2009年11月23日
「ニ翻しばり」の全合成
この18日、渋谷で行われた「有機合成講習会」にて、「インフルエンザ治療薬の概要」と題した発表を行ってまいりました。日頃えらそうにいろいろなことを書き散らしている筆者でありますが、実は学会での発表は学生時代以来15年ぶりでした(笑)。まあ大先生方の前でもあり多少緊張しましたが、無事こなせて安心しております。当日の資料及びテキストを本館の方に上げておきましたので、興味のある方はご覧ください。
この日は「インフルエンザ治療薬セッション」が行われ、CS-8958及びT-705という二つの新薬の開発過程、そしてタミフルの3通りの合成法が発表されました。個人的に面白かったのは林雄二郎先生の発表で、以前もご紹介したとおり3ポット、9工程、総収率57%という驚異的な短ステップでタミフルを合成しています。林先生は工程数を減らし、3ポットに収めるためさまざまな工夫を凝らしたとのことで、このあたり非常に見ごたえがありました。

(タミフル)
実はその前の日、東大薬学部で今をときめく若手スーパースター・Phil Baran教授の講演会を聞いたばかりでした。いくつかの全合成について語っておられたのですが、圧巻だったのはユーデスマン類の全合成に関してでした(論文はこちら)。比較的単純な化合物ですが、テルペン類の生合成経路と同様、まず炭化水素の骨格を作っておき、そこに酸化反応によって官能基を導入していくという戦略です(環化段階と酸化段階に分けた「Two-phase strategy」と名づけられています)。

(ユーデスマノール)
炭化水素骨格の好きな位置に酸素官能基を導入するのは本来困難ですが、Baranは自ら開発したβ位酸化による1,3-ジオール合成反応を活用し、この壁を破っています。やりつくされたかとも見える全合成の世界に、このような切り口もあるのかと感心させられました。
この反応を活用して天然物に新しい官能基を導入することで、新たな生理作用を引き出せる可能性があり、大変注目すべき手法ではと思います。今のところ1,3-ジオールの構築しかできませんが、さらに新たな方法が開発されれば、この方法で作れる化合物も増えていくことでしょう。
優れた反応が多く登場し、手間さえいとわずただ作るだけなら、たいていの天然物が合成可能な時代になっています。しかしそこにあえて「反応工程を減らす」「官能基を後で導入する」といった「しばり」を入れてみると、新たな工夫の必要が生じます。ここから画期的な新手法が生み出されることは、大いにありそうです。どういう「しばり」が有効か、そこから何が生まれるか、考えてみるのも面白そうに思った次第です。
この日は「インフルエンザ治療薬セッション」が行われ、CS-8958及びT-705という二つの新薬の開発過程、そしてタミフルの3通りの合成法が発表されました。個人的に面白かったのは林雄二郎先生の発表で、以前もご紹介したとおり3ポット、9工程、総収率57%という驚異的な短ステップでタミフルを合成しています。林先生は工程数を減らし、3ポットに収めるためさまざまな工夫を凝らしたとのことで、このあたり非常に見ごたえがありました。

(タミフル)
実はその前の日、東大薬学部で今をときめく若手スーパースター・Phil Baran教授の講演会を聞いたばかりでした。いくつかの全合成について語っておられたのですが、圧巻だったのはユーデスマン類の全合成に関してでした(論文はこちら)。比較的単純な化合物ですが、テルペン類の生合成経路と同様、まず炭化水素の骨格を作っておき、そこに酸化反応によって官能基を導入していくという戦略です(環化段階と酸化段階に分けた「Two-phase strategy」と名づけられています)。

