有機化学美術館・分館

HP有機化学美術館のブログ版。タイムリーな話題,短いテーマをこちらで取り上げます。

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「多角形百科」刊行

 気がつけばもうすぐ300万アクセスですね。ブログ移行が2006年5月、100万アクセスが2011年5月、200万アクセスが2013年6月でしたから、最近は安定したペースということになるのでしょうか。まだまだ頑張ってまいりますのでよろしくお願い申し上げます。

 さて筆者の手元には、丸善から刊行された「多角形百科」の見本が届いております。細矢治夫・宮崎興二両先生の編集で、準結晶研究で著名な蔡 安邦教授をはじめ豪華な執筆陣のこの本に、筆者も共著者のひとりとして紛れ込んでおります。

hyakka
こちらが表紙。

 この本、「百科」の名に恥じず、家紋や切手、建築などに現れる多角形や、草木や結晶など自然界に見られるパターンなどを極めて幅広く取り扱っています。先日取り上げた多角形の敷き詰め、折り紙やパズルの話題なども詳しく解説してあり、その筋の方には堪えられない構成となっております。

 筆者は有機化学のセクションを担当させていただきました。ポルフィリンなど、広い意味で正多角形に近い化合物はたくさんあるのですが、ここでは炭素原子のみが正多角形を成している化合物に絞って書きました。興味深い構造のものがたくさんあり、図だけ眺めても面白いのではと思います。
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uranocene
ピラミダン(上)とウラノセン(下)

 少々お高い本ですが、図書館か大きな書店ででも探してご覧いただければ幸いです。ではでは。

究極の分子敷き詰め

 近年、半導体や発光特性など、さまざまな機能を持った有機分子が多数報告されるようになりました。より優れた性質を引き出すための分子設計も研究が進んでおり、さまざまな骨格の機能性分子が登場しています。

 しかし、化合物の性能を決めるのは、何も分子の構造だけではありません。たとえば有機半導体などは、平面の基盤の上に薄膜を作って用いられることがほとんどです。この薄膜の出来が悪いと、化合物は持っているポテンシャルを発揮できません。ランダムにあちこちを向いて並んでいるのではなく、分子どうしが引きつけ合ってきちんと平面に並んでいれば、多くの面で有利になります。

 タイル張りの床のように、どこまでも一定のパターンで分子が並んでいくのが理想ですが、なかなかこうは行きません。薄膜は、ひとつの分子の周りに次の分子が並び、次々に成長してでき上がります。しかし、薄膜は1ヶ所のみから広がるのではなく、いくつかのポイントから同時進行で広がっていきます。このため、薄膜はいくつかの領域(ドメイン)に分かれてしまうのです。

domain
ドメインのできる様子の概念図

 ドメインがあると、薄膜の強度は低くなり、境界からひび割れたり剥がれたりしやすくなります。また、有機半導体などでは、分子から分子へ電子が飛び移っていくことで電流が流れますが、ドメインがあると、その境目では電子がうまく移動できなくなり、伝導度が下がることになります。しかし、完全に欠陥のない薄膜を作る方法は、今まで知られていませんでした。

 しかしごく最近、東工大の福島教授のグループから、この「完全敷き詰め」を実現した報告がなされました(Science 2015, 348, 1122)。マジックの種になったのは「トリプチセン」と呼ばれる分子で、図のように3枚羽根のプロペラに似た形をしています。硬く変形しにくい構造であるため、今までにも機能性分子の構築に用いられてきました(参考)。
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トリプチセン

 福島らは、トリプチセンの3枚のベンゼン環から、同じ方向に長いアルキル鎖が伸びた分子をデザインしました。トリプチセンの3枚羽根は、お互いに羽根の間にはまり込み、密に詰まったネットワークとなるのです。
(RO)3tryp
3本のアルキル鎖を持つトリプチセン


 この膜を放射光X線解析と呼ばれる手法で調べたところ、ドメイン境界を持たず、隅から隅までが全て規則的に並んでいることがわかりました。いろいろな方法で膜を作っても、全て完璧な単一ドメインとなっているのだそうです。

