今年もノーベル賞の授賞式が近づいてきました。本ブログでも大村智先生の業績については紹介しましたし、受賞の意義について別のところでも解説記事など書いております(なおこちらは、「世界史を変えた薬」の電子書籍版にも収録されています)。

 ですが、今回のもうひとつの授賞対象となった医薬・アーテミシニンについては、これまで触れてきませんでした。いろいろと多忙で、ずっと後回しになってしまっていましたが、これもまた「世界史を変えた薬」の一つでもありますので、ここで解説してみます。

 マラリアは古くから世界最大の感染症のひとつであり、毎年2億人にも及ぶ患者が発生します。病原体のマラリア原虫を持った蚊に刺されることで感染し、間欠的な高熱、腎障害などの症状が出ますが、特に脳症を発すると死亡率が高いため恐れられています。

 アーテミシニンは1972年、中国の屠呦呦らのチームによって、クソニンジンの葉から抽出されました。このクソニンジンという名前は、特異な臭気を持っていること、人参に似た葉を持つことから命名されたそうです。実際には人参とは違ってヨモギ属の植物であり、日本国内でもちょくちょく生えているのだそうです。

kusoninjin
クソニンジン(Wikipediaより)

 クソニンジンは2000年以上も前から、解熱作用を持つ漢方薬として利用されてきました。ここから発見された有効成分がアーテミシニンで、中国語では「青蒿素」(チンハオス)と呼ばれます。論文などでは、「Qinghaosu」の名も併記されていることも少なくありません。

 マラリアの治療薬としては、キニーネ及びその誘導体が古くから用いられてきましたが、これらの薬が効かないマラリア原虫が蔓延し、問題となっています。アーテミシニンはこれら耐性マラリア原虫にも有効な化合物として、注目を集めました。

artemisinin
アーテミシニン(artemisinin)

 ただしアーテミシニン自身は水にも油にも溶けにくく、薬とするにはかなり扱いにくい化合物です。そこで構造を一部変換し、溶解性を上げた形で用いられます。下図は、コハク酸のエステルとすることで水溶性を上げたアーテスネートと呼ばれる化合物です。

artesunate
アーテスネート。緑色がコハク酸部分。

 これらアーテミシニン系の医薬の登場は、マラリア治療を大きく変えています。マラリアによる死亡率は、2000年から2014年の間に42%(アフリカの子供では54%)も低下していますが、ここにアーテミシニン系薬剤は大きく貢献しています。と聞けば、ノーベル賞に値する医薬であることは、誰もが認めるところでしょう。

 しかしこのアーテミシニンがどのようにマラリア原虫を殺すのか、いまだ完全な解明はなされていません。ただ有機化学の心得がある人がアーテミシニンの構造を見れば、誰しも「この部分が何か薬理作用に関わっているのだろうな」と思い至ることでしょう。上図右側の酸素(赤色)が2つ連なっている部分がそれで、専門用語では「エンドペルオキシド」と呼ばれます。天然の化合物で、このような-O-O-結合を持つものは相当に珍しい部類に入ります。実際、アーテミシニンのエンドペルオキシド部分を還元すると、活性は失われます。

 ひとつには、赤血球のヘムの鉄が、このエンドペルオキシド部分と反応して、極めて反応性の高いラジカルを発生させ、これが原虫を殺すという説があります。その他、鉄は関わっていないなどの説もありますが、いずれにしろこのエンドペルオキシド部分が鍵を握っているのは間違いありません。

 というわけで、このエンドペルオキシド部分を持った人工化合物が試され、いくつかは成果を上げつつあります。たとえば下図に示すアルテロランは、インドで第形衫彎音邯海進められているということです。
Arterolane
アルテロラン(arterolane)


 かくして、ひとつの発見を糸口に、多くの医薬が編み出され、マラリアの治療を大きく変えつつあります。膨大な患者が発生していながら、治療薬開発に十分リソースが振り向けられていないこの病気ですが、ノーベル賞をひとつの起爆剤として、さらなる進歩を期待したいところです。