(ユーデスマノール)
炭化水素骨格の好きな位置に酸素官能基を導入するのは本来困難ですが、Baranは自ら開発したβ位酸化による1,3-ジオール合成反応を活用し、この壁を破っています。やりつくされたかとも見える全合成の世界に、このような切り口もあるのかと感心させられました。
この反応を活用して天然物に新しい官能基を導入することで、新たな生理作用を引き出せる可能性があり、大変注目すべき手法ではと思います。今のところ1,3-ジオールの構築しかできませんが、さらに新たな方法が開発されれば、この方法で作れる化合物も増えていくことでしょう。
優れた反応が多く登場し、手間さえいとわずただ作るだけなら、たいていの天然物が合成可能な時代になっています。しかしそこにあえて「反応工程を減らす」「官能基を後で導入する」といった「しばり」を入れてみると、新たな工夫の必要が生じます。ここから画期的な新手法が生み出されることは、大いにありそうです。どういう「しばり」が有効か、そこから何が生まれるか、考えてみるのも面白そうに思った次第です。
2009年11月16日
事業仕分けのこと
行政刷新会議の「事業仕分け」が話題になっています。筆者も直接関わりのあることですし、ライブ中継も見ていました。その後、ブログやツイッターで膨大な声に接し、正直考えがまとめ切れていませんが、ひとまず今思うことを書いておきます。まとまりがないのはご容赦。
とにかく今回は、SPring-8や日本科学未来館、そして各種研究資金などが軒並み減額の憂き目に遭っています。とにかく競争的資金(先端研究)に関して、「予算計上見送り」という評価を下した評議員が3名もいたというのは、愕然とせざるを得ません。
実際問題として、「仕分け」の俎上に上ったもので無傷で済んだものはほとんどないようで、リストアップされた時点で事実上減額は確定していると考えられます。国で行っている全事業のうち15%だけが「仕分け」にかけられ、基礎科学関係の予算に関わるものがほとんど全て含まれているようですので、最初から科学関連は削減の予定だったのでしょう(参考)。
これに関し、例えばホリエモンこと堀江貴文氏は、自身のブログで「政府に頼るのをそろそろやめないか」と書き、科学者が自力で研究資金を稼ぐべきだと主張しています。一理あり、ある程度今後の科学者は研究を金に換える方法を、本腰を入れて考えていかねばならないのかもしれません。
とはいえ、それだとニュートリノ天文学や射影線形群の研究者はどうしろというのだ、ということにもなります。化学はまだよい方かもしれませんが、決してメシの種に直結する研究ばかりではなく、また事業に時間が取られすぎて研究ができないのでは本末転倒でしょう。
ネット上では特に、「納税者がトップレベル研究者にお金を払った分、納税者個人にもリターンを貰えないと納得できません!」という蓮舫議員の発言が取り沙汰されているようです。さすがに基礎研究というものがあまりにもわかっていない発言と思いますので、これについては一言書いておきたいと思います。
有機化学の分野で、エノラートの化学と呼ばれるものがあります。C=O結合の隣で炭素-炭素結合を作る反応で、まず最も基本的な合成反応といえるものです。この基礎研究が与えた影響がどのくらいか、調べてみたことがあります。
とりあえずこの反応を使って作られた医薬のうち、手近な資料に載っていたものだけで、総売り上げは楽に2兆円を超えていました。抗生物質、スタチン剤など主要な医薬も多く含まれますから、命を救われた人、病苦から解放された人は数知れずでしょう。
もちろん薬作りの過程で用いられたが表に出ていないものや、医薬以外のジャンルで用いられているケースも山ほどあるでしょうから、実質上の貢献度は全く計り知れません。そしてこれら全ての基礎となったエノラートの化学は、向山光昭先生を初めとした日本の化学者が、国から出た研究費を使って育て上げたものです。
以前本館で紹介した鈴木-宮浦カップリングも、ノーベル賞の呼び声高い日本発の反応です。医薬や農薬はもちろん、有機EL・液晶材料などの多くのハイテク素材がこの反応を活用して作り出されていることは紹介した通りです。
この反応は、H.C.Brownらによる有機ホウ素化学、Heck・溝呂木・熊田・Stille・Trostら多くの化学者が磨き上げたパラジウムの化学など、多くの基礎の上に打ち立てられたものです。また生成物を分析するための各種測定機器、精製手段などにも、それぞれとてつもなく深いバックグラウンドが存在します。今や全体を見通すことなど誰にも不可能なほど、気の遠くなるような莫大な基礎研究の上に、現代のサイエンスは立脚しているのです。
今我々がインターネットを活用しているのも、携帯電話で会話するのも、美味しい食事を毎日安定して手に入れられるのも、全てはこうした科学研究の成果です。これらのリターンを受け取っていない納税者は、今の日本に一人でもいるのでしょうか?
使える、金になる研究だけに資金を絞れという議論もあるようですが、これも無理な話です。よい例が下村脩博士のGFP研究です。発光生物は数多くおり、その謎に取り組んでいる研究者もたくさんいます。しかし下村博士の研究の副産物として発見されたGFPだけが、たまたま生物学のツールとして使える性質を備えていました。今やGFPは創薬にも大いに貢献していますし、iPS細胞もGFPの存在なくしてはありえませんでした。
「クラゲはなぜ光るのか」という一見何の役にも立たない研究に、現代のサイエンスは大きな恩恵を受けています。その影には、膨大な「役に立たなかった」研究が埋もれています。それだけの蓄積があって、初めてサイエンスは前進するものなのです。目先の応用価値だけを追って、研究の多様性を失ったら、その瞬間からサイエンスは痩せ細ってしまうのです。
とまあ長々書いてはきましたが、一方で科学者の側にも反省すべき点は多々あり、現在の経済状況で「科学だけは聖域に」という主張は通らないだろう、ということも感じてはいます(これに関し、「科学政策ニュースクリップ」に素晴らしい提言が掲載されていますのでご一読を)。このあたりは今後科学者のコミュニティが総力を挙げて考え、行動に移していかねばならない場面でしょう。筆者も、自分にできることは何か、しっかり考えてゆかねば――と思っているところです。
とにかく今回は、SPring-8や日本科学未来館、そして各種研究資金などが軒並み減額の憂き目に遭っています。とにかく競争的資金(先端研究)に関して、「予算計上見送り」という評価を下した評議員が3名もいたというのは、愕然とせざるを得ません。
実際問題として、「仕分け」の俎上に上ったもので無傷で済んだものはほとんどないようで、リストアップされた時点で事実上減額は確定していると考えられます。国で行っている全事業のうち15%だけが「仕分け」にかけられ、基礎科学関係の予算に関わるものがほとんど全て含まれているようですので、最初から科学関連は削減の予定だったのでしょう(参考)。
これに関し、例えばホリエモンこと堀江貴文氏は、自身のブログで「政府に頼るのをそろそろやめないか」と書き、科学者が自力で研究資金を稼ぐべきだと主張しています。一理あり、ある程度今後の科学者は研究を金に換える方法を、本腰を入れて考えていかねばならないのかもしれません。
とはいえ、それだとニュートリノ天文学や射影線形群の研究者はどうしろというのだ、ということにもなります。化学はまだよい方かもしれませんが、決してメシの種に直結する研究ばかりではなく、また事業に時間が取られすぎて研究ができないのでは本末転倒でしょう。
