ブログ管理人のKazuです。
私たちのMBAは2014年6月26日で終わりを迎えました。

それは同時に、2013年4月1日から日本人12人ではじめた
このブログも幕を下ろすことになります。

長い間、ご愛読を頂いた皆様、真に有り難うございました。

本来なら、6月28日のTaniで最終回にしようと思っておりましたが、
私をはじめ、数名のメンバーがあと1~2回書きたいというリクエストがあったため、
延長戦ということで、このブログは年内は、自由に書き込めるようにしました。
今までと異なり、不定期の更新となりますが、引き続きもう少しだけお楽しみ下さい。

さて私は今、3年間の留学生活を終え、
家族と共に、帰りの飛行機の中に居ます。

息子が寝ている隙を見計らって、
窓の外に映るどこまでも続く真っ青な空を眺めながら、
ゆっくりと文を綴ろうと思います。

こうして振り返ってみると、いっぱい書きたいことがあるのですが、
「私にとって、海外留学って何なのだろうか?」の一点に絞って、
心のままに書き連ねてみようと思います。

海外留学というのは、一人一人にとって異なる意味があると思います。
キャリアアップ、グローバルスキルセットの習得、海外ネットワーク…。
私にとっても、それらはすべて当てはまりますし、
ある程度、それらを身につけることが出来たと思います。

でも、それらは海外留学を志す、直接的な動機ではなかったと思います。

日本を出る時、私は自分の会社での役割にも仕事にも仲間にもすべて満足してました。
満ち足りていた環境下で、キャリアアップやスキルアップ云々は、
私にとって、十分な動機にはなり得なかったと思います。

私の心を動かしたものは、
「夢の続きが見たかったから。」
だと思います。

以前、ブログにも書いたように、私の場合、
見果てぬ新しい世界へのわくわく感だったと思います。

私は、大学1年生の時にユタ大学に、大学4年生の時にUCLAに、
1ヶ月半程、短期の語学留学をしました。

UCLAのキャンパスに着いたときに、「Wow!!」となりました。
一面グリーンが続いている広大なキャンパス。綺麗で大きい施設。
そこで勉強する現地の学生や院生がとてもかっこよく映りました。

