Taro
June 10, 2006
Q: 誰似? A: オーストラリアのFW
ドイツW杯はじまりましたね!
午前1時頃は彼が仕事から帰るころだし、
どっちにしろ授乳で夜中起きることだし、
日本戦を中心にライブでテレビ観戦しようと思ってます☆
さてさて
息子太郎は、父親と母親どちらに似ているのかという議論が絶えません。
友人A「産まれたばかりの時の写真はダンナ似だよね。今はAyumiかな」
友人B「総合的にはダンナ似だけど、鼻はAyumiに似てる」
友人C「ダンナそっくりじゃん」
生後2ヶ月現在、彼似という意見のほうが優勢です。
私も、そう思います。
でもやっぱり腹を痛めて産んだ自分の子。
少しは自分に似てほしい。
わがままかな。。
そんな時、NHKのW杯特集ではじめて見たオーストラリア代表のフォワード、ビドゥカ選手。
今、息子は誰よりもこの人に似ている!
とはいえオーストラリアは応援できません!
頑張れ日本代表!
まずは予選リーグ突破だ〜〜〜!
午前1時頃は彼が仕事から帰るころだし、
どっちにしろ授乳で夜中起きることだし、
日本戦を中心にライブでテレビ観戦しようと思ってます☆
さてさて
息子太郎は、父親と母親どちらに似ているのかという議論が絶えません。
友人A「産まれたばかりの時の写真はダンナ似だよね。今はAyumiかな」
友人B「総合的にはダンナ似だけど、鼻はAyumiに似てる」
友人C「ダンナそっくりじゃん」
生後2ヶ月現在、彼似という意見のほうが優勢です。
私も、そう思います。
でもやっぱり腹を痛めて産んだ自分の子。
少しは自分に似てほしい。
わがままかな。。
そんな時、NHKのW杯特集ではじめて見たオーストラリア代表のフォワード、ビドゥカ選手。
今、息子は誰よりもこの人に似ている!
とはいえオーストラリアは応援できません!
頑張れ日本代表!
まずは予選リーグ突破だ〜〜〜!
June 06, 2006
育児キックオフ!
いきなりお尻の写真で失礼しました、生後約50日の息子の写真です。
私がブログ更新を怠けている間に、
息子はこんなにも足&お尻を持ち上げられるようになりました。
さて、息子のあだ名は「太郎」に決定します。
太郎が産まれてからこの2ヶ月間、いろいろなことがありました
<入院生活>
産後1週間、病院に入院。
夜泣きで3時間おきに起きる日々がスタート。
昼間だけ母子同室(入院中もそばにいられてこれはGoodでした)なので、
夜は太郎が空腹で泣いたときに助産師さんが起こしにきてくれました。
昼間、ママさんたちは授乳や沐浴など育児の基本を助産士さんから学びます。
授乳時には、飲む前と飲んだ後で体重を1グラム単位で量って飲んだ量をチェックしました。
「やった、今回は30グラム飲みました!」とかいって助産師さんと喜び合ったり。
私にとっては人生初めての(産まれた時以外)入院生活でしたが、悪くない。
上げ膳据え膳生活で、自分の身体をゆっくり休めることができて
ひたすら太郎のことだけを考えていればいい、なんて。
入院中は、とてもお腹がすいて病院食をいつも完食していたのを思い出しました。
授乳するため、運動しなくてもカロリー消費しているのでしょう。
太郎も太郎でいろいろやることがありました。
毎日体温をはかります。
あとは母乳だけでは不足しがちなビタミンKを補給するためにK2シロップを飲んだり
小児科の先生に、黄疸や先天性代謝異常の検査をしてもらったり。
1週間後、ママ友達や誕生日が近いベビちゃん仲間に別れを告げて退院。
↓
<里帰り>
東京の妹邸へ母に来てもらって、私もそこへプチ里帰り。
入院生活で、私の体力はだいぶん衰えていましたね。
基本的には母に甘えつつ、私も少しずつ家事を再開。
彼は、週末仕事の後に会いにきてくれました。
母は48歳でおばあちゃんになったのですが、
太郎を可愛がる様子はまさに'初孫にぞっこんのおばあちゃん'そのもの。
でも太郎のおばあちゃんであると同時に私の母だなあと感じたのは、
夜泣きをはじめ初めての育児でイライラしたりする私のことをとても心配してくれたこと。
