有機化学美術館・分館

HP有機化学美術館のブログ版。タイムリーな話題,短いテーマをこちらで取り上げます。

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構造式の見方・描き方講座その3

 第3回、今回は立体化学という面倒なやつの話を。

 有機化学という分野を奥深く、一面では面倒にしてくれているのがキラリティというやつです。炭素原子は4本の結合の腕を持っていますが、この腕たちは正四面体型の配置をとっています。問題なのは、その4本の腕についているパーツが全て違う時です。

chiralitychirality2

 上図左右の分子は、向きをどう変えても重なり合いません。これらは、鏡に映した時だけ重なり合う関係にあり、「鏡像異性体」と呼びます。そしてこうした分子を「キラリティがある」と表現します。ちょっと複雑な有機分子になると、キラリティを持っていない方が珍しいくらいになります。

 鏡像関係にある2種の分子は、融点・沸点などの性質は同じですが、厄介なことに生体にとっては全く別物です。味やにおいが違うこともありますし、鏡像異性体の一方は毒だが、もう一方は全く無害といったことも多くあります。これは、生体の方にもキラリティがあるからです。対称的な作りのバットは、左右どちらの利き手の選手が使っても同じですが、非対称なグローブはそうは行かないというのと同じで、キラルなもの同士では「相性」が生じるわけです。

 というわけで、キラリティのある分子は、はっきりとその立体構造を表示する必要性があります。例として、乳酸分子を考えてみます。下図の中央の炭素(黄色で示した)には、-H、-OH、-CH3、-CO2Hと4種類の異なる原子団が結合しています。つまり、乳酸にはキラリティがあるということになります。

lactate3D

 平面の構造式でこれを表すには、通常の結合を示す実線の代わりに、くさび型と点線を用います。くさび型は紙面より手前に、点線は紙面の奥へ向かって結合の腕が伸びていることを示します。上の乳酸の場合、構造式では以下のように描きます。

lactate

 このような、キラリティの源になる炭素を「不斉炭素」「不斉点」などと呼びます(読み方は「ふさい」ではなく「ふせい」)。不斉炭素には、不斉であることを明示するため、「C*」とアスタリスクをつけて示すことがあります。

 点線とくさび型は必ずしも両方を併用せずとも、どちらか一方だけ描けば構造が一つに指定できますので、一方だけを描くこともあります。たとえば下図の乳酸は、いずれも上に描いた乳酸と同じものですが、わかるでしょうか?頭の中で分子を動かして立体構造を想像できるようになれば、構造式上級者です(そんなものがあるかどうか知りませんが)。

lacticacid

 分子内に不斉炭素が2つ以上あると「ジアステレオマー」というものが生じて、さらにややこしくなりますが、このあたりは専門書に任せるとしましょう。ということで、今回はこれまで。

構造式の見方・描き方講座その2

 さて前回に続き、構造式の見方・描き方講座のパート2です。

 構造式を見ていて難しいのは、同じ分子でも違う描き方ができてしまうところです。同じ分子でも、向きを変えて描くだけで別物に見えてしまうことがしばしばあります。

 また、分子は常に一定の形をとっているわけではありません。原子間の結合には単結合・二重結合・三重結合……がありますが、このうち単結合は自由に回転することができます。このため多くの分子はお行儀よくじっとしてはおらず、常にうにょうにょと変形しています。たとえば下図の化合物(1, 2-ジクロロエタン)の真ん中の結合は、高速で回転しています。なので、下図の左右の構造は実際上同じものであり、両者を区別する意味はありません。

DCE1

 というわけで1, 2-ジクロロエタンの構造式は下図のどちらでも正解であり、両者は全く同じ化合物を示しているということになります。

DCE2

 また下の図に描いた化合物は、全てn-オクタン(C8H18)を示しており、意味はどれでも同じです。まあ何か特別な事情があるのでない限りは、左上のような波型の構造で書き表しますが。

octane


 ただし単結合と異なり、二重結合は回転することができません。2つのだんごを串に刺した時、串が一本ならだんごの玉はくるくる回転できますが、串を二本刺したら回転できなくなる――というイメージで捉えていただければ結構です。というわけで、下図の左右の化合物は、異なる性質を示す別物の化合物です。

