さて何だかもう遠い昔のように感じますが、2010年12月にNASAの研究グループが「ヒ素で生きる細菌」を発見したとScience誌に報告、世界を震撼させたことはご記憶の方も多いと思います。当ブログでも2度に渡って取り上げ、これらの記事はかなりのアクセスを集めました。

2010年12月04日 「ヒ素生物」の衝撃
2010年12月10日 続報・「ヒ素生物」は本物か?

 その「ヒ素細菌」について、このほどまた動きがありましたので追加報告をしておきましょう。

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ヒ素細菌?GFAJ-1

 そもそもの経緯から振り返っておきますと、まず2010年12月にNASAが「宇宙生物学上の発見に関する会見を行う」と予告、世界中が「宇宙人の証拠でも見つかったか」と色めき立ったことがことの発端です。しかし記者会見で発表されたのは「DNAにヒ素を持った細菌を発見した」というものでした。宇宙生物の期待をしていた人々からは落胆の声が漏れましたが、これはこれで世紀の大発見(本物ならば)ではあります。何しろ、この細菌はDNAに不可欠なリン原子の代わりに、猛毒であるヒ素を利用しているというのです(論文)。

DNA
DNA。緑色で示したリン原子がヒ素に置き換わっているというのがNASAの主張であった。

 世界に数千万種も存在する生物たちは、分子レベルで見ても実に様々なバリエーションを作り出してきています。奇妙な物質を作るもの、D-アミノ酸を利用しているもの、見たこともない糖をぶら下げたものなど、生命分子の世界は恐ろしく多様です。しかし、DNAだけはいわば「聖域」であり、あらゆる生物がアデニン・チミン・グアニン・シトシンという核酸塩基の繰り返し構造を、共通して使っています(DNAメチル化など、後天的に修飾されるケースはあります)。この生命の根源ともいえるDNAに、こともあろうに猛毒のヒ素を持ち込んだ生物がいたというのですから、学界に与えた衝撃は甚大でした。

Mono-lake
GFAJ-1が見つかったモノ湖。アルカリ性の塩湖であり、ヒ素分に富む。

 しかしこの発表には、直後にあちこちから疑問の声が投げかけられました。NASAチームの発表は、データの解釈に問題があり、ヒ素をDNAに取り込んでいると信じるには無理があるというのがひとつ。またDNAのリン酸エステル結合は安定だが、これをヒ素に置き換えたヒ酸エステル結合は水中だと数十分で分解するほど不安定であり、とうてい遺伝情報の保存という大役に耐えないという反論も、説得力十分でした。特にRosemary Redfield博士は、自身のブログでNASAの論文をボコボコにディスりまくり、事態はもはや場外乱闘の様相を呈し始めます。このあたり、以下のブログをご参照下さい。

 むしブロ+ ヒ素をDNAに取り込む細菌の発表に対する反論に対する反論

 しかし筆者は、いくら何でも天下のNASAのこと、これに対する有力な反証を用意しているのだろう、でなければあれだけ大々的に記者会見をぶち上げるわけもない、と思っていました。しかし半年後、「Science」誌にNASA発表を批判するコメントが、なんと8つもの研究グループから寄せられます。詳細は、以下のブログの解説をどうぞ。

I’m not a scientist. <続報>NASAによる「ヒ素DNA細菌発見」は間違っている?

 筆者は生物方面は専門ではありませんが、おそらくこれらツッコミはもっともなものだろうなと思えます。で、この袋叩き状態に対して、NASAの研究者から何か強力な証拠でも出てくるかと思いきや、大した反論はありませんでした。期待していたこちらとしてはアレレ?であり、この時点でどうやらもうヒ素生物仮説は息をしていないかなという感じになりました。

DOadenosine

ヒ素の入ったヌクレオシドでも、すでに捕まえているのかと思っていましたが。

 そしてこのほど、Science誌に2報の論文が掲載されました。ひとつは前述のRedfield博士によるもので、要は「GFAJ-1のDNAから、ヒ素は検出されませんでした」という結果です。で、リンの量を極度に制限するとGFAJ-1は増殖しなくなるということですから、やはり通常のDNAを持つ細菌であると見てよいかと思われます(もう1報もほぼ同内容。以下のブログに詳細解説あり)。

むしブロ+ ヒ素細菌のDNAにはヒ素がなかったーライバル研究者らが発表

 この件に関し、ナショナル・ジオグラフィック誌では、ヒ素細菌の報告者Wolf-Simon博士(現在はNASAからローレンス・バークレー研究所に移籍)にインタビューしています。そちらによれば、
ウルフ・サイモン氏は、自らの研究結果は正しいと反論している。新たな論文は、DNAにヒ素が見当たらないことを示しているにすぎず、この細菌がヒ素を活用していないということの証明にはならないというのが同氏の主張だ。

 ウルフ・サイモン氏は電子メールで寄せた反論の中で、この細菌がヒ素に対して非常に強い耐性を持ち、周囲の環境からヒ素を取り込んでいるという事実からして、取り込まれたヒ素には通常と異なる現象が起きていると考えられると記している。

 だそうで、「DNAにヒ素が入ってないかもしれないが、ヒ素を取り込んで生きているすごい生物なのだ!研究目的が変わったわけじゃない!我々は負けてない!」という理屈のようです。いや、「DNAにヒ素が入ってるぞ!すげえだろ!」って思い切り記者会見したのあんたらだろ、と思いますけどね。

 ということで残念ながら、世紀の発見・ヒ素細菌は幻であったということで、議論はほぼ決着と見てよいかと思われます。もちろん、仮説が立てられ、他者による検証が行われて事実が確認されるというプロセス自体は健全なものではありますが、やはりNASAのやり方はあまりにお粗末であったという批判は免れません。最先端の研究が行われる最高の組織、というかつてのNASAのブランドイメージに、この件は大きく泥を塗ってしまったように思います。何をやってるんだかなあという感じではありますが、まあ大きな発表をする時には、証拠固めを慎重にしましょう、という教訓ではあるでしょうか。