が消滅する日は近い”というもので、「PRESIDENT Online」の記事である(→いつまでリンクが有効かわからないが、この記事である)。

 その内容は、タイトルのとおりJR北海道とJR四国が、ただでさえ経営状況が悪いのに、コロナがそれに追い打ちをかけ経営破綻の危機に瀕しているというものだ。

 関係者の話としてその原因をいくつかあげているが、「(これまでに)赤字路線の廃止に踏み切れなかったこと」だのなんだの、経営改善に向けた努力が足りなかったというようなことが書かれている。

 確かにそれもあるかもしれないが、もっと根本の大きな問題があるはずだ。

P1070111 この記事に対して寄せられた多くのコメントでも指摘されているが、北海道(や四国)は圧倒的に乗客となりうる人の数が違うのだ。数分おきに10両編成の電車が走っているのにどの電車もそれなりに利用客がいる首都圏と、15分に1本の3両編成の列車でもスカスカのことが多々ある札幌圏と、どうして一緒に論じることができるだろう?
 これだけで、民営化のときの分割単位自体に問題があったことは明らかだ。

 経営改善のためにコストを削減した結果、保守がおろそかになり事故が多発してしまったり、鉄道会社なのに新しい特急車両を導入できないでいるありさまだ(私は特急「オホーツク」のボロボロの車体を見るたびに、石北峠あたりで突然エンストしてしまわないのだろうか?と心配になる)。除雪に対する費用や降雪による運休の損失だってハンパない。

 乗る人がいないのだから改善するにもかなりの限界がある。そしてまた鉄道以外の事業(ホテルや商業施設)はコロナで観光客が減り、大打撃を受けている……。
 北海道という先行きが見えない過疎地を分割の1単位にしたのは間違いだった。その責任は国にある。国が援助することは当然と私は思う。

RuzickaVa ってなことで、もう一度「昭和解体」を読み始めた。
 国鉄分割・民営化のドキュメントだ。
 だから小檜山博の「雪嵐」を読むのは先送りとなったのである。
 オディールさん、ごめん!(って、謝る必要はないけど)

 ルジツカ(Peter Ruzicka 1948-  ドイツ)の「解体(Abbruche)」(1977/78)。

 このような曲だが、私が持っている写真の CD は廃盤のよう。他の音源もないようだ。

Ruzicka_Abbruche1

Ruzicka_Abbruche2

Ruzicka_Abbruche3

 紹介したのは間違いだったようだ。だが、私は責任は取らない……

 全然関係のない話だけど、最近ハズキルーペのコマーシャルを見かけないような気がする。
 いや、気にしてるわけではないけど……

そこがポイント?……♪ブリテン/パーセルの主題による変奏曲とフーガ

20201116Shiretoko2  合成だったとは!
 先日、スマホのカメラの設定項目を確認しているときに「オートHDR」がONになっていることに気づいた。
 “シーンに応じてHDR撮影に切り替えます”という説明がある。
 なるほど。撮影時に画面に“HDR”と表示されることが確かにある。それもたいていの場合に(昨日の記事の弁当の写真もHDR表示が出ていた。ということはHDR撮影されたものである)。

 で、HDRって何?

 ネットで調べてみると、暗かったり逆光だったりしても上出来な写真になるよう、複数の写真を合成する機能なんだそうだ。
 ちっとも知らんかった。
 でも、スマホで撮った写真が、たとえば上の「北海道知床とりめし」のように奇妙な鮮明さの平面的な写真になるのは、絞りのせい(f/2.0で固定)だと思っていたけど、それに加えて合成による不自然さだったのかもしれないと、内心納得(でも平面的なのは、やはり絞り値のせいだろう)。

 ネット情報では、花や料理は発色が抑えられる傾向があり、また、人物はシワやシミが強調される傾向にあるのでHDRはOFFにした方がよいと書いてある。シミが増えシワも目立ちつつある私は被写体の気持ちになって、さっそくHDRをOFFにした。

