有機化学美術館・分館

HP有機化学美術館のブログ版。タイムリーな話題,短いテーマをこちらで取り上げます。

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「π造形科学」のこと

 ずいぶん間隔が開いてしまいました。生存報告も兼ねて久々の更新です。最近は、中学・高校の教科書に書いたり、ムックの監修をしたり、ラジオに出していただいたりと、いろいろありまして忙しくしております。

 昨年9月からは、新学術領域「π造形科学」の広報を務めております(Facebookページはこちら)。「π造形」の「π」はπ電子のことでありまして、まあ要するにいろいろなジャンルの研究者が集まり、新しい芳香族化合物の機能を引き出して行こうではないかというグループです。

 といっても、芳香族化合物なんぞは200年近く前からさんざん研究されているではないか、今さらやることがそんなにあるのかと思ってしまうところです。しかしたとえばフラーレンでは、本来平面であるべき芳香族化合物が球面に曲がっていることで、さまざまな可能性が生まれました。これと同じように、いろいろな工夫で芳香族化合物を曲げたりねじったり圧力をかけたりして、π電子の新しい顔をのぞき見てやろうというコンセプトです。

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曲がった芳香族化合物の一例・スマネン。

 メンバーは今のところ16名で、有機合成で新たな化合物を作るA01班、分子集合体を扱うA02班、理論計算及び計測のプロフェッショナルであるA03班に分かれています。特筆すべきは年齢層で、全員が40代以下という若さです。なので議論もガンガン熱く行われ、先日行われた会議でも休憩時間から風呂の中まで、あちこちで熱心なディスカッションが勃発していました。こうして熱く語るメンバーがおり、話し合える場があるというのは、実に頼もしい限りと感じた次第です。

 その精鋭ぞろいの中で筆者が何をしているかといえば、その先生方のところを回ってインタビューし、「現代化学」誌に記事をまとめて掲載するということをやっています。こちらから、PDFをダウンロードしてお読みいただけます。第一線の研究者に直接話しを伺うのは、これはもう大変ではありますが、非常に刺激的で何より勉強になることでもあります。特に今回は、各ジャンルごとのキャラクターの違いなども感じられて、非常に面白いです。

 まだ半年ほどですが、成果も次々挙がっています。先日ChemASAPに書きました、忍久保洋先生のねじれポルフィリンなどもそうですし、化学反応の瞬間を捉えた足立伸一先生の研究も、先日Nature誌に掲載されました。


金錯体の結合生成の瞬間を可視化した動画

 その他、まだ論文になっていませんが、これがきちんと実証されたら、教科書が書き換わるレベルではないかと思える発見のお話も聞いております。こういう研究を、リアルタイムで間近に見られるのは、サイエンスライター冥利に尽きると感じます。

 π造形という領域は何を目指すのか?もちろん芳香族化合物は、有機半導体、液晶材料、有機EL、太陽電池など、多くの有用な材料に結びつきます。とはいえ、直接に応用を目指すのではなく、その土台となる新しいサイエンスを生み出す方向が、目標になっていくと思います。そのためのメンバー、体制は十分に整っていると感じます。この領域の先行きに、注目をいただきたいと思う次第です。

マイトトキシン全合成は成るのか

 今から5年半ほど前、「最後の怪物・マイトトキシン攻略開始」というタイトルの記事を書いたことがあります。マイトトキシンは、分子量3422、環の数が32、不斉炭素の数が98と、生体高分子を除く天然物として最大であり、かつ最強レベルの毒性(タンパク毒を除く)を持った、まさに怪物と称すべき化合物です。その人工的全合成に、何人かの研究者が挑んでいるというお話でした。完成すれば、化学史上に残る金字塔となるのは間違いありません。

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マイトトキシン。クリックで拡大

 怪物攻略に最も近づいているのは、長らく天然物全合成の第一人者として君臨したK. C. Nicolaou教授です。彼らはすでに、もっと小さなサイズの類縁化合物(といっても十分巨大ですが)であるブレベトキシンA, Bなどの合成に成功しており、これら化合物合成の十分な経験を積んでいます。

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ブレベトキシンB。Nicolaouらが1995年に全合成

