2013年02月

2013年02月26日

見当識

冷蔵庫にヨーグルトを入れて外出しようとして
冷蔵庫に鍵を入れてヨーグルトを持って出ようとする。

ボケが進んだとぼやいたら
娘に「いま始まった事じゃないでしょ」と一笑に付された。

見当識を徐々に失うのが老化の過程だと言われるが
僕の場合は、本質的に見当識を失っているらしい。

忘れる・落とすというのは
失見当識の初歩だ。

新婚旅行の途中、実家に寄ったとき
預かってもらっていた大学の卒業証書を受け取り
神戸のホテルに忘れて帰った。
どういうわけか出てこなかった。

海外のホテルに荷物を忘れて来て空港であわてる。
ゴルフ場からゴルフバッグを持たずに帰る。
駐車場で荷物を積まずに発車して亡くしてしまう。

網棚に書類を置いたままで
その路線の終点まで取りに行った事など何度あったか。

落とし物で一番大きいのは
向島の料亭での20人ほどの集まりに
会計係で行ったのに
鞄の口が開いていて支払分を全部落としてしまったとき。

帽子、眼鏡、手袋、マフラー。
いくつ落としただろうか。

しかし一番大きい失見当識は
落としたとか忘れたとかの「見当」がないのに
どういう訳か、見つからないという事態である。

ないはずのない物がない。
「見当がつかない」のである。
いくら探し探しても
「見当違い」か「見当はずれ」らしいのである。

鍵なんかに多いのだが
このイライラは深刻だ。
言いしれぬ不条理を感じるのだ。
実際には、この世から消えたのでなく
この世のどこかにあるはずなのに
それが僕のワールドにないという不条理を。

ま、注意散漫、身辺不整
と言われるだけのことではあるが。
















rouhei777 at 21:22|この記事のURLComments(0)

2013年02月22日

盗られる

前項、僕が抜け目のない人間のように
とられては
周囲からの顰蹙を買うばかりである。

あれはあれなのであって
我ながら肝心の所は抜けているからである。

第一、あっけなく盗まれる。
目敏いのとは矛盾するのだが
どう考えても
目敏い僕を上回るプロの技としか思えない。

中欧に、銀婚旅行か何かのとき
プラハのホテルのロビーで
ツアコンから、部屋の鍵を受け取っていた。

足下に置いていた鞄から
数歩歩いて鍵とパスポートを受け取り
ほんの5秒ほどで戻って気がつくと
消えていた。

娘の新婚旅行のお土産だった鞄だが
不幸中の幸で、パスポートは入れてなかったが
旅行費用の半分は持って行かれた。

有楽町のレストランで
いまポーランドに行っているA君と会食していた。
僕は、壁を背にして室内に向き
椅子の背に上着を掛けていた。

帰ろうとして、これがないのに気がつく。
何の気配も感じなかった。
第一、向かいにいるA君が気がつかなかった。
全くの謎。

しばらくして、警察から、そのレストランのゴミ箱の上にある
僕のパスケースが見つかった、と通知があった。
受け取ると、中には、運転免許証だけが「親切にも」残っていた。
心憎いプロの手口だと、感心した。

新幹線の中でもやられた。
窓際にかけた上着から財布だけが消えた。
ちょっとウトウトした間のことだ。
普段、夜中には
ちょっとの気配でもパッと目覚める僕が
全く駅を出るまで気づかなかった。
えらいプロだと思う。

こんな調子だと
盗る気になったプロになら
気がつかないうちに
命も盗られるかも知れない。
ま、いまは狙われるほど値打ちのある命ではないが。

rouhei777 at 06:47|この記事のURLComments(0)

