有機化学美術館・分館

HP有機化学美術館のブログ版。タイムリーな話題,短いテーマをこちらで取り上げます。

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多環式芳香族を数え上げる

 さてまたずいぶん更新をサボってしまいました。何を書こうかと思ったのですが、いま筆者は「π造形科学」の広報を務めておりますので、ちょっと芳香族化合物のことを書いてみましょう。

 アルカンの炭素数が増えていくと、異性体の種類も加速度的に増えていくことが知られています。炭素数3までは1種類しかありませんが、その後は一炭素増えるごとにほぼ倍々ペースで増えていきます。炭素数20のイコサンでは約36万種、炭素数30のトリアコンタンでは約41億種、炭素数40のテトラコンタンでは約62兆種の異性体が存在する計算だそうです(こちらなど参考)。

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 一方、芳香族化合物の基本になるのはベンゼンです。この六角形がたくさんつながったものが、多環式芳香族炭化水素(Polyaromatic Hydrocarbon, PAH)と呼ばれる化合物群で、連結の仕方や数によってさまざまな性質を示します。では、このPAHにはどのくらいの種類があるでしょうか?

 環の数が1個(ベンゼン)及び2個(ナフタレン)の場合、異性体はなく1種類だけです。では環が3つになるとどうか?単純に六角形を3つつないだ図形は、3種類考えられます。しかし右側にある団子型の化合物(フェナレン)では、どう二重結合を配置しても、sp2配置になれない炭素が出てきてしまいます。このため、環の数が3の場合、PAHはアントラセンとフェナントレンの2種類のみということになります。

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アントラセン(右上)、フェナントレン(右下)、フェナレン(右)

 環の数が4つだと、形の上では7種の異性体がありえます。しかし、やはりこのうち一番右にあるひとつだけ、全ての環が芳香環になれません。というわけで、環が4つのとき、PAHの種類としては6種が存在します。

4rings
右の黄色い化合物のみ、芳香環のみで構成できない。

 では環が5つになるとどうでしょうか。早くも筆者の手には負えなくなってきたので、ウィキペディア先生に聞いてみましたところ、5つの正六角形をつないでできる図形は22種だそうです。何でもありますね、ウィキペディア。

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 このうち、筆者の勘定が間違っていなければ、7種類が条件を満たせませんので、PAHになりうるのは15種です(下図)。要するに、水素が結合できる場所が奇数ヶ所である場合は、どうあがいても芳香環にはなれませんので除外できます。ちなみに除外組には、以前取り上げたオリンピセンも含まれます。

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 環の数が6つになると、また違った問題が出てきます。6つの六角形を環につないだ、穴あき図形が出てくるのです。これはPAHでいうならコロネンに相当しますので、7環性化合物に分類すべきでしょう。その代わり、6つの環がらせん状につながった、ヘリセンが登場しますので、これをカウントすることにしましょう。

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コロネン(左)とヘリセン(右)

 すると、6つの六角形から成る図形82種のうち、31種がアウトということになります(だと思います)。ということで、6環性のPAHは51種ということになります(と思います)。

6rings

 環が7つでは333種、8つでは1448種、9つでは6572種、10では30490種の図形が存在するそうで、これらのうちいくつPAHになりうるのか、もう手動では全く追いつきません。アルカンの異性体数え上げでも相当大変ですが、こちらはそれ以上の課題になりそうです。もう計算されているのかどうかわかりませんが、どなたかコンピュータを駆使してチャレンジしてみてはどうでしょうか。先行例がなければ、論文一報くらいになるかもしれません。

一人でサイエンス

 Nature誌やScience誌などで、有機合成関係の論文を見かける機会が増えてきました。90年代ごろには、両誌に有機分野の論文が載ることはきわめてまれで、Nicolaouのタキソール全合成(Nature 367, 630 (1993).)や、村井らの触媒的C-H結合活性化反応(Nature 366, 529 (1993).)など、文字通り歴史的な論文がたまに掲載される程度でした。筆者など、ちょっと生物学分野に偏り過ぎなんじゃないの、と思っていたものです。

 しかし最近では、毎週のように――はちょっと言い過ぎかもしれませんが、かなりたくさん有機分野の論文が掲載されるようになりました。その分、なんでこれがNature、Scienceなんだろかと思うようなこともありますが、まあ筆者の見る目がないのでしょう。

 こうした超一流誌に掲載される論文は、大人数が投入された大型プロジェクトが多くなります。分野をまたがった共同研究などでは、著者が20人くらいになることも珍しくありません。余談ながら論文の著者数の世界記録は、Phys. Rev. Lett.誌に載ったヒッグス粒子に関する報告で、なんと5154人が著者として掲載されています。33ページの論文のうち、著者名と所属機関の表記だけで24ページを占めているということで、いろいろと桁違いのお話です。

 ところが、大学などに所属せず、自宅の物置きでたった一人で行なった研究で、Science掲載を果たした人物もいます。ホロトキシンという化合物を発見した、島田恵年氏がその人です。

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ホロトキシン

 島田氏は、京都大学薬学部の学生であったころ、母の「ナマコが水虫に効く」という言葉を聞き、試したところこれが本当に有効であったそうです。島田氏は大学院を中退し、自宅の物置きでナマコから有効成分を抽出する実験に取り組み、10年かかってホロトキシンを結晶化することに成功したのです。この結果をまとめた論文は、1969年にみごとScience誌掲載を果たしました(こちらで見られます)。

