2014年11月

2014年11月28日

亡き友

近くにいたと思っていた人が次々に消え、今は数えるほどしか残っていない。
高野秀夫、村国豊については、このブログの追想稿にいまでもアクセスする方が多い。
前に「若き友の死」という稿で触れた人もいる。

その他にも、指の数が足りないくらいに、今は亡き親しかった友が思い浮かぶ。
その中で、3人、特に身近にいた友。

その早逝が悔しかったのは成瀬良美、20代後半からほぼ20年、
なるちゃん、大ちゃんと呼び合って、家族ぐるみのつきあいだったが、ある日、起きて来なかった。
僕が労働組合の仕事に入る健康診断で肺の異常が見付かって就職が危うくなった時、その職場にすでにいた彼が
自分の肺写真を撮って来てくれてそれを提出して事なきを得た思い出。
同僚のYさんの家の修繕ローンを一晩で飲んでしまった思い出。
広島の原水爆禁止世界大会に派遣された時、分裂騒ぎで待機中に精力を持て余して岡場所に繰り出したはいいが、炎天下、3軒もハシゴした豪傑、しかもツケを会計長に回したから凄い。
阿部内閣の某大臣のように公費で払ってやるほど甘くないから、その月の給料からしっかり天引きされた。その給与明細には「広島◯◯代 ◯◯円×3」と内訳が記されてあった、そういう時代。
アフターファイブのほとんどを共に過ごした。
甲子園を目指した高校球児、早稲田の建設者同盟出身の好漢、二人で北海道旅行した思い出が一番深い。
生きていたら、民主党の重鎮になっていて、この党の運命を変えていたと思える人物だった。
あれから30年余り、お嬢さん、うちの長男と同い年だった桜子ちゃんはどうしているのだろう?

広沢英男、べっちゃんと呼んでいた。
中学3年、転校した僕に最初に声をかけてくれた。
それから、高校に一緒に進み、大学にも一緒に入った。
中学時代は、一緒にクラシックに凝りコンサートに通った。
早くに父親を亡くし、優しく美しいお母さんに育てられていて、純真無垢な人だった。
大学では、一緒にグライダーをやり、一緒に大学新聞をやった。
卒業後は、堅実な性格そのままに、銀行に入り、集金のコインの重さを嘆いたりしていた。
その後、縁が遠ざかっていたが、一昨年、逝ってしまった。
彼が「悠久会」と名付けた夕陽ヶ丘中学3年2組のクラス会は、60年以上連綿と続き、
今年も恩師を交え、べっちゃん達を偲んだ。来年は皆80歳だから盛大に集まろうと言っている。

小林達夫、タッツアンである。
大学に入って、最初にできた友人である。
そのころにも珍しかったリーゼントに髪を固め、その上に角帽を冠った格好が抜群だった。
エート、コー、アノー、と、しゃべるのはまどろこしいが、理路は整然としている。
一緒に新聞会に入って、一緒にいる時間が一番長かった友である。
バイクに浸り、三宮でヤクザと殴り合い、留置場にも幾度か。
すれ違う街往く女性には、片っ端から、お茶を誘い、「数打ちゃ当たる、あかんでもともとやん」と嘯く。
新聞会の取材と称して、神戸女学院や松蔭に出掛け、ナンパ目的でスケートに通いつめ、首尾よく彼女を得たり振られたりを楽しんでいた。
法学部を出た後、工学部に入り直して、親父のゴム工場を継いだ。
今年8月、死んだ。
奥さんと息子さんに学生時代の写真を見せたら、別人だと驚かれた。

死者は老いず、いま、同じく死者となった姉への鎮魂を籠めて賀状を控える文を作っていて、
生と死の狭間の意味を考えてばかりいる。











rouhei777 at 22:21|この記事のURLComments(0)

2014年11月21日

国は潰れてもいいが

人と国との関係からいえば、人を犠牲にして国が保たれる必要はないというのが、僕の基本スタンスだが、そんな国賊的思想に一番激しく怒る国の経営者が、今は国を滅ぼすようなことを平気でやっている。
というのが、どんなに現実離れしたストーリーのドラマより荒唐無稽な、今回の解散劇だというのが、僕の印象である。