 Nicolaouらは1996年ごろからマイトトキシンの合成に取り組み始め、いくつかの小さな部分構造の合成を報告しています。その後一時期、構造に関する疑義などもあって、彼らはこのプロジェクトを再優先のものとしていませんでした。しかし2007年から再度スパートをかけ始め、次々と大きな部分構造の合成を達成しています。そのようすをまとめたのが下図ですが、その馬力たるや実に恐るべしとしか言いようがありません。

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部分構造合成のようす。クリックで拡大。

 2014年には、すでに作った2つの部分構造を結合させ、Q環からA'環までの11の環を含んだ、大きなフラグメントの合成を報告しました。マラソンで言えば、長く苦しい走りの末、ついにゴールの競技場が見えてきたといったところでしょうか。

 ということで、歴戦の名将Nicolaouの猛攻の前に、さしもの最難関天然物マイトトキシンも陥落する日が近いか――と思った矢先、この史上最大のプロジェクトがストップを余儀なくされているという記事が、「ChemistryWorld」誌に掲載されました。原因はといえば、研究資金が尽きたためということです。2012年をもって、このプロジェクトに対するNIH(アメリカ国立衛生研究所)からの資金が、打ち切られてしまったのです。

 Nicolaouはこれに関し、「アルツハイマー症や神経変性疾患の治療薬開発にも結びつく研究であるのに」と、NIHの視野の狭さを非難しています。こうした基礎研究に対する補助が、厳しくなっている事情はあちらも同じであるようです。個人的には、マイトトキシンの完成をぜひ見てみたくはありますので、いま流行りのクラウドファンディングなり何なりで、どうにかできないのかと思えます。

 それにしても、天下のNicolaouが資金不足に悩むとは――。タキソールなど、天然物全合成華やかなりしころに学生時代を送った者としては、時代の変化の激しさに、何やらため息が出てしまう思いがします。

各種お知らせ

いろいろと面白い化合物の発見などの話題があるようなのですが、新年一発目の更新はお知らせを。

先月発売しました「化学で「透明人間」になれますか? 人類の夢をかなえる最新研究15 (光文社新書)」、ぼちぼちと読了の報告が届いております。自分で言うのも何ですが、読みやすくて面白い本であります。ただ、スペースの関係ですとか、構造式を羅列すると敬遠されるかという思いから、登場する化合物の分子構造はあまり載せておりません。



と、なんといつもお世話になっております「生活環境化学の部屋」主宰の本間善夫先生が、この本に出てくる分子の紹介ページを作ってくださいました。こういうことは自分でやらねばいかんのですが。もしこの本を見て「どういう分子なんだろ」と思ったら、こちらをご参照いただければ幸いです。

また1月24日には、その本間先生の主催されている「サイエンスカフェにいがた」にて、一席ぶってまいります。といっても今回は化学の話でなく、国道のお話になります。各国道巡りのお話、さらに地元新潟の国道いついても、いろいろと語ってくる予定でおります。お時間のある方は、ご来訪いただければ幸いです。お申込み方法や場所などは、こちらのページにて。

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カフェのポスター(クリックで拡大)

もうひとつ、こちらでは告知を忘れておりましたが、「マイナビ薬剤師」内の読み物コンテンツ「薬+読」にて、薬に関するエッセイの連載を始めております。タイトルは「佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ」。この他にも、特に薬剤師さんには有用なコンテンツがたくさんありますので、ご覧になってはいかがでしょうか。

ということで2015年も、よろしくお願いいたします。

墓碑銘

 さて更新の時間が取れずにいるうち、いつのまにか大晦日を迎えてしまいました。年末でもありますので、今年亡くなった化学者の追悼記事をひとつ書いてみます。

 やはり驚いたのは、Carlos Barbas教授でしょうか。まだ若手といってもいい年齢の、49歳での逝去でした。プロリン触媒による不斉アルドール反応の報告は世界に衝撃を与え、有機触媒のブームを巻き起こすきっかけともなりました。これから有機化学、分子生物学の世界を牽引していくべき人材だったと思いますが、実に惜しいことをしました。

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プロリン触媒アルドール反応

 日本では、北澤宏一先生(東京都市大学学長)が亡くなられました。新聞では福島原発事故の民間事故調査委員長として報道されていましたが、我々としては高温超伝導の研究者として、また科学技術振興機構(JST)の理事長などとしての活躍で、なじみの深い先生でした。