 島田氏はこのホロトキシンを「ホロスリン」の名で水虫薬として商品化し、現在でもホロスリン製薬から発売されています。在野の一化学者の果たした快挙といえると思います。

 前述のヒッグス粒子のようなビッグサイエンスが幅を利かす現代にあっては、こうした小規模で地道な研究が、世間をあっといわせる成果を挙げるのはなかなか難しいのが現実です。とはいえ、金と人をかけるばかりではない、鋭いアイディアの研究も見てみたいと思う次第です。

(参考)「海の生き物からの贈り物~薬と毒と~」 化学工業日報社
海洋天然物化学について一般向けに書かれた本ですが、上記のようなエピソードも満載で、大変に面白い本です。著者は,DPPAやTMSジアゾメタンの開発で知られる、塩入孝之先生です。

画期的新薬・ソバルディの代価

 前回、ソバルディ(化合物名ソフォスブビル)という薬の素晴らしい効能について書きました。ただ世の中、なかなかめでたいばかりとは行きません。実はこの薬、価格が非常に高いという問題があります。昨年、ソバルディが認可された際につけられた薬価は1錠あたり6万1799円、「レジパスビル」という薬との合剤である「ハーボニー」は8万171円でした。12週間の治療では、それぞれ約546万円、約673万円という、目の玉の飛び出るような値段になります。

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レジパスビル。ハーボニーはこれとソフォスブビルの合剤

 日本には健康保険制度や医療費助成制度があるため、患者自身の負担は数万円で済みます。しかし残りの金額は国民全体の負担となるわけで、C型肝炎の患者でない人たちにものしかかってくる問題です。

 なぜこうも高くなってしまうのか?日本を含め、多くの国では薬価は製造元でなく、国の機関が決めることになっています(詳しい決め方は、こちらなど参考にしていただければと思います)。薬の開発にかかったコスト、海外の価格とのバランスなどを考えた上、こうした画期的な薬の場合には「画期性加算」といったプレミアもつきます。

 C型肝炎の治療薬開発は、高価な動物を用いた実験を行なわねばならないなど、非常にコストと時間がかかる道のりです。ここでかかった金額を、わずか12週分の薬剤で回収せねばなりません。何より、非常に難しいとされてきたC型肝炎治療薬実現には、大きなリスクを乗り越える必要がありました。高価になってしまう事情も、理解はできるのです。

 また、C型肝炎に対して今まで行なわれていたインターフェロン療法もかなりの高額でしたし、何よりC型肝炎は肝硬変から肝がんへ進行する可能性が高い病気でもあります(肝がん患者の約75%がC型肝炎ウイルス感染者)。こうなった際の医療費を削減し、短期間の投与だけで命まで救うのだから、決して高価な薬ではない。長い間で見れば医療費の負担を軽減する薬だ――というのが、ギリアド社の言い分です。

 とはいえ、C型肝炎は患者数の多い病気なので、投資分の回収は十分可能でしょうから、もう少し適切な価格というものがあるだろうと思えます。ハーボニーが有効なタイプのC型肝炎患者は日本に33万人いるそうですので、もしこの人たちが全員ハーボニーによる治療を受けたら、単純計算で2兆2千億円以上かかってしまいます。日本の薬剤費は、2000年度に6.1兆円であったものが、2014年度には約9.9兆円まで跳ね上がり、悲鳴を上げている状態です。ここにたった1剤で2兆円が上乗せされたら、健康保険制度はとうてい保ちません。

 こうした背景から、この春の薬価改定で、ソバルディとハーボニーは31.7%という大幅な薬価引き下げを受けることになりました。一定以上に売れた医薬は、最大50%も薬価を下げられるという「特例拡大再算定」という新制度が適用された結果です。事実上、ソバルディとハーボニーを狙い撃ちにした制度といっていいでしょう。まあこれだけ値下げしてさえ、健康保険制度に対するソバルディの負担はなお非常に重いことは変わっていないのですが。

 しかしこれは、製薬企業からすれば「画期的な薬を開発したらペナルティで売り上げを削られる」ような制度であり、イノベーションへの意欲をそぐものとして、強い反発の声が挙がっています(高い薬価さえつければ、イノベーションは起こるのかというツッコミもあるでしょうが)。それより恐ろしいのは、海外企業が「日本市場に魅力なし」と見たら、今後の画期的新薬の日本投入が遅れるという事態でしょう。

 そして困ったことに、ソバルディやハーボニーどころではない高薬価の薬が、まだまだ存在するのです。たとえば乳がんの治療薬ハラヴェン(化合物名エリブリンメシル酸塩)の薬価は1ミリグラムあたり6万4070円で、重量あたりでいえば純金の1万3千倍以上です。肺がん治療薬アレセンサは1年間投与すると約950万円、同じくオプジーボに至っては約3460万円ということで、薬価上昇傾向はとどまるところを知りません。

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エリブリン
 
今後もこうした高額医薬が出てくるであろうことを考えると、事態は健康保険制度、高額療養費制度が保つかどうかというところに来ているように思います。これは日本だけの問題ではなく、世界各国が薬価高騰については頭を痛めているところで、米大統領選でも薬価抑制が大きな争点ともなっているほどです。

