もちろん「文五」はモノラルだった……
冨田勲の訃報をネットのニュースで見たのは、私が名古屋のマンションに帰って来たときだった。
亡くなったのは5月5日。
こどもの日に、こどもにも夢を与える曲も多く書いたユニークな音楽家はこの世を去った。
当たり前のことだが、もう十分なおじいさんの齢になっていたのだ。
が、私にとってはシンセサイザーを日本に持ち込み新たなる世界にチャレンジしている若々しい、でもクラシック音楽ファンからみれば異端児的な音楽家だった。
また、私が子どものころに親が観ていたNHKのドラマ“文五捕物絵図”のテーマ音楽は私の記憶に深く刻み込まれていたが、それが冨田氏の作曲と知ったときには、なぜか「お世話になりました」という気持ちになってしまった。
多くの番組テーマ曲を残しているが、私には“きょうの料理”や“キャプテンウルトラ”,“ジャングル大帝”がなじみ深い。もっとも、“ジャングル大帝”のアニメそのものは面白いと思ったことはなかったけど。
実は冨田氏は亡くなった私の父と同じ年の生まれである。
それは頭ではわかっていたが、やはり私の中ではいつまでも若々しいかっこいいおじさんで、クラシック音楽家らしくない人でもあった。
シンセサイザーを始めたころに雑誌“FM fan”に載った紹介記事の写真。
そしていまだに手元にあるのが、1976年の“音楽の友”の別冊”日本の音楽家”(音楽之友社)。それにに載っている氏の写真が上に掲載したものだ。
このころ私の父はちっともこんな若々しい服装なんかしてなかった。
でも、もし父がモザイクっぽいシャツを着たら、ご近所に不思議がられるから頼むからやめてくれとひざまずいてお願いしただろうけど……
自分の父親にはいただけないが、この服装、容姿がいつまでも私にとっての“モダーンで革新的な”冨田勲なのであった。
氏の“絶望”はある意味現実になった
この別冊誌に氏は書いている。
最近の現代音楽に対しては絶望的、むしろポピュラーといわれるジャンルの中にこそ、真の音楽が存在しているのではないか。
氏の言葉を裏付けるかのように、その後理屈は大したものだが聴く者にとってはワケのわからない“前衛音楽”は衰退した。
時代は吉松隆のような新しい風を吹き込む作曲家の登場を歓迎したし、その後の伊福部昭の再評価の根も、冨田の指摘の中にあるのではないか?
最近ではここで取り上げているが、私は冨田のシンセサイザーによるディスクをすべて聴いているわけではないし、知っている中でもどれもがすばらしいと思っているわけではない。
が、ドビュッシーの「パスピエ」なんかはいまでも色あせてないと思っている。
左から右へ、右から左へと、なんとも形容しがたい、まるでボールを思わせるような音の球が行ったり来たりするのが、ステレオの効果のおもしろさ、すごさをも私にわからせてくれたのであった。
冨田勲の訃報をネットのニュースで見たのは、私が名古屋のマンションに帰って来たときだった。
亡くなったのは5月5日。
こどもの日に、こどもにも夢を与える曲も多く書いたユニークな音楽家はこの世を去った。
当たり前のことだが、もう十分なおじいさんの齢になっていたのだ。
が、私にとってはシンセサイザーを日本に持ち込み新たなる世界にチャレンジしている若々しい、でもクラシック音楽ファンからみれば異端児的な音楽家だった。
また、私が子どものころに親が観ていたNHKのドラマ“文五捕物絵図”のテーマ音楽は私の記憶に深く刻み込まれていたが、それが冨田氏の作曲と知ったときには、なぜか「お世話になりました」という気持ちになってしまった。
多くの番組テーマ曲を残しているが、私には“きょうの料理”や“キャプテンウルトラ”,“ジャングル大帝”がなじみ深い。もっとも、“ジャングル大帝”のアニメそのものは面白いと思ったことはなかったけど。
実は冨田氏は亡くなった私の父と同じ年の生まれである。
それは頭ではわかっていたが、やはり私の中ではいつまでも若々しいかっこいいおじさんで、クラシック音楽家らしくない人でもあった。
シンセサイザーを始めたころに雑誌“FM fan”に載った紹介記事の写真。
そしていまだに手元にあるのが、1976年の“音楽の友”の別冊”日本の音楽家”(音楽之友社)。それにに載っている氏の写真が上に掲載したものだ。
このころ私の父はちっともこんな若々しい服装なんかしてなかった。
でも、もし父がモザイクっぽいシャツを着たら、ご近所に不思議がられるから頼むからやめてくれとひざまずいてお願いしただろうけど……
自分の父親にはいただけないが、この服装、容姿がいつまでも私にとっての“モダーンで革新的な”冨田勲なのであった。
氏の“絶望”はある意味現実になった
この別冊誌に氏は書いている。
最近の現代音楽に対しては絶望的、むしろポピュラーといわれるジャンルの中にこそ、真の音楽が存在しているのではないか。
氏の言葉を裏付けるかのように、その後理屈は大したものだが聴く者にとってはワケのわからない“前衛音楽”は衰退した。
時代は吉松隆のような新しい風を吹き込む作曲家の登場を歓迎したし、その後の伊福部昭の再評価の根も、冨田の指摘の中にあるのではないか?
最近ではここで取り上げているが、私は冨田のシンセサイザーによるディスクをすべて聴いているわけではないし、知っている中でもどれもがすばらしいと思っているわけではない。
が、ドビュッシーの「パスピエ」なんかはいまでも色あせてないと思っている。
左から右へ、右から左へと、なんとも形容しがたい、まるでボールを思わせるような音の球が行ったり来たりするのが、ステレオの効果のおもしろさ、すごさをも私にわからせてくれたのであった。