新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の刺激的出来事についてたらたらした文章で報告中。自宅は北海道ながら現在は仕事の関係で大阪在住。血液はB型かつ高脂血症の中年サラリーマン。

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

本・雑誌

厚化粧を落とすと本来の魅力が♪バルトーク/不思議なマンダリン

Seino_Okodawari_Vol2  あらためて知った値段の格差
 清野とおる《その「おこだわり」、俺にもくれよ!!》(このシリーズは先日ここでも取り上げたが)」の第2巻に「中国うなぎの男」という章がある。

 ここ2週間ほど、けっこううなぎのかば焼きが食べたい衝動に駆られていた私。
 過去、スーパーで売っているかば焼きを買ってきて食べたはいいが、泥臭いような「うっ」とするものがあったり、皮も硬くておいしくなかったりと、お金を無駄にしてきた経験がある。
 その原因が温め方にあると知ったものの-電子レンジは絶対NGだ-、ちくわのように気軽にそうそう買えるものでもないし、別ややり方でもまたまた失敗したら悲しすぎる。

 大丸百貨店地下の魚売り場の国産のうなぎのかば焼きは3,500円と、それだけ出すならうなぎ屋に行ってうな重を食べるべきだというお値段。ESTAの地下や近所のスーパーなどを見たが、2,000円ほどからある国産物は、妙に貧弱だ。焼き鳥の「日本一」や宮川本店で売っている串に刺さったものもいかにも物足りない。

  見るからにガッツな「うおきち君のうなぎ」
 ということで、国産に執着したいところだったが、税込み1,058円の中国産うなぎを買ってみた。
 いや、値段もうなぎとしてはリーズナブルだが、そのうえ身厚なのである。
 
20200321Unagi

20200321Unagi2

 「おこだわり」の《中国うなぎの男》の言うことはもっともだと、私はここでガッテン、ガッテンだった。

Seino_Okodawari_Una1

 それにしても、表面に塗られたタレの成分だろうか?ワケのわからない添加物の列挙。
 輸入者の名が「日中友好商会」っていうのも、全然うなぎっぽくないとってつけた感のあるもの。

 さて、《中国うなぎの男》の方針に従って、そのキサンタンガムとかアナトーなんかを流水で洗い流し、さらに私の場合はお湯をかけて洗った。

Seino_Okodawari_Una2

 《中国うなぎの男》はそのあと焼魚用のグリルで加熱しているが、私はネットで集めた情報に従い、日本酒をまぶしかけたあと、それをアルミホイルで包み、5分ほど蒸し焼きしてみた。

 案外と難しかったのが、この加熱時間。
 5分では全体が温まらなかった。中火で7分ってところか。

 そして完成したかば焼きは、まさにふっくらで柔らか。
 店で食べるのと遜色ない仕上がりとなった(写真がないのは調理作業に追われた上に、早く食べたかったから)。

 ただ唯一の不満が。
 やはりちょっとクセが鼻につく。ってことは、私には中国産うなぎの“雑な脂”が合わないのだろう。

 ちょっと貧弱なうえに値段が高くても、次回(1年以上先のことになる?)は国産を選ぶことにしよう。


 ってなことで、バルトークのバレエ音楽「中国の不思議な役人(不思議なマンダリン)」を。




 

ライナーもスーパーもなくなり、サッシも廃止?♪ヴェーベルン/眼の光

  高砂、森林公園、厚別、苗穂の利用者には朗報
 今週の土曜日、3月14日からJR北海道は新しいダイヤでの列車運行となる。

 少なくとも私が江別に移り住んだ20年ほど前からあった快速列車(いしかりライナー)が廃止となる。

 ごらんあれ!
 上が3月13日までの現行ダイヤ、下が新ダイヤである。
 快速が消えた。

Timetable-20200313

Timetable20200314-a

  524円払ってしまいました
 そして特急からは“スーパー”の冠がなくなった。

Timetable2020314-b

 っていうか、千歳線ってエアポート専用線みたいな様相を呈している。

 ところで、先日の夕方の帰宅時に、札幌駅の改札近くにいた若い駅員さんに「新ダイヤの冊子の時刻表いただけますか?」と言ったところ、その駅員さんは「あれはもう作らないことになったです。申し訳ございません」と丁重に答えた。

