天然物全合成の分野では、もはやあらかたの化合物が征服されてしまった感があります。岸義人らによるパリトキシン(1994年)、NicolaouらによるブレベトキシンB(1995年)、平間正博らによるシガトキシン3C(2002年)といった大物も次々に制圧され、ほとんど合成すべき化合物は残っていないかに見えます。

が、ひとつだけ超大物が最後に残っています。太平洋岸に住む毒魚・サザナミハギから単離されたマイトトキシンがそれです。1996年、安元・村田・橘・岸といった化学者たちの大変な努力の末に構造が決定されました。32の環と98の不斉炭素を持ち、分子量3422と生体高分子を除く天然物では最大、また毒性も最強クラスです。まさに怪物といっていい化合物であり、その全合成はエベレスト登頂にたとえる人がいるほどの難事です。

こうしたポリエーテル系天然物の全合成は日本が最も進んでおり、これまでにかなり環の構築法なども確立しています。しかしマイトトキシンは単に巨大なだけでなく、今までとは異なるタイプの部分構造を何ヶ所か含んでおり、このあたりの合成法も新しく工夫する必要があります。

天然物全合成の第一人者・K.C.Nicolaou教授は以前からこの合成に取り組んでおり、1996年には部分構造の合成も発表しています。その後鳴りを潜めていましたが、最近久々に論文が発表され、G環からO環にわたる9つの環部分の合成法が報告されました(J. Am. Chem. Soc., 130 (23), 7466–7476, 2008. DOI:10.1021/ja801139f )。

ところがこれとほぼ時を同じくして、東京理科大の中田忠教授もマイトトキシン全合成レースに名乗りを上げました。Organic Letters誌に、3報連続で部分構造の合成を報告したのです(Org. Lett. 2008; 10(9); 1675-1678. DOI: 10.1021/ol800267x、Org. Lett. 2008; 10(9); 1679-1682. DOI: 10.1021/ol800268c、Org. Lett. 2008; 10(9); 1683-1685. DOI: 10.1021/ol8002699)。

二人の合成している部分を比べると、下図のようになります。両者合わせると完成間近――のように見えなくもありません(笑)。
マイトトキシン

(マイトトキシン。青はNicolaouの合成した部分、オレンジは中田の合成した部分。クリックで拡大)。




とはいえ相手はこの巨大分子ですので、いかにNicolaou・中田教授といえどそう簡単に完成というわけにはいかないかもしれません。恐らく他にも全合成に取り組んでいる研究室はあると思われ、しばらくはこのレースから目が離せそうにありません。

しかし――、マイトトキシンができてしまったら、全合成という分野はもう終わりなのか、という一抹の寂しさを覚えないでもありません。もちろん他にもやることはたくさんあるのは当然ですが、最高峰、最難関が征服されてしまうと、有機合成は一つのピークを迎えることになる気はします。化学者は今後何をすべきであるのか、改めて考えてみる時期――なのかもしれません。