 どうしてこうなるのか?他の分子と同じように、いくつかの分子から同時進行で膜が広がってゆくのですが、ドメイン同士が出会うと互いに融合し、向きが自然に揃うことがわかりました。こうした構造は過去に例がなく、トリプチセン骨格の整列力の強さがわかります。単一ドメインでセンチメートル単位の薄膜が作れるといいますから、いわば畳をたくさんばらまいたら、ユーラシア大陸の果てまで畳が自発的に整列したことに相当します。

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トリプチセン敷き詰めを上から見たところ

 アルキル鎖は簡単に取り替えが可能ですから、この先端に機能性の分子を取り付ければ、欠陥のない大面積の配列を作れることになります。また、アルキル鎖は3本でなく2本でも配列が可能ということですから、並べうる分子の自由度はさらに高くなりそうです。

 アルキル鎖がびっしり生えた表面は、いわば高密度のブラシに似ており、極めて平滑な炭化水素表面とみなすこともできます。アルキル鎖の代わりに、フッ素で覆われた鎖や、親水性の鎖を導入するとどうなるかとか、いろいろアイディアを膨らませてみたくなります。

 ごちゃごちゃ工夫を重ねた複雑な構造でなく、とにかくシンプルな分子、シンプルなアイディアで画期的な成果を実現したことが、大変に魅力的です。広く応用が利く、ロバストな方法となりそうで、今後の展開を注目すべき成果かと思います。

アントラキノンと「完璧な赤」

 さて前回は、アントラキノン骨格を持った染料アリザリン(アカネ)について書きました。日本を含め、世界各国で赤色のもととして重用された化合物です。
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アカネ色素アリザリン

 しかしそれを上回るほどもてはやされたのが、16世紀にアメリカ大陸からもたらされた「コチニール」という染料です。これをヨーロッパに持ち帰ったのは、アステカ帝国を征服したスペイン人エルナン・コルテスでした。
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コルテスの肖像(wikipediaより)

 コチニールは布への定着性が高く、鮮やかで深い赤色に染まるのが特徴です。ボイルの法則で知られ、化学という分野を切り拓いた一人であるロバート・ボイルは、「コチニールからは”完璧な緋色”が得られる」と絶賛しています。この色は「カーマイン」と呼ばれ、そのもととなる化合物は「カルミン酸」(carminic acid)と名付けられています。

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カルミン酸。背景色はカーマインレッド。

 この素晴らしい染料にヨーロッパ諸国は熱狂し、多くの王や富豪が競ってこれを手に入れようと努めました。フィレンツェの大富豪で、ルネサンスのパトロンとして有名なコジモ・デ・メディチも、コチニールで染めた服を愛用していたとされます。
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コジモ・デ・メディチ(wikipediaより)

 この画期的な染料のもとは何なのか、スペインはこれを秘匿していたため、他の諸国にとって長い間その正体は謎で、植物の種か鉱物かと諸説が乱れ飛ぶ有り様でした。自作の顕微鏡で多くの微生物や精子を発見したレーウェンフックも、コチニールの正体は果実であると断言しています。しかし実はコチニールのもとは、サボテンにつく昆虫の一種カイガラムシでした。

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サボテンにつくカイガラムシの採集の様子(wikipediaより)

 というわけで、メキシコではサボテンが大規模に栽培され、カイガラムシを養殖するプラントが成立していました。500グラムのコチニールを得るには7万匹のカイガラムシを集めねばならず、またデリケートな虫でもあったので、コチニールは非常に高価につきました。

 というわけでコチニールを積んだ船を海賊が襲ったり、各国が新大陸にスパイを送り込んだりと、大西洋を股にかけた争奪戦が数世紀にわたって繰り広げられることになります。今の感覚では、なんでたかが染料ごときをそうまでして奪い合うのかと思えてしまいますが、この時代に赤色をまとうことは、誰の目にもわかる形で権力と高貴さを示すことだったのです。

 長きにわたって西洋文化に君臨した「完璧な緋色」が没落するのは19世紀後半、有機合成による染料が登場してからのことです。石炭やタールを原料として作られるこれら染料は、安価で鮮やかな発色、堅牢な染めあがりで、見る間にコチニールを駆逐していきました。

