炭素でできた極細の筒・カーボンナノチューブは、夢の新素材、ナノテクの旗手として各方面の大きな注目を浴びています。化学・材料・物理学・生物など、ここ数年学術誌にナノチューブの文字が載らない日はまず一日もないというほど、各分野で盛んな研究が進められています。
しかしこうした応用研究を阻む大きな要因として、ナノチューブが各種の溶媒に溶けないという点が挙げられます。ナノチューブは互いに引きつけ合ってがっちりと絡み合った束を作る性質があり、これをほぐして溶媒に分散させるのは至難の業なのです。化学の世界において、反応や精製はたいてい溶媒に溶かして行うものですから、何にも溶けないという性質は極めてやっかいなものなのです。
また生物学方面の応用を考えるとき、生命を支える媒質である「水」に溶ける(分散させる)ことはほぼ必須の条件です。しかし炭素でできたナノチューブはまさに「水と油」で、ただの水には全く混じりません。これを克服するため、水や各種溶媒に分散・溶解させる技術が様々に工夫されてきました。
ところが最近になり、九州大学の中嶋直敏教授のグループが、実に意外なものにナノチューブが溶けることを報告して話題を集めています(Chem. Lett.36 (2007) , 1140 )。研究室にあるあらゆる溶媒を受け付けないナノチューブを溶かしてしまう「魔法の液体」は、実はコンビニで150円も出せば容易に入手できます。その液体の名はなんとサントリーの緑茶「伊右衛門 濃いめ」です。
なんでまた伊右衛門茶にナノチューブが溶けるのか――。その秘密は緑茶の主要成分であるカテキン類にあるようです。一般に、芳香環(ベンゼン環など、いわゆる「亀の甲」)を持つ化合物同士は表面のπ電子によって引きつけ合い、積み重なるように寄り集まる性質があります(πスタッキング)。カテキン類は多数の芳香環を持っていますのでナノチューブ表面に引きつけられて集まりますが、一方でたくさんの水酸基をも保持しているため水ともうまくなじみます。要するにナノチューブと水の両方に似た部分構造を持つカテキンがうまく両者の仲立ちをし、本来犬猿の仲である両者をなじませてしまうというのが伊右衛門茶の秘密であるようです。
カーボンナノチューブ(薄桃)の周辺に吸着したカテキン(緑)が水(青)との間を仲立ちする(クリックで拡大)
論文では、代表的なカテキン類であるエピガロカテキンガレート(EGCG)の水溶液にナノチューブが溶けることも示されています。というわけですからこの現象は何も「伊右衛門」に限ったことではなく、「生茶」でも「一(はじめ)」でも同じことが起こると思われます。カテキン類の濃度が高い方が有利でしょうから、「ヘルシア緑茶」あたりにはもっとよく溶けるのかもしれません。
(カテキンの代表的成分・エピガロカテキンガレート)
しかしこんなことがどうやって発見されたのでしょうか?偶然こぼれてしまった昼ご飯のお茶に、そばに置いてあったナノチューブが溶けてしまった――というようなことなら面白いのですが、おそらくそうではなさそうです。中嶋教授のグループではナノチューブの分散・溶解について深い研究を重ねており、ピレンの誘導体などを使った可溶化の報告をすでに行っているからです。さらに入手しやすい成分での可溶化を追求するうち、カテキン類にたどり着いたと見る方が自然でしょう(このあたり詳しいことをご存じの方がおられたらご一報願います)。
(可溶化に用いられるピレン誘導体)
それにしてもユニークな研究です。「エピガロカテキンガレートによる単層カーボンナノチューブの可溶化」などというよりも「伊右衛門にナノチューブが溶けた!」の方がはるかにインパクトがあるのは言うまでもなく、このあたりは実験者のセンスによるところが大きいのではないでしょうか。
この発見が、ナノチューブの研究に実際に応用されるかどうかはまだ未知数です。しかしいずれにせよ非常に身近なものが、科学の最先端の難題解決に役立つ可能性があるというのは面白いことです。寒天などもそうですが、実験に行き詰まった時には身の回りのなじみ深い品に着目してみるのも時には有効なのかもしれません。
トラックバック一覧
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1. カーボンナノチューブ かーぼんなのちゅーぶ carbon nanotube(CNT)
- [身のまわりの分子 -Chem-Station-]
- 2008年01月29日 06:23
- カーボンナノチューブ(carbon nanotube;CNT)は...
