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 さて本題。以前本館の方で取り上げたレスベラトロールの研究が進展し、さらなる注目を集めているようです。すでに「レスベラトロール」で検索すると山ほど健康食品のサイトが引っかかり、「寿命を延ばす」「心臓病、ガン、アルツハイマーなどの難病を防ぐ」など、景気のいいあおり文句が飛び込んできます。コエンザイムQ10の大ブームが過ぎた後、サプリメント業界はこのレスベラトロールを次代のエースに育てようと虎視眈々――かとも見えますが、さて実力の方はどうなのでしょうか?

 どうすれば人は長生きができるのか、というのは人類の永遠のテーマといってもいいでしょう。が、これまでに動物実験で確実に寿命を延ばすことに成功した手法はただ一つ、カロリー制限しかありません。摂取カロリーを通常の6〜7割に抑えることにより、線虫から霊長類までの様々な動物が長生きになることが確認されているのです。肝心の人間の場合はどうかというと、人体実験になってしまうので残念ながらしっかりしたデータがありません。しかし昔から長寿の秘訣として「腹八分目」ということが言われている通り、ヒトの場合においてもこの方法はなにがしかの真実を含んでいるとも思えます。

 ではカロリー制限を行うことにより、いったい何が起こるのか?いくつかの説がありますが、「十分な栄養を得られない」という環境ストレスに抵抗するために最大限の生存機能が引き出され、長生きができるようになるという理論が提唱されています。具体的にはこうしたストレスにより「Sir2」というタンパク質がたくさん作られ、これが各種の細胞の代謝を調整することにより寿命が延びるのだといわれます。生存競争の厳しい自然界では十分な栄養が確保できない状態の方が多いでしょうから、こうした状況に最適になるよう生命が設計されている、というのは十分ありえる話のように思えます。
Sir2
(Sir2の構造)


 とはいえ3〜4割ものカロリー削減を人間が実践するのはいうまでもなく大変なことで、筆者であれば空腹を抱えて100年生きるより、おいしいものを食べて70年生きる方がよほど幸せだと思えます。がしかし、何らかの方法によって人工的にカロリー制限を模した状態を作り出せば、空腹に耐えることなく長生きができることになるはずです。この「擬似カロリー制限状態」を作り出すのが、今回の主役レスベラトロールであるというわけです。

 レスベラトロールは赤ワインの成分で、下に示すような比較的単純な構造の化合物です。これを投与された動物は、特にカロリー制限を受けていない状態でも長寿のカギであるSir2の産生を活発化させ、酵母・線虫・ショウジョウバエなど様々な種で30%ほど寿命が延びることが確認されています。
レスベラトロール

 また2006年には、高カロリー食を与えて太ったマウスにレスベラトロールを投与すると、肥満に伴う各種症状が現れず、健康を保ったまま長生きすることが「Nature」誌に報告されています。となると人間ではどうなのかが当然気になりますが、これは今のところ臨床試験が終わっていないのでまだ何ともいえません。赤ワインをたくさん飲むフランス人に動脈硬化などが少ないことが傍証としては挙げられますが、上記のマウスの実験ではかなり大量のレスベラトロールが投与されており、2杯や3杯のワインを飲んだくらいでは効果が出そうにはありません。

 しかし海外では早くもこうしたレスベラトロールの作用に注目し、サプリメントとして大量に摂取する人が現れているようです(WIRED VISIONの記事より)。今のところ人間が摂取して大きな障害が現れたという報告はありませんが、リンク先にも書いてある通りまだどのような効果があるかわからず、どれだけ飲めば有効なのか、どれだけ飲んだら危険なのかも十分にわかってはいません。

 サプリメント一つで果たしてバラ色の未来が訪れるのか、明らかになるのはまだ先のことのようです。しかしこうした長寿に関する研究は各分野で進んでおり、「あと2〜30年で人類は不老不死になる」と主張する科学者さえいるようです。まさか、と思われるかもしれませんが、戦後先進国の平均寿命が20年以上延びているのはまぎれもない事実です。もはや人類は、「どこまで生きるのが幸せなのか」「いつ死ぬのが社会のためなのか」という問題を真剣に考えなければならない時代に突入しつつある――のかもしれません。