 そこで改札に入ってからKIOSKで「北海道時刻表」を、私は買った。

Timetable202003Hyoushi

 でも、念のためと、江別駅に着いたときに窓口で駅員さんに「新ダイヤの冊子の時刻表ありますか?」と尋ねたところ、いただくことができた。

Timetable202003Pocket

 デザインは違うが、前回同様スポンサーは大橋眼科だ。
 これは絶大なる広告効果をもたらすと、毎年思っている。

 でも、札幌駅の駅員さんはいったいどうしたのだろう?

 ウソをついたのか?
 そうとは思えない。
 じゃあ、発行されていることを真剣に知らされてないのか?
 可能性は低いがありうる。

WebernRicer 私の言っている日本語が理解されてないなくて、意思疎通ができていなかったのか?
 多少考えられる。

 即座に時刻表を買った私は、まったくもってせっかち君だ。
 (大橋眼科は白石区にあるが、白石方面の駅にだけ配布してるってことはありうるだろうか?) 

 ヴェーベルンの「眼の光」を。


非日常的日本語が好き!(だった)♪ベルリオーズ/ばらの精

Mansfield  天使のオサ降臨!
 日曜日の記事の話の続きである。
 マンスフィールドである。

 マンスフィールドだけではなく、学生のころ一時期海外の小説ばかり読んでいたことがある。
 カフカやソルジェニーツィンは別として、英語圏の作家の小説を読みたいと思うきっかけとなったのは、『英標』である

 そしてまた、翻訳された海外小説の、かたい、およそ日常では使わないような言葉とか言い回しが、なんとなく好きでもあった。

 三浦綾子の「ひつじが丘」でその名が出てきた、マンスフィールドの短編小説「園遊会」。
 その出だしはこう始まる(「the garden party マンフィールド短編集」安藤一郎訳:新潮文庫)

 それで、ついに、天気はまったく上々となった。たとえあつらえたとしても、それ以上、園遊会(ガーデン・パーティー)にもってこいの日は得られなかったであろう。風はないし、暖かで、空には一点の雲もなかった。ただ空の青さに、ときどき初夏のころを見るように、明るい金いろの(もや)がうすくかかっていた。園丁はもう夜明けから立ち働いて、芝生を刈ったり掃いたりして、芝草と、前にヒナギクのあった黒い平らな薔薇形(ばらがた)の花壇までが輝くようになった。薔薇の花はといえば、薔薇というものは園遊会で人々の心を(とら)える唯一の花であり、だれもが自分で知っていると思う唯一の花であるということを、薔薇そのものがちゃんと心得ているとおもわれるほどだった。何百という薔薇、そう、文字どおり何百という花が一晩で咲きだしていた。緑の薔薇の木々は、まるで天使の(おさ)たちが舞い下ったかのように、垂れ伏していた。

 ねえねえ、あなた、「いやあ、今日の天気はまったくの上々だな」なんて言います?
 ねえねえ、そこの君、「たとえあつらえたとしても、こんなに豚汁を食べるのにふさわしい日はない」なんて言ったり済ます?
 “黒い平らな薔薇形の花壇”ってどんな形なんでしょう。想像がふくらみますわね。
 “だれもが自分で~~~ほどだった”って文の言わんとしていること、すんなり腑に落ちちゃったりします?