 細野秀雄先生の著書「好きなことに、バカになる」には、2008年の鉄系超電導体発見の際のエピソードが明かされていました。これによれば、細野先生は当初、鉄を基礎とした超電導体の発見を、そう大したことだと思っていなかったのだそうです。ただ、JSTの予算のもとで行った研究であったため、理事長であった北澤先生に「一応報告」したところ大変に驚かれ、その時ちょうど腰を痛めていたにもかかわらず、発表などの手はずを全て整えて下さったとのことです。いろいろと面白いエピソードと思いますが、こういう目利きの方がトップにいたことは、実に重要なことなのだなと思わされます。まだまだ活躍できる71歳という年齢での逝去が、残念でなりません。

 こうして、若くして亡くなられた例はどうしても目につきますが、実は化学者にはかなり長命な方が多いようです。筆者が以前東大理学部化学科の教授を調べてみたところ、70歳以下で亡くなった人は1人だけで、他は98歳まで生きた柴田雄次教授を初めとして、長寿を保った人が多いようでした。

 井口洋夫先生もその一人で、今年3月に87歳で他界されました。有名なのは、1954年に赤松秀雄教授らと共同で発表した「有機半導体」の研究でしょう。ペリレンのような多環性芳香族化合物に、臭素やヨウ素などを作用させることで伝導度が劇的に向上し、半導体としての性質を示すことを発見したのです。

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ペリレン

 この研究は、現在まで続く有機エレクトロニクス研究のさきがけとなったものであり、その意義は重大です。この分野の現在の隆盛を思うとき、井口先生にはノーベル賞の資格が十分にあったのではないかと思えます。


 ということで、筆者も健康に気を配りつつ、来年も頑張っていこうと思います。みなさまよいお年を。

『化学で「透明人間」になれますか?』本日発売

 さとうです。どうもこんばんは。

 さて先々月に発売になった「ふしぎな国道」は、すでに4刷とおかげさまで大変好調です。そうした勢いの中、さらに本日11日に光文社新書より新刊が発売になります。タイトルは「化学で「透明人間」になれますか? 人類の夢をかなえる最新研究15」です。

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 内容の方は、現在の「人類の夢」をどこまで化学が実現できるか、将来どんな夢がかなえられそうか、サトウ博士(特にモデルはおりません)とその妻ショウコさん(これもモデルはおりません)の会話形式で追っかけていくという形式です。

第1話 「金」をたくさん作れますか! ?
第2話 「不老不死」になれますか! ?
第3話 「宇宙旅行」に行けますか! ?
第4話 「モテる薬」はできますか?
第5話 「ダイヤモンド」を作れますか! ?
第6話 「やせる薬」を作ってください!
第7話 「花粉症」を治せますか! ?
第8話 「頭の良くなる薬」が欲しい!
第9話 「『ドラえもん』の道具」が欲しい!
第10話 「若く美しく」してください!
第11話 「美味しいもの」を作れますか?
第12話 「風邪を治す薬」が欲しい!
第13話 「がんを制圧」してほしい! !
第14話 「地球温暖化」は止められる! ?
第15話 「エネルギー問題」を解決したい!

中には「これは化学じゃないだろ」という話も出てきますが、分子を操り、使いこなすという意味で、広く「化学」と捉えて大目に見ていただければと思います。軽く読める感じの本ですし、かわいいイラストも入れていただいて、大変読みやすく仕上がっていると思います。書店で見かけたら、手にとってやっていただければ幸いです。

まつ毛が伸びる薬・グラッシュビスタ日本上陸

日本薬局方解説書」というものをご存知でしょうか。日本で用いられるあらゆる薬の詳細を解説した本で、その厚さは20センチ以上にも及びます。そのくらい、医薬というものは多くの種類があるわけです。

 しかし、このほどその薬局方にもない全く新しいジャンルの薬、「睫毛貧毛症治療薬」というものが登場しました。睫毛貧毛症などと言われると、いったい何の病気かと思ってしまいますが、要するに塗るだけでまつ毛が伸びるという薬です。日本での商品名は「グラッシュビスタ」だそうで、なんだか名前まで医薬というよりは化粧品のような響きです。

 この薬の化合物名は「ビマトプロスト」で、下のような構造です。その筋の方なら一見してわかる通り、プロスタグランジンの誘導体です。

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ビマトプロスト(グラッシュビスタ)