 消え去ったかに見えたコチニールですが、実は今もある分野で生き残っています。食品添加物として、今もかまぼこなどに使われているのです。また、赤いリキュールとして有名なカンパリなども、長らくコチニールで色付けされていました(現在では合成着色料に置き換わっています)。

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かまぼこのピンク色はコチニール由来。

 虫が原料と聞くとちょっと気持ちが悪いですが、安全性は確認されており、食べても問題はないと考えられます。これから紅白のかまぼこを食べる機会があったら、歴史を動かしたこの赤色に、思いを致してみるのも一興ではないでしょうか。

参考:
完璧な赤―「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語」A. B. グリーンフィールド著 早川書房
色―世界の染料・顔料・画材 民族と色の文化史」A. バリション著 マール社

アントラキノンとアカネ色素

 以前、何かの映画で、主人公が病院に行ったところ赤い点滴をされ、自分はガンだと悟るシーンがありました。アドリアマイシン(ドキソルビシン)などの抗ガン剤は、医薬としては珍しく真っ赤な色がついており、主人公はそのことを知っていたのです。

adriamycin
アドリアマイシン

 ご覧の通り、この化合物は4つの6員環が横につながっていますが、赤色の原因になっているのはこのうち左側3つの環です。この骨格をアントラキノンといい、ベンゼン環3つがつながったアントラセンが酸化されてできます。アントラキノン単独では黄色ですが、ここに酸素原子がいくつか結合すると、赤い色を呈するのです。

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アントラキノン

 この骨格を持った有名な色素としては、アカネ科植物の根から得られるアリザリンがあります。赤い色は昔から貴重であり、洋の東西を問わずアカネは重要な染料のもととなってきした。王や高位の聖職者、軍服などがこのアカネで染められており、18世紀フランスでは国家の富の源泉として、政府が染色産業を保護育成したほどでした。

alizarin
アカネ色素アリザリン。背景色はアカネの色。

 19世紀に入り、有機化学が進展してくると、アリザリンを化学合成しようという試みが始まります。これをやってのけたのが、合成紫色染料「モーブ」の開発者であるウィリアム・ヘンリー・パーキンでした。彼はタールから得られるアントラセンを酸化することで、見事アリザリンを作り出したのです。

anthracene
アントラセン

 が、パーキンはこの特許を得ることができませんでした。たった一日違いで、アリザリンの製法の特許はドイツのBASF社の手に落ちていたのです。同社はこれをきっかけに成長し、現在まで続く巨大化学企業として君臨することになります。

 実はこの影で、もう一人泣いていた人物がいます。昆虫学の大家として有名な、アンリ・ファーブルがその人です。彼は、天然のアカネからアリザリンを精製する方法を研究し、事業化にまでこぎつけていたのです。しかし彼の方法は、安価なコールタールが原料であるBASF法に敗れ、撤退を余儀なくされます。まあこれがきっかけとなってファーブルは昆虫の研究に力を入れ、有名な「昆虫記」の誕生に結びついたわけですから、何が幸いするかわかったものではありません。

 アントラキノン骨格を持った赤色染料は他にもありますので、こちらはまた次回。

毒にも薬にもなる環状ペプチド

 さて現在発売中の現代化学2015年5 月号では、ペプチドリーム社COOの舛屋圭一博士にインタビューを行っております。実は研究室時代の同期だったりするのですが、海外でメディシナルケミストとして赫々たる成功を収め、このほど日本に帰ってきました。なかなか刺激的なインタビューと思いますので、ぜひご覧下さい。

この表紙が目印。

 さてそのペプチドリーム社ですが、環状ペプチドを合成する技術を持った創薬ベンチャーです(その技術についてはこちらなど参照)。実際、環状ペプチドは医薬の骨格としてなかなか有望なもので、たとえば免疫抑制剤であるシクロスポリンなどのその一例です。