 それにしても、新薬が高騰しすぎて国家の財政を食い潰すほどになっているのは、どこかで何かが間違ってしまっているというしかないように思います。みなさまはこの問題、どうお思いでしょうか。

(関連記事)
薬にまつわるエトセトラ 「オプジーボ、ハーボニー、アレセンサ……高騰する薬価」
医学会新聞 コストを語らずにきた代償  “絶望”的状況を迎え,われわれはどう振る舞うべきか

C型肝炎への切り札・ソバルディ

 近年登場した医薬のうち、最も売れているものといえば、C型肝炎治療薬ソバルディ(化合物名ソフォスブビル)でしょう。2014年度の世界売り上げは100億ドルを突破し、並みいる最新の各種バイオ医薬を蹴落として、一気に初登場2位をゲットするという快進撃を見せました。昨年から日本でも発売され、わずか4ヶ月で売り上げ首位に躍り出るなど、まさに「爆売れ」というべき状況です。

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ソバルディ(ソフォスブビル)の構造

 C型肝炎という病気は、輸血や注射器の使い回しなどにより、血液を介してC型肝炎ウイルス(HCV)が体内に侵入することで発症します。HCVキャリアは世界で1億7千万人といわれますが、これまで有効な治療法やワクチンなどはなく、大きな問題となっていました。

 ところがソバルディは、わずか12週間の投与で約96%の患者を治癒させるという結果が出ています。まさしく著効を発揮する上、重篤な副作用もないとされています。エイズの治療薬などでは、一生飲み続ける必要があるのとは対照的です。ここまで治療に劇的な進歩をもたらす医薬は、そうあるものではありません。

 こうした抗ウイルス薬にはいくつかのタイプがありますが、ソバルディは「核酸アナログ」と呼ばれるものです。HCVはRNAを遺伝子として持っており、増殖の際にはこれを大量に複製する必要があります。そこで、RNAの部品となる核酸(ヌクレオシド)によく似た分子を紛れ込ませ、RNAを作るシステムをストップさせてしまえば、ウイルスの増殖を食い止められます。これは、以前取り上げたインフルエンザ及びエボラ出血熱治療薬「アビガン」と同じようなメカニズムです。

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アビガン(化合物名ファビピラビル)の構造

 ソバルディの「本体」といえるのは、右側の部分です。ここはRNAの「部品」のひとつであるウリジンの構造にそっくりですが、そのヒドロキシ基のひとつ(2'位OH)が、メチル基とフッ素に変わっているのです。これが体内に入ると、リン酸基が取り付けられ、本物のウリジン三リン酸と間違えられてウイルスのRNA合成酵素に入り込みます。しかしこの偽物の部品は、酵素にくっついたまま離れなくなり、それ以上のRNA合成合成を阻んでしまうのです。

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ソバルディの本体(左)とウリジン(右)

 ただし、この本体部分だけを投与しても、あまり効果が挙がりませんでした。この「本体」(下図の化合物(1))は、まずひとつリン酸と取り付けられて(2)になり、さらに三リン酸のついた活性本体(3)になるのですが、この第一段階の進行が遅いためです。

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 じゃあ最初から(2)か(3)を薬として投与すればいいんじゃないの、と思うところですが、これもうまくいきません。リン酸のように電荷を持った部位がついていると、薬剤が細胞内へ進入しにくくなるためです。そこで、(2)のリン酸部分にフェニル基やアミノ酸を取り付けて、電荷を「消す」工夫が行われました。この形では中性なので問題なく感染細胞へ入り込み、その後、細胞内でフェニル基やアミノ酸が切り離されて(2)を遊離します。

 吸収されやすいように、適当な置換基を薬剤本体に取り付けておき、体内で切り離すこうした手法を「プロドラッグ」と呼びます。この場合は、ヌクレオチドに対するプロドラッグということで「protide」(prodrug+nucleotide)と名づけられているようです。

 この手法は、ギリアド・サイエンシズ社で開発中の、GS-5734でも使われています。この薬は、エボラ出血熱など幾つかのウイルス疾患に有効であり、注目を集めています。ギリアド社は抗インフルエンザ薬タミフルで有名になりましたが、このソバルディなども含め、抗ウイルス薬の分野で快進撃を続けています。
(注:ソバルディを最初に創ったのは米ファーマセット社で、ギリアドがこれを買い取って発売)

GS-5734
GS-5734

 というわけで、ソバルディはさまざまな工夫が凝らされた、素晴らしい医薬であることは間違いありません。ただ、なかなかいいことづくめと行かないのが世の常で、このソバルディも高薬価という難題を抱えています。このへはまた次回に。

あの試薬の意外な使いみち

 有機化学の実験室にはさまざまな試薬があり、それらの特徴をよく知って使い分けることが必要になります。しかしそうした試薬には、実験室外でも意外な使い方をされているものがあります。

 たとえば塩化チオニルは、塩素化剤として最も広く利用される試薬です。アルコールのOH基を塩素に置換して塩化アルキルに、またカルボン酸を酸塩化物へ変換する能力を持ちます。副生成物は塩化水素と二酸化硫黄だけであるため、単に反応液を留去するだけでほぼ純粋な生成物が得られるので、この反応の際に真っ先に検討する試薬といえます。

