またずいぶんと更新の間が空いてしまいました。先月の「世界史を変えた薬」に続き、今月は「国道者」、さらに来年1月にも新刊を控えていて、なかなかてんやわんやな状態です。

 というわけで、今回は身近なところからひとネタ。口の中を切ったり、鼻血が出たりした時、我々は「血のにおい」を感じ取ります。金属的なにおいであるので、「金気臭い」などと表現されたりすることもあります。これはいったい何のにおいなのでしょうか?

 血液は鉄イオンを含んでいますので、そのにおいかと思ってしまいますが、実際には鉄が直接臭っているわけではないそうです。血中のヘモグロビンが、皮脂などの脂肪酸と反応し、分解してできる成分の臭気であることがわかっています。たとえば下に示す1-オクテン-3-オン、トランス-4,5-エポキシ-(E)-2-デセナールなどが主成分です。

octenone

blood
(上)1-オクテン-3-オン(下)トランス-4,5-エポキシ-(E)-2-デセナール

 と、この話、当ブログの昔からの読者ならば、記憶に引っかかっている話があるかもしれません。「鉄のにおいの正体」というタイトルで、鉄さびが手についた時のにおいについて書きましたが、それと同じような話だからです。1-オクテン-3-オンも、「鉄のにおい」としてその時に紹介しています。

 ちなみにこの1-オクテン-3-オンは、金属臭の他「キノコのにおい」とも表現されます。実際、この化合物のケトンがアルコールに還元された形の1-オクテン-3-オールはマツタケの香り成分として知られ、「マツタケオール」の別名があります。言われてみれば、多少血に近いにおいかもしれません。

matsutakeol
マツタケオール

 もうひとつの「血のにおい」の成分であるトランス-4,5-エポキシ-(E)-2-デセナールは、極めて感知されやすいにおい成分であり、空気中に1リットルあたり1.5ピコグラム(1兆分の1.5グラム)含まれていれば、においを感じ取れるのだそうです。言うまでもなく、血のにおいは獲物や敵の居場所を察知するために重要であり、このためこの化合物を鋭敏に感知するようになったと思われます。

 しかしこの化合物、有機化学を学んだ人ならおわかりの通り、かなり不安定そうであり、水分や人体の持ついろいろな物質と反応して、すぐ別のものに変化しそうな構造です。我々が鉄や血のにおいと思っているのはこの化合物ということですが、実際にはまた別の化合物に変化し、それを感知している可能性もありそうです。してみると、「におい」とは一体何であるのか、ちょっと哲学的な気分にさせられる話ではあります。