私は所詮、語学留学でしたので、その地にうまく馴染めなかったですが、
強い憧れにも似た感覚が刻まれたのを覚えています。

いつかこんな場所で、世界の色んな国から来た人と切磋琢磨出来たら楽しいだろうな~。
その時に、漠然と夢の芽が蒔かれたんだと思います。

その後すぐに卒業し、夢の芽とは無縁の日々を送っていました。

激務の中でもがき、闘い、そしてそれを乗り越えた頃でした。
その芽には一切水をやらずに、ほっぽらかしにしていました。

たまたまYoutubeでスティーブ・ジョブズのスタンフォード大での
卒業スピーチを何気なく観ていた時でした。

あの時に刻まれた気持ちを思いだして、
沸々と心が熱くなってきました。

「もし、明日人生が終わったとしたら、
 一番、後悔することは何だろう?」

自分に聞いてみると、帰ってきた答えは、
「アメリカ留学」でした。

「行かねば、アメリカに!! 夢の続きを見に行こう!!」

衝動に駆られるままに、
とりあえず日本を出たという感じだったので、
完全に無計画でした。

31歳にもなって、
「とりあえず、アメリカに来ちゃいました」みたいな感じで、
まず何からやろうか...ということで語学学校からスタートしました。

一緒に来た妻からしたら、
「ちょっとちょっと、、、この人、大丈夫??」
みたいな気持ちだったと思います。

その語学学校は、こちらのブログに書いたように、
ティーネージャー達の楽園のような感じで、
ゆったりと時間が流れてました。

私はすぐに気付きました。
「あっ、一回キャリアのレールから外れたな(笑)」

「私たち、、、自分探しに来たんです…」的な若い雰囲気の中、
何にも所属しないことの不安感に、少し焦りを感じました。

緩い環境下で、プレッシャーを掛けてくれる存在が一切ないので、
自分自身で、プレッシャーを掛け続ける毎日でした。
視点を落とさないように。目標を見失わないように。

特に最初の半年間は、
出来るだけ、日本人の友人を作らない。
日本人とも英語で話すということを自分に課しました。

そうでないと、自分を見失いそうだったからです。

夢の続きを見に、アメリカに来たのはいいものの、
当たり前なのですが、とりあえず来てみただけの私には
何かが用意されていたわけではなく、すべてが白紙…

不安もありましたが、心はいつもわくわくしていました。
白紙の中で、きっと自分を試しかったんです。

「大変だ…」なんて言葉は、似つかわしくありません。
誰かにやらされているわけでなく、自分で選んだんですから。

「自分を信じて、やるしかない」

こちらのブログにも書きましたが、
そんなアメリカ生活である日、夢を見ました。
夢から覚めた朝に、MBAを志しました。

そして、先月末にMBAを卒業して、
本日、帰国の日を迎えました。

これが私のアメリカ留学ダイジェストです。

さて、果たして夢の続きはどうだったのか・・・。

その答えですが、
「最高でした!!」

ずっと夢を見ているかのような3年間でした。
新しい世界、経験、人たち…

すべてが人生を輝かせる財産となりました。

あらためて思うことは、
人生ってもっと自由だということ。

「○○をしなければ・・・」
日々の中では、どうしてもいっぱいの“Should”を掲げて生きているし、
それが生きていく上で必要なのですが、それを当たり前のことにしたらいけない。
いつのまにか、現状維持を選び続けてしまう。

だから、たまに自分の心に聞いてみないといけない。
「本当にやりたいことって何だっけ?」
「今、一番わくわくすることって何?」
「死ぬまでにしたいことは?」

“Want”を育まないといけない。
夢の芽を咲かせないと枯れてしまう。
主体者意識がなくなってしまう。

そんな風に思うんです。

必ず聞かれる質問・・・。

「MBAの価値って何ですか?」
「MBAって意味がありますか?」 
 
私はYESであり、NOであると思います。

アメリカに行ったら何かが用意されている…
MBAに行ったら何かが用意されている…
そんなはずはありません。

選択は須らく、あなた次第です。

そしてそれを自分で選択したのなら、
自分でそれを正解にすること。

「本当にアメリカ留学が、あなたが死ぬまでにしたいことですか?」
もしそうならば、自分の意志で覚悟でそれを形にすればいいと思います。


私が混迷の就職活動中に出会って、
私を前に進ませた一つの言葉。

それは、リクルートの黎明期を支え、
後に杉並区和田中にて、民間初の校長先生となった
藤原和博さんの言葉でした。

「人生に勝ち組とか負け組なんてない。
 本当にあるのは納得組と不満組だ。
 あなたは納得組と不満組、どちらで生きていきますか?」

テレビ画面の向こうで淡々とお話しされる藤原さんでしたが、
私の心の底にはしっかり届き、ぼ~っと燃え上がりました。

「とことん納得するようにやるぞ!!」

結局、自分の人生を決めるのは自分自身。
誰からやらされるでもなく、まして「大変…」なものでもない。
自分で決めて、走って、やり切る。

日本を発ったのが、2011年7月11日。
アメリカを出たのが、2014年7月10日。
ちょうど3年が経ち、31歳だった私は、34歳になりました。

いよいよ、社会人としての第二幕。
これからも、自分の信じるままに自分で決めて、
自分の責任で生きていこう。
どんどん次の芽を咲かせていこう。

そして、いつも傍で支えてくれた家族、
あらゆる形で応援してくれた会社の上司・同僚、
今後の結果でお返ししていきたいと思います。

人生は短い。

尊敬する坂本龍馬は、
多くの足跡を残して、
既に亡くなっている年齢…

もっともっと急がないと…
よっしゃ~、突っ走るぞ~。

Kazuでした。