
秋ツアーの初日、初回に参加することが出来ました。
決して最初であるとか、最後であるとかに拘っている訳ではないのですが、(2000年以降全てのツアーに参加してきた私の個人的な規準でしかない事は前提ですが、最もモーニング娘。らしく、そして最もモーニング娘。の音楽を提示することが出来たと確信している)今年の春ツアーも初回とラストに立ち会うことが出来、それからの比較において、少なからず変化したモーニング娘。の現在とこれからを確認するにはとても良い機会となりました。
ファンが仲間内で単に意見交換を交わすのであればともかく、或いは、ファンがその対象を個人の趣味志向として楽しんでいるだけであるのならとくかく、ファンである個人(この場合私自身ですが)が、第三者に向けて(或いは目の触れる可能性のある場所に)文章を書くのであれば、マイナスの評価行うという事は、それが例え本心であったとしても、あまり意味が無いことであると思っています。何故なら、可能性は極めて薄いとは思いますし、自分にその力は備わっていないとも思いますが、目的は、未だモーニング娘。という歌手の歌手としての存在を知らない、未来のファンに向かって、ファンであるが故の特権として受け取ることの出来る彼女達の力を伝えることのみがその目的であると思っているからです。
では、2007年9月20日の大宮での彼女達モーニング娘。はそんな未来のファンに伝えたい何かを届けてくれたのでしょうか。残念ながら、そうとは言えませんでした。手探り状態である彼女達が、手探り状態であることをそのままステージ上で表現してしまった、いや、隠すことが出来なかったという状態でした。
誤解して欲しくないのですが、プロの歌手としてのスキルに掛けているとか、彼女達のメンタリティがそこに詰め掛けた聴衆の期待に応えていないということではないのです、増して、ツアー初日の初回であるが故の物理的な手探り状態とも異なります。それは、2005年の夏秋ツアーから今年の春ツアー最終日まで一貫して追及してきた、モーニング娘。がモーニング娘。を探り、そして探り当てるという過程が、確実に、そして二年ぶりに止まったという事が露呈したということです。
すこし回り道になりますが、分かり難いと思いますので、この過程についてもう少し詳しく言及します。モーニング娘。がモーニング娘。を探る過程とは、歌手としてのモーニング娘。への挑戦ということです。それは、歌という音楽をステージングという総合された空間で、ファンと「STAR」との関係ありがちな共有された記憶という前提や助けなしにその瞬間のみに勝負するという姿勢であり、世間一般で認識され、またビジネスとしてもそれを基盤として活動しているといってよい、アイドルとしてのモーニング娘。というスキームを少なくともその主戦場であるコンサートの現場では捨て去るという実験的な試みです。
ここ2年間のモーニング娘。は、実質的にファン層の拡大が出来ず、固定化した(しかし決して少人数ではない、そして熱心な)ファンを市場としながらビジネスとしては縮小均衡での展開をしているにも拘らず、その音楽活動における実体は過去に無い程に、まだ見ぬ未来のファンに向かって開いていった、という矛盾した状況にありました。一部のファンにとってはそれは戸惑いを与えることになりましたが、それは、決して作り手側が(世間一般でそう思われている通りに)惰性で続けているのではない事の証であると同時に、今もまだ、未来に向けて挑戦と実験を続けていることの証でもあります。
この取り組みは、モーニング娘。という状況を考えれば分かりにくく届きにくく、即効性のないものでですが、決して間違っていないと思いますし、これからもモーニング娘。が歌手として活動を続けていくのであれば必要不可欠な価値観であり続けると思います。
しかしこの大切な取り組み、今回のコンサートで一旦止まってしまったという事なのです。そして止まってしまったことで、今現在のモーニング娘。は決して外側に開いていない、いや開くだけの力に欠けていると云わざるを得ないのです。
それはどうしてなのでしょうか。簡単な結論と思われる様で困るのですが、やはり、吉澤さんという歌手を失っただけでなく、予想外の展開の中で藤本さんという歌手を同時に失った中、言語は文化を含めてこれから共有化を図らなければならない「新人」2人が加わったという事実が、直接の原因であると思います。
しかし、それは単に、実力者の脱退と未経験者の加入による、チーム全体のスキル低下という単純な事態、或いは、知名度の低下が引き起こすモーニング娘。それ自体の魅力低下という事を意味しているのではありません。そうではなくて、このような事態の中で、メンバーそれ自身以外の作り手側がコンサートツアーをというビッグビジネスを展開するに際して、必要以上に「守り」に入ったということが原因の第一、そして、その「守り」に入った構成を受け最終的に表現するメンバーが(少なくとも22日の昼の部においては)先ずは無難にこなすことを優先したことが第二の原因であると思います。
「守り」とは、ステージ上でのその場での表現以前に、これまでファンと築き上げてきた記憶を喚起したり、サウンドとリズムで物理的な躍動を喚起する楽曲を並べたこと、9人で構成されるチームである筈のモーニング娘。のなかで安定感のあるメンバーにヴォーカルの比重を極端に高めている事、そして、自身の確固たる世界観を既に構築している安定感のあるユニット美勇伝をゲストに迎えることで、コンサートとしての安心感を高めようとしたことです。
