周りの声に耐えながら生きていくという人生を選択をしたくないと思うことはよくわかります。そのせいでたとえ症状を自覚していたとしても病院に行って診断を受けることを躊躇してしまうことが良くあります。たとえば「精神疾患」などはその典型な例で、周りに言われる言葉がグサグサと突き刺さってきます。それを受け止めることが大変なのが私はわずかながらわかります。そこで、私の実体験を話しましょう。読んだ皆さんが新しい人生を歩む自信がわずかでも出てくれることを期待して開示します。
私は成長するにつれて「私は不完全な人間なのではないか」「私は生きている価値がないのではないか」と思うようになりました。その要因は私は周りの目を気にしていたからです。そのように教育されていたということもあるでしょう。私は、周りの言葉に対して『自分の意見が言えなく』なりました。その結果かどうかはわかりませんが、いじめにも合いました。私は自分の喘息を抑えるために強い薬を求めました。高校生の時たどり着いた錠剤は『ステロイド剤』でした。その時、私はその『ステロイド剤』がドーピングの薬として認知されているな思いもしませんでした。その時、私は「ボート部」で筋力トレーニングも激しくしていたため、自分の努力のたまものだと思っていたのです。その部活で私たちの1つ先輩が国体に出場しました。私たちの代でも国体に出場することが濃厚な成績を収めていました。しかし、私はその頃、私が使用している『ステロイド』が国際大会で「ドーピング」として禁止されている薬物だということを知ります。部活の友人に言う勇気は私にはありませんでした。当時の私が『ステロイド錠剤』を手放すと発作が強くなるのです。私はこの薬を手放すことは出来ません。私は部活を辞めました。誰にもこの事実を言えませんでした。私はみんなの為に一番良いことをやったつもりでした。しかし、果たして私の発作は悪化しました。私の心のバランスは壊れてしまったのかもしれません。私は高校を留年し高校3年生を2年間することになりました。本当に苦しい日々でした。早朝起きた発作が収まるのが朝9時から10時、疲れ果てて寝てしまい昼12時ごろ目が覚めます。それでも出席日数が必要だったので昼から登校。喘息の本当にきついところは、発作が収まってしまえば健常者と変わらないところです。その上私は『ステロイド剤』の影響からか身体が筋骨隆々、とても病がある身体のようには見えません。周りから疑心暗鬼の目で見られ続けました。その時の担任は発作が朝に起きて治まってから昼に学校に来る私に「サボリ」と言い放っていました。早くこの世から逃げ出したいと、そう思っていました。しかし、こういった経験により今の私があるのも事実です。
私が自分のことをこうやって皆さんに公開するのは、一人で悩んでほしくないからです。自分の目の前の問題が全ての問題だと思ってほしくないのです。気持ちを分かり合えることは出来ないかもしれませんが、皆さんが周りにわかってもらえないことを受け止めることは出来ると思うのです。
私は自分のことを被害者とは思っていません。私にとっては大事な人生の経験だと今は思います。私を救ったのは何か?それは、「知識・情報」です。私は最初「喘息」という病名をもって共通の”症状”だと思っていました。しかし、そんなことはなく、人それぞれ”症状”は違い、その生活における”苦しさ”が違うということに気付いたのです。”症状”のカタチは同じようですがそのカタチが出るタイミングや強弱さが違います。同じ「喘息」でも様々です。ですから医者の方も薬を処方しながら合う薬を選択していきます。それは医者の方々も良くご存知で、生活するために必要な薬を常備するようにアドバイスしてくれます。これからいう言葉は私の持論で個人的な見解ですが、
『”症状”は精神的、肉体的に関わらず身体の内側で処理できない”警報”が”症状”となって現れるものです。』
つまり、”症状”が出たということは身体からの”緊急事態”だと認識してほしいのです。身体からのメッセージなのです。「少し休もうよ」というアドバイスなのです。
私は社会保険労務士です。私は事業主と労働者の橋渡しをして、事業の発展を陰で支えたいと思ってこの仕事を選びました。確かにこれが動機です。でも、それと同時に私は「発作が起きるかもしれないから朝が早い常勤は続かないかもしれない」という思いと「自分の疾患では高齢になって解雇されたら再就職出来ないかもしれない」という不安を解消するためにこの仕事を選んだことも1つの事実ではあります。つまり、自分を認めるということは自分の新しい人生を作り上げることに繋がるのです。なぜなら、もし、自分を認めなければ、無理に就職をして自分を追い込み、発作を誘発し、解雇されていたかもしれないのです。そして、そういった自分を卑下し、社会に馴染めない自分を責め、自分をこういった体に産んだ母を恨んだかもしれないのです。もし、あなたが自分を卑下し、そうなってしまったことを後悔しているというなら、今一度考えてみてほしいのです。実は、自分からのメッセージなのかもしれない、と。無理しすぎである、と。他の人のように出来ない自分が苦しいと思う時は考えてみてほしい。他の人にはなれないのだと。あなたはあなた自身なのだと。あなたはあなたの人生でしかないのだと。そして、あなたの人生はとても尊いものだと。
実は統計学としてこのような研究結果があります。常に幸せだと思う人と常に不幸だと思う人にアンケート調査を実施したところ、どちらも人々にもほぼ同じだけの量の良いことと悪いことが起きていたことが結果的にわかったのだそうです。これは、どのような状況であれ人は幸せを感じることが出来るということを示しています。私は障がいを持つ人と接する時、その人が何が大変かどうか、本人が言うまでは判断しません。なぜなら、だれだって初対面でわかったりはしないからです。相手と接しないと相手の要望はわかりはしないのです。そして、相手の心は最後までわかりはしないし、わかる必要もないのです。その人が望むことに繋がるようなアドバイスを全力でするだけなのです。それが良いかどうかも本人が判断すれば良いのです。しかし、私は信頼関係は築くことが出来る。その信頼関係こそがどのような人同士でも繋がることの出来る方法だと思うのです。
たにばた社会保険労務士事務所 個人向け