DCethene

 また、原子がいくつかつながって環になることもあり、角度の関係で、6原子から成る環が一番多く存在します(専門用語で6員環といいます)。この6員環を作る結合が全て単結合の場合、腕の角度の関係で平面の正六角形にはならず、でこぼこの環になります。この環を横から見るとソファのような形に見えるため(やや強引ですが)、「いす型」と呼びます。

chex3D

 ということで、6員環を持った化合物の構造式も、下右のように描くことがあります。これだけ見ると両者が同じものという気がしませんが、慣れてくると当たり前のように脳内変換ができるようになります。

chex


 ということで今回はここまで。次回は立体化学というやつに踏み込みます。

構造式の見方・描き方講座その1

 さて先日、筆者はこういうツイートをしました。


 一般に、化学構造式というのはあまり好かれておりません。たぶん、学生時代に難しいことをいっぱい丸暗記させられたなあ、という記憶がよみがえるのかなと思います。ただ、化学に関わる商売をしている身としては、この状況はやりにくいし、悲しいことでもあります。

 てことで上記のツイートをしてみたわけですが、驚くべきことが起こりました。一夜にして3000人ほどフォロワーが増えたのです。まさかこんなに反響があるとは思っていませんでした。いろいろと質問もありましたので、ここで構造式の見方・描き方講座をやってみたいと思います。

 さて、そもそも構造式とは何かといえば、分子内での原子と原子のつながり方を、模式図として表したものです。炭素は4本、窒素は3本、酸素やイオウは2本、水素やハロゲン元素は1本の結合の腕を持っており、これらが過不足なく結びつくことで分子が出来上がります。たとえば酢酸の分子構造(CH3CO2H)は、次のように表されます。

AcOH1

 ただしこの図は、実際の分子の形を忠実に表しているわけではありません。たとえば上図の左側の炭素のまわりには、4本の結合の腕が正方形に伸びていますが、実際には下図のような正四面体型の構造をとっています。

AcOH3D


 ただし、こうして全ての原子の記号を書いていると煩雑で見にくいので、骨格を作る炭素のCは省いて、線だけで描くことがほとんどです。また、水素も省略することが普通です。炭素の結合の腕が余っているように見えるところには、実際には水素がついているということになります。ですので、たとえばアセトアミノフェン(解熱剤)の構造は、ふつう下右のように描き表されます。左側よりだいぶ見やすいと思います。

acetoaminophen

 ただし、炭素以外の元素(NやOなど)についた水素は、省略せずに書くことがほとんどです。O-HでもOHでも意味は同じです。

 また、構造式の結合の角度は、基本的に120°で描きます。これは、炭素と炭素の実際の結合角に近いためです。なので長い炭素の鎖は、下右のようにニョロニョロと描くことになります。

pentane

 末端の炭素には、「CH₃」とつける流儀(上図右上)と、つけないでただの棒にしてしまう流儀(上図右下)があります。また、右側の末端は「-CH₃」、左側の末端は「H₃C-」と書いたりと細かい決まりもあったりしますが、このへんは専門家以外はあまり気にしないでいただければと思います。

 というわけで次回に続きます。 

化学の「番号は謎」

 先日紹介いたしました、近刊の「番号は謎」は売れ行きも好調のようで、みなさまありがとうございます。身の回りのあらゆる番号の謎を探った本ですが、このマニアな本がそれなりに売れているのは、日本の読書文化というのも大したものだなと改めて思う次第です。

 この本では、化学分野で取り上げたのは原子番号の話だけです。しかし、化学の分野では、番号は他にもあらゆる形で活用されています。たとえば分子の中での置換位置を示す、「位置番号」は有機化学の基本ですが、一筋縄では行かないものもあります。たとえば下図はよく見る骨格ですが、正式なIUPAC名は「2-フェニル-1, 3, 2-ジオキサボロラン」と、ちょっとトリッキーな番号の付け方になります。苦手な方はこちらなどでしっかり練習しましょう。

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 化合物ひとつひとつにつけられた番号として、CAS番号があります。有機・無機化合物、金属、核酸やタンパク質、高分子、同位体などあらゆる物質が対象となっており、たとえば立体異性体には別々の番号が振られるなど、厳密に個々の化合物を特定できるようになっています。

 CAS番号はたとえば7732-18-5というように、ハイフンで3つの数字をつなげた形式になっています。一番右側の1桁はチェックディジットと呼ばれるもので、他の桁の数字に一定の操作を加えると算出できます。これは、番号の入力ミスなどを検出するためにつけられるものです。

