ここのところ医薬ネタ、ディープな学術系のネタをあまり書いていなかった気がします。久々に近着論文からひとつ紹介してみましょう。

 医薬史上最大の発見は何かといえば、やはりペニシリンを初めとする抗生物質であろうと思います。長く人類を苦しめてきた細菌感染症のほとんどを、一気に解決してしまったわけですから、その功績はノーベル賞をいくつ出しても惜しくないほど巨大なものといえるでしょう。

penicillin
ペニシリン

 しかしその抗生物質の地位は、近年揺らぎ始めています。細菌たちは環境に合わせて自らの構造を変化させつつあり、その結果抗生物質の効かない「耐性菌」が続々と登場しているのです。たとえばある種の菌は、ペニシリンの効き目のタネであるβ-ラクタム部分を破壊する「β-ラクタマーゼ」という酵素を作っており、このためこの種の抗生物質が効かなくなっています(参考:抗生物質の危機(1) 〜「魔法の弾丸」の誕生〜抗生物質の危機(2) 〜魔法の終わる時〜

 2000年前後には、長い間耐性菌が出現せず「最後のゴールキーパー」と思われていたバンコマイシンに耐性菌が出現し、医療関係者に衝撃を与えました。そしてこの耐性のメカニズムがまた、実に驚くべきものでした。

vancomycin
バンコマイシン

 バンコマイシンは、細菌の細胞壁にあるリジン-D-アラニン-D-アラニンという部分に結合し、その合成を阻害します。要は、細菌の体を包む重要な外壁を作らせないことで、菌の増殖を防ぐ医薬です。この結合の中でキーポイントになるのは下図の黄色い矢印で示したところの水素結合で、これがないと結合力は100倍以上低下する――すなわち、抗生物質として効き目がなくなってしまうことがわかっています。

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バンコマイシン(黄緑)が、リジン-D-アラニン-D-アラニン(灰色)に結合することで、細胞壁合成を阻害する。

 ところがバンコマイシン耐性腸球菌(VRE)では、この位置のアラニンが乳酸に置き換わっており、アミド結合がエステル結合に変化しています。つまりバンコマイシンは、この変異ペプチドに対しては上記の鍵となる水素結合が作れず、効き目がなくなってしまうのです。

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耐性菌では、アラニンが乳酸に置き換わっている

 これを初めて知った時には筆者は本当に驚愕しましたし、会社のセミナーで発表した時も、先輩たちが「ウソだろう!」と声を挙げたことを覚えています。ヒ素細菌とまでは行きませんが、こんな基本的なシステムを変換してまで細菌は生き延びようとするのか――と、まあまさに敵ながらあっぱれという気がしたものです(余談ながら、ヒ素細菌の話は発表後にあちこちから疑問の声が挙がり、それに対するNASA側からのこれといった新証拠も出てこず、どうやら尻すぼみで終わっていきそうな案配です)。

 しかし人間側も、感心しているばかりでは仕方がありません。この細菌の驚くべき仕組みに対抗策を考え出してきたのは、米国スクリプス研究所のD. L. Bogerらのグループです。細菌がアミドをエステルに変えてバンコマイシンの魔の手から逃れようとするなら、こちらはバンコマイシンを改造してエステルに結合するようにし、耐性菌をやっつけてやろうという発想です(論文はこちら)。

 具体的には、鍵となる水素結合を作るバンコマイシンのアミド酸素をNHにする、すなわちこの場所をアミジン結合にすることで、エステルと水素結合させようということです。

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細胞壁エステル酸素との結合を作れるよう、バンコマイシンを改変した


 この結果、新たに作り出された改変バンコマイシンは、通常の細菌に対しては効能が若干落ちたものの、耐性菌に対しては通常のバンコマイシンに比べて数百倍の効能を示し、理論の正しさが実証されたとのことです。細菌もやるものだけれど、人類も知恵比べで負けるわけにはいかないというところでしょうか。

 もちろんこの改変バンコマイシンは合成に手間がかかりすぎますし、医薬として実際の局面で使えるかはまだ全く未知数です。とはいえ耐性菌に対抗するための足がかりとして重要な仕事であり、現代合成化学・医薬化学の実力を示す見事な成果には間違いありません。

 ただし、細菌の進化は素速く、どんな薬剤にもいつか必ず耐性菌は現れます。この永遠のいたちごっこをどうしのいでいくか、今後人類にとって大きな課題であることを、我々は意識していなければならないでしょう。さらなる研究の進展に期待したいと思います。