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シクロスポリン

 最近では、環状ペプチド構造を持った新規の抗生物質・テイクソバクチンが発見されて話題を呼びました。この化合物は、メカニズム的に耐性菌が生じにくいと考えられ、感染症治療に新たな光をもたらすと期待されています。
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テイクソバクチン

 こうした環状ペプチドは、環になっているために形が決まっており、標的のタンパク質などに結合しやすいこと、消化酵素などによる分解を受けにくいこと、また生体膜を透過しやすいなどの特徴があります。このため医薬品のみならず、生体内ではたらくペプチドホルモンなどにも、この骨格を持つものが多数見受けられます。

 たとえばオキシトシンは9個のアミノ酸から成り、シスチン結合で環を作った化合物です。信頼感を司るホルモンとも言われ、これを吸い込んだ人は投資話に乗りやすくなるなど、ちょっと驚くような実験結果が出ています。このあたりは拙著「化学で「透明人間」になれますか? 人類の夢をかなえる最新研究15」にも書いたので宜しければご覧下さい。また最近では、自閉症に対して効果があるのではといった結果も出ているようです。

oxytocin
オキシトシン

 しかし、薬になるものもあれば、毒になるものも存在します。代表的なのは、タマゴテングタケの生産する毒素である、α-アマニチンです。下図のように、環状ペプチドのシステインとトリプトファンの側鎖がくっついてしまったような、妙な構造をとっています。
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α-アマニチン

 ウィキペディアによれば
この毒素は熱に対して安定であり、一般的な加熱調理程度では分解されない。……なお、この毒素に対する解毒剤は存在しない。
摂取から10時間以内に報告される症状はほとんどなく、重大な症状が発現するまでに摂取後24時間が経過することもしばしばである。胃洗浄は症状が現れてからでは効果が無いため、不意に摂取してしまった場合の対処が困難である。対処が遅れることで致命的な症状(多臓器不全)へ移行する
だそうで、うっかりタマゴテングタケを食べてしまわぬよう気をつける他ありません。
tateta
タマゴテングタケ

 ですが、もっと恐ろしい毒も存在します。オーストラリアからインドネシアに生えている「ギンピーギンピー」という植物が作る、「モロイジン」という化合物がそれです。
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ギンピーギンピー

 写真を見る限りどうということのない植物に見えますが、葉の表面には微細なトゲが生えており、これに触れると神経毒モロイジンが回って、「酸をスプレーされたような」激痛が走ります。このトゲは皮膚内に残って毒を放出し続けるため、耐え難い痛みが数ヶ月にわたって続くのだそうです。これに触れた馬が崖から飛び降りたとか、誤ってトイレットペーパー代わりに使ってしまった男性が、痛みに耐えかねて銃で自殺したなどという伝説もあるといいます。こんな恐ろしい植物が日本になくてよかった、としか言いようがありません。
moroidin
モロイジン

 体内で強い生理作用を持ちうる構造は、優れた医薬にもなれば恐ろしい猛毒にもなりえます。みなさまも環状ペプチドの扱いにはご注意を。


 (注:本来、環状ペプチドはアミノ酸のペプチド結合のみで環になったものを指しますが、本記事では広い意味で大環状骨格を持つペプチドを取り上げています)

五角形のグラフェンは夢の材料?

 正多角形のうち、1種類で平面を埋め尽くせるのは正三角形、正方形、正六角形の3種のみであることはよく知られています。この、正六角形での敷き詰めを炭素原子で実現したのが、注目の材料グラフェンということになります。しかし、正五角形では隙間ができ、どうやっても平面の埋め尽くしは不可能です。

 ただし、正五角形でないふつうの五角形でなら、タイルのように敷き詰め可能なものがあります。これには今のところ14種類のパターンが知られているそうですが、中でも有名なのは下図のようなパターンで、床のタイルなどとしてどこかで見たことがある方が多いのではないでしょうか。エジプトの首都の名をとって「カイロ・ペンタゴナル・タイリング」と呼ばれるもので、五角形4枚が集まってできる六角形が縦横に交わり、見る者を幻惑するような美しいパターンです。