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 この塩化チオニルは、電池の陽極として用いることで、高電圧の電池となることが知られています。陰極として金属リチウムを用いるため、塩化チオニルリチウム電池と呼ばれます。

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塩化チオニルリチウム電池(Wikipediaより)

 塩化チオニルリチウム電池は、長期間にわたって広い温度幅で使える特性があります。このため、水道やガスメーター、防犯装置の電源として用いられます。宇宙開発にも活躍し、現在公開中の映画「オデッセイ」の原作「火星の人」(大変面白いです)にも登場します。ただし、塩化チオニルには腐食性があるため、破損すると危険です。このため塩化チオニルリチウム電池は、組み込み部品として用いられることがほとんどであり、その姿を我々が見る機会はほとんどありません。


 過酸化ベンゾイルも、実験室には常備されている試薬のひとつです。この化合物は不安定なO-O結合を持つため、熱などで開裂してラジカルを発生します。このため、オレフィン重合の開始剤としてよく用いられます。

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過酸化ベンゾイル

 この過酸化ベンゾイルは、ニキビ治療薬としての用途があります。アメリカなどではかなり以前から用いられてきましたが、日本でも2015年にようやく認可され、皮膚科などで処方されるようになりました。この化合物がニキビの原因となる菌を殺すことによって効果を表します。また、ピーリング作用を持ち、角質を除去するはたらきもあるようです。


 もうひとつ、水素化ホウ素ナトリウムも有名な還元剤であり、ケトンやアルデヒドをマイルドな条件でアルコールに変換することができます。使ったことがない有機化学者はいない、というくらいに汎用される試薬でしょう。

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 この化合物は、酸やある種の触媒によって分解して水素分子を放出するため、水素源として用いられることがあります。水素はクリーンなエネルギー源であるものの、運搬が難しいというデメリットがありますが、水素化ホウ素ナトリウムはその難点を解決する手段の一つとして期待されています。

 ちょっと意外な用途としては、絵画の修復があります。紙は長い年月の間に、光による黄変、カビなどのシミが発生し、せっかくの絵画を鑑賞不能にしてしまいます。こうした紙を、0.25%ほどの薄い水素化ホウ素ナトリウム水溶液に浸すと、色素成分が分解されて白く戻ることがあるのです。もちろん紙に薬品が残っていると劣化の原因になってしまうので、処置後は純水でよく洗い流す必要があります。


 これらはあくまで有機化学者から見た「意外な用途」であり、他分野の人から見れば「この薬品は有機化学でも使うのか」と思われるものかもしれません。しかし、多くの試薬の性質を熟知した研究者なら、ちょっと頭を柔らかくすれば、他分野での思わぬ応用がひらめく可能性もありそうです。

サーキュレン

 有機化学では数限りない分子を取り扱いますが、中でもベンゼン環は基本というべき存在であり、これがあることでこのジャンルはぐっと奥深さを増しているといえます。このベンゼン環をつないだだけの分子も、すいぶんたくさん作り出されています。

 ベンゼン環の六角形が辺同士でつながり、全体として環になった分子を「サーキュレン」と称します。多角形を、ベンゼン環がぐるりと取り囲んだ分子と表現することもできるでしょう。サイズを表現するときには、ベンゼン環の数を先頭につけて、[n]サーキュレンという書き方をします。

 20世紀中に合成されたサーキュレンは、n=5,6,7,12の4種類です。ベンゼン環5つのものはコランニュレン、6つのものはコロネン、12個のものはケクレンという名がついています。これらは、何度か本サイトでも取り上げています。

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 この後しばらく、サーキュレン類の新顔は登場していなかったのですが、2010年代になってこのジャンルは再び活発化し始めました。2010年、B. T. Kingらのグループが[4]サーキュレンにあたるクアドラニュレン骨格を、2012年には[14]サーキュレンに相当するセプチュレンの合成を報告したのです。さらに2013年には分子研の鈴木敏泰ら、2014年にはWhalleyらが[8]サーキュレン骨格の合成に成功するなど、次々にブレイクスルーが生まれています。特に、ひずみが大きすぎる[4]サーキュレンはいくらなんでも無理だろうと思っていたので、この合成には驚かされました。

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(※追記 [8]サーキュレンは、台湾のYao-Ting Wuらが先に作っているとのご指摘をいただきました(論文)。しかもこちらはベンゼン環が縮環していない、純正のものです。筆者の見落としでした。失礼いたしました。)

 これらサーキュレン類が最近になって次々作り出されているのは、やはり合成法の進歩が大きいと思われます。パラジウムを用いた結合生成、各種の芳香環形成反応など、多くの新しい反応がこれらの合成を下支えしました。

 また、曲がった芳香族特有の面白い性質も、注目を受ける理由でしょう。上の図では平面的に描いてありますが、ベンゼン環の数が5, 7, 8のサーキュレンは実際には平面から外れた構造をとります。たとえば[7]サーキュレンは下図のように、反り返った形になっています。

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[7]サーキュレン

 これら非平面の芳香族化合物は、単純な平面のものとはいろいろと異なる性質を示します。たとえば、平面の芳香族はぴったり重なるので互いにはがれにくく、一般に溶媒に溶けにくいのですが、非平面の芳香族化合物には溶解度に優れたものが多いのです。この性質は、デバイス化など応用を考える際には大いに有利になります。