 調べてみるとわがPENTAXの一眼レフにもHDR機能があることをあらためて知った。“露出の異なる3枚の画像を撮影して合成します”と取扱説明書に書かれている。ただ、もともとOFFにして使っていたので、気にもかからなかったのだ。

20201210PENTAXbook ところで、自分のカメラの機種(に近いもの)の手引書みたいのを買ったが、この件に関して調べようとしたが、この手の本ってけっこう何にも書かれていないことが多いってことを、今回またまたあらためて知った。いや、考えてみればパソコン関係の入門書的なものもそうだ。

 この写真のページなんてひどくない?(ちなみにHDR機能OFFでスマホで撮影)

 “フラッシュを使おう”の『まとめ』が“フラッシュには内蔵フラッシュ外付けフラッシュがある”ですよ!
 内臓がよじれてしまいそうになったワタシ……

BrittenStern ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「青少年のための管弦楽入門-パーセルの主題による変奏曲とフーガ(Teh young person's guide to the orchestra - Variations and fugue on a theme of Henry Purcell)」Op.34(1945)。

 私が持っている3種のCDはすべて事実上廃盤で入手不可。
 この演奏なんか(写真掲載のもの)、けっこう素敵なのに……

 私は未聴だが、こんなのもあります。


ひぐまに気持ちになってみた♪ハイドン/Sym82

20201118Higuma1  包装の絵は白ご飯だが……
 数日前のこと。
 この日の昼食の弁当は初めて買う「ひぐまの贅沢おにぎり」という駅弁にした。
 この弁当をこれまでスルーしていたのは、ちょっとおかずが貧弱だからなぁと見た目だけで軽蔑していたためだ。しかし見かたを変えると、おにぎりそのものがすでにおかずとご飯が混然一体となったハーモニクス状態ってことなわけだ。

 ちなみに双子のようなこのような弁当もあったようだが-今年のこの弁当の5年前の企画ってことになる-終売である。20円差で金粉柳もち入りというお得版だったみたいだ。

  包装を取り除くと、まるで仏具か何かが入っている箱のようだ。

20201118Higuma2

20201118Higuma3

 そして、中身がこれ。

20201118Higuma4

 小ぶりのおにぎりは、いずれも炊き込みご飯である。
 私としては、しょう油を何に使うのかわからず、結局利用しなかった(Oh,減塩!)。
 そしてまた、ボリューム的にも物足りなさは残らず、おにぎりのほどよい味つけと柔らかさに満足した。

  実物は熊のようではなく背が高くておしゃれだった
 ところでこの日の午後、オディールさんからメールが来た。
 「遅くなりましたが」と恐縮していたが(そんなこと思わなくていいのに)、「小檜山博文学館」を訪問したという報告であった。

 オディールさんは文学館オープンの記念講演を聴き、そのあと文学館-といっても10畳ほどの広さの部屋だそうだが-を見学していると、小檜山先生(←オディールさんの表現)と奥さまが入ってきたという。
 そのときこっそり撮った夫妻の写真も添付して送ってくれたが、写真の小檜山博は背が高くて、私が想像していたよりもずっと若々しく見えた。実際、オディールさんも「背の高いおしゃれなオジサマ」と形容していた。

 このメールは氷山さんにも送られていて、氷山さんからは3人が再会して-小檜山夫妻とオディールさんではなく、オディールさんと氷山さんと私-名古屋の思い出話ができるようになるまで、まだしばらくかかりそうですねと憂う内容の返信が来た。

 ほんとうにあのころ、数年後ウイルス感染で世の中がこんなふうになるなんて、誰もまったく予想していなかった。

 ワクチンよ早く!特効薬よ早く!