 一番左の数字は2〜7桁、真ん中は2桁で固定されており、登録順に機械的につけられていきます。ですので、構造情報などをCAS番号の数字から読み取ることはできません。また、類似した分子(異性体や水和物など)でも全く別の番号がついていることもありえます。番号が統合されたり変更されたりもするので、欠番も存在しているようです。

 CAS番号の一番最初は何なのかな、とマニアなことを思ってちょっと調べてみたのですが、50-00-0のホルムアルデヒドが、どうも一番最初のようです。49以下は、何かの時に備えて空けてあるとかでしょうか。
formal
ホルムアルデヒド [50-00-0]


 分子構造を番号で表しているケースとして、フロン類があります。通常3桁以下の数字で「フロン12」「フロン113」などのように表されます。規則は以下の通り。

・百の位の数 : 炭素の原子-1。ただし0(炭素1個)の場合は表示しない。
・十の位の数 : 水素の原子数+1
・一の位の数 : フッ素の原子数

 つまり、フロン12だと炭素数は1、水素数は0、フッ素数は2で、残りは塩素原子ですから、CF2Cl2だと特定できるわけです。慣れると分子式より早くてわかりやすいのでしょう。

Flon113
フロン113

 天然物の類縁体の区別には、マンザミンAなどのようにアルファベットが使われるケースが多く、数字の番号はあまり使われません。使われるとしても、ビタミンB1やプロスタグランジンFのように、添字として使われることがほとんどです。

 カエル毒として知られるプミリオトキシン類や、抗がん剤として用いられるエクテナサイジン743のように数字を使っているケースもありますが、これは例外的でしょう。天然・合成とも非常に多くの類縁体があるため、こうしたことになったと思われます。
pumillio
プミリオトキシン251d

 製薬企業で発見・合成された化合物には、たいていアルファベットと数字を組み合わせた化合物番号がつけられます。膨大な化合物を扱う企業においては、全てに固有名などつけていられませんから、番号が便利に使われます。アルファベット部分は、武田ならTAK、第一三共ならDSなどのように、会社名に由来したものがほとんどです。

 たとえば最近新型コロナ治療薬として注目を浴びたアビガンは、かつてはT-705の番号で知られていました(Tは富山化学の頭文字と思われます)。臨床試験が進み、医薬として承認される中で固有名・商品名がつけられますが、研究者にとっては番号の方がなじみ深い化合物も少なくありません。

Favipiravir
開発コードネームT-705、商品名アビガン、化合物名ファビピラビル。

 とはいうものの、アルファベットと数字では覚えにくいというのも事実です。拙著「番号は謎」でも、ベートーヴェン自身は交響曲第5番とだけ名づけた曲に「運命」という通称がつけられ、こちらが有名になったという話を書きました。

 化学の世界でも少し似た話はあり、ファイザー社の研究陣が発見したCP-225,917及びCP-263,114という化合物は、そのユニークな構造と生理活性から注目を受け、多くの研究者が全合成に挑むことになりました。しかし6桁もある番号×2ですから、えらく覚えにくいのも事実です。

 しかしある時から、これら化合物にフォモイドライドA及びBという固有名がつけられました。聞くところによればこの名前、番号を覚えられず業を煮やした某大御所化学者が勝手につけてしまったのだそうで、そんなことやっていいんかなあと思いますが(笑)。

phomoidride
フォモイドライドBことCP-263,114

 番号というもの、ふだんはスルーしていますが、大変に奥の深いものでもあります。身の回りで使われている番号、ちょっと調べてみてはいかがでしょうか。

折り紙分子模型講座のお知らせ

 最近ではパソコンのみならずスマホでも、美しい分子のグラフィックを描くことが可能になっています。専門家でなくとも、簡単にいろいろな分子の姿に触れられるようになったのは喜ばしいことです。

 とはいえ、やはり分子の姿について理解を深めるには、自分の手で立体の分子モデルを組んでみるのが一番と思います。とはいえ、本格的な分子模型はかなり高価で、そうそう手が出るものではありません。

 ということで、これまでいくつか折り紙やペーパークラフトによる分子模型を考え、こちらで紹介してきました。今回、リクエストをいただきましたので、Zoomでの配信で折り紙分子模型講座をやってみたいと思います。

 日程は、8月27日(木)19時30分からで考えております。時間はZoomの制限で40分以内の予定です。100名まで接続できるということなので人数的には問題ないと思いますが、一応早いもの勝ちです。