 というわけで、今後もこのたぐいの化合物はいろいろ登場してくると思われます。ヘテロ環を含んだものもたくさん作られていますし(別の機会に取り上げたいと思います)、下のようなベンゼン環数が8〜10のサーキュレンも、すでにチャレンジしている人がいそうです。[9]サーキュレン(右上)はひずみも高そうなので、右下のような配置も考えられそうですが、中央の穴の中で水素が干渉するので、これはこれで難しいかもしれません。

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 サーキュレン類に限りませんが、こうした化合物の合成法を眺めていると、環の数が奇数のものは難しいなあと思います。奇数であると、対称性を利用して一気に短工程で骨格を作るという方法が取りにくいからです。たとえば[8]サーキュレンは、こちらのd,eにあるような方法で、比較的簡単な化合物から一段階で骨格ができていますが、環の数が5や7だとこういう手が使えず、どうしても長工程になってしまいがちです。

 こうしたところを、化学者たちがどう工夫して乗り越えてくるか、また今後どういう応用が出てくるか。野次馬である筆者としては、展開を楽しみに待ちたいところであります。

新元素名は何になるか

 昨年末、日本の科学界に待望のニュースが飛び込みました。森田浩介博士(現・九州大)率いる理研チームが合成・報告した113番元素がIUPACの認定を受け、命名権が同グループに与えられたっというものです。日本はもちろんアジアでも初の快挙であり、科学史上に残るできごとと言ってよいでしょう。

 実はこの時発表されたのは113番だけではなく、115・117・118番元素にも同時に命名権が与えられています。115番と117番は、JINR(ロシアのドゥブナ合同原子核研究所と、米国ローレンス・リバモア研究所、オークリッジ国立研究所の共同研究チーム)が、118番は同じくロシアのドゥブナ合同原子核研究所と、米国ローレンス・リバモア研究所の連合チームに命名権が授与されています(こちら)。

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 さてそうなると、これら新元素の名前は何になるのか。この件に関し、Nature Chemistry誌のブログ「The Sceptical Chymist」で予想が行なわれています(New kids on the p-block)。専門家を招き、オッズなどもつけられて、なかなか本格的です。

 まず語尾ですが、新元素が金属と予測される場合は-iumで終わるようにという規定がありますが、117番はハロゲン、118番は貴ガスの位置です。このため、先輩元素たちに合わせて117番元素は-ine、118番元素は-onで終わる名が予想に挙がっています(もちろん新元素の化学的性質は全くわかっておらず、ハロゲンや貴ガスに分類されるべきものかどうかはまだ不明ですが)。

 語幹の方は、
(1)神話にちなむもの
(2)鉱物名
(3)国名や地名
(4)元素の性質
(5)科学者の名
から取るというガイドラインがあります。といっても、最近の元素は鉱物から得られるわけでもなく、性質もわからないところが多いので、地名か科学者名がほとんどになっています。

 ☆113番元素の名は?
 日本発の新元素である113番元素には、オッズの高い方から順にJaponium、Nipponium、Nihonium、Rikeniumなどの名が挙げられています。ただ、一度元素名として提案されて消えた「幻の元素」の名は使えないということもあるようなので、43番元素に対して一度提案された「ニッポニウム」は不可とされる可能性大です。リケニウムも、理研は地名ではないので外されるのではと思います。

 ニホニウムとかジャポニウムはOKのはずなので、後者が今のところ本命視されています。なんでジャパニウムは候補にならないんだろう、とちょっと疑問ですが。日本神話にちなんで「Amaterasium」も8対1のオッズで、響きは悪くありませんがどうでしょうか。

 謎なのは、6対1というかなり高いオッズで、「Enenraium」が推されていることです。エネンラて何よ、と思って調べたら、「煙々羅」という煙の妖怪がいるのだそうです。いったい、なぜこれが出てきたのやら。それであればヌラリヒョニウムかジバニャニウムとかの方が、よっぽどなじみがあると思いますが。ちなみにオッズ50万対1で、「Godzillium」の名も入っていたりします。

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妖怪・煙々羅

 ☆115番元素
 先ほど、新元素名は地名か科学者にちなむものがほとんどと書きましたが、最近の元素発見は米ロ独のチームによる寡占状態が続いているため、地名はだいぶ使い尽くされてきた感もあります。先のブログでは大本命として、モスクワにちなむ「Moscovium」が挙げられています。この名前、116番のリバモリウムの時にも提案されているということですが、リベンジは成るでしょうか。

 ロシアにちなむ元素には、すでにルテニウム(ロシアの古名Rutheniaから)があります。また、ルシウム(Russium)は、すでに19世紀に一度提案されて消えているようです。アメリカの研究所にちなむTennessium、Oakridgiumも挙がっていますが、アメリカ側の寄与が小さいと見られているのか、オッズは高くありません。

 ☆科学者の名
 というわけで、科学者名由来の新元素名がつけられる可能性はかなり高いと思われます。113番元素に対しては、物理学者仁科芳雄にちなむ「Nishinium」が候補になっています。日本の著名な核物理学者には湯川秀樹、長岡半太郎、南部陽一郎などもいますが、理研の大先達である仁科が有力ということでしょう。筆者も、人命由来ならニシニウムが本命かと思います。