2013年02月20日

目敏い

僕は、人並み外れて目敏い。
目敏い、というのは
何かの動きや気配に対して敏感だということだ。

特に人の動き、気配には反応が鋭い。
たとえば、雑踏の中で誰かと待ち合わせしたとすると
まず、間違いなく
相手が僕を見つけるより
僕が相手を見つける方が早い。

町や乗り物の中で誰かと出くわしても
僕は素早く、相手を識別して
声をかけるか回避するか判断する。

外界を見るときに
僕はおそらく常人よりは
強い観察癖があって
人を塊として見ないで、
一人一人を「差別感」で見ているかな、
という自己分析がある。

知らない人でも
特徴のある
たとえば、きれいな白髪の優雅な老女など
次に会うと「あの人だ」とすぐ判る。

しかし、これは、先天的なものではなくて
多分に、若い頃の「訓練」のせいではないかと思う。

僕が、たとえば、20歳ころに
共産党幹部の講演会を聞きに行ったとしよう。
当時の共産党は、まだ、武力闘争の反省がなかった時代で
陰鬱に潜んでいた時代だった。

会場に近づくのにも緊張感があり、
会場に入っても、お互いを警察のスパイではないかと
怪しむ時代だった。

「尾けられる」恐怖が常にあった。
会場から帰るときもおどおどしていた。
何度も後ろを振り返って、尾行がないか確かめた。

その後、「素人」でなくなってからは
ちゃんと訓練を受けた。
尾けられているかと、後ろを何度も見るのは初心者。
曲がり角を曲がるときに
目だけを来た方向に走らせろ。

気になるときは
曲がってからちょっと戻ってチラと見る。
まだ、尾いて来るようなら
曲がってから、できるだけ素早く歩き
仮想した尾行者を引き離す。

こういう、曲がるときの習性は
今も時々出る。

あのころ、秘密の会議に出るときや
誰かに連絡するときの
案内状は、薄い紙でできていた。

捕まりそうになったら
すぐ飲み込めるように、だ。

周りの人への注意を怠るな。
誰もが警察のスパイだと思え。

こうした訓練は、僕の神経を研ぎ澄ました。
今の目敏さはそのせいだと思う。
まあ、不幸な時代の訓練だねえ。

ただし、今の若い女の子は
全く区別ができなくて、識別の対象にはならない。
こっちは、単なる歳のせいでしょうか?

rouhei777 at 21:50|この記事のURLComments(0)

2013年02月18日

ブレーキがきかない

僕は慎重とか、隠忍とか、堅実とか、からは
一番遠いところで若い頃を過ごした。

だから、失敗のほとんどは
向こう見ずに突っ走って
ブレーキがきかず
難儀なことになるというケースだった。

もちろん、突っ走ることで
余人にはとてもできない結果も出るから
懲りるということを知らない。

組織とのケンカも
骨折も
その他、ちょっと人に言えない失敗も
そんな「若気のいたり」だったかもしれない。

年を経て
今はどうか?
もう「若気の・・」という言い訳はきかない。

しかし、実は今もって
ブレーキがきかないところがある。

覆水盆に還らず
言い放って後悔すれども
もう遅い。
どちらかというと損ばかりしている。

他人様からは
「言いたいこといって
いいご身分だよ」みたいなことも言われる。

死ぬまで困らないような資産を持っているかのような
誤解もされるし
おかげで、見栄の無駄金も使ってしまう。

そんなポテンシャル・エネルギーはもうないのだから
ブレーキかけるような突進そのものが無理なので
歳を相応に考えて、いい加減にするようにと
一生懸命、自分に言い聞かせているところである。

といいながら
この数ヶ月は、予定済みのアクティブな日々が続く。
その軌道に乗ってしまうと
またまた、我を忘れる危険がある。
どこかのバスみたいに
もんどり打つ日があるのかも。





rouhei777 at 17:01|この記事のURLComments(0)

2013年02月11日

悔いなく死ぬ?

