中国製品の安全性について不安が高まっています。段ボール肉まん騒動にかき消された観はありますが、しばらく前には「中国製の練り歯磨きからジエチレングリコールが検出された」として日本国内に流通していた製品が自主回収されるという一件もありました。段ボール肉まんの方はヤラセであったことが発覚しましたが(真相はどうなのか知りませんが)、このジエチレングリコールは海外で多数の死者も出しており、段ボール騒動に比べても決して小さな問題ではありません。

 ジエチレングリコールは図に示すような比較的簡単な構造の分子です。エチレングリコール2分子が脱水縮合した形なのでこの名があり、また実際にエチレングリコールの製造工程で副産物として生成するため、安く市場に供給されています。粘っこい甘みのある液体で(水酸基を多く含む化合物は甘みを持ちます)、不凍液・塗料・ブレーキ液などに広く使用されます。

ジエチレングリコール
 しかしこの化合物は、何度も大規模な中毒事故を起こした歴史を持っています。安価で甘みを持つため、グリセリンの代わりに使用(誤用)されることが多かったためです。1937年にはアメリカで抗生物質に混入されて105名が死亡。また1985年にはオーストリア産のワインに甘みをつけるため混入され、日本でも中毒者が出る騒ぎとなりました。そして2007年5月パナマでは、風邪のシロップに本来グリセリンが使われるべきところでジエチレングリコールが誤使用されてしまい、100名以上の死者を出す惨事となりました。

 分子構造を見るだけだとなぜこんな毒性が?と思ってしまうのですが、毒性の本体はジエチレングリコールそのものではなく、これが体内で酸化代謝を受けてできるギ酸やシュウ酸などの化合物であるようです。特にシュウ酸は腎臓でカルシウムイオンと結合し、水に溶けにくいシュウ酸カルシウム(下図)を形成します。このシュウ酸カルシウムというのは、腎臓結石でできる「石」の主成分として知られています。要するに、大量のジエチレングリコールを摂取することによって、数ミリの塊でも大変な苦痛をもたらす結石が一挙にたくさんできて腎臓の機能を破壊し、腎不全を起こすというのがこの化合物の毒性の正体であるようです。
シュウ酸カルシウム といってもシュウ酸は猛毒の化合物というわけでもなく、例えばココアは重量比で0.5%、ホウレンソウは0.6%ものシュウ酸を含んでいます。というわけでジエチレングリコールの半数致死量は710mg/kgと青酸カリの1/100ほどであり、体重60kgの大人なら43gほどを飲むと半数が死亡する計算です。

 というわけでパナマで風邪シロップを飲んで犠牲になったのは、痛ましいことに大半が小さな子供たちでした。また日本で回収騒ぎになった練り歯磨きに含まれる程度の量では、健康被害が出る気遣いはまずありません。とはいえ「加えてはいけない」と決まっているものを断り書きもなく加えていたわけですから、練り歯磨きの件でも中国のメーカーが責任を問われるべきであるのは当然でしょう。

 筆者はこれまでにホームページ「有機化学美術館」で、一般に有害のレッテルを貼られているいくつかの化合物を擁護する文章を書いています。しかしそれらはいずれもきちんと安全性について検定が行われ、科学的に認められた基準に基づいて使われている化合物に対してのことです。この件のように「安いから」というだけの理由で、生命に関わるような化合物を使用する中国メーカーの態度は当然許されるべきでなく、ましてつい最近大きな被害を出した物質を平然と使い続けるに至っては、神経を疑うとしかいいようがありません(パナマの一件については、法律的に中国メーカーに責任はないとされたようですが、常識的に考えればメーカー側にも大いに問題がありそうです。このあたりの事情について、詳しくは福島香織氏のブログをご覧ください)。

 中国製品については(都市伝説に近いようなものも含め)他にも数多くの問題が指摘されています。何より恐ろしいのは、これらが日本に輸出された場合、危険かどうか見分けるすべがほとんどないことです。原材料の一つ一つにまで原産国を明記してあるわけではありませんし、飲食店で出される品などはどこで作られたものであるのか調べようがありません。我々としてはできる限り表示を確認する、あまりに安い食品には手を出さないというくらいの自衛手段しかなさそうです。

 問題のある製品が、技術の不足ではなく倫理観の欠如から生まれている以上、根本的な解決には中国側の自覚を待つほかないのでしょう(まあ最近は日本企業も妙な事件を起こしているため、あまり胸を張って人のことをいえなくなっているのが悲しいところですが)。中国は一度政府が本腰を入れて取り組み出すと改善は早いということですから、このあたりになんとか期待するほかなさそうです。