Haydn82 では、名古屋の思い出に浸りながら、ハイドン(Franza Jpseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第82番ハ長調Hob.I-82(L'ours)」(1786)を。


 そうそう、ここで決意した《ハーイドンドン、ハイドンドン、交響曲全曲聴取プロジェクト》は、その後進んでいない。
 というのも、ハイドンはときおり聴いているのだが、もっぱら80番以降のシンフォニーを選んじゃうからである。

779kcalと見た目以上に高エネルギーだし……♪DSch/Sym9

20201112Ishikari1  でも野菜スープはがんばって飲みました
 先週のことになるが、その日の朝に目が覚めるとなんとなく吐き気がした。
 吐き気がするということは食欲がないということである。

 そんなわけで朝食のご飯は仏壇に供えるぐらいの量しかのどを通らず、胃袋のなかはほぼカラの状態で、会社に向かうために家を出た。

 ときおりこういうことがあるのはここでも書いたが、何20201112Ishikari2か病によるものなのか、精神的なものなのか(いろいろな心配事や不満)、前の晩のオーバー・ドリンキングのせいなのか、あるいは食べようとするのが早い時間過ぎるせいなのか、よくわからない。多分、病気とは思えないので、それ以外の要因が複合的に絡み合っているのだろう。

 で、昼の弁当を買おうと札幌駅のいつもの Kiosk を覗いたら、その前のときに買った「銀鮭弁当」がまたあった。このように私の歓びの報告が掲載されているが、連続して食べるのはのちのちのためによろしくないと思い(飽きが20201112Ishikari3早く来そうだ)、またほぼ朝食抜きなので昼食にはもう少し予算をかけようと考え、久しぶりに「幕の内弁当 いしかり」にした。

 このところ『まごわやさしい』になぜか感心が向いている私。
 この日は栄養士のように、原材料表示も見てみた。

 この弁当では、『し』のしいたけ(キノコ類)と『い』のイモ類が入っていないが、さすが相変わらずの安定したおいしさ。ロングセラーだけある。漬け物が桜漬けなのには不満が残るけど……

 そしてまた、春先には“ボリューム不足”と文句をつけていた私だが、今回食べてみるとちょうどよい量。
 これは食欲がないとかどこか悪いのかもという問題ではなく(そもそも昼の私は復活して腹ペコ状態に陥っていたし)、一般的な分量に適応したということだろう。

 それにしても、『赤板』ってなんだろう?としばらく悩んでしまった。

Vorkov_mini  でも、この『胸がむかつく』は食欲不振ではないようで……
 ところで『吐き気』(≒胸焼け)といえば、印象に残っている記述がある。
 偽書とされてしまった-偽書だとしたら実によくできたニセモノだ-ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」のなかの一節である。

 ショスタコーヴィチが交響曲第9番を発表したあとのことで、党中央委員会から批判され相当ヤバい立場に置かれたのだった。

 ニューヨークで開かれる、平和擁護のための学者や文化人の会議に出席するようショスタコーヴィチは命じられた。しかし、自分の音楽が禁止されているのに、アメリカに行って、すべてはうまくいっていると語ることなどできないと、ショスタコーヴィチは断った。
 すると、スターリン本人からショスタコーヴィチに電話がかかってきたという。

 そのとき、スターリンから電話がかかってきた。「指導者にして教師」は例の押しつけがましいやり方で、どうしてアメリカに行きたくないのか、とたずねはじめた。行くことができないのです、とわたしは彼に答えた。いま、わたしの友人たちの音楽も、またわたしの音楽も演奏されなくなっています。アメリカでそのことをたずねられたら、わたしはどのように答えればよいのでしょうか。
 スターリンは驚いたようなふりをした。「演奏されなくなっている?どうして演奏されないのです?いったいどのような理由で演奏されないのです?」
 レパートリイ委員会の命令があり、ブラック・リストがあるのです、とわたしはスターリンに答えた。「そのような命令を出したのは誰です?」とスターリンがたずねた。わたしは当然、「たぶん、指導部にいる同志の誰かでしょう」と答えた。
 (中略)
 ……スターリンは演奏についての質問を繰り返すのをやめて、言った。「同志ショスタコーヴィチ、この問題についてはわれわれが検討することにしましょう。ところで、あなたの健康は?」。
 そこで、わたしはスターリンにまぎれもなく真実を述べた、「胸がむかつくのです」と。
 スターリンはしばらく呆然としていた。それから、予期しなかったこの答えをくり返した。「どうして胸がむかつくのです?原因は何です?われわれはあなたに医者を差し向けましょう。どうして胸がむかつくのかを、医者に検査させましょう」などと言った。
 結局、わたしは同意して、アメリカ旅行に出かけた。……