里帰り中は、母親同士の会話をたっぷり楽しみました。
この頃の失敗談としては、
夜中に太郎が泣くのは「お腹がすいたから」だと思って
1、2時間おきにでも泣けばひたすら母乳+ミルクを飲ませていたこと。
もちろんお腹がすいていることもありますが、
赤ちゃんは「眠くて」泣くんです。
そういう時には、抱っこして安らかに眠らせてあげるか
ほっとくしかない(^^;)
↓
<自宅へ>
4月26日、産後21日(床上げといってママさんが
家事を始める目安の日らしいです)を過ぎたので
彼の待つつくばの自宅へ戻りました。
彼は平日も週末も休みなく働いているため車で迎えにこられず
(なのに労働基準法に反していないらしい)
私と母は、生後まもない太郎を連れて、電車をのりついで一路つくばへ。
電車の中で泣くかなあと心配でしたが、ずっといい子で寝てくれていました。
沐浴に関して、生後1ヶ月間、太郎はベビーバスを使っていました。
小さな湯船にお湯をためて、太郎の頭を支えながら身体を洗います。
助かったのは、太郎がお風呂中とてもいい子でいてくれること。
産む前には、じたばたして落としでもしたらどうしようと心配していたので。。。
太郎は、お風呂に入るまではびえ〜〜〜〜んと泣いていても
お風呂に入れると急に泣き止み目を閉じて気持ち良さそうにしています。
4月終わりに、彼から例の『赤ちゃんは「眠くて」泣く』アドバイスをもらい、
それからとたんに気持ちが楽になりました。
一定量を飲んだ後に泣いていても慌てなくなりました。
それまで母乳だけでは足りないかな、と足していたミルクもなくなり
完全に母乳だけで育てるようになりました。
この頃には夜泣きが一度になり、ずいぶんと夜もゆっくりできるようになったのを思い出します。
やっと4月が終わりました。
次回は5月分です☆
April 17, 2006
出産:我が子誕生
「分娩台の上にて」
2006年4月4日 午後1時29分、3526グラムの元気な男の子を出産しました!
お産後は母子共に健康です。
入院から出産までの経緯を書きます。
<4月3日:39週6日>
7:30 弱い下腹部の痛みで目が覚める。「もしかしてこれが陣痛!?」
8:40 痛みが15〜20分間隔に。
母に相談すると、病院に電話しろと言われたので産院に電話。
助産士さんに状況を報告すると、「病院で診察します、
念のため入院準備をしてきてください」とのこと。
9:00 まだまだ弱い痛み。でも一定の間隔をあけてやってくる痛み。
「今日産まれるのか!?」と半信半疑ながら、
荷物をまとめて最後のリラックスタイムにと、入浴。
11:00 母と産院に到着。
30分ほど待合室にて順番を待つ。その後、
妊娠6ヶ月の頃に一度診ていただいた女性の先生に内診していただく。
先生 「子宮口が3センチ開いてるわね。入院しましょう。」
私 (え、本当に入院!)
12:00 入院手続きを済ませて、陣痛室へ。まだ荷物を紐解く余裕もある。
後に知った事だが、子宮口が10センチ開いたら分娩室へ移るそうだ。
人生初の浣腸を体験。
13:00 彼に入院を知らせるメールを送る。電話が来て、
「(仕事を切り上げさせてもらって)これから向かう」とのこと。
15:30 彼が到着。陣痛の間隔は10分に。
朝より強くなってはいるが、
かろうじて、笑って冗談を言い合えるほどの痛みレベル。
18:00 夕食@病院食。
そろそろ陣痛が耐え難いレベルになり、食欲も減退。
おかあさん到着。励ましのお言葉をいただく。
20:00 日勤の看護士さん・助産士さんが帰り、夜勤の助産士さんとご挨拶。
ここから朝までは、7〜10分間隔の地獄の陣痛に苦しむ。
この頃の陣痛は長さが約40〜60秒。その間、決していきまずに
ひたすら息を「ふー!ふー!ふー!」と吐いて痛みを逃す。
助産士さんが2時間おきにやってきて子宮口の開き具合をみてくださるが
「6センチ開きましたよ!また来ますね」と笑顔で立ち去ってしまう。
(いつになったら10センチ開くのおおお〜〜〜!)
