有機化学美術館・分館

HP有機化学美術館のブログ版。タイムリーな話題,短いテーマをこちらで取り上げます。

2007年07月

HP移転

 昨日(7/25)、日経新聞夕刊の書評欄にて「有機化学美術館へようこそ」を取り上げていただいたようです。選評は竹内薫氏。今週最高点の★4つをつけていただき、暖かいコメントをいただきました。大変ありがたいことです。しばらくしたら竹内氏のサイトで全文が読めるようになるかと思います。しかし、筆者は何冊か竹内氏の著書で勉強させていただいていますが、その竹内氏が筆者の本を読んで感想を書いて下さっているというのは、何だか不思議な感覚です。


 さて先日から予告していましたサイトの引っ越しですが、ようやく公開できる運びとなりました。新URLは以下の通りです。



http://org-chem.org/



まるで有機化学の世界を代表するかのような、非常に図々しいドメインを取得してしまいました。とりあえず新ドメインでも変わらぬご愛顧をいただければと思います。


ちなみに環境がいろいろと変わったせいで転送がうまくいかず、まだあちこちに穴があります。ぼちぼち修正いたしますが、リンク先にページがない、画像が表示されないなど問題を発見されましたら、ここあるいは掲示板にでも鬼の首を取ったようにご連絡いただければ幸いです。


 有機化学美術館中心にサイトの構成を変更し、デザインも少々いじろうと思っていたのですが、それはまた次の機会にでも。ということで今後とも「有機化学美術館」をどうぞよろしく。



タミフルの新しい合成ルート

 以前に一度柴崎・Corey両教授のタミフル全合成を取り上げましたが、Angewante最新号に今度は福山透先生の全合成が掲載されていました。

 A Practical Synthesis of (-)-Oseltamivir
Angew. Chem. Int. Ed. 2007, 46, 5734 N. Satoh, T. Akiba, S. Yokoshima, and T. Fukuyama

 以前も書いた通り、現在タミフルの生産に用いられるルートは天然のシキミ酸からスタートしているため供給に問題があり、また途中アジドなどの危険な試薬を必要としていました。今回のルートでは出発物質に不斉点がなく極めて安価なピリジンを用い、MacMillan触媒を用いたDiels-Alder反応で必要な不斉炭素を構築。以下13段階、トータル5.6%の収率で最終物のタミフルまで誘導しています。

 この論文ではタイトルにある通り、製薬会社のプロセスケミストも加わって実用に耐えるルート作りを目指しています。保護基のかけ替えなどがあってやや工程数が延びているところ、最初の数段階での収率がやや低いところがあるのが難点といえば難点ですが、シリカゲルカラムによる精製を極力抑え、危険・高価な試薬の使用も避けるなど工夫が凝らされています。やや高価な試薬である二酸化ルテニウムは回収再使用し、反応溶媒として環境負荷の大きいジクロロエタンに換えて酢酸プロピルを用いるなど、グリーンケミストリーの観点からもお手本にすべき合成ではないかと思います。それにしても酢酸エチルはよく使いますが、酢酸プロピルが出てくるというのはプロセスケミストの知恵ではないでしょうか?どうしてこういう選択になったか聞いてみたいところです。

 気になるのは最終段階がAlloc基の脱保護なので、パラジウムが最終物に残存しないかという点です(医薬品の合成では、Pdの残存はppmオーダーで厳しくチェックされます)。よく用いられるPd(PPh3)4ではなくPd/Cを用いているのはその配慮かもしれませんが、どの程度効果があるのでしょうか。

 人の体に入る化合物を大量に、安定して供給することを求められるプロセスケミストリーでは、製品の純度、反応の効率、安全性、再現性などが強く求められ、実験室レベルの合成とは全く違った課題に取り組まねばなりません。実際プロセスケミストの方の話を聞いていると、目を開かされるような思いをすることがしばしばあります。学問の最先端を行く大学の研究室と、生産の現場の最前線に立つプロセスケミストとの交流によって、新しく生み出されるものはまだまだたくさんあるのではないかという気がします。

第4の結晶

 HPの移転の話、現在準備を進めておりますので、もう少ししたら詳細を発表できると思います。と思わせぶりにいうほどのことでもないですが。

 ブログの方もだいぶ放りっぱなしにしてますが、せっかく作ったわけですので今後はなんとか週1回、せめて10日に一度くらいは更新しようと思います。

 というわけで今回は結晶形の話を。このあたりは本館の「結晶にまつわるエトセトラ」でも一度書きましたが、書籍の査読にも協力していただいた亜留間次郎氏に面白い話を教えていただきましたので、今回はこれで一席。

 結晶というものは同じ化合物が規則的に積み重なってできたものですが、場合によりいくつか違う積み重なり方が存在することがあります。例えばひし形のタイルを平面に敷き詰める場合には下図のように何通りもの敷き詰め方が考えられますが、いってみれば結晶形の違いというのはこの3次元版であると思っていただければいいでしょう。
hisigata1hisigata3hisiata2