コメント一覧 (22)
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- 2007年08月24日 01:24
- カーボンナノチューブは日本人が発見したので、なんとなくですが親しみが湧きますね。カーボンナノチューブの日本での研究は世界でも進んでるほうなんですかね。
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- 2007年08月25日 12:40
- テニスラケットはいえもんで溶けるのかぁ。
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- 2007年08月26日 01:27
- >ケトンさん
進んでいると思いますよ。ナノテク日本の切り札ですし。
しかしあちこちで話題を呼んだみたいで、アクセス数が普段の10倍以上になってますね。
ちなみにナノチューブが溶けると言ってもべろべろに溶けてしまうわけではなく、超音波をガンガンかけて一応溶けていることが確認できたという程度です。なので軌道エレベータに緑茶をぶっかけるテロをやっても、たぶんびくともしません。
ちなみに分散・溶解能力でいえば、前エントリでも登場したラウリル硫酸ナトリウム(SDS)なんかの方がカテキンより強いようです。
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- 2007年08月27日 12:57
- 私もこれを聞いて最初面白いと思ったのですが、
よく考えてみれば、研究自体はそんなに
本質的な話でもないですね。
茶はカテキンを含む
カテキンはCNTを溶かす
だから茶はCNTを溶かす。
っていうことであり、いってしまえば
既知の現象を単に組み合わせて
(しかも比較的単純な組み合わせ方で)
デモンストレーションしているにすぎない、
のではないかと思います。
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- 2007年08月27日 22:23
- カテキンでナノチューブが溶けるってのは既知の現象ではないと思いますけど。
あとお名前をどうぞ!
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- 2007年08月28日 14:38
- 実際に中嶋研の後輩に聞いてきました。
大学一年生が研究室にて比較的自由な実験するという講義枠にて、コーヒーなど身近な物をダメもとで溶かしていて、偶然溶けたのが発端のようです。結構ドラマチックじゃないでしょうか。
通常は薬品以外の溶媒で物を溶かそうとはしないから、本人達はネタ論文だという認識のようです。
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- 2007年08月28日 14:50
- 追記
先にお茶に溶けるという現象があったわけで、溶けた理由がカテキンかどうかは後にわかったようです。
専門じゃないので伝聞形が多くてすいません。
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- 2007年08月28日 23:39
- げ!そうなんですか!情報ありがとうございます。もったいぶって推測してみたけど外れか……。
しかしいろいろやってみるもんだなー(笑)。ま、ネタ論文なんてことはなく、十分一報の価値がある報告だと思いますけどね。
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- 2007年09月10日 20:32
- お茶は、カーボンナノチューブもそうだけど、疲れた気持ちを溶かしてくれるのがいいね。
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- 2007年09月11日 20:01
- 季節限定商品だったら、もっとプレミアがついたかも・・・再現性がとれなくなりますかねw
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- 2007年09月16日 22:39
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すごいですね!いえもんで・・・
普通に手に入る代物で解けるだなんて・・・
んじゃCNTが含まれてる製品(テニスラケットなど)にいえもんかけたらとけるんですかね?