未来を見据えて、成り行きに憤慨してきた今までと、今回は違う。
民主党政権の成立に、夜明けを見た気持ちになり、やがて、それが幻想であったことを知り、しかし、その民主党を叩けば正義であるかのようなマスコミの世論誘導に憤慨し、多党乱立は意識の多様性の反映だというような識者ぶりに、「されど民主党」だと警鐘を鳴らしたこの数年が夢みたいだ。

誰も反対していない税率引き上げ延期を理由にした解散というのは、解散を引き延ばして命を絶った民主党政権の経験から学んだものらしいが、必要なのに解散しないのと、必要もないのに解散するのとは、同じようなものだ。

黒田日銀が、アベノミクス底割れの危機感から、内部割れしながらもマネーサプライをさらに増やす異例の決定をした直後だから、この政権トップの頭の中はどうなっているのかと思う。
思ったよりも空っぽなのではないか。

そして解散前最後の地方創生法の採択、内容は、金融カンフルと似て、投薬、輸血といった対症療法が中心である。
そして、税率引き上げを見送るような経済不振には、またしても財政出動という、カンフル。

カンフルが効かなくなった体力に陥った時の日本経済は、おそらくギリシャの比ではない重篤な病の床に就くだろう。
武力依存システムに舵をきったこの国は、武力では守り得ない国の存亡が問われる事態に直面するだろう。国は潰れてもいい、と思って来たが、その姿を想像すると、そこに住む子や孫たちが可哀想でしかたがない。

ただ、人々には、滅亡の匂いに対する本能のようなものがあると信じたい。
今度の解散劇で、アベノミクスの胡散臭さには、かなりの人が気がついたような空気を感じる。
山は動かないが風は変わる。少しは変わるだろう。







rouhei777 at 23:32|この記事のURLComments(0)

2014年11月16日

英語教育

小さい時から英語力を、と、小学校の教科への英語科目の定着が図られそうだ。
英語力をつけるのに異議がある訳ではないが、僕は、その前に日本語の力をつけるのが先決だと思うから小学校で英語というのは賛成ではない。

国語力が薄弱で、外国語を理解できる訳がない。
言葉というのは文化だから、自国を知らずに他国は理解できないのと同じだと思う。

それに言語力というのは、教わるというより覚えるものであって、学校で教えたからといって
身に付くものではない。
むしろ、今の教育実態からすれば、英語を教わる事によって英語が嫌いになるという皮肉な結果を招く事になるかもしれない。

もちろん、読み書きそろばんは、教わることから始まるが、それは、文字や計算を教わるというよりは、考えたり、覚えたりする習慣を教わった、というのが、僕の少年期の記憶である。
読み書き計算は人並み優れていると自負しているが、例えば僕の国語力の基礎の80%は、5歳から9歳頃まで熱中した「講談本」のルビ付き漢字に親しんだことにある。
後藤又兵衛や岩見重太郎、雷電為右衛門といった英雄たちの活躍を、カタカナ付きの漢字混じり本で乱読した。これは覚える。

学校の授業は、自分が知っている文字や構成を、確認する場にすぎなかった。
さらに文章のリズムやレトリック、表現や情感を知る力も、学校教育ではなく、独力の読書によって得られる。文法教育は、脳内に雑然と詰め込まれた言葉や語尾変化をある法則に従った引き出しに入れるだけのものだから、スポンジで水を吸い込むように理解できた。

一つ一つの文字が文章の中でどんな地位を占めているのか、多くの文章に接して、頭に入っていないのに、文法で、文章の約束事を教わっても、身に付くはずはない。

同じように、国語力がないままに英語を詰め込んでも、生活に英語の必要がない環境では、子供にとって、英語そのものが「嫌な存在」になるだけだろう。

どうしても、子供の時から英語を、というなら、ABCDより前に英会話であるべきだ。音は別物だ。音楽と同じだから、歌う事から始めるべきだ。楽譜から始めたら失敗するだろう。








rouhei777 at 15:45|この記事のURLComments(0)