 プロスタグランジンはいわゆるホルモンの一種で、構造が少しずつ違う誘導体が存在し、その作用は極めて多彩です。グラッシュビスタはプロスタグランジン類のうちPGFを元に作られた薬で、末端のアルキル鎖がフェニル基に、カルボン酸部分がN-エチルアミドに変わった構造です。

PGF2a
プロスタグランジンF

 それにしてもこんな作用がよく見つかったな、と思うところです。実はこの薬、最初からまつ毛を伸ばすために創られたものではありません。もともとは、緑内障の治療薬として開発されたものでした。緑内障は、眼圧が高まることによって視野が狭まるなどの症状が起こる病気で、ときに失明の原因ともなります。グラッシュビスタを点眼すると、目玉から水分が流れ出して眼圧が低下し、症状の進行を抑えられるのです。

 ところがこの薬を使っていた患者に、まつ毛が伸びるという「副作用」が発見されたのです。ならばそれを逆手に取り、睫毛貧毛症治療薬として使ってしまおうという発想から、グラッシュビスタは誕生したのです。

 なぜそうしたことが起こるのか?毛周期における成長期を延長すると推測されていますが、詳しいところはわかっていないようです。まあプロスタグランジンは非常に多彩な作用がありますから、何が起きても不思議はないところではあります。

 効果のほどはどうかというと、グラッシュビスタを毎日1回ずつ4ヶ月間塗り続けると、約80%の人に効果が見られ、平均で1.62mmほどまつ毛が伸び、色も濃くなることが認められたそうです。ちなみに値段の方は70日分が1万〜数万円ということで、おっさんの目からは「高っ!」としか思えないのですが。

 以前、某バラエティ番組に出演した際、この薬の話をして「これくらいつけまつ毛でよくないですか」と言ったら「あかん、先生は全然女性のことわかってへんわ!」と司会者の方に一刀両断にされた記憶があります。まあ確かに、カツラよりは地毛がいいに決まってますね。とはいえ筆者には、1万円以上もかけてメカニズム不明な薬で1〜2mmまつ毛を伸ばしたいという心理は、残念ながらやはり理解不能なところではあります。ただし、効果の方はそこらの怪しげな品と違い、しっかりとしたデータに裏付けられていますから、美しくなりたい女性には強い味方になってくれるかもしれません。

近況

 またも更新が滞っております。次の本も追い込みであったり、他の原稿もあったり風邪を引いたりで、なかなか時間が取れておりません。

 近況を書いておきますと、「ふしぎな国道」は好調のようで、早くも3刷となっております。こんな本が売れるとは思ってませんでしたが、わからんものです。雑誌、ラジオ出演などの話も来ておりますので、そのうち皆様の目あるいは耳に触れる機会があるかもしれません。

 で、次の本は光文社新書から12月刊行の予定です。タイトルは、たぶん「化学で透明人間になれますか?――人類の夢をかなえる最新研究15」になります。透明人間になれるか、ドラえもんの道具は作れるか、宇宙に行けるか、不老不死になれるか、といった「人類の夢」を、現代の化学がどこまで実現できるかという内容です。博士とその奥様の会話形式で、ごく軽く読める感じの本です。ご期待ください。


 もう一つ、先日はサイエンスアゴラ2014に参加し、一席ぶってまいりました。個人的に大変嬉しかったのは、細矢治夫先生と、米山維斗氏にお会いできたことでした。

 筆者は30年ばかり前に、細矢先生の著書「化学をつかむ」に出会い、大いに影響を受けたことは以前にも書きました。こういう本との出会いがなく、学校の授業だけで化学を学んだのだったら、まず化学が好きになることはなかっただろうと思います。

 一方の米山維斗さんは、化学結合をモチーフとしたカードゲーム「ケミストリークエスト」の開発者として有名です。小学6年で社長に就任して話題を集めましたから、ご存じの方も多いことでしょう。米山さんは拙著「有機化学美術館へようこそ」を読んで化学に興味を抱いたとのことで、ことあるごとに拙著を「おすすめの本」として挙げていただいております。