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日本の現代物理学の父・仁科芳雄

 他にも、いまだ元素名になっていない大物学者はたくさんいます。先のブログでは、ベルセリウス、アボガドロ、モーズリー、パウリ、ポーリングなどにちなむ名が挙げられています。シュレーディンガーやハイゼンベルクといった超大物もまだ元素名にはなっていませんが、これだと名前が長くなりすぎるのが問題かもしれません。

 日本ではあまり有名ではありませんが、98〜109番あたりの元素合成に大きく貢献した科学者、アルバート・ギオルソが選ばれる可能性はかなりありそうに思います。米国からの意見が通るようなら、ギオルシウムの名が周期表に刻まれることになるでしょう。

 候補には挙がっていませんが、118番元素に対しては、貴ガス発見に多大な貢献をしたW. Ramsayにちなんで「Ramsayon」の名はどうかと個人的には思います。第7の貴ガスに、最もふさわしい名前ではないでしょうか。

 というわけで筆者の予想をまとめますと、

 113番:ジャポニウム(Jp)
 115番:モスコビウム(Ms)
 117番:ギオルシン(Gi)
 118番:ラムゼイオン(Rm)

 てな感じでありますが、みなさまのご意見はいかがでしょうか。

自著を振り返ってみる(2)

 というわけで、自分の著書を振り返ってみる企画パート2です(パート1はこちら)。

 ・炭素文明論〜「元素の王者」が歴史を動かす
 2013年7月刊。ここまで本やブログを書いてきた経験から、化学関係者に向けた化学の本だけ書いていても、どうしても広がりがないなという思いがありました。で、文系の人に読んでもらうにはどうすればいいか、自分なりに考えて書いてみた一冊。デンプン、グルタミン酸、カフェインなどいくつかの化合物を取り上げ、世界の歴史との関連を描いてみました。

 評判もよく、自分では今のところこれが代表作だと思っています。韓国・台湾版も出て、初めて世界進出を果たすことができた意味でも、思い出深い本です。タイトルだけ見ると相当硬い本に思えますが、実はそんなに難しくもないですし、「世界史を変えた薬」を気に入ってくださった方なら、こちらも面白く読んでいただけるものと思います。

コンセプトの練り込みもしっかりできた一冊と思います。

 ・ふしぎな国道
 2014年10月刊。ご存知の方はご存知の通り、筆者は国道巡りという変な趣味を持っています(「国道系。」というブログもあります)。こちらでも本を書きたいと思い、各社の編集者さんと会うたびに話を持ちかけていたのですが、「ハハハ面白いですね。で、本題ですが」と軽くスルーされておりました。そんな中、講談社のT氏が唯一この話を真に受け、誕生したのがこの本です。

 その結果、この本は4万部近く売り上げる、まさかのヒットとなりました。世の中、何が当たるかわからないものです。まあ、筆者のどのサイエンスの本より売れてしまったので、サイエンスライターを名乗る者としてはやや複雑な心境ではあります(笑)。

 国道めぐりって何が楽しいの、と思われそうですが、謎を解くことに快感を覚えたり、数字が好きであったりする研究者諸氏には、おそらく潜在的に国道マニアの適性があると思います。だまされたと思って本書を手に取ってみて下さい。「そうだったのか!」と思うネタが満載です。


 実際には帯がかかっており、国道標識がプリントされています。

 ・化学で「透明人間」になれますか? 人類の夢をかなえる最新研究15
 2014年12月刊。「小説宝石」に連載したものをまとめた本です。がんや花粉症は治せるか、惚れ薬やダイヤモンドは作れるか、金持ちになれるかなどなど、真面目なものから突拍子もないものまで、15の「人類の夢」を化学がどこまでかなえられるか、という内容です。

 この本、サトウ博士と妻のショウコさんの会話、というか夫婦漫才形式で進んでいきます。挿絵及びマンガも描いていただき、広く読みやすいのではと思います。ただ残念ながら、筆者の本の中で唯一増刷がかかっていません(最近出たばかりの「国道者」を除く)。授業などで使えるネタも満載で面白い本なんだけどな、と自分では思っているのですが。

イラスト・マンガはおちゃずけさんに担当していただきました。


 ・世界史を変えた薬
 2015年10月刊。「炭素文明論」企画中に、どれか医薬の話も入れるべきかと考えているうち、医薬だけで一冊書けそうだと思い至りました。実際、医薬だけでも選ぶのに苦労するほどエピソードがあり、気づかぬ形で世界史を動かしてきたキーファクターだと気付かされました。この本も好評をいただき、海外版の刊行も決定しています。

 創薬研究に10年以上関わってきた身として、やはり医薬という存在には思い入れがあります。そのあたりがどう中身に作用しているか、ご覧いただければ幸いです。

 この本はノーベル賞シーズンに刊行されるということで、ヤマを張ってエイズ治療薬開発の満屋裕明先生の話を入れてみました。結果としては今回はハズレとなりましたが、いつか必ず受賞されると思っています。電子版では、特別編として大村智先生の業績についての一章を収録しています(紙版でも挟み込みで掲載)。