ネット上では特に、「納税者がトップレベル研究者にお金を払った分、納税者個人にもリターンを貰えないと納得できません!」という蓮舫議員の発言が取り沙汰されているようです。さすがに基礎研究というものがあまりにもわかっていない発言と思いますので、これについては一言書いておきたいと思います。
有機化学の分野で、エノラートの化学と呼ばれるものがあります。C=O結合の隣で炭素-炭素結合を作る反応で、まず最も基本的な合成反応といえるものです。この基礎研究が与えた影響がどのくらいか、調べてみたことがあります。
とりあえずこの反応を使って作られた医薬のうち、手近な資料に載っていたものだけで、総売り上げは楽に2兆円を超えていました。抗生物質、スタチン剤など主要な医薬も多く含まれますから、命を救われた人、病苦から解放された人は数知れずでしょう。
もちろん薬作りの過程で用いられたが表に出ていないものや、医薬以外のジャンルで用いられているケースも山ほどあるでしょうから、実質上の貢献度は全く計り知れません。そしてこれら全ての基礎となったエノラートの化学は、向山光昭先生を初めとした日本の化学者が、国から出た研究費を使って育て上げたものです。
以前本館で紹介した鈴木-宮浦カップリングも、ノーベル賞の呼び声高い日本発の反応です。医薬や農薬はもちろん、有機EL・液晶材料などの多くのハイテク素材がこの反応を活用して作り出されていることは紹介した通りです。
この反応は、H.C.Brownらによる有機ホウ素化学、Heck・溝呂木・熊田・Stille・Trostら多くの化学者が磨き上げたパラジウムの化学など、多くの基礎の上に打ち立てられたものです。また生成物を分析するための各種測定機器、精製手段などにも、それぞれとてつもなく深いバックグラウンドが存在します。今や全体を見通すことなど誰にも不可能なほど、気の遠くなるような莫大な基礎研究の上に、現代のサイエンスは立脚しているのです。
今我々がインターネットを活用しているのも、携帯電話で会話するのも、美味しい食事を毎日安定して手に入れられるのも、全てはこうした科学研究の成果です。これらのリターンを受け取っていない納税者は、今の日本に一人でもいるのでしょうか?
使える、金になる研究だけに資金を絞れという議論もあるようですが、これも無理な話です。よい例が下村脩博士のGFP研究です。発光生物は数多くおり、その謎に取り組んでいる研究者もたくさんいます。しかし下村博士の研究の副産物として発見されたGFPだけが、たまたま生物学のツールとして使える性質を備えていました。今やGFPは創薬にも大いに貢献していますし、iPS細胞もGFPの存在なくしてはありえませんでした。
「クラゲはなぜ光るのか」という一見何の役にも立たない研究に、現代のサイエンスは大きな恩恵を受けています。その影には、膨大な「役に立たなかった」研究が埋もれています。それだけの蓄積があって、初めてサイエンスは前進するものなのです。目先の応用価値だけを追って、研究の多様性を失ったら、その瞬間からサイエンスは痩せ細ってしまうのです。
とまあ長々書いてはきましたが、一方で科学者の側にも反省すべき点は多々あり、現在の経済状況で「科学だけは聖域に」という主張は通らないだろう、ということも感じてはいます(これに関し、「科学政策ニュースクリップ」に素晴らしい提言が掲載されていますのでご一読を)。このあたりは今後科学者のコミュニティが総力を挙げて考え、行動に移していかねばならない場面でしょう。筆者も、自分にできることは何か、しっかり考えてゆかねば――と思っているところです。
2009年11月11日
新刊のお知らせ
さとうです。Twitterの方では先行でお知らせしておりましたが、こちらでもいよいよお知らせ。
来年1月16日、単著として3冊目の本が出る運びとなりました。今回は新潮新書より発売です。「バカの壁」「国家の品格」などを輩出した名門レーベルよりの刊行、ちょっとドキドキしております。タイトルはまだ仮題ではありますが、
「医薬品クライシス 78兆円市場の激震」
となっております。なかなか真っ正面から凄い題名がついてますが、文字通り現在医薬品業界を揺るがす2010年問題についての本です。ただし中身はそれだけではなく、医薬がどのように創られるのか、副作用とは何か、医薬品はなぜ生まれにくくなったか、そして今後の医薬はどこへ向かうのか、等々なかなか盛りだくさんに詰め込んでおります。
現在、出版へ向けて校正を進めておりますが、編集部からの評判は幸い大変によいようです。書く方としては非常に勇気の要った本ですが、みなさまに手にとっていただき、広く読まれることを願うものです。新書ですので7〜800円程度、かなり多くの書店に出回ると思いますので、見かけたらどうぞよろしくお願いいたします。
来年1月16日、単著として3冊目の本が出る運びとなりました。今回は新潮新書より発売です。「バカの壁」「国家の品格」などを輩出した名門レーベルよりの刊行、ちょっとドキドキしております。タイトルはまだ仮題ではありますが、
「医薬品クライシス 78兆円市場の激震」
となっております。なかなか真っ正面から凄い題名がついてますが、文字通り現在医薬品業界を揺るがす2010年問題についての本です。ただし中身はそれだけではなく、医薬がどのように創られるのか、副作用とは何か、医薬品はなぜ生まれにくくなったか、そして今後の医薬はどこへ向かうのか、等々なかなか盛りだくさんに詰め込んでおります。
現在、出版へ向けて校正を進めておりますが、編集部からの評判は幸い大変によいようです。書く方としては非常に勇気の要った本ですが、みなさまに手にとっていただき、広く読まれることを願うものです。新書ですので7〜800円程度、かなり多くの書店に出回ると思いますので、見かけたらどうぞよろしくお願いいたします。
2009年11月03日
紫綬褒章
本日は文化の日。といえば秋の叙勲で、各界で活躍した人に褒賞が与えられるのが恒例になっています。これもいろいろ種類があって、たとえば紅綬褒章は人命救助をした人、紺綬褒章は個人ならば500万円以上の寄付をした人に与えられるそうです。他にも緑・黄・紺などの種類があるそうですので、興味のある方はWikipediaの「褒賞」の項目などご覧下さい。
もちろん、その中で一番有名なのは紫綬褒章で、スポーツ選手や芸能人に与えられることが多いため大きく報道されます。今年春はWBC日本代表、またこの秋には中島みゆきさんなどが受賞したことが大きく報じられました。
さてその今秋の叙勲では、紫綬褒章25人のうち、なんと化学者が4人を占めました。上村大輔(慶大理工)・中村栄一(東大理)・福山透(東大薬)・細野秀雄(東工大セラミックス研)の四氏です(細野先生は物理に近いかもしれませんが)。ということで、四氏の業績を簡単に紹介します。
上村教授は、天然物化学の世界で多くの業績を挙げておられます。岸義人・中西香爾・後藤俊夫・磯部稔、そして2008年ノーベル賞受賞の下村脩の各氏を輩出した名門・平田義正研究室の出身です。
業績として名高いのは、パリトキシン・ハリコンドリン類などの巨大な海洋天然物の構造決定を果たしたことでしょうか。後者は兄弟子の岸義人・ハーバード大学教授によって全合成され、構造改変によって最近抗ガン剤E7389として実用化されようとしています。このあたりは雑誌現代化学10月号
に書いた記事に詳しいのでぜひご覧下さい(宣伝)。