ShostakoSym5Petrenko1 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第9番変ホ長調Op.70(1945)。

 ペトレンコの指揮による演奏を。


 この苦境からショスタコが復活を果たした曲がオラトリオ「森の歌」である。

 さて、私の朝の食欲不振について、もう一度よぉく考えてみた。
 飲み過ぎとといっても、外で飲んでいたときよりはずっとアルコール摂取量は少ないはずだ。
 そしてまた、以前は朝、けっこうな空腹感があった。というのも、外で飲むときはあまりモノを食べなかったからだ。
 ということは、、、家飲みのときは食べ過ぎているのかもしれない。だから、翌朝も前夜食べたものが消化しきれてないので、食欲がない恐れがある。
 うん、その可能性大と思えてならなくなってきた。

三浦光世・綾子夫妻と小檜山博♪ディーリアス/北国のスケッチ

202011Kohiyama_Miura  お気に入りのスーツは31年目
 先日のこのブログで、もう少しで小檜山博の「人生讃歌 北国のぬくもり」をもう少しで読み終えると書いたが、読み終えた。
 以上! 

 ではない。

 最後から3つ目に「二着の背広」という章があり、そこに三浦綾子(と夫の光世)が登場するのである。

 ぼくは旭川での講演には夏でも冬でも必ず、ベージュ色の上下そろいのスーツを身に着けて行く。
 しゃれたサイドベンツになっているこの背広は、上着の左胸の内側に濃紺の糸の刺繍で三浦光世・綾子の文字が刻まれてあり、右側の胸の裏側には小檜山博と刺繍されている。つまりこれを着ると三浦ご夫妻の名前がちょうどぼくの心臓のところにくるのである。
 三十一年前、本の編集者をしていたぼくが三浦綾子さんの『ナナカマドの街から』というエッセイ集や小説集など何冊か作らせていただいたとき、三越で仕立ててくださったものである。いっしょにネクタイとベルトも選んでくださった。
 このスーツが二着あるのは、一度できてぼくは満足して三浦さんに着て見せると彼女が、形がちょっと気に入らないからもう一着作ろうと言って同じものが二着できたのである。そのうちの一着に名前を入れてくださったのである。
 三十一年たったいまなお、ぼくは二着ともすこぶる気に入って着つづけている。(後略)

DeliusMackerras 小檜山博と三浦綾子との接点については、別なところでも氏は書いていたと思うが、この文章を読んだとき、両方の作家のファンである私にはとてもうれしく感じられた。そして、三浦夫妻の人柄がよく伝わってくる、まさにぬくもりを感じるエピソードだと思った。

 ディーリアス(Frederick Delius 1862-1934 イギリス)の「北国のスケッチ(North country sketches)」(1913-14)を。

 私が聴いているマッケラス盤は廃盤なので、代わりに未聴ながらもグローヴス盤をご紹介しておく。


 三浦綾子さんが他界されて二十年近くなり、そして三浦光世さんも永眠された。淋しい。しかしぼくにはご夫妻と過ごしたたくさんの記憶と、三十通もの手紙と二着の背広がある。大丈夫だ。

 「二着の背広」はこう書かれて終わる。

激励のお気持ち承り所


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