 題材はこちらを考えております。正四面体を連結させ、ここではエタノール分子を作ってみます。

20200815_123043


 用意するものは、折り紙用紙(15cmのものでOK)、のり、はさみまたはカッターです。もし手元にありましたら、封筒や付箋紙(1:3程度のサイズ)もご用意いただければと思います。

 この折り方を発展させると、東京書籍の高校化学の教科書用に作った、窒化ガリウム結晶構造なども作れます(下の写真)。それなりの根性と技術は必要ですが。

GaN

 参加ご希望の方は、佐藤までメール(sato☆org-chem.org)までご連絡いただければ幸いです。お子さんが視聴希望という場合には、その旨記していただければと思います。質問したいことなどありましたら受け付けますので、お気軽にどうぞ。

 ということで、当方も初めてのことで勝手がわかりませんが、よろしくお願いいたします。

新刊「番号は謎」本日発売

 さとうです。みなさまこんにちは。

 さて本日、新潮新書より新刊「番号は謎」が発売となります。タイトルにあります通り、今回は化学でも医薬でも国道でもなく、番号の本となります。電話番号、郵便番号、背番号、駅や道路の番号、ナンバースクールにナンバー銀行、バーコード、ISBN、天体の番号、テレビチャンネル、車やパソコンの型番、マイナンバーに至るまで、身の回りの「番号」の起源と謎に迫った内容です。

bango
表紙はこちら。

 化学の話はないの?とお思いの方もおられるかと思いますので、しっかり原子番号の話も収録しております。いつか、原子番号とか周期表の話で一冊書いてみたいとも思いますが。ということで目次は以下の通り。

1. 一〇桁は田舎者の象徴?――電話番号
2. 不思議な順序にはわけがある――郵便番号
3. 混沌と抗争のナンバー史――自動車のナンバープレート
4. 魔境を照らす一筋の光――鉄道にまつわる番号
5. 国道100号が存在しないわけ――道路にまつわる番号
6. 番号界の絶滅危惧種――ナンバー銀行
7. プライドと序列意識の間で――ナンバースクール
8. 「四戸」はどこへ消えた?――地名と番地
9. 選手が背負うもう一つの顔――野球の背番号
10. 神様は10番がお好き――サッカーの背番号
11. サーキットに散った伝説の27番――F1レース
12. 腱鞘炎を防いだ縞模様――バーコード
13. 情報のいたちごっこは続く――図書分類
14. 数字に現れた出版業界の勢力図――ISBN
15. 無限に挑んだ男たち――天体の番号
16. 空き番号に潜むドラマ――欠番
17. 目には見えない神の数字――原子番号
18. 交響曲マイナス1番を書いたのは?――音楽
19. 視聴率はチャンネル番号で決まる?――テレビチャンネル
20. ウィンドウズ8は6・2――バージョン番号
21. 文化と見栄とプライドと――型番
22. 「究極の番号」は問題山積――マイナンバー

 番号というのはふだん気に留めることはありませんが、仔細に見ていくと「なんでこんな番号の付き方なの?」「この番号はなぜ使われないの?」といった不思議も数多く存在します。このへんを追いかけてまとめた本になります。

 しかし、番号に関する資料は少なく、執筆はなかなか大変でした。テレビのチャンネル番号がなぜああも地方によってバラバラで、不規則な数列であるのか、誰もが毎日目にしている番号でありながら、その理由を突き止めるのはなかなか大変なことでした。番号って本当に誰も気にしてないんだなあ、と痛感した次第です。逆に言えば、なかなか類書のない本だとも思います。

 というわけで、書店で見かけたら手にとっていただければ幸いです。どうぞよろしく。

オリンピック分子集合体登場!

 新型コロナウイルスの流行は、なかなか出口が見えてきません。本来ならば東京オリンピック開幕で盛り上がっていた時期のはずですが、こればかりはやむを得ません。

 さてオリンピックのシンボルマークといえば、5色の環が絡み合った形であるのはみなさんご存知でしょう。このようにリングがつながりあった形の分子も知られており、「カテナン」と名付けられています。ラテン語で「鎖」を意味する「catena」から来ている言葉です。

 実際の鎖を作るのもなかなか手のかかることですが、分子で鎖を作るのははるかに難事です。何しろ、実際に手で環をつなげるわけにいきませんので、当初はリングが2つ連結したものさえ合成は大変でした。