<4月4日:40週0日→つまり予定日>
朝まで交代で、彼と彼のおかあさん、そして母が
痛がる私の背中をさすったり、水分を補給してくれたり。
この頃になると、陣痛と陣痛の合間の数分間が、まるで天国のようでした。
7:00 私より後に入院された妊婦さんが分娩室へ。
(おいていかないで〜〜〜!)
8:00 日勤の看護士さん・助産士さんがやってくる。
陣痛は強くなり、間隔も5分に。しかしまだ子宮口開大は8センチ程度。
11:00 前日夜から、ほとんど何も食べず眠らず痛みに耐えてきて
目もうつろ、顔色も真っ白に。救いの女神助産士さんがやってきて診察。
「10センチ開きましたね、分娩室へ移りましょう」
(やった〜〜〜、この痛みとももう少しでサヨナラ、
そして我が子と対面できるわ!)
11:30 分娩台へあがる。彼も立ち会ってくれるとのこと、とても心強い。
それまで禁止されていた‘いきみ’解禁。思い切り力をこめていきむ。
その後は陣痛の最中に「息を吸う、いきむ」の繰り返し。
「スーーー!う〜〜〜ん、スーーー!う〜〜〜ん」と
最後の力を振り絞る感じである。
彼は、痛みと熱うなされるに私の額をおしぼりでぬぐってくれる。
「髪の毛が見えてますよ!」という助産士さんの言葉に激励されて
またいきむ。ちなみに、分娩台にあがってからは、陣痛中にいきむ
ことが許されたので、それまでに比べてあまり痛みを感じなかった。
あくまで当社比ですので痛いは痛いですが。
12:30 ドクターも現れ、いよいよもうすぐ、という段階へ。
「頭がでてきてるよ!目を閉じない!開いて!」
「はい、次の陣痛で最後にしようね!もうすぐよ!」
と、どんどんお産が進行していくのがわかる。
彼も「‘ハイリン’(確か“頭がつかえている状態”!?)してるよ」
などと専門用語を使って状態を教えてくれる。
13:29 誕生。
「おぎゃあ、おんぎゃあ!」と元気な産声が聞こえて一安心。
すぐさま我が子をお腹のうえにのせてもらえた。
小さな、真っ赤なからだ。でもちゃんとした一人の人間がここに。
私のこどもが産まれた!涙がどっとあふれてくる。
その後、胎盤が出てきたり、子宮内に余計なものが残されていないか
チェックしたり、赤ちゃんが出てきやすいように切った会陰部を
縫い合わせたりと、医師による母体の処理は続いた。
そして、分娩台のうえにて2時間の安静を命じられる。
母体の処理が終わってからは、ずっと赤ちゃんと一緒にいられた。
分娩台の上で初乳を飲ませる。誰が教えたわけでもないのに、「ちゅっ、ちゅっ」
と吸い付く。この栄養たっぷりな初乳を飲ませることは、もちろん赤ちゃんのためにもなるし、その後の母乳の出をよくする意味で母親にとっても意味のあることなのだそうだ。
2時間後、婦人科病棟の病室へ車椅子(これも人生初体験)で移動。
赤ちゃんを自分のベッド脇のベビーベットに寝かせ、彼とともにしばし休息。
夜には、両家の家族が面会に来てくれた。
こうして、ベビー誕生第1日目は終わった。
陣痛中に私を支えてくれたかたのおかげで、あきらめずに出産できたと思う。
本当にありがとう。そして、30時間あまりの陣痛(子宮収縮)に耐え抜いた我が子に一番の感謝を。よくがんばったね。
これから始まる君の人生は素晴らしいものになるよ。