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 この形に炭素を配置するとどうなるか?という理論計算が行われました(論文こちら)。グラフェンの五角形版という意味で、「ペンタグラフェン」と名付けられています。

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ペンタグラフェンの構造

 しかしこの構造、一見するとひずみが大きすぎ、安定には存在しないだろうと見えます。実際には、平面四配位に見える炭素は平面におさまっておらず、横から見ると全体にデコボコした構造をとっています。このため、ペンタグラフェンは機械的に安定であり、1000K程度まで分解せずに存在できると考えられています。

 理論計算の結果、このペンタグラフェンは半導体として働き、バンドギャップは酸化亜鉛や窒化ガリウムに近い数値とのことです。透明な材料と予測されますので、ディスプレイやらに応用ができそうなスペックです。

 また、このペンタグラフェンをくるりと巻いてチューブを作ると、どんな巻き方であっても半導体になるということです。巻き方によって導体になったり半導体になったりする、通常のカーボンナノチューブとはこの点が異なります。

 とまあなかなか有望そうな物質ではありますが、問題はこんなものをどうやって作るの、という点です。有機合成的なやり方では、たとえば5員環4枚分の部分構造を作るだけで、たぶん10段階以上を要することになります。広いサイズのペンタグラフェンを作ろうとしたら、このやり方ではとうてい追いつきません。

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ペンタグラフェンの部分構造

 論文では、T12炭素と呼ばれる炭素同素体の一層をはぎとるようにすると、ペンタグラフェンが得られるだろうとしています。ただし、このT12炭素というもの自体、2012年に理論的予測が行なわれたばかりの物質で、これを合成できるという見込みは立っていません(多分)。

 というわけでペンタグラフェンは、まだしばらく科学者の夢の物質にとどまりそうです。とはいえこうした可能性が示された意義は大きく、さらなる有望物質探索のきっかけともなりそうです。それにしても、炭素のつながり方ひとつでかくも違う性質のものが出てくるわけで、このありふれた元素の秘めた可能性はまだまだあるのだなあと感心させられます。

エキゾチック・フラーレン

 今年2015年は、フラーレンことC60の発見から30年、大量合成法の発見から25年目に当たります。発見直後のようなフィーバーはおさまったものの、今も数多くの関連論文が発表されており、物質科学全体に与えた影響は甚大です。

N60
フラーレン

 フラーレン研究にもいろいろの方向がありますが、そのひとつに「炭素以外の元素でフラーレンはできるか」というものがあります。これは90年代からいろいろ理論計算が行われていて、たとえば金原子が32個集まったものが安定に存在しうるといった話がありました。C60のようなサッカーボール型ではなく、三角形から成る60面体形です。

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純金?のフラーレンAu32

 その他の元素も、フラーレンのような球状のクラスターを作り得るはずです。たとえば、多くの多面体型クラスターを作るホウ素などは、非常に有力な候補と思えます。

B12
ホウ素の作るクラスターの例

 最近になり、ホウ素のみから成る「フラーレン」の合成が報告されました。ホウ素原子40個が集まって1価の陰イオンとなった構造で、「ホウ素の球体」から「ボロスフェレン」と名付けられました(論文)。合成法は、ホウ素の単体にレーザーを照射して蒸発させ、ヘリウム中で冷却するというもので、このへんは最初のフラーレン合成によく似た手法です。

Borospherene
ボロスフェレン

 ご覧の通り、3員環・6員環・7員環から成る、何でこれが安定なのと思うような構造です。結合の様式についても詳細に議論されていますが、かなり特殊なもののようで、正直筆者にはよくわかりません。

 炭素の一番近い兄弟といえる、ケイ素のクラスターも最近合成されました(論文)。こちらは、Angewandte Chemie誌のVIPに選ばれています。下のような構造で、一見すると何が何だかわかりませんが、ケイ素20個でできた正12面体骨格の表面に、トリクロロシリル基が12個、塩素が8個結合しています。さらに、内部に塩化物イオンCl-が内包されており、これが全体を安定化させるミソになっているようです。これはフラーレンと違い、単結合でできていて芳香族性を持たないので、論文のタイトルは「フラーラン」という言葉になっています。