今日、78歳になった。
まわりからおめでとうと言われて
ありがとうとは言うが
気分は平常でしかない。

あえて、おめでたいとすれば
それは、こんな長い間、
よくこの世間を切り抜けて来たものよ、
という感慨であろうか。

もともと、7歳頃には
成人まで生きるかどうかといわれた
虚弱児だったし
肺結核にもなり、足の骨折を3度もしている。

交通事故で死んでもおかしくない場面も
2度3度ならずあった。
世を儚んで自死を考えたことも一度はあった。

ヨーロッパ放浪の20歳代には
本当の国際ルンペンに落ち込みかけ
彼の地に骨を埋めるのかという危機もあった。

バブルの後には
借金で首がまわらず
行方知らずになろうとしたこともあった。

酒の上での失敗は数知れず
せっかく苦労して得た公的資格を
むざむざ失おうかという危機も味わった。

組織からの追放も2度経験したし
刑事犯になってもしかたがない失敗もあった。

すべては、単なる幸運によって
助かってきたと、心底から思っている。

そんなだから
悔いなく生きてきたなど
到底思えない。

ましてや
悔いなく死ねるなど
針の先ほども想像できない。

息子が、
「人生卒業のために書き残すファイナルノート」
なるものをプレゼントしてくれた。

認知症などで意志を示せなくなったときの備えだとか
死んだら誰に知らせて欲しいかだとか
預金口座や有価証券番号だとか
書いておけという訳だ。

ま、それはいい
葬式代の足しにもならない
雀の涙ほどの預金でも
あり場所を書いて置くとして

どんな死に方をしたいか
なんて選ぶことになっているが
その選択肢があまりにもステロタイプで
発想の貧困がばかばかしい。

だいたい、死に方なんて選べる時代かね?
いつ放射能や農薬で公然と「毒殺」されるかもしれないし
災害死も他人事ではない。

日頃、人間の尊厳などと偉そうなことをいっているが
尊厳を守って死ぬか
尊厳を捨てても生きるか選べと言われたら
僕には、そんなの判らない。

それと同じで
延命措置を望むかと聞かれたら
僕は望まない方に丸をつけるけど
実際その場面になったら
もう口はきけないのに
腹の中で「もっと生かせろ」と怒鳴っているかもしれないのだ。

余人は問わず
悟りなんてものから一番遠くにいる僕だけは
悔いだらけで死んでいくと
思っていて欲しいものだ。







rouhei777 at 16:50|この記事のURLComments(1)

2013年02月05日

きさらぎ


2月は如月
春の気配はあるが
うすら寒い日もあるという「衣更着」だというが
これは旧暦だから、
今なら3〜4月の気配を指す。

西行が「花の下にて春死なむ」とした
「如月のころ」は、明らかに4月だ。

しかし、僕にとっての如月は、
寒さ厳しくも、光の春が感じられる
今の2月が好ましい。

まず、僕の産まれ月だ。
昔の紀元節がその日で
学校では式があって
紅白饅頭をもらって帰った。

この月だけ28日しかない。
閏年は29日まであって4年に1回だが
その年は、歴代オリンピックの開催年だ。

ニッパチと呼ばれて
2月と8月は
商売閑散の月といわれ
商売人には評判が悪い。

労働組合で働いていたころは
毎年の春闘が火蓋を切る月だった。
不動産鑑定士になってからは
年末から1月にかけて
夜に日をつぐ最多忙期だったのが
2月の真ん中ぐらいに最後の納品を済ませて
ホッとする月であった。

ただ、僕にとっての如月は
総じて別れの月である。

今のはどうか知らないが
僕らの卒業式は2月末で
友人や可愛い子との
切ない別れの風景があった。

それ以上に
親友や大事な人が多く逝った月としての
感慨がある。
酷寒の中での通夜をすごしたのが嘘のように
葬儀の日の打って変わって穏やかな日差しが
記憶の中にいくつも刻まれている。

団十郎の死が
そんな如月の別れを思い出させる。

如月や 煙目に沁む 野辺送り
詩痴郎




rouhei777 at 13:33|この記事のURLComments(0)