 結晶形が違うとどうなるかというと、例えば溶媒への溶解度が変わります。密に詰まってほぐれにくい結晶と、ふんわり詰まって崩れやすい結晶では当然後者が溶けやすくなるわけです。特に医薬品などでは、この結晶形が変わると溶解・吸収のされ方が全く変わってしまいますから、結晶形の制御はきわめて重要な問題です。しかし目に見えないほど小さな分子が相手ですから、「こうすればこういう結晶が得られる」という一般的な方法はありません。結局温度や湿度、撹拌速度などの条件などを変えて試行錯誤するしかないのですが、どうやっても望んだ結晶ができないこともありなかなか一筋縄ではいきません。

 医薬品以外で結晶形が重要になるケースに、爆薬の場合があります。爆薬は基本的に密度が高いほど爆発力も高まるので、場合によっては圧搾処理などによって破壊力を上げるようなことも行われます。またあまりに敏感でも取り扱いに困りますから、ちょうど都合のよい結晶を得ることが実用化に向けて大きな課題となります。

 現在最新鋭の爆薬として用いられている、ヘキサニトロヘキサアザイソウルチタン(HNIW)という化合物があります。ご覧の通りひずんだ骨格に6つのニトロ基が結合した、いかにも爆発力の高そうな構造です。この化合物にはα・β・γ・εの4種類の結晶形(δはどうしたのかって?筆者も知りません)が存在しますが、α・β・γ型はあまりに敏感すぎるため、爆薬として使い物になるのは最後のε型だけです。しかしこのε型を安定して作り出す方法がなかなか見つからなかったため、爆薬としては優秀であることがわかっていながら、HNIWの実用化は見送られる寸前となっていました。
HNIW
 この状況をみごと打ち破ったのは、旭化成工業の研究員・川邊秀史氏でした。なんと氏はα・β・γ型の3種の結晶をまとめてメタノールに溶解し、溶媒を蒸発させるという方法で安定にε型が得られることを発見したのです。3つを混ぜて煮るとただ1種が得られるというなんとも不思議な方法ですが、とにかくこの手段によってε型の量産が可能となり、HNIWは晴れて爆薬として実用化の道を歩み出すことができたのです。なんだかやけっぱちになってやったとしか思えないような方法ですが(失礼)、実際にはどうやって思いついた手段であったのでしょうか。

 結晶というのはこのように人為的な制御の難しい部分が多く、それでいて実用的な応用には欠かせない分野でもあります。どんな化合物でも思うままに結晶化させる方法を見つけられればノーベル賞も間違いないと思うのですが、どなたかよい方法を考えていただけないでしょうか?

天才がどんどん生まれてくる研究室?

 一応プロバイダの引っ越し作業も済み、ネット環境もようやく整いました。もちろん設定やら申請やらいろいろやらなければならないことはあるのですが、近いうちにHPの方の引っ越しも行う予定です。

 さて最近「天才がどんどん生まれてくる組織天才がどんどん生まれてくる組織」(齋藤孝著、新潮選書)という本を読みました。漫画のトキワ荘、静岡の少年サッカー、将棋の奨励会、江戸時代の「藩校」など、後にその世界を変えるほどの天才を続々と生み出した「組織」にはいったい何があったのかを考察した本で、それぞれに非常に興味深い分析がなされています。特に教育に携わる方には、必読の一冊といってよいのではと思います。

 この本の「宝塚歌劇団」を取り上げた項目に、「密封錬金術」という言葉が出てきます。世間から隔離された純粋な空間に生徒たちを置き、一日中みっちりと高密度で最高レベルの教師たちによる授業を集中的に与えるという、宝塚の独自の教育システムを形容した言葉です。なるほどと思うと同時に、我々の通ってきた大学の研究室というものはまさにこの「密封錬金術」であったのだな、と十数年前を懐かしく思い出してしまいました。

筆者はどこの研究室にはどんな先生がいてどんな研究をしているかあまり調べもせず、なんとなく有機化学をやりたいという程度の理由で研究室を決めてしまった頼りない学生でした。しかしたまたま紛れ込んだ研究室は、幸運にも非常にレベルの高い教育を施してくれるところでした。緊張感のある厳しい指導を受けられたこと(やや厳しすぎる嫌いもありましたが(笑))、朝から晩まで熱く化学のことを語り合える友人・先輩・師に恵まれたことは、今思い返しても何よりありがたいことであったと思います。

大学院の期間は大変ではありましたが非常に密度の高い歳月で、そこで培われたものが今でも揺るがない自分の基礎になっていると感じます。というわけで現在学生の皆さんも大変ではあるでしょうが、将来間違いなく大きな財産になると思いますのでぜひ頑張って下さい。

さてそんな大学の研究室の中でも、ひときわ優秀な研究者を多数送り出しているところがいくつかあります。30人以上の教授を育てた向山光昭先生、野依良治先生・山本尚先生などの師である野崎一先生、天然物化学の大門閥である平田義正先生、そしてなんといっても海外ではE.J.Coreyが有名どころでしょう。

もちろんアカデミックに進む研究者が多いほうが偉いというものでもないでしょうが、教授がたくさん出ている研究室というのは歴然と存在しています。もちろん教官の研究者としてのレベルが高いことは必須の条件ではあるでしょうが、優れた研究を発表している先生のところからなら必ず優秀な弟子が巣立っているわけでもないように思います。このあたりの差がどこから生まれてくるのか、じっくり考えてみるとこれはなかなか興味深いテーマであるように思いますが、いかがなものでしょうか。


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