 このお二人に同時にお会いできたのはとても嬉しいことでもあり、なんだか自分の過去と未来に出会ったような、不思議な気分の出来事でもありました。細矢先生の影響で自分が化学の道に入り、それによって米山さんが化学に興味を抱き、さらにその影響でこの道にやってくる子供が、今後たくさん現れることでしょう。時代を超えて世代を超えて伝わっていくものの中に、自分が身を置けているのだとすれば、「化学を伝える」というこの仕事は、実に悪くないものだなと改めて思った次第です。

日本発のエボラ治療薬となるか〜アビガンの話

西アフリカで発生したエボラ出血熱は、一部の国ではすでに鎮圧されつつありますが、いくつかの国では相変わらず猛威を振るっています。最近ではアメリカやヨーロッパにも飛び火し、日本も対岸の火事とは言っていられない情勢になってきました。正直、政治家の皆様におかれてはうちわとかSMバーとかは後回しにし、こっちの対策をしっかり打ってくれよと言いたいところではあります。

 そのエボラ治療薬として、日本の薬が脚光を浴びています。富士フイルムの「アビガン」という薬で、もともとは富山化学が開発していた薬剤です。化合物名は「ファビピラビル」、かつてはT-705というコードネームで呼ばれていました。この薬が、恐るべきエボラウイルスに有効ではないかという結果が出つつあるのです。

 抗ウイルス剤は、医薬の中でもいまだに最も難しい領域のひとつです。細菌の場合は、自前で生活・増殖できる仕組みをひと通り持っています。その仕組みをうまく薬剤によってストップしてやれば、繁殖を抑え込めます。たとえばペニシリンなどは、細菌の生存に不可欠な「細胞壁」を作る酵素をストップします。あらゆる細菌はこの細胞壁を持っていますので、ペニシリンは多くの細菌に対して有効です。

penicillin
ペニシリン

 しかしウイルスは細菌と異なり、増殖のための仕組みを自前で持っておらず、宿主生物の細胞のシステムを乗っ取って増殖を果たします。このため、ウイルス自身の作るタンパク質はごくわずかであり、薬を開発しようにも狙い所が少ないのです。また、ウイルスは持っている遺伝子も形状やサイズも驚くほど様々であり、非常に多様性が高いということもあります(ちなみにエボラウイルスは、遺伝子として1本鎖RNAを持っているタイプに属します)。

 このようなわけで、ウイルスには細菌と異なり狙い所が少なく、共通の弱点といえるものもありません。抗生物質は一剤で多くの細菌をやっつけてくれますが、抗ウイルス剤はエイズ、インフルエンザ、C型肝炎など、個々の病気に特化したものにならざるを得ません。しかもウイルスの変異は速いため、せっかく開発した薬剤がすぐ無効になってしまうことも少なくありません。

 というわけでウイルスは極めて厄介な敵であるわけですが、これに立ち向かうアビガンとはどのような薬か。実は下図のように、C5H4N3O2Fと、わずか15原子から成る大変にシンプルな構造です。

T-705
アビガン(ファビピラビル)の構造式。水色はフッ素

 こんな簡単な化合物が、いったいどうエボラウイルスに作用しているのでしょうか?実はこの化合物、RNAを構成する部品である、シトシンやウラシルにちょっと似ています。え、似てるのは下半分だけで、上半分は全然違うじゃんって?筆者もそう思うのですが、エボラウイルスはうっかり者であるのか、シトシンやウラシルと間違えて、このアビガンを取り込んでしまうのです。

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シトシン(左)とウラシル(右)

 取り込まれたアビガンは、さも本物であるかのような顔をして、RNAのパーツとして組み込まれるべく、下のようにデコレーションされます。そして、これらをつなぎ合わせてRNAを作り出す、「RNAポリメラーゼ」に入り込みます。

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 ここまで来てウイルスはようやく騙されたことに気づきますが、時すでに遅しで、この分子はRNAポリメラーゼにがっちり取り付いて離れなくなります。となるとエボラウイルスは遺伝子であるRNAを複製することができず、これによってウイルスの増殖がストップしてしまうのです。

 薬の構造があまり本物のシトシンやウラシルに似ていると、RNAポリメラーゼからすぐ離れてしまって効果を示しません。逆に違いすぎると、さすがにウイルスが間違えてくれず、うまく取り込まれません。アビガンの構造は、この間隙を絶妙に突いているわけです。