 この訳に限らず、翻訳された海外文学を読むと、訳者って必ずしも日本語の達人ではなく、けっこうニッポン語が苦手なのかもなんて思ってしまう(誤解なら即座に謝る)。
 けど、若いころはこのぎくしゃくしているともいえる文章がなんとなくかっこよく思えたものだ。

 もっとも、このマンスフィールドの安藤氏の訳は、昭和28(1953)年に翻訳したものを、さらにS32改訂補筆したもの。ひどく古い。
 その当時はこういう日本語が世の中では当たり前だったのかもしれないでござるな。

Berlioz14bBou ベルリオーズの「ばらの精」。
 歌曲集「夏の夜」(全6曲)の第2曲である。


 日曜日の記事でブーレーズ指揮の「レリオ」の録音を紹介しているが、今日紹介しているCDボックスにも昨日のCDと同一音源である「レリオ」の演奏が収録されている。

 いま、私がバラを育てるようになったのは、この小説の影響によるところは、まったくない。

粗大ごみはどのように姿を消すのか?(2)♪DSch/明るい小川

Rengoku1  9時をほんの少し過ぎただけなのに……
 その日、つまり昨日書いたように本棚を粗大ごみとして収集していただく日は、前夜からの雪がそれなりに積もっていた。

 私は朝のうちに雪かきをしたが、そのあとも降り続いたので9時ころに、その後再びうっすらと積もった雪をかいていた。

 と、バンボディ(平ボディではなく、荷台が箱型)のトラックがゆっくりとやって来て、わが家の前に停まった。

 そして作業服を着た人が降りてきた。

 私は「おはようございます」と紳士的に話しかけた。
 相手も「おはようございます」と言い、「引き取らせていただきます」と続けた。

 そして荷台の横(後部ではなく)の扉を開け、その本棚を積み込んだ。
 あまりにもあっけなく、あっという間に作業は終わり、トラックは静かに去った。
 トドックのトラックの扉の開け閉めほどの音もしなかった。
 これなら到来に気づかなくても無理はない。

 どうやらこの日最初の収集場所がわが家だったようだ。9時前に出動してきたとしか思えない。
 そして、厄介な雪のおかげで、私は謎を解く機会を得たのであった。

  こっち運搬車は恐ろしいもの
 「そっか。中が見えないようになっているこのトラックをなら、粗大ごみを回収、運搬中だとはわからないな」と思いながら、私はソルジェニーツィンの小説「煉獄のなかで」の最後を思い出した。

Rengoku2 鉛色や黒色の護送車が市民たちに恐怖を呼びおこしながら町の通りを走りまわっていた時代はもう過去のものとなっていた。戦後だれかの天才的な頭に名案がうかんだのだった。つまり、護送車を食料運搬車とそっくりの形にし、外部も同じオレンジ色と空色の縞模様に塗り、そこに露、仏、独、英の四カ国語で〔パン〕あるいは〔肉〕と書く案であった。
 いま護送車に乗りながら、ネルジンは隙をうかがってわきへととび出し、そこから《Meat》という字を読みとった。

 そして、この長編小説はこう終わる。

 中にぎっしりと詰めこんだ人間の体を上下左右にゆさぶりながら、明るいオレンジ色と空色の縞の車はもう町の通りを走り、駅の一つを過ぎ、交差点にきて止った。この交差点では『ディナモ』スタジアムのホッケーの試合を見にいく『リベラシオン』紙特派員運転の暗紅色のきれいな車が信号待ちしていた。特派員は貨物運搬車の脇腹につぎの文字を読んだ。

 Мясо
 Viande
 Fleisch
 Meat

 特派員は今日モスクワのあちこちでもそういう車を一台ならず見かけたことを思い出した。彼はノートをとりだし、暗紅色のペンでこう書きつけた。
 『モスクワの通りを走っていると、衛生上から見て非の打ちどころないたいそうこぎれいな食料運搬車にしばしばゆきあう。首都の食料供給が非常にうまくいっていることを認めないわけにはいかない』

 私の家にやってきたトラックの荷台(箱)は光り輝くシルバー。
 横の後ろ側の下部に会社名と江別市から収集の委託を受けているという表記が黒い文字で書かれていたが、とても控えめである。
 ボーっとしてなくても、なかなかこのトラックが粗大ごみを運んでいると気づく人はいないだろう。