(E7389)
中村栄一教授は有機金属・計算化学・ナノカーボンなど幅広い分野で世界を牽引する業績を挙げており、ここに書ききれないほどです。特にカーボンナノチューブに小分子を閉じ込めて電子顕微鏡で観察し、1分子の動きを捉えることに成功した研究は世界に衝撃を与えました。詳しくはこちらなどもご覧下さい(また宣伝)。
福山透教授は天然物、特にアルカロイド類全合成の第一人者です。今までにFR900482・マイトマイシン・エクチナサイジン743など数々の複雑な構造の天然物を制覇しており、最近ではタミフルの実用的な合成ルートを開発したことでも話題になりました。最新作ハプロフィチンの全合成では、半世紀以上誰も攻略に成功しなかった複雑な構造を、わずか29工程で制圧。とにかく福山先生にかかると、とてつもなくややこしいターゲットがさらりと合成されてしまい、できるのが当たり前のように見えてしまうのが恐ろしいところです。

(ハプロフィチン)
細野教授は、2006年に鉄を含む酸化物が超伝導物質となることを発見した業績が有名です。1986年にバリウム・ランタン・銅の酸化物が高い転移温度で超伝導性を示すことが発見され、世界の物理学者にフィーバーを巻き起こしました。この鉄系超伝導物質は物理学界にそれ以来の衝撃を与え、高温超伝導の謎に迫る成果として大きな注目を浴びました。筆者も門外漢ながら注目している分野です。
面白いなと思ったのは、今年の現代化学7月号
で、上記4人のうちの上村・中村・細野3教授による対談が行われているのですね。巡り合わせというか、編集部の目が高かったというか、とにかく面白い対談記事です。
先生方の今後の活躍をお祈り申し上げると共に、若い者が負けないように仕事をせねばいかんな、と改めて思う次第です。四先生、おめでとうございました!
もちろん、その中で一番有名なのは紫綬褒章で、スポーツ選手や芸能人に与えられることが多いため大きく報道されます。今年春はWBC日本代表、またこの秋には中島みゆきさんなどが受賞したことが大きく報じられました。
さてその今秋の叙勲では、紫綬褒章25人のうち、なんと化学者が4人を占めました。上村大輔(慶大理工)・中村栄一(東大理)・福山透(東大薬)・細野秀雄(東工大セラミックス研)の四氏です(細野先生は物理に近いかもしれませんが)。ということで、四氏の業績を簡単に紹介します。
上村教授は、天然物化学の世界で多くの業績を挙げておられます。岸義人・中西香爾・後藤俊夫・磯部稔、そして2008年ノーベル賞受賞の下村脩の各氏を輩出した名門・平田義正研究室の出身です。
業績として名高いのは、パリトキシン・ハリコンドリン類などの巨大な海洋天然物の構造決定を果たしたことでしょうか。後者は兄弟子の岸義人・ハーバード大学教授によって全合成され、構造改変によって最近抗ガン剤E7389として実用化されようとしています。このあたりは雑誌現代化学10月号

(E7389)
中村栄一教授は有機金属・計算化学・ナノカーボンなど幅広い分野で世界を牽引する業績を挙げており、ここに書ききれないほどです。特にカーボンナノチューブに小分子を閉じ込めて電子顕微鏡で観察し、1分子の動きを捉えることに成功した研究は世界に衝撃を与えました。詳しくはこちらなどもご覧下さい(また宣伝)。
福山透教授は天然物、特にアルカロイド類全合成の第一人者です。今までにFR900482・マイトマイシン・エクチナサイジン743など数々の複雑な構造の天然物を制覇しており、最近ではタミフルの実用的な合成ルートを開発したことでも話題になりました。最新作ハプロフィチンの全合成では、半世紀以上誰も攻略に成功しなかった複雑な構造を、わずか29工程で制圧。とにかく福山先生にかかると、とてつもなくややこしいターゲットがさらりと合成されてしまい、できるのが当たり前のように見えてしまうのが恐ろしいところです。

