2005年08月01日

Call me YOSHIKA  そして、モーニング娘。のこと

Call me基本的にモーニング娘。さんとその周辺を取り上げているこのBlogですが、時に他の方の楽曲も取り上げます。勿論、個人的に気に入った曲を取り上げるという事は前提ですし、私自身当然、モーニング娘。の楽曲のみを聴いている分けではなく、他のアーティストとの相対の中で彼女達を受け止めている訳で、その当たりのスタンスを忘れない様にという自身への戒めであったりもします。そうでないと、歌手としての「モーニング娘。」に対して、なにより失礼ですし。加えて、取り上げることよって彼女達が奏でる音楽が相対的に浮かび上がってくるのではないかという事もひそかに期待していたりします。


前置きが長くなりましたが、既に発売されて数ヶ月が経つYOSHIKA氏のメジャーデビュー曲である「Call me」です。この曲がマーケットでどのような評価を得ているのか知りません。しかし私の生活には必要な曲です。この曲を表現するに一番相応しい形容詞は「必要な曲」なのです。

全編に渡って都会的であり、お洒落、そして且つポップです。ある意味、この曲を説明する言葉はそれだけかもしれません。彼女自身のヴォーカルは隅々まで神経が往き渡っていて、手を抜く所が無いのにも係わらす、自由です。何より力が入っているとか歌に歌意外の意識を忍ばせているとは一切感じさせない迫らないクールさが特徴です。ポップミュージックというジャンルに技術や基礎は必ずしも必要ないと考えている私ですが、この様な表現出来るのは音楽を楽しむという姿勢に加えて、絶対的な技術を備えていることが前提となる事は認めざるを得ません。

歌詞は、声を発する切っ掛けに過ぎないし、(つまり、聴き手が意識してアプローチしない限り、言葉の意味を意味として伝えることは無いということです。)アレンジも極めて繊細で有りながら、音は届くのではなく、そこで鳴っているという感じを保持します。

つまり楽曲を構成する全てが上質、丁寧であるにも係わらず、聴くものにそれ以上のものを感じさせない、迫ってこないのです。その意味で都会的で都会的です。加えてこの楽曲に特徴的なのは、プライベートで展開されるミュージシャンのセッションをその音が洩れて来る隣室で聞いている様な心地よいライブ感をも兼ね備えているということで、その意味でお洒落なのです。

コラボレイトとはいえヒットを飛ばし(この楽曲も嫌いでは在りませんでしたが、プロデュース先行で企画戦略が垣間見えるが故に、曲のジャンルにも掛からず思いの他音以外のファクターが力強く迫ってくる楽曲でした)商業的にも期待をされてのデビューだと思います。当然力は入って然るべきです。にも係わらず、このリラックスした雰囲気はどうしてなのでしょう?偶然なのか、それとも此れしか表現手段を持ちえていないのか(これはそうではないことを先行したコラボレイトで証明済みですが)或いは、ここまで多様性をもちえるほどにマーケットが成熟してきたのでしょうか。何れでもないと思います。市場全体が(永遠に続くかもしれない)過渡期にある今、試行錯誤を続ける作り手の混乱の中で放たれたささやかな「チャレンジ」なのでしょう。

少なくとも私は受け止めました。様々なファクターに追い捲られて自由を失いながらクールさを保ち生きている都市生活者としての私を救ってくれています。そしてそれは私に「必要な音楽」です。この曲が存在するということ、それがリリースされる環境が此処に今あるということに、そしてなにより、私がこの楽曲に出会えたということに、感謝しています。


此処からは、モーニング娘。の音楽についてもう少し。彼女達の音楽は、此処で取り上げた「必要な音楽」とは対極にあるものです。強いて申し上げれば「求める音楽」という事になるでしょうか。決して、稚拙であるとか、黎明であるとか、未熟であるという意味ではなく語義通りに「歌手でありたい歌手」が放つ存在証明としての音が、「音楽」として受け手に伝わるときの揺さ振られる様な躍動と相互作用は決して「救い」ではなく、また生活の一部や連動でもなく、非日常的な体感であり、それは私にとっては求める対象です。

如何に楽曲に救われようと、私がYOSHIKA氏のファンであり得ない事、そして私が如何に時に楽曲に不満を抱こうが、モーニング娘。が放つ楽曲ファンであると認識している事の差は此処にあります。


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