さて前回は、アントラキノン骨格を持った染料アリザリン(アカネ)について書きました。日本を含め、世界各国で赤色のもととして重用された化合物です。
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アカネ色素アリザリン

 しかしそれを上回るほどもてはやされたのが、16世紀にアメリカ大陸からもたらされた「コチニール」という染料です。これをヨーロッパに持ち帰ったのは、アステカ帝国を征服したスペイン人エルナン・コルテスでした。
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コルテスの肖像(wikipediaより)

 コチニールは布への定着性が高く、鮮やかで深い赤色に染まるのが特徴です。ボイルの法則で知られ、化学という分野を切り拓いた一人であるロバート・ボイルは、「コチニールからは”完璧な緋色”が得られる」と絶賛しています。この色は「カーマイン」と呼ばれ、そのもととなる化合物は「カルミン酸」(carminic acid)と名付けられています。

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カルミン酸。背景色はカーマインレッド。

 この素晴らしい染料にヨーロッパ諸国は熱狂し、多くの王や富豪が競ってこれを手に入れようと努めました。フィレンツェの大富豪で、ルネサンスのパトロンとして有名なコジモ・デ・メディチも、コチニールで染めた服を愛用していたとされます。
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コジモ・デ・メディチ(wikipediaより)

 この画期的な染料のもとは何なのか、スペインはこれを秘匿していたため、他の諸国にとって長い間その正体は謎で、植物の種か鉱物かと諸説が乱れ飛ぶ有り様でした。自作の顕微鏡で多くの微生物や精子を発見したレーウェンフックも、コチニールの正体は果実であると断言しています。しかし実はコチニールのもとは、サボテンにつく昆虫の一種カイガラムシでした。

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サボテンにつくカイガラムシの採集の様子(wikipediaより)

 というわけで、メキシコではサボテンが大規模に栽培され、カイガラムシを養殖するプラントが成立していました。500グラムのコチニールを得るには7万匹のカイガラムシを集めねばならず、またデリケートな虫でもあったので、コチニールは非常に高価につきました。

 というわけでコチニールを積んだ船を海賊が襲ったり、各国が新大陸にスパイを送り込んだりと、大西洋を股にかけた争奪戦が数世紀にわたって繰り広げられることになります。今の感覚では、なんでたかが染料ごときをそうまでして奪い合うのかと思えてしまいますが、この時代に赤色をまとうことは、誰の目にもわかる形で権力と高貴さを示すことだったのです。

 長きにわたって西洋文化に君臨した「完璧な緋色」が没落するのは19世紀後半、有機合成による染料が登場してからのことです。石炭やタールを原料として作られるこれら染料は、安価で鮮やかな発色、堅牢な染めあがりで、見る間にコチニールを駆逐していきました。

 消え去ったかに見えたコチニールですが、実は今もある分野で生き残っています。食品添加物として、今もかまぼこなどに使われているのです。また、赤いリキュールとして有名なカンパリなども、長らくコチニールで色付けされていました(現在では合成着色料に置き換わっています)。

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かまぼこのピンク色はコチニール由来。

 虫が原料と聞くとちょっと気持ちが悪いですが、安全性は確認されており、食べても問題はないと考えられます。これから紅白のかまぼこを食べる機会があったら、歴史を動かしたこの赤色に、思いを致してみるのも一興ではないでしょうか。

参考:
完璧な赤―「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語」A. B. グリーンフィールド著 早川書房
色―世界の染料・顔料・画材 民族と色の文化史」A. バリション著 マール社