 五輪マークのように5つの環がつながった分子が創り出されたのは1994年のことで、「オリンピアダン」と命名されています。分子同士の引き合う力を巧妙にコントロールした成果で、この分野における金字塔とされます。この分子を合成したFraser Stoddartは、2016年にノーベル化学賞を受賞しています。

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オリンピアダン

 もちろんこれが素晴らしい研究であることは疑問の余地がありませんが、オリンピックのマークとはちょっと違うなあ……リングのサイズも不揃いだしなあ……と、素人目には思ってしまうところです。

 このオリンピアダンと、やはり五輪マークに似た分子オリンピセンを、当ブログでは8年前のロンドン五輪直前に紹介しています。そこでは、こんなことを書いていました。

 日本でも、幾度かの落選にめげず、2020年に東京オリンピックを開催しようという動きがあるようです。もし実現した場合、日本の化学者もこれらに対抗するオリンピック分子を作るべきかと思いますが(笑)、さてあなたならどんなデザインをするでしょうか。

 と、勝手に無責任なことを書き散らかしていたわけですが、期待に応えてこれを実現してくれた化学者が現れました。千葉大学の矢貝史樹教授がその人で、論文はみごとNature誌掲載を果たしました。そのオリンピック分子がこちら。

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五輪マークの分子集合体

 誰がどう見ても文句なしのオリンピックマークです。まあ厳密に言えば、環の絡み方がちょっと違っていますが、絡み方までもがクリアに見えるようになったことに感慨を覚えます。さしわたしが約100nmということですので、ほぼコロナウイルスと同程度のサイズといえば、その大きさが伝わるでしょうか。

 実のところ、これは分子というより、分子集合体というべきものです。実際の分子は、下のような構造です。一見ただの細長い分子ですが、不思議なことにこの分子にあれこれ手を加えずとも、自然に分子同士が集合して五輪マークの形になるのです。

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 右側のオレンジ色部分は、n-ドデシル基(n-C12H25)を表す

矢貝研究室では、こうした分子の集合体を長らく研究してきました。分子同士が寄り集まる原動力になるのは、水素結合やファンデルワールス力などの分子間力です。たとえば分子左側の6員環部分(バルビツール酸骨格)は、水素結合によって下のように6分子が結びつき、「ロゼット」と呼ばれる美しい6量体を作ります。

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ロゼット

 そして、用いられた分子には3本の長いアルキル鎖が伸びていますので、これらがファンデルワールス力によって引き合い、6量体が積み重なっていきます。この時、分子の微妙なねじれによって、ただまっすぐ積み重なりはせず、リングを形成するのです。これは、分子構造や実験条件によっても変化し、らせん状やランダムコイルになるものも報告されています(参考記事(PDF))。

 こうしてサイズの揃ったリングが出来上がるだけでもなかなか不思議ですが、それがさらに勝手に絡み合うというのは、驚き以外の何者でもありません。最適な条件ではリング全体の約41%がカテナン構造になっており、最高で22ものリングが絡み合ったカテナンまで観察されていますから、偶然では絶対に起こり得ないことです。

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22個のリングが絡み合ったポリカテナン

 これは、リングの表面のアルキル基が、新たなリング形成のためのよい「足場」となっているためと見られます。ひとつのリングができたら、そこに新たなパーツが吸い寄せられ、そこで次のリングを形成していく――という過程を繰り返していると考えられます。

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カテナン構造形成のメカニズム(クリックで拡大)




 といっても、研究というのは「たぶんこういうことじゃないかと思います」では済まされません。なぜこういう現象が起きるか、学術的な裏付けをもってはっきりと示すことが肝心――なのですが、実はこの過程が非常に大変です。このように前例のない領域では、定まった手法などないだけになおさらです。矢貝教授らは、国際共同研究も含めたさまざまな手法をフルに活用して、上記の形成過程を立証しています。このあたりが、研究者の力量というものなのでしょう。

 すでにこの研究は、多くの学術系ウェブサイトなどで紹介されている他、各国の研究者からも「歴史的研究」として絶賛の声が上がっています。見た目が面白いものを作ったというだけでなく、ナノサイズの新しい物質構築につながる成果であるからです。

 こうした、単純なパーツが命令もなしに勝手に秩序ある複雑なシステムへと組み上がる現象は、「自己組織化」と呼ばれます。将来、この手法が発展してゆけば、通常の有機合成では難しい、複雑な分子マシンの構築なども視野に入ってくるでしょう。