結果として、セットリストは楽しく、また疾走感に溢れているのですが、バラエティ感やメリハリという点で不満が残り、ヴォーカルについても、モーニング娘。が備えている様々な魅力の一部しか表現されていない、また、美勇伝の安定感が、モーニング娘。の現在抱えている一瞬の過渡期的状況を不安定さとして固着させてしまうという残念な結果になっています。
繰り返しますが、だからといって、このコンサートがつまらないという事ではありません。少なくともこれまで応援してきた、そしてこれからも応援して欲しい、何よりも大切なファンに対しては、充実した時間を提供するという意味でも、また、そこに足を運んだ事への感謝の気持ちという意味でも、十分に応えています。それ以上に、コンサートで自分達の歌を歌い、その事で会場全体の幸せな場を創ることの出来る事への喜びに満ち溢れたメンバーの姿に接すれば、ファンとしては十分満足なのです。
今の彼女達に(いまこの瞬間に)足りないのは9人というチームを前提とし、それを活かしきった上での自由さの獲得、そして、それによって実現できるモーニング娘。という他に真似することの出来ない音楽の創造です。
そして、それは決して遠くない将来、これまでとは違った形で獲得してくれること期待する事が出来ました。そして、決して遠くない将来、「モーニング娘。を知らない事って損してるって事だ」と再び言えることを期待しています。
期待が期待のままに終わらないために、最後に、私がこのコンサートで彼女達から受け取った「期待」の芽を記しておきます。
意識するのではなく、意識が追いつかない視線すら定まってない状況下で、ただ体だけは動いている(それはある意味凄いのですが)、本当の意味で、そして中々居そうで実は居ない、新人らしい新人であるジュンジュンさん。極めて日本的な価値観であるアイドルというスキルでは表現できない可能性をスキルを伴いながら両立させる可能性に期待しています。
歌うこと、踊ることを技術として捉え、人前で演じることは才能という前提が必要であると意識しながら、それに足るべる自分自身を鍛錬する姿勢を打ち出すリンリンさん。それを乗り越える自由を獲得したとき、果たしてどこに進むのか、それを決めなければならないとき他のメンバー8人は彼女にとって貴重な存在となる筈です。
メンバーの中の確固たる1人として、その立ち位置を獲得したかに見えた光井さんは、無難さを追及した今回のセットリストにおいて、寧ろ後退した印象を抱かせます。しかしそれは順調すぎた歌手としてのキャリアにとっては自分を見つめなおす良い機会となるでしょう。与えられたソロをツアーを通して歌手としての自分を獲得する場で考えて欲しいと思います。
ソロとしての実績を着実に重ねつつある久住さん。これまでは、お気楽な後輩として受身な姿勢でも十分にその存在感を示して来ましたが、実は今のモーニング娘。にとってその個性的な歌唱が求められていることに気付くべきです。9人の内の1人として、何が出来、何が貢献できるのかを考え、求めても得ることの出来ない、恵まれた個性をスキルとして伸ばしてください。
着実に成長を続けると共に、ステージの上で歌うことの自分にとっての意味を確りと意識しているプロらしい歌手の田中さん。彼女は成長してモーニング娘。と一体化するのではなく、益々、「田中れいな」としての存在感を獲得しています。もっともっと自分を磨いて、モーニング娘。を振り切ってください。そしてその結果をもってモーニング娘。の可能性を切り開いてください。
今のモーニング娘。に相応しい楽曲(ミディアムテンポで表情が求められる楽曲)において、想像以上の実力を発揮する亀井さん。反面、ファンが期待するアップテンポの楽曲になると途端に凡庸になる彼女のヴォーカルは実はとてもモーニング娘。らしいのです。今一瞬の状況では彼女に掛かる負担は大きいと思いますが、それは他のメンバーが補完しなければなりません。
ステージ上で立ち居振る舞いが映える道重さん。反面ヴォーカリストとしては重要なポジションを任されて来ませんでした。しかし今回のツアー、今回のメンバー構成に置いて、彼女の歌唱はモーニング娘。にとって貴重なスパイスであることが顕在化しています。その事を意識してそれに見合う安定度を獲得できるか、とても期待しています。前例はあります、吉澤さんの様に。
あらゆる面においてモーニング娘。の安定を担っている新垣さん。最年少で加入した当時、今の姿は正直想像できませんでした。現在のポジションを得たことを誇って良いと思います。安定は必要ですが、安定さを担うことは「つまらない」事であると認識して欲しいと思います。新垣里沙であることで突き抜けて欲しいのです。突き抜けてモーニング娘。の個性を担ってください。
今のモーニング娘。は高橋さんに依存しすぎています。そして逃げずにそれを担う覚悟を決めている事には敬意すら感じます。近い将来、彼女の負担が軽くなったとき、彼女自身の存在感も同様に軽くなるのか、否か、とても楽しみです。中心であるが故に、目立たない、存在するが故に他が自由を獲得できるそんな新の意味での「センターポジション」を担ってくれることを期待します。