さて今月16日、筆者の新刊「世界史を変えた薬 (講談社現代新書)」が発売になります。タイトル通り、モルヒネ、キニーネ、麻酔薬などなど、世界の歴史と医薬の関わりについて書いた本です。興味のある方はご覧いただければ幸いです。

 さてこの本の最終章で、医薬の開発には長らくノーベル賞が出ていないという話を書きました。1950年代くらいまでは、いくつもの医薬がノーベル賞の対象になっていますが、その後は1988年のBlack, Elion, Hitchingsらが唯一の例となっている――という内容です。

 と、その本が出る直前に、久方ぶりの医薬品開発に対する授賞が決まりました。大村智、ウィリアム・C・キャンベル、屠呦呦の3氏に、2015年のノーベル生理学・医学賞が贈られたのです。特に大村先生の授賞は、医薬品研究者出身、かつ東京理科大の後輩に当たる筆者には、大変に嬉しいことです。

 大村博士は山梨大学を卒業後、いったん高校の教員になるものの理科大の大学院に入り直し、山梨大学の助手を務めた後に北里大学へ移るなど、その経歴は異色であり、いわゆるエリートコースを歩んだわけではありません。しかし、ここからが大村博士の真骨頂でした。

 土の中には、1グラムあたり1億ともいわれる細菌が住んでおり、この中には有用な化合物を生産しているものがいます。大村博士は、こうした細菌を培養し、医薬になるものがないか探すという仕事に取り組みます。土は場所によって細かく性質が違い、住んでいる菌も全く異なります。このため、各地の土を集めてくることも重要な仕事です(筆者も会社員時代、ドライブついでに山の中の土を採集してきたものです)。

 この時、どのような作用の化合物を狙うか、またその化合物の作用の有無をどう判定するかは、大変難しい技術になります。大村博士は数々の手法を工夫し、新規な作用を持った化合物を数々発見しました。たとえば下の化合物スタウロスポリンは、プロテインキナーゼと呼ばれる酵素の作用を妨げる作用を持つ、非常に有名な化合物です。これをツールとして用いることで、生化学に多くの発展がもたらされました。

staurosporin
スタウロスポリン

 また、不要になったタンパク質を分解するシステムである、プロテアソームの作用を阻害するラクタシスチンも、大村らが発見したものです。

lactacystin
ラクタシスチン

 ラクタシスチンは、ハーバード大のE. J. Coreyらによって全合成が達成され、その分解によって生ずる下のような4員環ラクトンが活性本体であることが確認されています。Coreyは大村博士に敬意を評し、この化合物に「オオムラライド」の名を与えています。

omuralide
オオムラライド

 大村博士の発見した化合物のうち、25種ほどが医薬・研究用試薬として用いられ、人類の幸福と科学の発展を助けています。この素晴らしい実績から、大村博士には「微生物代謝の王」との称号も奉られました。また、生産菌の遺伝子操作によって、有用な化合物を量産させたり、不要な化合物の生産を抑えたりといった技術も編み出しています。

 中でも今回授賞の対象となったのは、イベルメクチンやアベルメクチン(エバーメクチン)など、抗寄生虫薬の発見でした。

ivermectin
イベルメクチンB1a

 これらの化合物は、川奈のゴルフ場の土から発見されたといいます。イベルメクチンは、アフリカに蔓延するオンコセルカ症やミクロフィラリアといった寄生虫病に著効を示します。しかも極めて安全性が高く、一度経口投与すれば1年は有効という、実に驚くべき効能を持ちます。十分に医療環境の整っていないアフリカ諸国でも安心して使える、素晴らしい薬剤です。

 この薬で2億人が病から解放され、年間4万人が失明を免れており、病気の撲滅も間近といいますから、その人類に対する貢献度は絶大です。ノーベル賞の対象となるのも、全く当然といえるでしょう。


 そして大村博士の凄いところは、研究者として大成功しているのみならず、人生の大成功者でもある点です。製薬企業であるメルク社などと組んで、医薬となる化合物を発見するたびにロイヤリティを獲得、その総額は250億円にも上っています。この潤沢な資金で研究を推進した他、病院や専門学校などを建設、北里研究所の運営にも関わっています。美術にも造詣が深く、個人としのコレクションを収めた韮崎大村美術館まで建てているということですから、実に見事な金の稼ぎ方、使い方という他ありません。

 人類に、科学に、教育に、地域の発展に、素晴らしい貢献を果たした大村博士が、最高の栄誉に輝いたことは、実に喜ばしいことと思います。その歩んだ道は、多くの研究者や関係者に、重要な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。

参考文献 「大村智 - 2億人を病魔から守った化学者」 馬場錬成 著 中央公論新社