 どのような分子を設計し、どのような条件を与えれば、望みの集合体ができあがるか――その完全な予測はまだまだ難しく、現代科学の大きな課題でもあります。今回の研究は、自己組織化による分子集合体構築の最先端を行く、まさにフロンティアを拓く仕事といえます。今回のオリンピックマークはその大きな一里塚ではありますが、まだまだこの先にも思いがけぬ展開、眼を見張るような新世界が待っていることと思います。

(AFM画像およびカテナン構造形成のメカニズムの図は、許諾を得て千葉大学のプレスリリースより転載しています)

「C2」が合成された話

有機化学は、いうまでもなく炭素原子を中心とした化学の分野です。炭素は極めて奥深い可能性を持ちますが、やはり一つの元素を世界の化学者がよってたかって200年も研究しているわけですから、炭素だけから成る全く新しい化学種が出てくることは、今やそうそうありません。1985年に登場したフラーレンはその数少ない例の一つであり、だからこそ科学者は驚きと興奮を持ってこれを迎えたわけです。

 しかし最近になり、「C2」という化学種がフラスコ内で作れることが報告されました(論文。オープンアクセスです)。東京大学の宮本和範准教授、内山真伸教授らの研究グループによる成果です。今回はこの何がすごいのか、ちょっと書いてみます。

 水素や窒素、酸素といった元素は、それぞれH2、N2、O2といった二原子分子を作り、これらはいずれも安定に存在します。しかし炭素の二原子分子は、非常に不安定です。二重結合や三重結合はよいのですが、四重結合は存在しにくいのです。

H2etc

 なぜ四重結合ができにくいかを説明するのは難しいのですが、炭素が持っている4本の結合の腕が、全部つながり合うのは非常に無理があるのだと思って下さい。二人の人が両方の手のひらを合わせるのは簡単ですが、両手両足を合わせるのは大変――というようなイメージです。

 なので、C2をどうにかして作り出しても、他の分子と結合したり、C2同士で反応したりしてすぐに他の化合物に変化してしまいます。というわけで今までは、3500度以上の高温状態や、宇宙空間などにC2が存在していることが知られていたのみで、それだけをガラス瓶に取り出してじっくり性質を調べるようなことはできませんでした。

 ということで、C2分子は作り出すことも大変なら、できたことを示すのも工夫が必要になります。今回、研究グループがC2の生成に用いたのは、次のような反応です。

C4_1

 要するに、炭素-炭素三重結合の両端に、それぞれプラスとマイナスに帯電した置換基をつけておき、一方にマイナス電荷を持ったイオンを作用させると、それをきっかけに両方が外れてC2が遊離するという仕掛けです。原理は簡単ですが、実現はそう簡単ではなく、分子設計の妙(と、おそらく膨大な試行錯誤)によるものでしょう。

 では、どうやってC2ができたことを証明したのか?こうした不安定化合物の検出には、昔からよく使われる方法があります。他の化合物と反応させて安定な化合物に変えた上で、ゆっくりと単離して調べる方法です。たとえばジヒドロアントラセンという化合物は、他の化合物に水素原子2つを与えて、安定なアントラセンになりやすい性質があります。この化合物と、発生したC2が反応すると、水素の移動が起こってアセチレンC2H2が生成することがわかりました。

Htransfer

 それだけでは安心できない、もっと証拠を出せという方もおられることでしょう。実際、科学者というのは疑り深いので、ちょっと違った方面からの証拠を複数揃えないと、なかなか「なるほど」と納得してくれません。

 そこで研究グループでは、溶媒などを使わない条件でC2を発生させる実験を行いました。すると黒色の固体が生成し、ここにはフラーレンやグラファイト、カーボンナノチューブなどが含まれていることがわかったのです。C2が互いにつながり合い、これら炭素物質が出来上がったものと考えられます。フラーレンが出来上がる過程で、このC2が原料となっているという説は以前からありましたが、この結果はその強力な傍証といえます。

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C2からフラーレンが出来上がる(イメージ)

 とはいえ、今までにもC2分子は観測されていたわけで、全く新しい成果でもないのではないか?また、一瞬で分解してなくなるような不安定な「物質」を作ったのがそんなにすごいことなのか?という見方もあろうかと思います。しかしこれは、化学者の視点から見れば非常に大きなブレイクスルーといえます。