(ハプロフィチン)
細野教授は、2006年に鉄を含む酸化物が超伝導物質となることを発見した業績が有名です。1986年にバリウム・ランタン・銅の酸化物が高い転移温度で超伝導性を示すことが発見され、世界の物理学者にフィーバーを巻き起こしました。この鉄系超伝導物質は物理学界にそれ以来の衝撃を与え、高温超伝導の謎に迫る成果として大きな注目を浴びました。筆者も門外漢ながら注目している分野です。
面白いなと思ったのは、今年の現代化学7月号
先生方の今後の活躍をお祈り申し上げると共に、若い者が負けないように仕事をせねばいかんな、と改めて思う次第です。四先生、おめでとうございました!
2009年11月01日
グラフィカルアブストラクト
最近は論文もすっかりウェブ配信が主流になりました。ペラペラとめくってふと面白い論文に行き当たる紙媒体のメリットも大きいのですが、やはり自分のパソコンで手軽に最新論文が閲覧でき、検索も容易なウェブ論文には勝てず、筆者も最近は紙の雑誌を手に取ることはほとんどなくなってしまいました。
こうして検索が手軽にできるようになると、論文の引用の仕方も変わってくることは予想されます。検索機能が充実していて、必要な論文に行き当たりやすいジャーナルの論文は引用されやすく、インパクトファクターも上がるなどということが起こるのかもしれません。
もう一つ、ウェブ配信になって出てきた論文の評価指標に、「ダウンロード数」というのがあります。その論文が何度ダウンロードされ、読者に読まれたかの数値です。ただしこれは、優れた論文よりも話題を集めた論文が上位に来てしまう恐れはあります。
例えばJACSの「Most read」を見ると、以前書いたNaHによる酸化反応の論文が2009年の2位に入っています。まあそうなるだろうな、とは思います。
またこのランキングでは、同業者が多い分野が当然有利でしょう。JACSの上位は、かなりの数が有機化学分野で占められているようです。また、ネームバリューのある研究室の論文はやはりダウンロード数が上がりそうで、強者がますます富むことになりそうな気はします。
もう一つ、これだけの論文が出ていると、タイトルだけでは読むべき論文かどうか判断するのが難しくなります。そうなるとグラフィカルアブストラクトの出来が、ダウンロード数を決めてしまうことはありえます。資金のある研究室は、デザイナーを雇ってきれいな画像を描かせるなんてことが行われるのかもしれません。
例えばNicolaou教授の論文では、環の中をグラデーションで塗った、派手なGAを多用しています(一例)。で、これを見るとつい「お、Nicolaouの新作か」とクリックしたくなってしまうのですね。実際この論文は、9月のダウンロード数2位に入っていたようです。
特に超分子分野などではイラスト一枚で論文のポイントが的確に表示できているものがあり、これはダウンロード数に大きく影響しそうです(これなんかは秀逸と思います)。読まれなければ他研究者に影響も与えられず、引用もされることはありません。絵一枚の巧拙が、研究者の評価に大きく関わってくることにもなりそうです。
論文や申請書の書き方、説得力あるパワポの作り方、学会やプレゼンでのしゃべりの技術、そして美しいイラストの作成方法――研究者に求められるスキルは、ますます増える一方ということになりそうで、なかなかしんどい話ではあります。「研究者のためのillustrator講座」なんてものが、人気を呼ぶことになるのかもしれません。
こうして検索が手軽にできるようになると、論文の引用の仕方も変わってくることは予想されます。検索機能が充実していて、必要な論文に行き当たりやすいジャーナルの論文は引用されやすく、インパクトファクターも上がるなどということが起こるのかもしれません。
もう一つ、ウェブ配信になって出てきた論文の評価指標に、「ダウンロード数」というのがあります。その論文が何度ダウンロードされ、読者に読まれたかの数値です。ただしこれは、優れた論文よりも話題を集めた論文が上位に来てしまう恐れはあります。
例えばJACSの「Most read」を見ると、以前書いたNaHによる酸化反応の論文が2009年の2位に入っています。まあそうなるだろうな、とは思います。
またこのランキングでは、同業者が多い分野が当然有利でしょう。JACSの上位は、かなりの数が有機化学分野で占められているようです。また、ネームバリューのある研究室の論文はやはりダウンロード数が上がりそうで、強者がますます富むことになりそうな気はします。
もう一つ、これだけの論文が出ていると、タイトルだけでは読むべき論文かどうか判断するのが難しくなります。そうなるとグラフィカルアブストラクトの出来が、ダウンロード数を決めてしまうことはありえます。資金のある研究室は、デザイナーを雇ってきれいな画像を描かせるなんてことが行われるのかもしれません。
例えばNicolaou教授の論文では、環の中をグラデーションで塗った、派手なGAを多用しています(一例)。で、これを見るとつい「お、Nicolaouの新作か」とクリックしたくなってしまうのですね。実際この論文は、9月のダウンロード数2位に入っていたようです。
特に超分子分野などではイラスト一枚で論文のポイントが的確に表示できているものがあり、これはダウンロード数に大きく影響しそうです(これなんかは秀逸と思います)。読まれなければ他研究者に影響も与えられず、引用もされることはありません。絵一枚の巧拙が、研究者の評価に大きく関わってくることにもなりそうです。
論文や申請書の書き方、説得力あるパワポの作り方、学会やプレゼンでのしゃべりの技術、そして美しいイラストの作成方法――研究者に求められるスキルは、ますます増える一方ということになりそうで、なかなかしんどい話ではあります。「研究者のためのillustrator講座」なんてものが、人気を呼ぶことになるのかもしれません。
エコナの件についてお知らせ
先日、花王の食用油「エコナ」の問題に関して書きました。この項目に関して、計算の根拠となった数値が間違っているというご指摘をいただきました(当該項目コメント12参照)。筆者は37.5mg/kgというのを単純にガンを発生した最低投与量と思いこんでいたのですが、資料を詳しく読んだところそういう解釈ではまずいようです。
種々の動物試験によって、エコナ自体に発ガン性がないことは確認されています。また、発ガン物質であるグリシドールが発生するという証拠はなく、その安定性も低いことから、事実上安全性に問題はないだろうという筆者の見解は変わりません。ただし、本文中にある一升瓶27本うんぬんの数値に関しては取り下げさせていただきます。謹んでお詫び申し上げます。
種々の動物試験によって、エコナ自体に発ガン性がないことは確認されています。また、発ガン物質であるグリシドールが発生するという証拠はなく、その安定性も低いことから、事実上安全性に問題はないだろうという筆者の見解は変わりません。ただし、本文中にある一升瓶27本うんぬんの数値に関しては取り下げさせていただきます。謹んでお詫び申し上げます。
2009年10月25日
タミフルのある幸運
近く行われる学会でインフルエンザ治療薬について語るため、資料作りを進めています。いろいろと調べてますが、やはりタミフルという薬は凄いのだなあという思いを新たにしています。

(タミフル)
昨日(10月24日)、アメリカではオバマ大統領が新型インフルエンザ問題で「国家緊急事態」を宣言しました。アメリカではインフルエンザの感染者が数百万人、死者が1000人を突破し、いまだ鎮静の兆しが見えないことからついにこの宣言に踏み切ったようです。これによって議会の手続きなどを経ずに措置が可能になりますので、アメリカは今後思い切った手段を打ってくることになりそうです。
インフルエンザ患者に対する治療方針は、今のところ日米で大きな差があります。アメリカでは、米疾病対策センター(CDC)が「健康な人は新型インフルエンザに感染しても、タミフルやリレンザなど抗ウイルス薬による治療は原則として必要ない」とする方針を発表しています(読売新聞の記事)。供給に限りがあること、耐性ウイルスの出現の恐れなどを理由に挙げています。
逆に日本では、感染症学会が「インフルエンザかどうかわからない疑い例であっても、積極的にタミフルを投与すべき」という方針を発表しています(感染症学会の提言はこちら)。
その結果はどうなっているか。日本では1週間で30万人の患者が出た週などもあり、患者数は累計300万人を超えているといわれます。人口あたりの患者数は、アメリカと大差ないレベルにあると見ていいでしょう。
ですが今のところ国内でのインフルエンザによる死者は、疑い例まで含めて32人にとどまっています。世界平均では0.1〜0.5%の死亡率と見られていますから、この数字を当てはめれば日本では3000人から1万5000人の死者が出ていてもおかしくありません。とにかく死者をアメリカの30分の1、世界平均の数百分の1レベルに抑え込んでいるのは、素晴らしい成果といってよいのではと思います。
もちろんこれは現場の第一線で体を張って頑張っている医師の努力が大きく、心から敬意を表するものです。その他日本のハード・ソフト両面での対応策が充実していることも寄与しているでしょうが、やはりタミフルの積極投与という方針がかなり成功していると見てよいのでは、と思います(もちろん今の段階で全てタミフルのおかげ、というわけには行かず、はっきりしたことをいうには今後の疫学的検証を待たねばなりませんが)。
もし日本で、インフルエンザによって千人単位の死者が出ていたら、会社や学校の閉鎖、イベントの中止など経済的にも大きな損失が出ることは間違いありません。この意味で、タミフルの功績は我々が思っている以上に大きい可能性があります。
もちろん耐性ウイルスの問題などありますから、単純にタミフルの大量使用を無条件で推進してしまってよいとは思いません。しかし、耐性が怖いからタミフルの使用を制限するというのは、すでに百万単位の患者が出ている新型インフルエンザの流行状況を、さらに相当悪化させてしまう危険を伴います。
そこでタミフルに続く治療薬も臨床試験が進んでおり、第一三共のCS-8958や富山化学のT-705など、日本のメーカーが大いに頑張っています。いずれも好成績を挙げており、近い将来の発売が待たれます。

