有機化学を専門としてやってきた筆者でありますが、最近は他のジャンルのお話を聞かせていただく機会が増えております。ということでたまには有機の枠をはみ出し、「無機化学美術館」でいってみることにしましょう。

 青という色は、我々にとって最も親しみやすい色の一つです。何しろ空の色も海の色も青ですから、ブルーを見ていると心が安らぐというのは、生き物として当然ともいえるでしょう。

 ところが青という色は、自然界にあっては意外に見かけない色でもあります。青い花や昆虫はめったに見かけませんし、青い宝石もサファイアなどごく一部です。青いバラが不可能を、青い鳥が幸せを象徴すると言われるのも、青という色がめったに見られないことの裏返しといえるでしょう。

 ということで、青色の染料や顔料は昔から珍重されてきました。例えば植物の藍は布地を堅牢に染められる貴重な染料であったため、徳島藩は江戸時代にその栽培法を門外不出とし、巨利を得ていました。
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藍の発色成分・インディゴ

 絵に用いられる青色顔料も、様々なものが試されてきました。ラピスラズリ(瑠璃)を用いたウルトラマリンブルー、アズライト(藍銅鉱)などを粉末にしたものなどが用いられてきたしたが、いずれも産地が限られ極めて高価でした。ラピスラズリなどは、純金と同程度の価格で取引されたといいます。
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ラピスラズリとアズライト(ウィキペディアより)

 この状況に革命が起きたのは1704年のことです。ベルリンの顔料職人であったハインリッヒ・ディースバッハが、鉄を原料として素晴らしい青色顔料が造れることを偶然に発見したのです。のちにこの顔料はプロシア(プロイセン)の軍服に採用されたためもあり、「プロシア青(プルシアンブルー)」の名で呼ばれることになりました。

 これがどれくらい画期的であったかといえば、わずか半世紀後には鎖国の最中にあった日本にも入ってきて、浮世絵などに広く使われたことでもわかります。かの有名な葛飾北斎の「富嶽三十六景」にも、このプルシアンブルーがふんだんに使われています。
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富嶽三十六景・神奈川沖浪裏(ウィキペディアより)

 さてそのプルシアンブルーの正体はいったい何なのか?発見からほぼ一世紀を経た1806年、プルーストによって鉄イオンとシアン化物イオン(CN-)から成ることが提案されます。しかし完全にその構造が確定するのは20世紀も後半に入ってからで、鉄イオンをシアン化物イオンが橋渡ししてつないだ、ジャングルジム状の骨格であったことが判明します。

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プルシアンブルーの構造。紫は鉄(II)イオン、ピンクは鉄(III)イオン。

 ここまで構造解明が難航したのは、ひとつには2価と3価の鉄イオンが含まれている複雑な構成であったこと、またプルシアンブルーが均一で理想的な構造ではないからです。ところどころで鉄イオンが抜けて水分子が入り込んでいたり、他のイオンを取り込んだりして、欠陥を含んでいるため解析を受け付けなかったのです。
 しかしプルシアンブルー型錯体には様々な強誘電性・強磁性など様々な機能を持つものがあり、これらの性質は欠陥があるからこそ発現します。このようなわけで、プルシアンブルー型構造は新たな機能性材料として今また大きな注目を集めています(一例)。

 またプルシアンブルーが他のイオンを取り込む性質は、意外な用途を持ちます。プルシアンブルーは、現在汚染が問題視されているセシウムを、その立方体型の空間に取り込む作用を持っているのです。
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黄緑色は取り込まれたセシウムイオン


 この作用を利用し、プルシアンブルーは放射性セシウムを大量に摂取してしまった人の解毒剤として使われることがあります。消化管内にいるセシウムをこの格子に取り込ませ、安全に排泄させる狙いです。シアン化物イオンを含む物質を投与して大丈夫なのかと思ってしまいますが、この格子状ネットワークは丈夫で分解しにくいので毒性は低いのです。

(ただ残念ながらセシウムを取り込む作用はさほどに強力ではなく、よほど大量に被曝(数百mSv)してしまった人以外には効果がありません。また予防的な投与もすべきではないとされます。くれぐれも放射性セシウム怖さに青絵の具を飲むようなことはしないで下さい(参考PDF))。

 こうした取り込み能力など見ると、プルシアンブルーは現在注目の研究領域である金属-有機構造体(MOF)の元祖と見ることもできるでしょう。300年も昔に作られた物質がなお研究され、新たな局面が切り開かれているのは面白いことです。古くて新しいこの構造は、まだまだ可能性を秘めていそうです。