この本も帯がかかっており、薬のカプセルの写真が入っています。

 ・国道者
 2015年11月刊。「新潮45」誌に連載中の同題のエッセイをまとめたものです。国道の本第2弾ということで、こちらは道路史における謎解きがメインテーマになっております。昭和30年代にはズダボロだった日本の道路は、わずか30年ほどで驚くべき進化を遂げるわけですが、その中にはやはり政治的なあれやこれやがあったわけで、調べていくと実に面白いです。

 こういう本を書いていて気づいたのは、結局研究者の資質として重要なのは、「謎を謎として認識する能力」そして「謎が解けた時に快感を感じる体質」なのではないかということです。なんかこいつはおかしいぞ、と気づかねば進んで課題には取り組みませんし、謎が解けたときに「そうだったのか!」と強く感じる心がなければ、取り組むエネルギーは生まれません。というわけでこの本、道路に興味がなくとも研究者気質の人なら、面白く読んでもらえるのではと思います。

 とはいえ、道路史は鉄道に比べると資料が少なく、研究も進んでいません。筆者あたりの素人仕事ではなく、その方面の専門家にしっかりと研究していただきたいものと思う次第です。

書店によって置いてある棚がまちまちなので、ポチっていただくのが確実です。


 ・健康になれない健康商品: なぜニセ情報はなくならないのか
 で、こちらが今月20日発売予定の最新刊です。雑誌「企業診断」での連載に、加筆修正の上まとめたものです。タイトルの通り、酵素やら水素水やら血液クレンジングやら、怪しげな健康法に関して書き綴った本です。できる限り、現状の科学知識に沿って、誠実に書いたつもりです。

 正直言いますと、この手の本はリスクが大きく、あまり書きたい部類の本ではありません。有名人やら博士やらが支持する健康法やダイエット法、大企業が発売する健康商品に向かって筆者あたりが何か書いても、焼け石に水なのかなという空しさもあります。とはいえ次々に妙な話も出てきますし、同じことでもある程度繰り返し言っておく必要もあるかと思い、こうしてまた世に問う次第です。そう言っているそばから、グルテンフリーとか何とかがまた流行り始めるのでアレなのですけれど。

さてどの程度反響がありますか。


 まあ今後も化学や医薬の本は書き続けますし、道路関連の本も需要がある限り書きたいと思います。囲碁や折り紙の本なんかも、いつか書ければよいと思っていますし。ご興味のある出版関係者、また佐藤健太郎フェアなどやってみてもよいという奇特な書店さんなどおられましたら、素早くご連絡いただければ幸いであります。

日本の「国化合物」

 世界の国の多くには、その国を象徴する動植物が決められています。たとえば日本の国花はサクラ、国鳥はキジ、国魚は錦鯉なんだそうです。国獣も決まっている国が多いのですが、日本にはないようです。

 このへんはご存じの方も多いと思いますが、たとえば「国石」もあることはあまり知られていないと思います。日本の国石は水晶で、かつて良質の水晶を産したことからだそうです。

quartz
水晶(石英)の結晶構造

 国蝶はオオムラサキで、これは1957年に日本昆虫学会の総会で決められたのだそうです。何で蝶ばっかり、国蟻や国甲虫もあってもいいじゃないかという気もしますが、どうやらないようです。もし「国虫」を決めるなら、日本の別名を「秋津島」というくらいなので、トンボにすべきではないかと個人的には思います。

ohmurasaki
国蝶・オオムラサキのオス(Wikipediaより)

 2006年には「国菌」も決まりました。日本醸造学会の大会において、麹菌ことアスペルギルス・オリゼーが、国菌に認定されたのです。マンガ「もやしもん」でも主役(?)を張ったこの菌、味噌・醤油・日本酒など、日本の食文化を支えてきた存在ですから、これは文句なしでしょう。

 さてそうなると、化学の世界でも何かこういうものを決めてもいいのでは、という気がしてきます。「国元素」は、先日命名権獲得となった113番元素で決まりでしょうが、たとえば「国化合物」となると何がよいか。発見の経緯で日本に縁が深く、できれば日本の歴史や文化に関連しているものがよさそうです。

 先日このことを少しツイートしたところ、エフェドリンとかアドレナリンといったご意見をいただきました。いずれも日本で発見された化合物であり、資格はありかなと思います。そういう意味では、カーボンナノチューブという選択肢もありますね(化合物ではなく単体ですが)。

 まあしかしいろいろ考えていくと、やはりグルタミン酸ナトリウムがふさわしいかなという気がします。旨味成分であることを発見したのは日本の池田菊苗ですし、日本食に欠かせぬ味わいでもあります。生理学など各分野で重要な化合物でもありますし、一番納得がいくのではと思えます。

GluNa
グルタミン酸ナトリウム

 といろいろ考えてみましたが、この他タンパク質や錯体など、各ジャンルで日本を代表する物質を考えてみるのも一興ではないかなどと思う次第です。みなさまのご意見はいかがでしょうか。

自著を振り返ってみる(1)

 さて昨年は2冊の本を出版し、筆者の単著はこれで累計10冊の大台に乗りました。いつの間にかずいぶん書いてきたものだなと思います。ということでこの機会に、ここまで出してきた本を、裏話など交えつつ振り返ってみようかと思います。

 ・有機化学美術館へようこそ ‾分子の世界の造形とドラマ
 2007年5月刊の、記念すべき処女作。旧サイトを元に加筆修正したものです。それまでにも2度ほど「サイトを書籍化しませんか」という声はかけていただいていたのですが、三度目の正直で日の目を見ました。