CS-8959(上)とT-705(下)
インフルエンザ問題については連日報道されており、多くの場合「対応の遅れ」「医療体制の整備不十分」といったネガティブな見出しが並びます。しかしこうして各方面で頑張っている人々がいるからこそ、日本のパニックはこの程度で収まっているということは、もう少し報道されてもよいように思います。
参考:新型インフルエンザはなぜ恐ろしいのか
押谷 仁

(タミフル)
昨日(10月24日)、アメリカではオバマ大統領が新型インフルエンザ問題で「国家緊急事態」を宣言しました。アメリカではインフルエンザの感染者が数百万人、死者が1000人を突破し、いまだ鎮静の兆しが見えないことからついにこの宣言に踏み切ったようです。これによって議会の手続きなどを経ずに措置が可能になりますので、アメリカは今後思い切った手段を打ってくることになりそうです。
インフルエンザ患者に対する治療方針は、今のところ日米で大きな差があります。アメリカでは、米疾病対策センター(CDC)が「健康な人は新型インフルエンザに感染しても、タミフルやリレンザなど抗ウイルス薬による治療は原則として必要ない」とする方針を発表しています(読売新聞の記事)。供給に限りがあること、耐性ウイルスの出現の恐れなどを理由に挙げています。
逆に日本では、感染症学会が「インフルエンザかどうかわからない疑い例であっても、積極的にタミフルを投与すべき」という方針を発表しています(感染症学会の提言はこちら)。
その結果はどうなっているか。日本では1週間で30万人の患者が出た週などもあり、患者数は累計300万人を超えているといわれます。人口あたりの患者数は、アメリカと大差ないレベルにあると見ていいでしょう。
ですが今のところ国内でのインフルエンザによる死者は、疑い例まで含めて32人にとどまっています。世界平均では0.1〜0.5%の死亡率と見られていますから、この数字を当てはめれば日本では3000人から1万5000人の死者が出ていてもおかしくありません。とにかく死者をアメリカの30分の1、世界平均の数百分の1レベルに抑え込んでいるのは、素晴らしい成果といってよいのではと思います。
もちろんこれは現場の第一線で体を張って頑張っている医師の努力が大きく、心から敬意を表するものです。その他日本のハード・ソフト両面での対応策が充実していることも寄与しているでしょうが、やはりタミフルの積極投与という方針がかなり成功していると見てよいのでは、と思います(もちろん今の段階で全てタミフルのおかげ、というわけには行かず、はっきりしたことをいうには今後の疫学的検証を待たねばなりませんが)。
もし日本で、インフルエンザによって千人単位の死者が出ていたら、会社や学校の閉鎖、イベントの中止など経済的にも大きな損失が出ることは間違いありません。この意味で、タミフルの功績は我々が思っている以上に大きい可能性があります。
もちろん耐性ウイルスの問題などありますから、単純にタミフルの大量使用を無条件で推進してしまってよいとは思いません。しかし、耐性が怖いからタミフルの使用を制限するというのは、すでに百万単位の患者が出ている新型インフルエンザの流行状況を、さらに相当悪化させてしまう危険を伴います。
そこでタミフルに続く治療薬も臨床試験が進んでおり、第一三共のCS-8958や富山化学のT-705など、日本のメーカーが大いに頑張っています。いずれも好成績を挙げており、近い将来の発売が待たれます。


CS-8959(上)とT-705(下)
インフルエンザ問題については連日報道されており、多くの場合「対応の遅れ」「医療体制の整備不十分」といったネガティブな見出しが並びます。しかしこうして各方面で頑張っている人々がいるからこそ、日本のパニックはこの程度で収まっているということは、もう少し報道されてもよいように思います。
参考:新型インフルエンザはなぜ恐ろしいのか
2009年10月18日
化学賞と医学・生理学賞のあいだ
さて少々遅くなってしまいましたが、ノーベル賞の話題を。
ノーベル化学賞が分子生物学分野に持って行かれるのは今に始まったことではありませんが、今年はまた実に微妙なことになりました。化学賞がリボソームの研究、医学生理学賞がテロメアとテロメラーゼの研究に与えられたからです。
リボソームとは、タンパク質合成の役割を担う、極めて重要な細胞内の小器官の一つです。2つのサブユニット(30Sと50S)から成るダルマのような形状で、分子量は約420万、3分の1がタンパク質で3分の2がRNAから成る巨大な複合体です。今回の受賞者Ramakrishnan・Steitz・Yonathは、それぞれリボソームの結晶化に成功し、X線結晶解析と呼ばれる手法によってその構造を精密に解析しました。
(リボソーム)
ご覧の通りの壮絶な構造で、どういう苦労があったかは想像もつきません。学問的な意義からしても、当然ノーベル賞が与えられてしかるべき研究なのだと思います。専門の方が解説しておられますので、詳しくはこちらをご覧下さい。
一方テロメアの方は、DNAの末端に存在する構造のことを指します。DNA鎖の末端は、そのままだとDNA分解酵素などによって壊されてしまうため、こうした作用を受けないよう一定の形に折り畳まれて安定化されているのです。靴紐などの端が、ほつれないようにビニールなどでカバーされていることがありますが、DNAにも同じ仕掛けがほどこされているのです。
テロメアは、TTAGGG(T=チミン、A=アデニン、G=グアニン)という6塩基が繰り返し並んだ独特の配列をとっています。このグアニンをたくさん持つ領域は、通常の塩基間の水素結合とは異なった形で、グアニン四重鎖(G-quadruplex)と呼ばれる美しい構造を形成します。こんなものがDNAの末端全てに存在しているのか、と自然のたくみに驚きを覚えずにいられません。