Si32Cl45

Si32
ケイ素のフラーランSi32Cl45-。下は、見やすいよう塩素を省いたもの

 炭素の正20面体であるドデカヘドランは、合成に30段階近くを費やした難物でしたが、こちらのケイ素版はなんと1ステップで合成可能です。ヘキサクロロジシランSi2Cl6とトリブチルアミン、塩化テトラブチルアンモニウムの混合物を室温で2日間撹拌するだけで、収率27%で得られてくるのだそうです。

 このケイ素フラーランは簡単に、大量に作れますから、今後いろいろ誘導体やらが登場しそうです。このクラスターにどういう性質があるか、他の元素でもこうした球状分子ができないか、この分野の研究はさらに加速しそうです。

天然に存在した意外なもの(2)

 ということで、以前書いたネタの続きです。

 ・珍しい官能基
 天然にはずいぶんといろいろな化合物があり、まさかこんな構造は存在してないだろうと思えるものが、ちょくちょく見つかります。たとえば昔は、三重結合は天然物にはないなどと書かれた本があったものですが、今や下図のようなトリイン構造を持つものも見つかっています。どこかに突き刺さりそうな構造ですが、魚毒性があるのだそうです。ichthyothereolという名前ですが、どう発音したものなのかよくわかりません。

Ichthyothereol
ichthyothereol

 珍しい官能基としては、アジドを含んだ天然物がひとつだけ見つかっているのだそうです。「たゆたえども沈まず」さんでこれを知った時にはたまげました。非常にレアな構造ですが、いったいどのように生合成されているやら、非常に謎です。

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アジドを含む唯一の天然物

 同じく不安定で爆発性のある官能基である、ジアゾ基を含む天然物もあります。こちらは総説も出ているくらいで、アジドほどレアというわけではありませんが、やはり珍しい部類ではあります。有名なのは、下に示すキナマイシンでしょうか。

kinamycin
キナマイシンA

 この化合物、最初の論文では下のようなN-シアノインドール型化合物であるとされていました。両者はX線結晶解析でも区別しにくいですし、まさかジアゾ基を持っているとは思わなかったのでしょう。ミスする理由もわかる気はします。

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キナマイシンAの当初の推定構造

 ・カテナン
 大きな環どうしが鎖のように絡み合った「カテナン」は、天然には存在しないと思われてきましたが、HK97というウイルスのカプシド(殻)が、複雑に絡み合ったカテナン構造をとることがわかっています。下図のようにタンパク質が6つ集まったものが120個、5つ集まったものが12個ずつ自己集合し、球状の殻を形成するのです。タンパク質780個が、誰に命じられたわけでもなくきれいにまとまるのですから、自然の驚異という他ありません。

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HK97カプシドタンパク質の6量体

 この他、タンパク質の結晶化の際、カテナン構造を形成するケースが知られています。また、人工的に設計したタンパク質でカテナン構造を作った例もあります(こちら)。

 ・ノット(結び目)
 結び目のある分子もいくつか作られていますが、天然のタンパク質にも発見されています。たとえば図に示したアセトヒドロキシ酸イソメロレダクターゼがその一つで、右のほうで環の中をα-ヘリックスが通り抜けているのがわかると思います。

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結び目のあるタンパク質

 ・イオン液体
 イオン性物質といえば、食塩に代表されるように通常は結晶性固体ですが、長いアルキル鎖を持っているものなどは液体になることがあります。これがイオン液体で、反応溶媒などとして一時期盛んに研究が行われました(こちら)。そしてこれもまた、天然に存在することが報告されました。面白いことに、2種のアリの闘いによって生み出されます。

 アリにはピペリジンなどの骨格を持った毒性アルカロイドを作るものがおり、火アリ(Fire ant)と呼ばれるものもその一つです。しかしこの火アリは、最近「クレイジーアント」と呼ばれるアリに駆逐されつつあるということです(参考記事)。というのも、クレイジーアントはギ酸を放出することで、火アリのアルカロイド(イソソレノプシンなど)を中和して無効にしてしまうからです。

isosolenopsin
上が火アリの作るイソソレノプシン、下がギ酸

 このギ酸とイソソレノプシンの混合物を人工的に作ってみたところ、固体にならずイオン液体として存在することがわかりました。つまり2種のアリの闘いの際、イオン液体が生成しているであろうということになります。