 実はこのアビガン、最初からエボラ出血熱を目指して開発されたものではなく、もともとはインフルエンザの薬でした。しかし、同じRNAポリメラーゼを持つタイプのウイルスであるから、エボラにも効くのではないかということで緊急措置として試したところ、どうやら効果がありそうだということになったわけです。近く、フランス政府がエボラ出血熱治療薬としての、正式な臨床試験を開始することになっています。

 ということは、RNAポリメラーゼを持つ他のウイルスにも効く可能性があるわけです。実際、西ナイル熱や黄熱病にも有効という話がありますし、最近ではノロウイルスにも効果があるのではという研究も出てきました(参考)。ノロウイルスは日本でも毎年多くの食中毒患者を出しますので、本当に有効ならば朗報となります。

 ただし実のところ、アビガンは普通に医療機関などに流通していない薬です。動物による安全性試験の段階で、胎児に奇形が生じる可能性が認められたため、日本では通常の認可が下りなかったのです。結局アビガンは、従来の薬が効かない新型インフルエンザが流行したときのみ、政府の命令によって製造されるということになっています。通常なら不認可ということもありえたが、タミフルなどとはメカニズムの異なる有望な薬なので、非常時の切り札として残された、ということのようです。

 もちろん現状のエボラ出血熱拡大の危険性は、副作用のリスクをはるかに上回るでしょう。アビガンの臨床試験がうまくいき、エボラ鎮圧に貢献することを祈るばかりです。できれば、通常のインフルエンザやノロにもこの薬が利用可能になる日が来れば、なお素晴らしいことでしょうが。

「ふしぎな国道」本日発売

ノーベル賞の件、もう少し書こうと思っていたらタイミングを逸した佐藤です。どうもこんにちは。化学の話でなくて恐縮ですが、著書が本日発売ということでちょっと宣伝を。

筆者が筋金入りの国道マニアであるということは、ご存知のかたはご存知であろうと思います。マニア歴17年、稚内から石垣島まで全国津津浦浦を走り回ってまいりました。で、その成果がようやく一冊にまとまりました。講談社現代新書「ふしぎな国道」がそれです。下にある表紙は、講談社現代新書の標準仕様ですが、実際には帯がかけられて、246号の標識がど真ん中にフィーチャーされているかと思います。


いったいどんな本か、巻頭の文章を少し載せておくと、
本書は、日本の道路行政の問題について鋭く分析・検討し、何ごとか物申すような本ではない。各地の絶景やグルメを楽しむための、ドライブガイドのような本でもない。本書は、「道路」そのものを楽しむために書かれた、「国道マニア」の入門書だ。
というようなことになっております。名所めぐり、酷道探検、国道の歴史、各種アイテム群の探索などなど、多様かつマニアックな道路の楽しみを書き連ねております。

ちなみに講談社現代新書のツイッターによりますと、
現代新書50周年イヤーの隠し球『ふしぎな国道』がいよいよ発売されます。著者は、『炭素文明論』などの著作で知られる佐藤健太郎氏。読み始めたら止まらない2014年新書界最大の快作(怪作?)です。国道♥愛のディープな世界にぜひ貴方も!
とのことで、ほめられてるのか何なのかよくわからない状況です。まあいいですが。

著者インタビューも上がっております。「マニア歴17年の熱狂的な国道マニアであることをカミングアウトした、サイエンスライターの佐藤健太郎さん」とありますが、カミングアウトも何も昔っからアピールしまくってますけどね。

内容の方ですが、アルファブロガーの小飼弾氏にツイッターで書いた本人が驚くほどの絶賛をいただいております。



というようなわけで、発売前からいろいろ予想外の反響が来ている本書、書店で見かけたら手にとっていただければ幸いです。

ノーベル物理学賞に赤崎・天野・中村博士

 今年2014年のノーベル物理学賞は、「青色発光ダイオード(LED)の発明」に対し、赤崎勇・天野浩・中村修二の3教授に授与されました。中村教授は現在アメリカ国籍となっていますが、いずれも日本で行われた研究に対しての賞であり、大変喜ばしいことと思います。

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青色LED(Wikipediaより)