2014年11月10日

奢り高い

誇り高い、というのは人間の在り方について、最高の評価だと思う。
これに対し、奢り高いという日本語は、ないかもしれない。
しかし、今日の日中首脳会談とやらをみていて、こんなフレーズが浮かんだ。

大体、権力者は奢っているのが自然だが、だからと言って、奢りが表面にある人とそれを上手く隠している人がいる。
僕の印象では、今日の会談をした二人、習近平と安倍晋三は、最も奢り高き人だ。

田中角栄や池田勇人の時代への奢りは明らかだが、決して奢りは感じられなかった。
奢りと一番無縁だった権力者は、僕の知るところ、石橋湛山と三木武夫、
奢るほどの権力もなかったのに奢り高かったのは菅直人。

習近平も安倍晋三も政治家二世だが、そこにも奢り高い共通項があるかもしれない。
親の金力や権威、看板で権力に登りつめるという構図は、政治の貧困を示すバロメーターのようなもので、そうやって、どんどん、政治の活力が疲弊して行く。

奢り高い人の思考は、基本的に自分の立場が正義の規範であり、他人の思考は、自分の思考を100点として減点いくつでしか評価できない。
哀れな思考だが、当然、やがてその力を失う時が来る。

そして、そんな奢り高い権力者ほど、それを失うことへの恐怖が強く、更に、その末期で足掻くことになる。それが権力者の不幸にとどまらないのが困る。
彼の支配していた社会、組織が、そうした権力者の迷妄の後遺症に苦しむことになるのである。

一番必要なのは権力から遠い処にいる知恵者、自らを恃む訳ではないが、今、歳をとってしまったのが悔しい。




rouhei777 at 21:48|この記事のURLComments(1)

2014年11月03日

11月3日

三連休の最終日だが、今日はゴミ出しの日だとかで、7:45に、Iさんの車、迎えに来る。I事務所は、けじめがなくて、土日祝日も出勤日、しかし、Iさんは、土日の電話には出ないというから辻褄は合わない。

ご本人は、大洲市のお祭りに、ロータリークラブのボランティアだとかでお出掛け、彼女のミッションで鑑定書作りに取り組む。

昨日、現場を踏んで来たから、叙述に躊躇いはない。しかし、価格比較に臨んで、資料の所在が分からず、一頓挫。

資料というのは、役所が決めた比準表というやつで、こう違うとこれだけの値段の違いを付けろという。余計なお世話で、道幅が何メートル違ったら何%というが、そんなもの場所によって違う。
今日探したのは、「都心への距離」というのだが、こんなの都心まで20分超えたら何%なんて、完全に東京都心への通勤電車の時間感覚だ。
こんな田舎で、20分で何処へ行けるというのか?しかし、何か書かねばならぬおかしさ。

そうはいってもどんな基準があるのか知らずには仕事が進まない。
よし、ジムに行こう。思い立って一時間程汗を流した。隣の温泉にゆっくり浸かって事務所に帰る。

昨夜はよく眠れたが、明け方、鬼ごっこのような無邪気な夢を見て、追いかけて来る鬼が、今は幽冥の彼方にいる男だったりして、これはこれで恐い。

11月3日といえば、昔は明治節だった。
「アジアの東 日出ずる処 聖の君の現れまして」と歌わされた。ちなみに僕の誕生日、2月11日の紀元節は「雲にそびゆる高千穂の・・・大御代を仰ぐ今日こそ楽しけれ」だし、昭和天皇の誕生日、4月29日の天長節は、「今日の佳き日は大君の生まれ給いし佳き日なり」だった。
日本語的には、ダブっている「佳き日」はどちらか要らないと思うが、天皇がらみならなんでもありだった。

さて、今日は帰って、焼きそばでも作って食うかという気分である。

と、日記風に書いて見て思うのだが、なんと僕の一日は散文的で意識も散漫であるか、である。



rouhei777 at 22:07|この記事のURLComments(0)