ShostakoKirghiz ショスタコーヴィチバレエ「明るい小川」組曲版を。

 ショスタコだって一歩間違えればお肉のトラックに乗せられて……ってことになりかねなかったのだ。




粗大ごみはどのように姿を消すのか?(1)♪ニールセン/Sym4

okodawari4  収集も運搬も謎のまま
 今回大阪から北海道へと引っ越すにあたって、大阪でも、そしてこちらに帰って来てからも《粗大ごみ》の収集の申し込みをし、持って行ってもらった。

 この粗大ごみの収集だが、ご存じのように電話で予約をすると、料金と受付番号を言い渡される。その料金のシールを買ってきて受付番号を記入し、当日の朝にその粗大ごみを出す。
 これまで何度か利用してきたが、やって来るのは平日の日中なので、その収集の様子を見たことはなかった。

 ところがである。
 大阪で、朝に伏草課長に手伝いに来てもらいソファなどを出したとき、私は午前中は自宅マンションにいた。
 ずっと監視していたわけではないが、気がつくと、10時前にはソファも物干しも電子レンジも姿見も忽然と姿を消していた。ゴミをトラックに投げ込むような音はしなかったし、そもそも収集車のエンジン音らしきものも聞こえなかった。

 それにここ江別でだって、粗大ごみを積んで走っているトラックを見かけたことは、考えてみれば一度だってない。

  『粗大ゴミの男』の痛恨のミス
 同じようなことを疑問に思っている人はやはり少なからずいるようで、清野とおる氏の漫画『その「おこだわり」、俺にもくれよ!!』の第4巻には「粗大ゴミの男」という話がある。
 私は、「わかる!わかるぅ~!」って大いに共感してしまった。

okodawari1

 そしてこの男性、その謎を解くべく平日の収集日に有給休暇をとって、収集してもらうよう依頼した粗大ごみのプリンターの横で過ごしていたのだが……

okodawari3

という悲惨な結果に……

 今回、私は本棚の収集をお願いした。
 収集日は平日だが、幸いいまの私はその日も自宅にいる。

 寒空の下、本棚の横に居続けると膀胱炎になりそうなのでこの男性のように待機することはできないが、家の中から窓越しに見ることはできる。

Nielsen 問題はトイレに行っている最中に収集されてしまわないかということだが、午前中の早い時間帯ということはわかっているので、その前に絞り出しておこう。

 これが私の《自己啓発》のための自由研究ということである。

 では、今日はニールセン交響曲第4番「消し難きもの」を。


 この話、明日に続く(意外とそっけない結末ですが)。

猫で忘れかけたのに、またチャイナが……♪ストラヴィンスキー/ハルサイ

Tsubasa2020feb1  猫洞の記事にほっこり
 昨日書いたように、声が大きいうえに絶えず子供や夫に怒るような口調で話をし、それだけでもお釣りがくるほどうるさいのに、マスクをしてないので人間散水車状態の中国人女性客(私が美しい客室乗務員だったとしたら、何度もバッグを前の席の下の奥まで入れるよう注意してもすぐに自分の足元に戻すこの非常識な女性を、客とはみなさない)のせいで、2時間のフライトが不快かつ不安な苦痛を感じた私だったが、こいつらはきっと雪まつりの大雪像の前でちょろちょろしているうちに滑って転んでしこたまケツを打つに違いないと思うと、少しは気がまぎれた。

 ところで、まだ1月31日だというのに、機内誌「翼の王国」はすでに2月号が置かれてあった。

 それを読むと、「猫洞通」のことが書いてあった。
 なんか懐かしい……

Tsubasa2020feb2 私が名古屋に住んでいたときは、地下鉄東山線の覚王山駅を通勤に利用していたが、本山駅も近く、休日の買い物は本山のマックスバリュに行くことも少なくなかった。
 当時「猫洞通」で撮影した写真を載せたブログ記事がこれである。

  チャイナで思い出してむったり
 「翼の王国」ではイラストの地図に「ジャンボチャイナ」が描かれている。寄ったことはないが、そして何がジャンボなのか言及されていないが、これがそのお店である。

 うっ、チャイナであのチャイナ女性を思い出してしまった。
 いけない……またいらいらしてきちゃった(「ジャンボチャイナ」はこれっぽっちも悪くないのに)。

 こうなったら、これでストレス発散だ!