 有機合成というのは、神様の作り忘れた化合物を作り出す仕事だと筆者は思っていますが、自然の懐はやはり深く、なかなか手のひらの上から出られないものでもあります。「全く新しいもの」はどこにあるのか、それぞれ考えてみてはいかがでしょうか。

今月のお知らせ

 更新の間が開いております。前回の続きを書かねばならんところですが、その前に今月のお知らせなど。

 「子供の科学」4 月号では、「元素選抜総選挙」という実に攻めた感じの特集が組まれておりますが、実は筆者が執筆を担当しております。未来の社会を作る元素はなにか、読者たちの投票で決定する予定です。ノーベル賞の天野浩先生を初めとした、トップ研究者の「推し元素」のコーナーもあります。

 この号には、「KoKa手帳2015」が付録でついていますが、周期表や単位、日本や世界の地理、英単語や拡張子に至るまで、重要な情報がコンパクトにまとまっていて、大人でも重宝する出来です。毎度のことながら、実に侮りがたい雑誌です。


定価は751円也。

 東京化成の「TCIメール」には、「2種類の元素でできた化合物」というマニアな話を書きました。炭素と酸素だけでいくつくらいの化合物ができるものか、ちょっとみなさんも考えてみてください。

 和光純薬の「Wako Organic Chemical News」には、イオン液体の話について書いています。こちらは実用的な話に絞って書いています。

 また、このほど文庫化された喜多喜久氏の「桐島教授の研究報告書 - テロメアと吸血鬼の謎」では、巻末の解説を書かせていただきました。小説の解説など初めてでしたが、楽しく書くことができました。喜多氏といえば、現役の有機化学の研究者であり、化学を題材とした多くの小説を出しておられるので、ご存じの方も多いと思います。本作はどちらかといえば生物学寄りですが、しっかりした本格ミステリで、専門家もそうでない方も楽しめると思います。ぜひご一読を。


表紙はこちら。

 拙著「炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす」の韓国版・台湾版も出版の運びとなりました。ついに筆者もアジア進出です。自分の本なのにさっぱり読めないとか、「改変歴史的元素之王」ってかっこいいなあとか、佐藤健太郎ってハングルだとこうなるのかとか、しょうもないことにいろいろ感心しています。韓国や台湾に友達のいる方は、お勧めいただければ幸いです。

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左が台湾版、右が韓国版

 薬剤師向けのサイト「薬+読」でも連載を行なっており、近く「危険ドラッグの話(2)」が掲載予定です。薬剤師もそうでない方もチェックのほどを。

 その他、中学・高校の化学の教科書に書いたりとか、インタビューして回ったりとか、ラジオに出たりとか、国道ムックに関わったりとか、「図解 武器と戦争の世界史」なるムックに寄稿したりとか、多方面で活動しておりますので、いろいろ生暖かく見守っていただければ幸いです。

天然に存在した意外なもの(1)

 化学者はこれまで、ありとあらゆる手法でさまざまな物質を混ぜ合わせ、自然界にはないたくさんの物質を作り出してきました。プラスチックや各種半導体など、我々の生活を支える物質も、天然には存在しなかったものです。

 しかしやはり自然とは奥深いもので、人間が人工的に作り出したとばかり思っていたものが、実際には昔から天然にも存在していたというケースは少なからずあります。今までにも、本ブログでいくつかそうしたケースを取り上げてきました。中には、人工の医薬品が天然の植物から見つかったと思ったら、実は使いすぎによる汚染のためだった、なんてお話もありました(「たゆたえども沈ます」さんの記事)。

 しかし、どう見ても人工物としか思えない、フッ素を含んだ抗がん剤である5-フルオロウラシルの誘導体が、実際に天然から見つかった例もあります(論文)。やはり自然とは計り知れないものです。

