初回生産限定版(特にシングルにおいて)というシステムを決して否定する訳ではないですが、現在のCD売上げが少なくともランキングという指標を気にする場合販売日からの数日間の売上げが全てあるという現状を考えれば仕方ないのかも知れません。しかしそれは、楽曲の良さ(相対的傍観者への親和性)が浸透することを期待するのではなく、これまでに獲得した熱心な支援者(それは楽曲そのものではなく多分に彼女達のパーソナリティに対する支援者が中心でしょう)を確実に囲い込むことを期待しているという極めて現実的な戦略であることを考えると、モーニング娘。という「歌手」が置かれた現状、つまり認知度は高いが既に過去のもの、或いは歌手で無い何か、として認知されてしまっているという現状に対しての敗北的な追認でしかないという事は認めなければならないでしょう。特に、今回もそうですが、モーニング娘。のシングルにおける限定のあり方はその価格差と特典のマニアックさ(ファンクラブ特典的と言い換えても良いですが)という意味で、買い得感を訴えセールスの幅を広げるという前向きさとは間逆に、残留しているファンを更に選別することにしかなっていない、少なくとも対外的にはその様にしか見えないという意味で今更ながら先の見えない彼女達の現実を痛切に見せ付けられる気がします。
ではなぜ、それでもその初回限定版に言及するのかと言えば、それは上記した現実とは正反対に実際にはこの限定となる映像こそが、実際には極めて「開かれて」いるという矛盾した実体について触れたいからなのです。
繰り返しますが、今実際にモーニング娘。のシングルを購入する、しかも値段の高く、とりあえず発売日にあわせて購入することが求められることが建前の初回生産限定版を購入し、特典である映像を目にするのは所謂コアなファン、言い換えれば何を発売しても取り合えず購入する熱心な支援者が殆どでしょう。それ自体は否定されるべきものではありません、寧ろそんな支援者に彼女達は支えられているのです。
残念なのは、彼等は(いや私を含めて)その映像を目にしても、今までそれぞれが経験し、そして固着してきたそれぞれの彼女達の魅力を確認するだけでしかないということです。それは何の広がりも期待できない、いや、ファンとしての支援を継続させる動機付け位にしか期待できないということです。
いや、そうであったとしても、それがファンアイテムとしてのものでしかないのであればそれでも良いのです、でも、この特典は違います。それは歌手としてのモーニング娘。を素直に、自然に表現している数少ない媒体であり、この映像に簡単に触れる機会が出来れば、全員とは言いませんが、定着したモーニング娘。という評価によって遮られてきた潜在的なファンを獲得することが出来る期待が出来る、その位の魅力ある媒体なのです。
その映像とは、春のコンサートツアー、さいたまスーパーアリーナにおける2曲のライブ映像に過ぎません。一曲は前回のシングル「SEXY BOY 〜そよ風に寄り添って〜」、もう一曲は直近のアルバムからの楽曲「青空がいつまでも続くような未来であれ!」です。特典といいながら、その目的は直ぐに発売されるライブDVDの宣伝に過ぎないのかも知れません。また、商品となるライブDVDがどの様に編集されるのか今は分かりませんが、この映像はそれほど精密に編集されておらず、素材を簡単に繋ぎ合わせているという状態です。音声についても同様で、マイクで拾った音がそのまま流されているという印象を受けます(勿論編集しているとは思いますが)つまり商品としては未完成といっても良い位です。ですが、結果的にそうであるが故に、今の10人というモーニング娘。の歌手としての魅力、モーニング娘。というスキームの持つ可能性と希少性を極めて効果的に切り取った媒体として成立しています。
この特典映像から伝わるモーニング娘。の魅力とは、やはり10人の自立した歌手によって初めて創られる「チーム」の魅力です。自立とは歌手として卓越した実力を持っているという意味でも、1人でも存在感を放っているという意味ではありません。自分の力をわきまえ、何より集団の他者との関係性を常に意識しながら自由に振舞えるという、責任と義務を伴った主体性という意味での自立です。
その結果、1人でも2人でもバンドでもコーラスでも得られない独自な魅力を生み出します。
実はモーニング娘。はこれまではそんな「チームとしての歌手」という魅力を目指していたのではなかったと思っています。初期においては歌手になりたいが歌手未満であり、しかし歌手未満であるがゆえに誰よりも歌手らしかった彼女達から放たれる結果としての音楽とそれにまつわる物語り、中期においては、結果的に膨張した多種多様なファンに応える多種多様な情報とイベントを提供できる個性という人間に依存する魅力と芸能というシステムとの融合、その様な流れを経て初めて辿り着いたのが「チームとしての歌手」という魅力なのではないか。歌手としての自立にこだわってデビューした彼女達が長い過程を経て漸く辿り着いた歌手としての自立。しかし、それが実現したとき彼女達の姿は外に届かなくなっていたという皮肉。
構図としては音楽があり、そしてそれを歌う歌手であるモーニング娘。が居て、そしてそれを聴く聴衆がいるという形、それはポップミュージックのコンサートに他ならないのですが、モーニング娘。自体がモーニング娘。という他のスキームとは代えがたい形態を提示しているが故に、実際には特別なものであり「モーニング娘。のコンサート」としか言えません。この特殊性と特殊な魅力は文字で表現することは難しいし、当然CDの音源でもTVの歌番組でも伝わりません。実際にその空間に居合わせる以外には伝えにくいのです。しかも、CDの音源(つまり楽曲ですが)も彼女達の構成や彼女達自身のモチベーション、プレゼンテーションは全てこのコンサートという空間に向けてのものである現実に対し、彼女達と(ファンを含めた)他者とを媒介するのはCDの音源であったり、歌番組やバラエティのTVであったり、写真集などのメディアしかないという矛盾。この解決困難な矛盾を取り払う可能性をこの特典映像は提案しています。
この映像は、製作者には怒られるかも知れませんが、飽くまでも結果的に、計算外に、奇跡的な成功をもたらしている様に思います。他の媒体、既存の媒体では表現できないモーニング娘。というスキームの魅力を選曲された2曲によって、極めて効果的に、簡潔に、表現しています。
第一曲において観客と融合した「乗り」、ソロパートの意味(10人それぞれが主役になりうるという自立性)迫力を。第二曲において前提は過程抜きに体感し得る「幸福な空間」、個人の自由さとテクニカルなフォーメーションの高次での融合を。
しかも、この映像は、有り勝ちなマニアの中のみで完結する裏媒体などではなく、CDを買えば付いてくる本来であれば(ファンでない人でも)簡単に手に入る特典として成立しているのです。余りにも勿体無い、もう少しで壁は取り払われそうななのにそこに越えられない壁がいまだ成立しているのが残念です。
このHP、この文章をお読み頂いている方々の中でまだ映像をご覧になっていない方。また、(殆どいらっしゃらないとは思いますが、)モーニング娘。について興味をお持ちでないポップミュージックファンの方。騙されたと思って一度ご覧になってください。なかなか視野に入らないものですが、実は、CDショップに行けば1680円で簡単に入手出来るものなのですから。