なんかテニス部なんでもしお茶かけたらと思うと・・・ちょっと不安です。
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- 2007年10月08日 23:13
- だいぶ前、4番目のコメントを投稿した者です。
たしかに書き込みにやや誤りがありました。ご指摘のとおり、カテキンに溶けるのは既知の現象ではないですね。
ただ、ピレンなどの多環式芳香族で可溶化できるという研究があったということなので、カテキンがCNTを溶かすというのはそのレパートリーに似たような分子を加えただけなんじゃないかって思ったのです。
「カテキンがCNTを溶かす」っていう論文にしたほうが興味がそそられるんじゃないか、って思うのは頭が固いですか。
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- 2007年10月11日 03:25
- ピレン系が可溶化させるのは既知なんだから、「カテキンが使えました」という論文もそれこそ「ああそうですか」で終わっちゃうんじゃないですかね。
そこを敢えてお茶にしたからこそ、ここまでの反響(?)がある仕事として出せたと思うんですがどうなんでしょうか。パフォーマンスの要素が含まれていることは事実なんでしょうけど。
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- 2007年10月13日 22:18
- >>casfitさん
ええと、言いたかったのはまさにそういうことでして、
単なるパフォーマンスに過ぎないんじゃないかって
思い、あまり好印象でなかったということです。
まあそれを承知で洒落で出したのだと想像します。
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- 2008年12月16日 20:32
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実際に試してみました。たしかに分散して、なんとなく身近なものが使えるというのは楽しめました。
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- 2010年04月22日 10:11
- CNTをカテキンが溶かす。というのは、あくまでCNTを分散状態にする。という解釈ですか?それとも、Cnt自体を溶解させるということですか?前者だとおもうのですが、表現が曖昧に思えます。
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- 2011年09月21日 09:45
- 「をぢさん」さんのご意見がオシャレですね!!
当方、興味本位のド素人なのですが、勉強嫌いの子供でも興味を持ってくれそうな切り口が素晴らしいとも思いました。
ここから未来の科学者が育ってくれれば最高ですね!
全然関係ありませんが、カテキンを車のエアコンフィルターに塗布しているスズキさんですが、ハンガリー生産の車にも「日本(静岡)のお茶のカテキンでなければならん!」と、フィルターごと日本から輸出しているそうです。
お茶、日本文化ですね♪
(駄文長文ごめんなさい。)
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- 2011年11月10日 11:12
- ピレン→カテキンとは普通思いつかないですよね。
で、カテキンって書くと化学感が出てしまうから、
お茶という意外性で興味を持たせる。見事ですね。
以前のお酒試しました系といい、面白い論文も
探したらあるもんですね〜。
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- 2012年04月21日 07:51
- カーボンナノチューブに興味を持つ素人です。カテキンがCNTを溶かすと言うことは、CNTの線維化を可能とするものでしょうか?
巨大な凧をタコ糸の代わりにCNTを使えばあげることは可能ですか?
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- 2013年01月07日 14:31
- 当方では、カーボンナノチューブを皮膜化させるのに成功し、非常に柔軟な構造体を作って実験を続けております。
その一連の実験の中で、副産物としてでてきたのが、カーボンナノチューブが水溶性になっているのではないか、と思われる液体です。
色は透明茶褐色、イオン交換水に溶解して、pH4を示しています。不揮発分は0.03%で、通常の水道水を使用すると、pH2を示します。
最初は何か不純物が溶出したのかと思い、捨てていましたが、イオン交換水に変えて試験を始めてからは、不純物の存在はなく、消去法で考えて、CNTが溶解しているのである、と推測しています。
どういう作用があるのかよくわからないうえに、こちらには、分析機器がないため、とりあえず、生体反応をみてみるべく発芽試験を実施しています。
CNTが溶解している水溶液は発芽を抑制する作用があり、さらにカビなどの真菌類の増殖を抑制する作用も見られます。
ところがpHを中性に戻すと、発芽促進作用が観察されます。
今のところ、スプラウト、エンドウ、ホウレンソウなどで発芽試験を実施していますが、種類に関係なく、発芽の抑制と促進効果が認められています。
CNTによる真菌類の増殖抑制効果は絶大で、モチでのカビ発生実験では、対照のモチと比較して、CNTのモチは、まったくカビが生えてきません。
これは、何回やっても再現しています。
この分野での試験内容はどこを探しても全然出てこないので、どこか知見のある研究をされている人はいないでしょうか。
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- 2015年09月03日 13:07
- うっかりこぼしてしまったのを観察したら解けていたから原因調べたらカテキンだったとかそんな感じなんだろうなぁw
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- 2015年09月04日 04:07
- 伊右衛門茶に痛烈なダメージ。
おれは16茶派だからいいけど。
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