化学関係で、ちょっと気になるニュース。大阪の印刷会社で、胆管がんが集中発生しているというものです。

 大阪市内の印刷会社の工場で1年以上勤務していた元従業員約40人のうち、少なくとも男性5人が胆管がんを発症し、4人が死亡していたことが、産業医科大の熊谷信二准教授(労働環境学)らの調査で分かった。平均的な日本人男性の胆管がんによる死亡率の約600倍と極めて高い値で、作業時に使われていた化学物質が原因と推測されるという。遺族らの申し立てを受け、労働基準監督署も調査を進めている。

 熊谷准教授によると、調査したのはこの工場の、本印刷前に文字の間違いや印刷の仕上がりをチェックする「校正印刷部門」で平成3〜15年に1年以上働いていた男女42人。発症した5人ががんと診断を受けた当時の年齢は25〜45歳と若く、このうち4人が平成11年ごろから10年ほどの間に相次いで死亡した。

5月19日産経新聞

 その後、東京や仙台などの印刷会社でも胆管がんが発生していることがわかりました。発生率は通常の600倍にも上るということで、どう見ても異常な発生率です。このため厚労省が一斉調査に乗り出すなど、この一件は波紋を広げているようです。

 今のところ、原因と疑われているのはジクロロメタンと1,2-ジクロロプロパンという塩素系有機溶媒のようです。特に前者は有機合成の研究室では汎用される溶媒であり、事実なら大変なことです。

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ジクロロメタンと1,2-ジクロロプロパン

 「国際がん研究機関」(IARC)は、多くの物質の発がん性調査を行っています。これによると、ジクロロメタンはグループ2Bの「発がん性があるかもしれない」、1,2-ジクロロプロパンはグループ3の「発がん性を分類できない」に入っています。つまり今までは、明確な発がん性が知られていなかった物質ということになります。

 個人的には、特にジクロロメタンはこれだけ汎用されている溶媒であり、本当にそれだけの発がん性があればとっくに大騒ぎになっているのではという気はします。聞くところによれば、上記熊谷准教授は1,2-ジクロロプロパンの方を疑っているようです。この物質は代謝されると、1,2-エポキシプロパンや1-クロロ-2-ヒドロキシプロパンなど、ちょっといやな物質ができるとのことで、こちらの方が疑わしい気はします。

 ただし、今回のがん発生率は極めて異常なものであり、こんな既知の溶媒などで説明がつくものだろうか?という気はします。もちろん暴露時間と濃度に依存するわけですが、それにしても20代でがんを発生するというのは大変なことで、未知の相当に強烈な発がん物質が関与している可能性もあろうかと思います。

 とはいったものの、有機塩素化合物には毒性や発がん性が確認されているものも多く、慎重に取り扱うべき物質であることには何の変わりもありません。換気設備、マスク、防護眼鏡など、十分な配慮のもとで使用していただきたいと思います。どんな素晴らしい結果が出ようと、体を壊しては何もなりません。くれぐれも気をつけて実験に取り組んで下さい。

<追記>
こちらのTogetterに、熊谷准教授の講演録が追加されています。これによれば、1日数百回の洗浄作業が行われていたため、当該職場では相当に高濃度の溶媒が蒸散していたようです。通常ジクロロメタンは他の経路で代謝されますが、あまりに高濃度であると胆管に多いGSTT1-1という酵素によって代謝が行われます。これでできる物質(S-クロロメチルグルタチオン)の反応性が高いため、DNAと反応してがんに結びつくような経路が考えられるとのことです。
今のところ推論に過ぎない段階と思われますが、注目しておく必要がありそうです。


(参考)
ジクロロメタンの安全性データ
1,2-ジクロロプロパンの安全性データ
今回の事件に関する議論(Togetter)
有機化学実験の事故・危険―事例に学ぶ身の守り方