(G-quadruplex)
そしてこのリピート部分は、DNAが複製されるたびにコピーしきれない部分が残るため、細胞分裂のたびに短くなっていきます。つまり細胞は一定回数以上分裂することはできない――、これが細胞の「老化」であると考えられているのです。
しかし生殖細胞などのように、いつまでも分裂し続ける細胞もあります。これは一体何が起こっているのか――この問題は「末端複製問題」と呼ばれ、分子生物学者の間で一大テーマとなっていました。
今回のノーベル医学生理学賞を獲得したBlackburn、Greider、Szostakらの功績は、この末端複製問題を解決したという点にあります。彼女らは、この短くなっていくテロメアを継ぎ足す、「テロメラーゼ」と呼ばれる酵素を発見したのです。
ガン細胞がテロメアの短縮という問題を乗り越えて増殖し続けるのは、このテロメラーゼという酵素が発現しているからです。このため、このテロメラーゼを阻害する化合物は副作用の少ない抗ガン剤になると考えられ、一時期活発な研究が行われました。こうしたことも、今回のノーベル賞を後押ししたと考えられます。
================
しかしなぜリボソームは「化学」で、テロメアは「医学・生理学」なのか――。この辺に関しては筆者の周辺でも、Twitterなどでもかなり疑問に感じる声があったようです。先のノーベル賞解説を執筆された@popeetheclownさんによれば次の通りです。
リボソームが医学生理学賞ではなくて化学賞になる理由.
1. 研究対象は生物ではなく,リボソームと言う複雑な化学物質
2. 解明したのはタンパク質合成反応の素過程
3. 翻訳現象は生理学の範疇でも素過程の解析は生理学ではなく生化学
4. 医学的な意義はメインではない
確かに、ここ最近生体物質の構造解明(構造生物学)の仕事は、たいていノーベル化学賞が与えられています(2003年のイオンチャンネル、2006年のRNAポリメラーゼなど)。Watson・CrickのDNA構造解析は医学生理学賞(1962年)ですが、それ以後は確かに化学賞に「移管」されているようです。
ではPCR法(1993年)、ユビキチン-プロテアソーム系(2004年)、蛍光タンパクGFPの発見と応用(2008年)なんてのは何で化学賞なんだという気もしてきます。もらった本人たちも「化学賞とは思わなかった」とコメントしているようですし、正直このへんに明確な境界線はなさそうな気もします。
とりあえず合成出身者としては、化学賞を分子生物学に次々に持って行かれるのは、やはり少々悔しいところではあります。ただし見方を変えれば、タンパク質もRNAも化合物の一種であるには違いありませんから、単に「化学」の守備範囲が広がったからだ――と考えることもできるでしょう。
「逆に考えるんだ。生「化学」が、医学生理学賞を奪っていってると考えるんだ」
まあ負け惜しみといわれればそれまでですが、こんな風に考えておこうと筆者は思っています。
ノーベル化学賞が分子生物学分野に持って行かれるのは今に始まったことではありませんが、今年はまた実に微妙なことになりました。化学賞がリボソームの研究、医学生理学賞がテロメアとテロメラーゼの研究に与えられたからです。
リボソームとは、タンパク質合成の役割を担う、極めて重要な細胞内の小器官の一つです。2つのサブユニット(30Sと50S)から成るダルマのような形状で、分子量は約420万、3分の1がタンパク質で3分の2がRNAから成る巨大な複合体です。今回の受賞者Ramakrishnan・Steitz・Yonathは、それぞれリボソームの結晶化に成功し、X線結晶解析と呼ばれる手法によってその構造を精密に解析しました。

(リボソーム)
ご覧の通りの壮絶な構造で、どういう苦労があったかは想像もつきません。学問的な意義からしても、当然ノーベル賞が与えられてしかるべき研究なのだと思います。専門の方が解説しておられますので、詳しくはこちらをご覧下さい。
一方テロメアの方は、DNAの末端に存在する構造のことを指します。DNA鎖の末端は、そのままだとDNA分解酵素などによって壊されてしまうため、こうした作用を受けないよう一定の形に折り畳まれて安定化されているのです。靴紐などの端が、ほつれないようにビニールなどでカバーされていることがありますが、DNAにも同じ仕掛けがほどこされているのです。
テロメアは、TTAGGG(T=チミン、A=アデニン、G=グアニン)という6塩基が繰り返し並んだ独特の配列をとっています。このグアニンをたくさん持つ領域は、通常の塩基間の水素結合とは異なった形で、グアニン四重鎖(G-quadruplex)と呼ばれる美しい構造を形成します。こんなものがDNAの末端全てに存在しているのか、と自然のたくみに驚きを覚えずにいられません。