 いえ、バルトークじゃなく、ストラヴィンスキーの方です。はい、「春の祭典」です。

LaSacre

十日戎って言われても、大阪以外の人はわからない?♪LvB/Sym3

20190913HamukatsuJinja  久しぶりの近鉄
 今日は梅田から地下鉄御堂筋線で天王寺まで行き、阿部野橋から近鉄電車に乗って河内長野方面に出張。
 出張といっても昼には戻って来る。

 夜は東京からお客さんが来るので関西で何店舗かを展開する某すし店で食事をする予定。
 なに食べよーかな(←「とんかつの玉藤」のCMのメロディーで)。

 今週は忙しい。
 水~木は仙台に出張。支社に戻った木曜日の午後は札幌から来客。夜は支社の有志と神社に行き十日戎詣(写真は十日戎とはまったく関係のない、すすきの某所のお店)。

 金曜日は広島に行った後、船で松山に向かう。松山に宿泊し、土曜日の昼の飛行機で大阪に戻って来る。

 私は何を言いたいのか?
 勘の鋭いあなたならもうわかっているだろう。

 そう!
 ブログは手を抜きますよ、ってことだ(masaさんの期待には最低限応えるつもり)。

DSCN3584  ベートーヴェン、大いに怒る! 
 昨日紹介した、いまから46年前の門馬直美氏の曲の解説が、いま読み返すとなかなかお茶目で意外と大ウケしたので(私が)、今日も故人をしのんで紹介しちゃおう。

 今日も250歳おめでとう!のベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)。曲は交響曲第3番変ホ長調Op.55英雄(Eroica)」(1803-04)。

 門馬氏の解説。

 (この交響曲は)第2交響曲からわずか2年ほどのちにできあがったのだが、この第3交響曲は、第2交響曲とは比較にならぬほどの充実した明瞭な個性をみせる。いいかえると、この曲は、長大であり、力強く逞しく、しかも構成的であり、音楽的にも内容的にも寸分の隙もみせず、ベートーヴェンがここでもう完全に新しい創作時期、つまり第2期に入ったことを立証している。
 ベートーヴェンは、これをナポレオンに献呈する予定でいたが、ナポレオンが皇帝に就任するということをきいて、大いに怒って、その献呈をやめ、楽譜の出版のときに、「シンフォニア・エロイカ」(英雄交響曲)という題をつけ、「ある英雄の思い出のために」と書き記したのだった。

 “いいかえると”なんですかねぇ……

EroicaClyu この曲で私が地味に好んでいる演奏はクリュイタンス/ベルリン・フィルの演奏。

 1958年録音。EMI.

   このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】

 ところでなぜ“交響曲第2番”じゃなく、“第2交響曲”って書くんだろう?
 字数の関係か?
 でも、こういうのを読んでいたので感化され、私もしばしば“第3交響曲”とかいう書き方をしてしまう。
 すいません。

目覚めると 忘れてしまった 初夢を♪アンダーソン/忘れられし夢

HinoHdeshi  初めて?いつのことだったっけなぁ……
 ってことで、1月1日から2日にかけてみる夢を初夢というらしいが、はて、さっぱり覚えていない。
 まあ、忘れられないほどの恐怖夢を見るよりははるかにマシだけど(前にも書いたが、昔読んだ日野日出志の『元日の朝』はおもしろかった。写真の本は、先日義兄に貸してもらったコミック(「元日の朝」は入っていない))。

 ただ、夢を忘れたからといって、私はなんにも落胆していない。
 というのも、そもそもこの《初夢》なるものの定義が実にちゃんとしてないからだ。

 1月1日から2日に見る夢が初夢なら、1月2日から3日に見る夢も《初夢》なんだそうだ。実にいい加減である。最近のどこかの国の政治家と官僚のようだ。
 つまり、今夜に期待すればいいのだ。
 また忘れそうだけど……