5FU
天然に存在した5-FU誘導体

 フッ素といえば、四フッ化炭素・テトラフルオロエチレン・トリクロロトリフルオロエタン(F2ClC-CFCl2,フレオン113)、ダイオキシン類のような有機ハロゲン化合物も、天然から見つかっているそうです。これこそ人工合成されたものが、環境中で検出されたものではと思うところですが、古い時代の岩石から検出されるなどの理由で、天然のものと判別できるといいます。

organoharogen
テトラフルオロエチレン、フレオン113、ダイオキシン

 ダイオキシンなどは、塩素を含んだ物質を不完全燃焼させればできるわけですから、微量が天然にあっても不思議はありません。また有機フッ素化合物は、火山活動による高熱で、フッ素を含んだ岩石から作られると見られています。

 さらに、天然の岩石から、なんとフッ素の単体(F2)が見つかったという話は、以前本ブログでも取り上げました。条件さえ揃えば、極めて反応性の高いフッ素さえ天然で発生するのだから驚きです。

 このように、天然に単体で存在する元素は他にも数多く知られています。単体硫黄は火山地帯などでよく見られますし、ヒ素も鉱物として産出します(結晶美術館さんの記事)。金属では、金・銀や白金など貴金属が有名ですが、鉄やチタン、亜鉛など比較的イオン化傾向が高いものも見つかっていますし、自然水銀というものもあるのだそうです。鉱山の岩の表面にぽつぽつと浮いているのだそうで、見てみたいですが少々恐ろしい気もする代物です。

Hg
自然水銀(Wikipediaより)

 アルミニウムは酸素と結びつきやすいため、存在量の多さのわりに発見が遅れた元素ですが、意外なことに自然アルミニウムというものも存在するそうです。極めて低酸素の場所で酸化アルミニウムが還元され、生成すると考えられます。ロシアのトルバチク山が数少ない産地で、ここではケイ素・チタン・スズ・タングステンなど数々の元素が、単体として出土するのだそうです。元素の分離・発見に命をかけた18〜19世紀の化学者たちがこの山を見たら、唖然とするに違いありません。

 我らが炭素も、単体として自然界に産出します。よく知られているのは黒鉛やダイヤモンドですが、ロンズデーライトという鉱物も存在します。一見ダイヤモンドに似ていますが、氷の結晶構造と同じ配列をとっています。これは隕石が地球に激突した衝撃と高圧で、グラファイトから生成すると考えられており、ダイヤモンドより硬いとする研究もあります。

lonsdaleite
ロンズデーライトの構造

 フラーレンは、黒鉛にレーザーやアーク放電を作用させることで生成する人工の炭素同素体と思われていましたが、これも天然から発見されています。ロシアに産するシュンガイトという炭素質鉱物から、フラーレンが検出されているのです。こうなってくるとカーボンナノチューブなんかもどこかから発見されたりして、などと思ってしまいます。

 長くなりましたので、次回に続きます。
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あの薬を開発すればノーベル賞?薬価高騰など、医薬と社会についても考える。

酵素、水素水、サプリメント……次々現れる健康情報に惑わされぬために。

誰もが見慣れた道には、気づかぬ不思議がある?国道をめぐる謎解きの旅。


あの薬がなければ、この薬があの時代にあれば、世界の地図と歴史は変わっていた?


がん治療、石油・金、若返り、宇宙旅行……現代の化学で、どこまで実現している?


筆者初の国道本。ふだん見慣れた道路の楽しみ方を伝授する、国道マニア入門書。


炭素の化合物はいかに人類の歴史を振り回してきたのか。有機化学から眺める世界史。


「危ないもの」はどこまで危ないのか?化学物質、代替医療、放射能をめぐるリスクについて解説。


薬はどのように創り出されるか、
わかりやすく解説。


共著、1章を担当。
「有機化学美術館の13年」収録。


医薬品業界の2010年問題について。
科学ジャーナリスト賞受賞。


ニュースを賑わす化学物質の、
いったい何がよく何が悪いのか?


美しい画像で綴る、
有機化合物たちのエピソード。
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