 まず、C2分子はどのような構造をとるか今まで多くの議論がなされていたのですが、今回初めて炭素と炭素が四重結合した分子であることがきちんと確かめられました。炭素が四重結合を作ることは初めて知られたことであり、これだけでも教科書が書き換わる事実です。

 また、今まで観測されていたC2分子は、非常な高温で炭素材料を「破壊」し、その破片として得られたものでした。こうした条件では他の化合物も粉々に分解されてしまいますので、精密な有機合成への応用など望むべくもありません。しかし今回、不安定なC2を非常に温和な条件で発生させられるようになったことで、様々な応用の道が生まれました。

 C2分子が極めて不安定であるということは、裏を返せば反応性が非常に高いということです。これをうまく活かせれば、今までにない化学反応を起こせる可能性が拓けてきます。あの化合物と混ぜればこんな炭素材料ができないか、あの金属元素とはどう反応するだろうか、アレと混ぜて金づちで200回叩くとどうなるだろう――などなど、筆者程度の者でも思いつくことがいくつかあります。おそらく多くの研究者が、自分の研究にC2が応用できないか考えているはずです。

 個人的には、このC2は新型コロナ治療薬などと並び、「Molecule of the year」に選ばれてよい分子と思います。新たに見出された「炭素の新しい顔」が、今後いったいどのような発展を遂げるか、大いに期待したいところです。

コロナという名の化合物

 先日、Chem-Station主催のバーチャルシンポジウムに参加させていただきました。大成功といってよかったと思います。画面越しでも十分に伝わるべきものは伝わりましたし、質疑応答のしやすさなどネットならではのメリットも多々ありました(なんかちょろっと自分の名前も出てきたので、びっくりしたりしましたが)。今後の学会運営において、大きな可能性が示されたと思います。関わられたスタッフ諸氏に、改めて感謝いたします。


 さて今回は雑談的なお話を。新型コロナウイルスの感染拡大により、「コロナ」という言葉には非常に嫌なイメージがついてしまいました。しかしコロナ(corona)という単語はラテン語で「王冠」を意味し、本来美しいイメージの言葉です。

 このため学術用語にも「コロナ」の語はよく登場します。太陽のコロナは最も有名なものでしょうが、「コロナ放電」という言葉もありますし、心臓の冠状動脈は英語で「Coronary artery」、星座のかんむり座とみなみのかんむり座の英名はそれぞれ「Corona Borealis」と「Corona Australis」です。コロナウイルスの名は、ウイルス表面に突き出たスパイクタンパク質が、太陽のコロナを連想させることから来ています。

corona
太陽のコロナ(Wikipediaより)

 というわけで、化合物名にも「corona」を語幹とするものは数多くあります。最も知られているのは、ベンゼン環が7枚集まった形のコロネン(coronene)でしょう。もちろんその形状から名付けられたものです。

coronene
コロネン

 「コロナン」(coronane)という化合物もあります。中央のm員環の辺すべてが、m個のn員環と辺を共有した形を[m, n]コロナンと呼ぶ――というとややこしいですが、要は下のような化合物です。これも、単純な構造式で描くと王冠のような形であることから命名されました。

coronane1
[6, 5]コロナン(左)と[4, 5]コロナン(右)

 といっても、実際には炭素原子の四面体構造の制約があるので、周辺の環は上下交互に張り出した形になります。このため、3次元モデルですとあまり王冠らしい形状ではありません。また、中央の環は偶数員環に限ることになります。

coronane2

 両化合物は、いずれもFitjerらによって1987年に合成されています。こんな化合物をどうやって合成したのだろう――と思うところですが、思わぬ中間体から華麗な骨格転位を経て作られています。興味のある方はこちら及びこちらをご覧下さい。


 王冠型の化合物といえば、有名なのはクラウンエーテルでしょう。環の中央に陽イオンを取り込む性質があり、超分子化学のさきがけになったことでも知られます。

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クラウンエーテル

 一方、下図のように、かご状の構造の内部に陽イオンを閉じ込められる化合物は「クリプタンド」と総称されます。ラテン語で洞穴を意味する「crypta」とリガンド(ligand)の合成語です。

cryptand
クリプタンド

 クリプタンド類は複数の環を持ちますが、クラウンエーテルなどは環がひとつだけです。こうした単環状構造のリガンドのことを、Vogtleは「コロナンド」(coronand)と命名しています。言うまでもなく、冠状(corona)の構造を持ったリガンド(ligand)という意味の言葉です。あまり使われない単語ですが、覚えておいて損はないでしょう。