 青色LEDの普及ぶりは目覚ましく、今筆者が握っているマウスの背中にも、青い光が誇らしげに輝いています。かつて赤と緑に彩られていたクリスマスツリーは、近頃すっかり青と白に輝くものというイメージに変わりました。これだけ見ても、いかに青色LEDが大発明であるかわかりますが、もちろんその功績はツリーやイルミネーションを美しくしただけではありません。

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カレッタ汐留のイルミネーション(ライブドアニュースより)

 青色LEDは、その発明前から「実現されればノーベル賞間違いなし」と言われていました。というのは、赤・緑のLEDはすでに実現していたため、青が加われば光の三原色が揃ってディスプレイなどで様々な表現が可能になるからです。しかもLEDの消費電力は白熱電球などに比べてずっと小さく、応答速度も速く、寿命も極めて長いなどよいことずくめです。

 最近、身近で使われるようになった白色LEDも、青色があって初めてできたものです。青色LEDと、それに反応して黄色に光る蛍光体を組み合わせることで、白い光を実現しているのです(青と黄色は補色なので、混ぜると白くなる)。白色LEDは照明の他、テレビやパソコン、携帯電話の液晶ディスプレイのバックライトにも使われていますので、現代の生活はもはやこれなしで成り立たないと言ってもいいでしょう。照明としての白色LEDは消費電力も小さく、震災後のエネルギー節減にも大きく貢献しました。


 LEDがなぜ光るかという原理はなかなか難しく、門外漢の筆者には詳細な解説は手に余ります。とりあえずごく簡単に語ると、電子が足りない半導体(p型)と電子が余った半導体(n型)が接合されているのが、LEDの基本構造です。ここに電圧をかけると、電子が移動して穴が埋まり、その分のエネルギーを光として放出するというのがLEDの発光原理です。電気のエネルギーが直接に光エネルギーに変わるので、効率がよく消費電力が少ないのです。

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LEDの発光原理(Wikipediaより)

 LEDが何色に光るかは、エネルギーの差(バンドギャップ)によって決まります。青色の光は波長が短くエネルギーが高い――ということは、大きなバンドギャップを乗り越えなければなりません。波長の長い赤色LEDがまず実現し、次いで黄色や緑ができたものの、青が難しかったのは、こうして深く広い谷間を飛び越えなければいけなかったのが理由です(と筆者は理解しています)。

 バンドギャップの大きい半導体として知られていたのは、セレン化亜鉛(ZnSe)、炭化ケイ素(SiC)、そして窒化ガリウム(GaN)でした。当初有望視され、世界の大企業が研究に取り組んでいたのはZnSeで、結晶の作成が難しいGaNは相手にされていませんでした。しかし1985年、名古屋大学の赤崎教授とその学生であった天野氏は、さまざまな工夫の末にGaNの結晶の作成に成功、青色LEDを世界で初めて実現しました。

GaN
窒化ガリウムの結晶構造

 ただし、人間の目は青に対する感受性が弱く、緑色に比べて30分の1ほどでしかありません。つまり極めて明るい青色LEDを作らないと、他の色に比べて大変弱い光にしか見えないという難しさがあります。一応青く光るLEDが得られた後、次なる目標は高輝度青色LEDということになりました。

 この壁を破ったのが、日亜化学工業に勤務していた中村修二氏です。彼はツーフロー法という独自の方式によって、GaNの高品質な結晶の作成に成功、高輝度の青色LEDを世に送り出しました。こうした大発明が、一流大学でも巨大企業でもなく、四国の無名企業から現れたことに心底驚いたことをよく覚えています。

 その後、中村氏は発明の対価を求める訴訟を起こして実質敗訴、米国へ渡ってカリフォルニア大学の教授になったのはよく知られていることでしょう。その特許が、どこまで青色LEDの製品化にとって重要であったかは様々に議論されていますが、筆者は踏み込んで語れるほど内実を知りませんので、ここでは触れません。

 今回の受賞をきっかけに、研究者と産業の関わり、特許のあり方、頭脳流出、ブレイクスルーを生む土壌など、多くの議論が再燃することと思います。ただ筆者としては、「数年以内に」「実用的な」「高IF論文誌に掲載される」研究が強く求められる風潮の中、10年、20年と腰を据えて取り組んで初めて生まれるこのような成果が、今後またどれくらい生まれるだろうか――という心配が、とりあえずいま心に浮かぶところではあります。

関連:ChemASAPの記事(RouteYOASAKU氏による)
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