どんなジャンルであれ、プロとして成功するには自分のスタイルを確立することが不可欠といわれます。筆者にはスタイルといえるほど大層な技術はありませんが、まあ長年やっているうちになんとなく「自分の型」のようなものができてきて、そのおかげで続いているのかなと思っています。

 研究においてももちろんスタイルというものは絶対に必要で、優れた化学者は反応開発であれ超分子であれ、ゆるぎないスタイルというものを持っているように思います。著者の名前を隠しても誰の仕事かわかるような、強烈な個性を放つ人はやはり一流です。

 さて先日、東大薬学部にて谷野圭持・北大教授の講演会を聞く機会がありました。実をいうと筆者にとって谷野教授は、学生時代に大変お世話になった師匠筋に当たる方です。見かけも語り口も十数年前と全く変わらない谷野教授は、こうした講演をさせると全く聴衆をそらすことのない一流のエンターテイナーでもあります。

 学生時代には氏のスタイルしか見ていなかったためにそうは思っていませんでしたが、研究の方も見事に個性的で、自分のスタイルを確立している人なのだなと改めて思わされた次第です。紹介に当たった福山透先生は「とにかくマニアックな仕事」と連発しておられましたが、これも福山流のほめ言葉でしょう。今回のタイトルはかっこよく「求道者」としておりますが、こう書いて「マニア」と読むという話もあります。

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 谷野教授


 今回の講演は、10年にわたったインゲノールの全合成研究についてでした。プロジェクトの開始から間近で見ていた想い出深い仕事が、相変わらずの谷野節で聞けるのですからこれは堪えられません。まず間違いなく、今まで聞いた中で一番楽しい講演でした。

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(インゲノール)

 インゲノールというのは実にひねた骨格で、隣接した7員環同士がインサイド-アウトサイド構造をとるというほとんど類例のない構造です。これをいかに攻略するかが第一のポイントです。ここを突破するため、氏は骨格転位を含む独創的なアイディアをひねり出し、これがだめとなるとコバルトアセチレン錯体ととんでもない構造のルイス酸を組み合わせて、針の穴ほどの突破口をこじ開けるようにこの難関を突破します。このあたりはこちらをご覧下さい(PDFファイル)。

 その後の官能基変換も「漂流」というにふさわしい高難度のケミストリーで、ほとんど「右足が沈む前に左足を出して、海の上を突っ走る」ような際どい綱渡りで数々の難所を切り抜けています。詳しくは上記リンクと論文をご覧下さい。ただしこうした苦労というのは論文ではわからない部分も多く、生の研究者の息吹、感触が伝わってくるのがこうした講演会の醍醐味です。ひとつの仕事を完成させるのはこれだけのエネルギーを要するものか、とため息が出てくるようで。はたで見ている分には実に面白い話ですが、やっている本人はこれほどしんどい仕事はなかったでしょう。実験を担当したうちの何人かは筆者の直接の知り合いですが、改めて彼らの技術と知識、そして修羅場にも屈しなかった見事な頑張りに敬意を表する次第です。

 講演を終えた後の満足げな表情と、深々と頭を下げる谷野教授の姿が何より印象的でした。やはり男子たるもの、こうして堂々と人前で語るに足る、代表作というべき仕事をしたいものだと改めて思った次第です。