さとうです。このごろ説教臭い話題ばかりで申し訳ありませんです。「コテコテの化学話を読みたくてここに来てるんだぞ」という方は、職場で書いておりますブログなどもご覧いただければ幸いです。今回は藤田誠先生のNatureに掲載された論文を解説しておりますので、お急ぎでない方はぜひご覧下さい。ブックマークに入れてたまにチェックなどしていただけるとさらにありがたいです。

 さてお知らせとしましては、来月18日に渋谷の長井記念ホールで行われる有機合成講習会で、インフルエンザ治療薬に関して一席ぶつこととなりました。タミフルを作ったことも飲んだこともない人間が、偉そうに先生方の前で講演をするのも恥ずかしい限りではありますが、精一杯前座を務めさせていただこうと思います。実は学会でしゃべるなんてのは、学生時代以来15年ぶりであったりします。テンパりながら必死にもごもごと語る筆者の姿を見たいという方は、ぜひ参加申し込みをお願いいたします。

 さてそのタミフルの話題、有名ブログ「5号館のつぶやき」にて興味深い記事が掲載されていたのでご紹介します。なんと人間が使ったタミフルが川に流出し、最大300ng/lの濃度で検出されたというのです。インフルエンザウイルスに感染した水鳥がこの川の水にさらされたら、耐性ウイルスができる可能性がある、とも主張されています。そしてこの川というのはどこかの外国ではなく、京都の鴨川・桂川です。

 いくらタミフルが大量に使われているとはいえ、川の水から結構な濃度で検出されるというのはちょっと驚きです。リンク先のコメント欄で計算もなされていますが、だいたい計算が合ってしまうようです。こういうこともありうると思って薬も使わねばならないのか、とちょっと驚きです。

 ただし、これで耐性ウイルスができてしまうガクブル、と恐れるのはちょっと先走りすぎかと思います。一応元医薬品研究者であった者としては、突っ込みたい場所がいくつかありますので。

 ひとつには、ここで検出されているのは本来のタミフルではなく、タミフルのカルボン酸体であるという点です。タミフルは分子内にエチルエステルを持っており、実はこの形では抗ウイルス活性を持ちません。体内の酵素でエチルエステルが切れてカルボン酸になることで、初めて効果を著すようになります。川に流れているのがタミフルのカルボン酸体であるのは、いったん患者が飲んで体内を通過し、尿として排泄されたものが流れているためと考えられます。
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(緑色のエチル基が切断されて、活性本体(右)ができる)

 なんでこんな面倒なことをしているかといえば、活性本体のカルボン酸のままでは体内に吸収されにくいからです。カルボン酸は極性が高く、水には溶けやすいのですが油には溶けません。このため、脂質でできている生体膜は通過しにくく、腸から血管へ、さらに細胞内へ移行しにくいのです。このためエチルエステルとし、極性を下げて体内に吸収させる手法が用いられているのです(プロドラッグ)。

 特にタミフルカルボン酸体の場合、一級アミノ基とカルボン酸が共存している極めて高極性の分子ですから、体内への吸収はまず絶望的です。鳥も人間も基本的な細胞の仕組みは同じですから、この川の水をいくら飲んでも体内にタミフルが取り込まれるというのは考えにくいのです。

 また、もしタミフルがプロドラッグでなかったとしても、果たしてこの川の水を飲んだ鳥の体内で、耐性ウイルスができるほどの濃度になるかはやや疑問です。300ng/lのタミフルが溶けた水を1日3リットル飲んで、タミフルが全て吸収されたとしても摂取量は1日1μg未満です。人間の患者が飲むタミフルは1日75mgですから、摂取量が10万倍ほども違うことになります。鳥と人間の体重差や生物濃縮を考慮したとしても、鳥の体内でタミフルが有効な濃度に達することはさすがにないのでは、と思います。

 とはいえ、こうしたことが起こりうるということを示したことは重要で、意義深い研究であると思います。今後インフルエンザの流行が長引いたら、タミフルは環境問題としても捉えていく必要が出てくるのかもしれません。