 今見ると書き手として未熟だなと思うところも多々ありますが、カラーページも充実しており、美術館の名に恥じない出来と思います。これだけ面白分子を大々的に扱った本はそれまでなかったし、その後も類書は出ていません。出来上がった本を手にとった時、書店に並んでいるのを見た時の感動は、生涯忘れることはないでしょう。

 まだ会社に務めていたころに出した本なので、手続きやら認可やらいろいろ面倒だったのも、今となってはよい思い出です。3万部くらい売れたら会社を辞めてライターになってやろうと思っていたのですが、残念ながら1万部少々でした。まあ結局、この本が出た半年後に退職してしまったのですが(笑)。

勤めが終わってから、毎日遅くまで構造式をしこしこと描いたものでした。

 ・化学物質はなぜ嫌われるのか ‾「化学物質」のニュースを読み解く
 2008年6月刊行。1冊めと同じ、技術評論社の「知りたい!サイエンス」レーベルからです。専業ライターになって初めての本で、それだけに気合も入りました。各種の化学物質を取り上げ、その危険性について世間での誤解を解くコンセプトで書いています。こういう本はミスがあった場合を考えると非常に恐いのですが、科学的に見てここまでは大丈夫と見たら、思い切って踏み込むことにしたのがよかったと思います。

 この本は、タイトルをどうするかで出版社側とずいぶんもめた記憶があります。実はタイトルというものは書き手が自由に決められるものではなく、営業政策やらいろいろにらみ合わせて、編集会議で決まります(もちろん意見は聞かれますが)。書き手にとって著書は可愛いわが子同然なので、納得の行く題名をつけたいところなのですが、この本に関してはこれがベストであったか、今もわかりません。

 売り上げは前作とあまり変わりありませんでしたが、これをきっかけにあちこち講演などにも呼んでいただき、多少なりと化学物質に対する世間の理解に貢献できたかなと思っています。また、評論家の宮崎哲弥氏に週刊文春のコラムで「掛け値なしの名著である!」と激賞いただき、ライターとして非常に自信になりました。これが次の仕事につながり、飛躍のきっかけともなったので、思い出深い一冊です。この週刊文春は、今も大事に保管してあります。

フリーとなり、気楽ながらも迫り来る貧困の恐怖に怯えながら書いていました。

 ・医薬品クライシス―78兆円市場の激震 (新潮新書)
 2010年1月刊。東京大学で働いているときに出した本で、初めての完全書き下ろしでした。古巣の医薬品業界について書いた本で、大型医薬品の特許が一斉に切れる「2010年問題」をテーマとしています。医薬がなぜ効くか、創薬の過程、副作用の問題、医薬品業界の現状分析、なぜ薬が生まれなくなったかなど、ちょっと詰め込み過ぎたかというくらいに書きました。

 ちょうど経済誌などで2010年問題が取り沙汰されていた時期でもあり、3万部を超える売れ行きとなりました。またこれで科学ジャーナリスト賞をいただき、大学に拾っていただいた先生に多少なりと恩返しをすることができたのも嬉しかったです。講演など、いろいろな仕事を呼んできてくれた孝行息子でもあります。まあNHKの生番組にまで引っぱり出されるはめとなり、青い顔でもごもごしゃべって多方面からツッコミをいただいたような、若干苦い記憶もあるにはありますが。


ライターとして何とかやっていけるのではと、希望を持つことができた一冊。

 ・創薬科学入門—薬はどのようにつくられる?
 2011年11月刊。フリーのライターになってからすぐ、オーム社の「MedicalBio」誌に連載の枠をいただき、創薬に関する記事を書きました。本書はこれをまとめたものです。

 製薬企業のプロのメディシナルケミストが読む教科書というよりも、学生さんや薬理担当者などが読む感じをイメージして書いています。あまり堅苦しくなく、読み物としての要素も加えました。またFBDDや抗体技術など、(当時の)最新技術についてもできる限り盛り込んでいます。

 本書は、アメリカでベンチャーを立ち上げて「レスキュラ」「アミティザ」という2つの新薬を送り出した、久能祐子先生に監修をいただき、その創薬過程について最終章で書いていただいております。この章だけでも、本書を手にとっていただく価値があると思います。


連載媒体となった「MedicalBio」誌は、その後休刊となっています。

 ・「ゼロリスク社会」の罠 〜「怖い」が判断を狂わせる
 2012年9月刊。化学物質の話をメインに、少し広くリスク論について扱っています。人がリスクを読み間違える心理、「天然=安全安心」という思い込み、トランス脂肪酸やメタミドホス、ホメオパシー療法の話などを通じ、「ゼロリスク信仰」の危うさについてできる限りわかりやすく書いてみました。

 最終章では、放射性物質についてと、そのリスクについての解説も行なっています。あの時期にこのテーマの本を執筆するとなると、やはり触れないわけに行かないかということで、ずいぶん思い悩みながら書いた記憶があります。予想通り多方面から多くの意見をいただき、反省することも多々ありました。しかしその後長く読み継いでいただいているようであり、書いた意義はそれなりにあったのではと思うことにしています。


大学の仕事が忙しかったこともあり、ずいぶん難産でした。

 ということで残り5冊はまた次回。
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