AbdersonStein アンダーソン(Leroy Anderson 1908-75 アメリカ)の「忘れられし夢(Forgotten Dreams)」(1954)。
 この記事でも絶賛しちゃっているが、お涙頂戴という演歌の世界に通じる心に染み入る曲だ。

 私が愛聴しているスタインバーグ盤は廃盤となっているので、別なディスクを紹介しておく(私は未聴)。



健康御三家はヘンデル、ハイドン、ドヴォルザーク♪ドヴォルザーク/vc協

MiuraGomen2  いや、鮭の卵のことじゃありません
 三浦綾子は「ごめんなさいといえる」(小学館文庫)のなかで、『アンネの日記』について次のような考えを述べている(この章は1987年10月16日に行なわれた関西学院大学合同礼拝での講演の記録)。

 私には、その作品を書いた人の姿を別に知る必要はないと思って読んでいたことがいくらでもあります。その作品はただ黙って読んでいたらいいのではないか、と思っていたことがいくらでもあります。けれども、やはりその作者がどのような生活をしていたかとか、どんな考え方をしていたかとか、どんなふうに死んだか、どんなふうに生きたかということを知ることは、読書する上で大変大切なことだと思います。

 これは音楽にも言えることではないだろうか?

 その作品を作曲した作曲家がどういう人だったか?それをまったく知らないよりは知っていた方が、より作品への理解が深まるのではないだろうか?理解というのが教養的でいやらしい言い方なら、言い換えると、少なくともその作品に親しみを感じやすくなるのではないだろうか(場合によっては、逆に拒否感が強まるだろう)。

SchonbergGreatComposers  私の座右の書
 高校時代に出会い(購入したのは浪人生活に入ってから)、いまに至るまで私の座右の書であるハロルド・C・ショーンバーグの「大作曲家の生涯」(全3巻。亀井旭/玉木裕訳:共同通信社)。私はこの本によって大作曲家たちがどのような人たちだったかを知ったのだった。

 著者は『はじめに』で、こう書いている。

 本書の執筆を進めるうえで、私は偉大な作曲家たちを人間として描き、彼らが感じ、考えたことの一端なりとも読者に提供しようと努めた。このようなアプローチは、今日では多少流行遅れかもしれない。多くの音楽学者が主張するところによれば、人物よりは作品が重要で、一編の音楽は音楽として(・・・・・)こそ最善の理解が可能であり、完全な和声的、構造的分析こそが唯一の有効な“説明”である。それ以外のアプローチは、プログラムに感想を書き記す式の方法で、音楽に対し実際的に適用可能なものではない、というのだ。
 しかし、私は以上の説には反対である。音楽は音楽家によって説明が可能なばかりか、音楽家と、その時代によってこそ説明されねばならない(・・・・・・)、というのが私の確固たる信念である。なぜなら一人の人間が作り出す音楽は、彼自身の活動の結果であり、その思考の反映、自らが生活する世界への反応であるからだ。

 私にとって音楽を聴くうえで、楽曲の“和声的、構造的分析”はあまり必要ではない。作曲家の人となりの方に興味がある。
 この書に出会わなければ、現在まで音楽をこんなに聴き続けていたかどうかも疑問なくらいだ。

 みなさんのなかにも、モーツァルトが明るい音楽を書いていたとき、実は貧窮に苦しんでいた、ということを知ると胸をしめつけられるような思いになる人がいるかもしれない(単にノーテンキだったんじゃない?と思う人もいるだろう)。
 ドヴォルザークの「新世界交響曲」のなかの列車が線路の上を走行する音のようなリズムを耳にし、さすが鉄道オタク!と感心する人もいるだろう。
 国家からの圧力で見事に作風が変わってしまったショスタコーヴィチに同情する人もいるはずだ。
 マーラーの音楽に分裂気質を感じ取る人もいれば、ブルックナーの響きに変態の叫びを聞き取る人は……いないか……。