 超分子化学の分野では、もうひとつ「コロナアレーン」という化合物群もあります。下図のように、芳香環(ヘテロ芳香環も含む)が、酸素・窒素・硫黄などのヘテロ原子によって、パラ位で橋架けされた大環状化合物を指します。

coronaarene
コロナ[6]アレーン

 こうした、芳香環を多数連結させた大環状化合物群は、これまでに多くのタイプが合成されています(参考)。コロナアレーンもそのひとつとして加わったものですが、基本骨格としてはピラーアレーンと同じなので、わざわざ新しい名を持ち出さずとも「ヘテロピラーアレーン」でいいんじゃないの、という気もしないではありません。

 というようなわけで、「コロナ」を含んだ化合物はずいぶんたくさんあるというお話でした。有機化学分野では対称性の高い化合物が多いので、王冠型・太陽型の分子も少なからず存在し、となればラテン語由来で響きのよい「コロナ」という名をつけたくなるのも当然でしょう。願わくばこれらの化合物やその研究者に、風評被害(?)などなければよいのだが、と思う次第です。


 (追記)
 コロナチンという化合物もあるそうです。こちらは植物に病気を引き起こす病原菌が作る毒素だそうで、下のような構造を持ちます。またその部分構造が、coronamic acid及びcoronafacic acidと名付けられているそうです。コロナチンを作る細菌に P.syringae pv. coronafaciensというのがいるようなので、そちらから取った名前かもしれません。

coronatine
(上)coronatine
(下左)coronafacic acid (下右)coronamic acid

ペーパー分子模型

 新型コロナウイルスの問題は、なかなか落ち着く気配が見えてきません。収束までには年単位の時間を要するという識者も多く、新薬やワクチンもまだ時間がかかるでしょうから、長期戦を覚悟しなければならない情勢でしょう。

 この状況で、たとえば抗ウイルス材料の開発など、化学者としてできることはいろいろありそうに思えます。SlackやZoomなどオンラインコミュニケーションの環境も整っている折、異分野の人が集まってブレーンストーミングなどやってみると面白いかななどと一人で思っております。

 とはいえ筆者のような一般人には、家にこもっているのが、とりあえずできる最大の貢献です。ということで、家にいる時間の過ごし方の一助として、また性懲りもなく分子模型のペーパークラフトを考案してみました。

 以前は正三角形のパーツを組み合わせた、穴の空いた形のフラーレンモデルをアップしました。ただこれは強度に問題があってナノチューブは組みにくいため、今回は、正六角形のパーツを組み合わせ、隙間のないモデルとしました。こんな感じになります。

CNT

 型紙はこちら。ダウンロードして、プリントアウトして下さい。例によって、ケント紙などの硬い紙がおすすめです。今回は100円ショップで買った画用紙を使っております。まずは黒い線に沿って、正六角形を切り出して下さい。

nanotube_C

 点線に沿って切り込みを入れます。真ん中よりほんの気持ちだけ深めに切り込みを入れると、組みやすくなります。

craft1

 写真のように、2枚を互いに差し込みます。

craft2

 きっちり差し込んだところ。描いてある水素原子は紙の下になって隠れます。素晴らしいアイディアですね(自賛)。

craft3

 6枚を組むと、ベンゼン環が出来上がります。

craft4

 この調子で組んでいき、全体を丸く輪につなぎます。写真にあるのは、シクロフェナセンと呼ばれる化合物で、カーボンナノチューブの薄切りに当たる分子です。裏側に麻の葉模様が自然にできれば、きっちり組めている証拠。

craft5

 というわけで、これで多環式芳香族化合物は何でも作れるわけですが、これだけでも寂しいかなという気がしたので、ヘテロ原子も作ってみました。

heteroatoms2

 これも切って組み合わせてやれば、多くの芳香族化合物を作ることができます。下の写真にあるのは、COVID-19治療薬候補として注目を浴びているナファモスタット(商品名フサン)と、ファビピラビル(商品名アビガン)です。

Fusan_Avigan

 ナファモスタット(上)とアビガン(下)
 
 というわけで、いろいろ組んで遊んでいただければ幸いです。ここまで来たらsp3炭素も作ったらいいんでないのと思うわけですが、6員環以外が不細工になるのでどうしたものか。またいろいろ考えてみるとします。
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