西アフリカで発生したエボラ出血熱は、一部の国ではすでに鎮圧されつつありますが、いくつかの国では相変わらず猛威を振るっています。最近ではアメリカやヨーロッパにも飛び火し、日本も対岸の火事とは言っていられない情勢になってきました。正直、政治家の皆様におかれてはうちわとかSMバーとかは後回しにし、こっちの対策をしっかり打ってくれよと言いたいところではあります。

 そのエボラ治療薬として、日本の薬が脚光を浴びています。富士フイルムの「アビガン」という薬で、もともとは富山化学が開発していた薬剤です。化合物名は「ファビピラビル」、かつてはT-705というコードネームで呼ばれていました。この薬が、恐るべきエボラウイルスに有効ではないかという結果が出つつあるのです。

 抗ウイルス剤は、医薬の中でもいまだに最も難しい領域のひとつです。細菌の場合は、自前で生活・増殖できる仕組みをひと通り持っています。その仕組みをうまく薬剤によってストップしてやれば、繁殖を抑え込めます。たとえばペニシリンなどは、細菌の生存に不可欠な「細胞壁」を作る酵素をストップします。あらゆる細菌はこの細胞壁を持っていますので、ペニシリンは多くの細菌に対して有効です。

penicillin
ペニシリン

 しかしウイルスは細菌と異なり、増殖のための仕組みを自前で持っておらず、宿主生物の細胞のシステムを乗っ取って増殖を果たします。このため、ウイルス自身の作るタンパク質はごくわずかであり、薬を開発しようにも狙い所が少ないのです。また、ウイルスは持っている遺伝子も形状やサイズも驚くほど様々であり、非常に多様性が高いということもあります(ちなみにエボラウイルスは、遺伝子として1本鎖RNAを持っているタイプに属します)。

 このようなわけで、ウイルスには細菌と異なり狙い所が少なく、共通の弱点といえるものもありません。抗生物質は一剤で多くの細菌をやっつけてくれますが、抗ウイルス剤はエイズ、インフルエンザ、C型肝炎など、個々の病気に特化したものにならざるを得ません。しかもウイルスの変異は速いため、せっかく開発した薬剤がすぐ無効になってしまうことも少なくありません。

 というわけでウイルスは極めて厄介な敵であるわけですが、これに立ち向かうアビガンとはどのような薬か。実は下図のように、C5H4N3O2Fと、わずか15原子から成る大変にシンプルな構造です。

T-705
アビガン(ファビピラビル)の構造式。水色はフッ素

 こんな簡単な化合物が、いったいどうエボラウイルスに作用しているのでしょうか?実はこの化合物、RNAを構成する部品である、シトシンやウラシルにちょっと似ています。え、似てるのは下半分だけで、上半分は全然違うじゃんって?筆者もそう思うのですが、エボラウイルスはうっかり者であるのか、シトシンやウラシルと間違えて、このアビガンを取り込んでしまうのです。

CU
シトシン(左)とウラシル(右)

 取り込まれたアビガンは、さも本物であるかのような顔をして、RNAのパーツとして組み込まれるべく、下のようにデコレーションされます。そして、これらをつなぎ合わせてRNAを作り出す、「RNAポリメラーゼ」に入り込みます。

TP

 ここまで来てウイルスはようやく騙されたことに気づきますが、時すでに遅しで、この分子はRNAポリメラーゼにがっちり取り付いて離れなくなります。となるとエボラウイルスは遺伝子であるRNAを複製することができず、これによってウイルスの増殖がストップしてしまうのです。

 薬の構造があまり本物のシトシンやウラシルに似ていると、RNAポリメラーゼからすぐ離れてしまって効果を示しません。逆に違いすぎると、さすがにウイルスが間違えてくれず、うまく取り込まれません。アビガンの構造は、この間隙を絶妙に突いているわけです。


 実はこのアビガン、最初からエボラ出血熱を目指して開発されたものではなく、もともとはインフルエンザの薬でした。しかし、同じRNAポリメラーゼを持つタイプのウイルスであるから、エボラにも効くのではないかということで緊急措置として試したところ、どうやら効果がありそうだということになったわけです。近く、フランス政府がエボラ出血熱治療薬としての、正式な臨床試験を開始することになっています。

 ということは、RNAポリメラーゼを持つ他のウイルスにも効く可能性があるわけです。実際、西ナイル熱や黄熱病にも有効という話がありますし、最近ではノロウイルスにも効果があるのではという研究も出てきました(参考)。ノロウイルスは日本でも毎年多くの食中毒患者を出しますので、本当に有効ならば朗報となります。

 ただし実のところ、アビガンは普通に医療機関などに流通していない薬です。動物による安全性試験の段階で、胎児に奇形が生じる可能性が認められたため、日本では通常の認可が下りなかったのです。結局アビガンは、従来の薬が効かない新型インフルエンザが流行したときのみ、政府の命令によって製造されるということになっています。通常なら不認可ということもありえたが、タミフルなどとはメカニズムの異なる有望な薬なので、非常時の切り札として残された、ということのようです。

 もちろん現状のエボラ出血熱拡大の危険性は、副作用のリスクをはるかに上回るでしょう。アビガンの臨床試験がうまくいき、エボラ鎮圧に貢献することを祈るばかりです。できれば、通常のインフルエンザやノロにもこの薬が利用可能になる日が来れば、なお素晴らしいことでしょうが。