  横目を使う大作曲家だっている。人間だもの
 同書でドヴォルザークについて書かれている一節を紹介しておこう。

 全創作期間を通じ、彼(ドヴォルザーク)は後期ロマン派中で最も幸福な人間であり、ノイローゼ的要素が最も少ない作曲家であった。「神、愛、母国」が彼のモットーだった。ブラームスは絶望的な憂鬱感を経験し、チャイコフスキーのノイローゼは、途方もないほどひどかった。マーラーのノイローゼは、それに比べればチャイコフスキーのノイローゼが健康的に見えるほどで、マーラーは胸をたたき、髪の毛をかきむしった(その一方、後世の評価がどうなるかと、横目を使っていたが)。ブルックナーは座って震えながら神の啓示を待った神秘家であり、エリザベス時代的な意味での自然主義者であった。ワーグナーはひねくれたエゴイストであり、リストは複雑で矛盾に満ちた天才だが、いかさまのイエズス会牧師だった。ひとりドヴォルザークだけが、単純で屈折のない道を進んだのであり、彼はヘンデル、ハイドンと並んで、あらゆる作曲家中で最も健全な作曲家である。

 ねっ、おもしろいでしょ?

BrahmsSym3Eliska そのドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の傑作の1つ、チェロ協奏曲ロ短調Op.104,B.191(1894-95/改訂'95)。

 札響の首席チェロ奏者・石川祐支がソリストを務めた第563回定期演奏会のすばらしい演奏を
 指揮はエリシュカ。

 2013年ライヴ録音。Altus。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】

 私も屈折のない道を進みたかったなぁ……

今日から始める事とは?♪DSch/Sym8

201912ANA_Tsubasa  お姉さんはスモーカー?
 今日12月13日は『事始め』の日なんだそうだ。

 ANAの機内誌「翼の王国」に載っていた記事で知った。
 『事始め』は当然のことながら秘め事を始めるということではなく、正月の用意を始めることだという。

 それとは関係ないが、今年私が始めた事といえば、禁煙である。
 最後にタバコを吸ってから今日で28週と5日目となる。

 そんなに経つというのに、まだまだ吸いたい衝動にしょっちゅうかられるし、たまにはものすごく強烈に吸いたくなる。

 が、この調子ならそのまま止め続けられそうな自信がある(私の自信はあてにならないという指摘もあるが)。

禁煙プレート表 JTスモーカーズも退会した。

 これって申し込むときはネットでできたと思うが、辞めるときには電話をかけなくてはならないっていうのが面倒だった。

 電話がつながれば退会自体はすぐに手続きが完了。電話口の女性から「退会なさる理由は、おタバコをおやめになったとかですか?」と聞かれ、「はいそうです」と答えたときには、自分がひどく悪いことをしたような気になってしまった。そして、「このお嬢さんは喫煙者なんだろうか?」と思ったりもした。

 こういう手続きやあるいはサポートしてくれる電話窓口では、最近「応対向上のため通話を録音させていただきます」というのがひじょうに増えたが、これって要するにクレームをつけたり、いつまでもねちねちと電話を切ろうとしないクレーマーによるカスハラ(カスタマー・ハラスメント)防止のためのメッセージなんだと思うけど、違うのだろうか?そうですよね?

ShostakovichSym8Tabakov じゃ、今日のところはタバコフがブルガリア国立放送交響楽団を振ったショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第8番ハ短調Op.65(1943)なんぞを。

 この演奏については過去にここで詳しく触れている。これは読むことを推奨する。

 2013年録音。GEGA-NEW。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】

 では、みなさんがこの13日の金曜日を無事乗り越えられることを祈念し、本日の記事を終える。

激励のお気持ち承り所


にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ


道央の空のご機嫌
メッセージ

名前
メール
本文
↓ 03以上を目にできたら奇蹟
現在の閲覧者数:
これまでの御来訪者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

私の浮き沈み状況
QRコード
QRコード
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
本日もようこそ!
記事検索
つぶやき……
カテゴリ別アーカイブ
最近寄せられたコメント
タグクラウド
タグ絞り込み検索
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2014 「新・読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