(G-quadruplex)
そしてこのリピート部分は、DNAが複製されるたびにコピーしきれない部分が残るため、細胞分裂のたびに短くなっていきます。つまり細胞は一定回数以上分裂することはできない――、これが細胞の「老化」であると考えられているのです。
しかし生殖細胞などのように、いつまでも分裂し続ける細胞もあります。これは一体何が起こっているのか――この問題は「末端複製問題」と呼ばれ、分子生物学者の間で一大テーマとなっていました。
今回のノーベル医学生理学賞を獲得したBlackburn、Greider、Szostakらの功績は、この末端複製問題を解決したという点にあります。彼女らは、この短くなっていくテロメアを継ぎ足す、「テロメラーゼ」と呼ばれる酵素を発見したのです。
ガン細胞がテロメアの短縮という問題を乗り越えて増殖し続けるのは、このテロメラーゼという酵素が発現しているからです。このため、このテロメラーゼを阻害する化合物は副作用の少ない抗ガン剤になると考えられ、一時期活発な研究が行われました。こうしたことも、今回のノーベル賞を後押ししたと考えられます。
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しかしなぜリボソームは「化学」で、テロメアは「医学・生理学」なのか――。この辺に関しては筆者の周辺でも、Twitterなどでもかなり疑問に感じる声があったようです。先のノーベル賞解説を執筆された@popeetheclownさんによれば次の通りです。
リボソームが医学生理学賞ではなくて化学賞になる理由.
1. 研究対象は生物ではなく,リボソームと言う複雑な化学物質
2. 解明したのはタンパク質合成反応の素過程
3. 翻訳現象は生理学の範疇でも素過程の解析は生理学ではなく生化学
4. 医学的な意義はメインではない
確かに、ここ最近生体物質の構造解明(構造生物学)の仕事は、たいていノーベル化学賞が与えられています(2003年のイオンチャンネル、2006年のRNAポリメラーゼなど)。Watson・CrickのDNA構造解析は医学生理学賞(1962年)ですが、それ以後は確かに化学賞に「移管」されているようです。
ではPCR法(1993年)、ユビキチン-プロテアソーム系(2004年)、蛍光タンパクGFPの発見と応用(2008年)なんてのは何で化学賞なんだという気もしてきます。もらった本人たちも「化学賞とは思わなかった」とコメントしているようですし、正直このへんに明確な境界線はなさそうな気もします。
とりあえず合成出身者としては、化学賞を分子生物学に次々に持って行かれるのは、やはり少々悔しいところではあります。ただし見方を変えれば、タンパク質もRNAも化合物の一種であるには違いありませんから、単に「化学」の守備範囲が広がったからだ――と考えることもできるでしょう。
「逆に考えるんだ。生「化学」が、医学生理学賞を奪っていってると考えるんだ」
まあ負け惜しみといわれればそれまでですが、こんな風に考えておこうと筆者は思っています。
2009年10月09日
5000万番目の化合物
ノーベル賞、今年は日本人には受賞がなく残念でした。職場でノーベル賞のHPにアクセスして更新ボタンをバンバン叩きながら待っていたのですが(あ、これは今の筆者にとっては職務ですので)、まあうーむという内容でした。これについては週末にでもゆっくり。
で、今回は別の話題。化学者ならCASデータベースというものをご存知でしょう。これまでに人類が発見・合成してきた化合物を登録する巨大データベースで、1907年創刊の化学抄録誌「ケミカル・アブストラクツ」(CA)のデータが基本になっています。おそらく筆者あたりが、冊子体の分厚いCAで不便な調べ物を経験した最後の世代でしょう。今はSciFinderやらReaxysやらの検索サービスが登場し、実に便利になりました。
まあそんな老人の思い出話めいたことはともかく、今年の9月7日に、このCASデータベースに登録された化合物が5000万を突破したのだそうです。化学者は100年でそれだけの化合物を積み上げてきたというのも驚きですが、もっと驚くのはそのペースで、最初の1000万個には33年かかったものが、4000万番目から5000万番目まではわずか9ヶ月だったということです。このまま行けば、ほんの数年後には1億の大台がやってきそうです。
とはいえ、実際には人類が作った化合物の数は、すでに1億を軽く超えていると思われます。特に近年コンビナトリアル・ケミストリーなど多種類の化合物を一挙に作り出す技術が進歩しており、それらはいちいち登録もされませんから、実際には数億単位になっている可能性があります。
ところで小惑星などでは、きりのよい番号に特別な天体を割り当てることがよく行われます。例えば20000番のヴァルナ、50000番のクワオアーなどはいずれも将来準惑星に指定されるであろう大型小惑星です。余談ながら、冥王星にも小惑星番号10000番を当てるという話がありました。しかしこれは実現せず、のちに134340番という半端な番号がつけられてしまいました。
では5000万番目の化合物には特別な化合物が割り当てられたのか?そんなことはなく、下記の何の変哲もない化合物が記念すべき5000万番目となりました。カナダの製薬企業が提出した特許に載っていた化合物の一つだそうです。

(5000万番目の化合物。CAS番号は1181081-51-5)。
現在では2.6秒に1個のペースで新規登録がなされているそうです。こんなに作っていたらたいていのものは合成し尽くしてしまっていて、化学に新しい発見はもはやないのでは――などという気もしてしまいます。
が、これは杞憂で、実のところ化合物には無限に近い可能性があります。CHONSPの6元素から成り、分子量500以下の化合物に限っても、可能性としては10の60乗個を超える化合物が存在するといわれます。他の元素も入れたら、実質無限大でしょう。
まだまだ化学者にはやることがある――と思うのですが、みなさんはどう思われるでしょうか?
で、今回は別の話題。化学者ならCASデータベースというものをご存知でしょう。これまでに人類が発見・合成してきた化合物を登録する巨大データベースで、1907年創刊の化学抄録誌「ケミカル・アブストラクツ」(CA)のデータが基本になっています。おそらく筆者あたりが、冊子体の分厚いCAで不便な調べ物を経験した最後の世代でしょう。今はSciFinderやらReaxysやらの検索サービスが登場し、実に便利になりました。
まあそんな老人の思い出話めいたことはともかく、今年の9月7日に、このCASデータベースに登録された化合物が5000万を突破したのだそうです。化学者は100年でそれだけの化合物を積み上げてきたというのも驚きですが、もっと驚くのはそのペースで、最初の1000万個には33年かかったものが、4000万番目から5000万番目まではわずか9ヶ月だったということです。このまま行けば、ほんの数年後には1億の大台がやってきそうです。
とはいえ、実際には人類が作った化合物の数は、すでに1億を軽く超えていると思われます。特に近年コンビナトリアル・ケミストリーなど多種類の化合物を一挙に作り出す技術が進歩しており、それらはいちいち登録もされませんから、実際には数億単位になっている可能性があります。
ところで小惑星などでは、きりのよい番号に特別な天体を割り当てることがよく行われます。例えば20000番のヴァルナ、50000番のクワオアーなどはいずれも将来準惑星に指定されるであろう大型小惑星です。余談ながら、冥王星にも小惑星番号10000番を当てるという話がありました。しかしこれは実現せず、のちに134340番という半端な番号がつけられてしまいました。
では5000万番目の化合物には特別な化合物が割り当てられたのか?そんなことはなく、下記の何の変哲もない化合物が記念すべき5000万番目となりました。カナダの製薬企業が提出した特許に載っていた化合物の一つだそうです。

(5000万番目の化合物。CAS番号は1181081-51-5)。
現在では2.6秒に1個のペースで新規登録がなされているそうです。こんなに作っていたらたいていのものは合成し尽くしてしまっていて、化学に新しい発見はもはやないのでは――などという気もしてしまいます。
が、これは杞憂で、実のところ化合物には無限に近い可能性があります。CHONSPの6元素から成り、分子量500以下の化合物に限っても、可能性としては10の60乗個を超える化合物が存在するといわれます。他の元素も入れたら、実質無限大でしょう。
まだまだ化学者にはやることがある――と思うのですが、みなさんはどう思われるでしょうか?
2009年10月04日
今見たら、ライブドアブログのランキングで2位に入っていて驚きました。偉くなったものですね、このブログも。
さて遅ればせながらTwitterなるものを始めてみました。たぶんあまり学問的な話は書かず、しょうもないつぶやきばかりになりそうな予感がします。
http://twitter.com/OrgChemMuse
まだ何もわからず、手探りな感じであると思いますが、どうぞよろしく。
さて遅ればせながらTwitterなるものを始めてみました。たぶんあまり学問的な話は書かず、しょうもないつぶやきばかりになりそうな予感がします。
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まだ何もわからず、手探りな感じであると思いますが、どうぞよろしく。



