有機化学は、いうまでもなく炭素原子を中心とした化学の分野です。炭素は極めて奥深い可能性を持ちますが、やはり一つの元素を世界の化学者がよってたかって200年も研究しているわけですから、炭素だけから成る全く新しい化学種が出てくることは、今やそうそうありません。1985年に登場したフラーレンはその数少ない例の一つであり、だからこそ科学者は驚きと興奮を持ってこれを迎えたわけです。

 しかし最近になり、「C2」という化学種がフラスコ内で作れることが報告されました(論文。オープンアクセスです)。東京大学の宮本和範准教授、内山真伸教授らの研究グループによる成果です。今回はこの何がすごいのか、ちょっと書いてみます。

 水素や窒素、酸素といった元素は、それぞれH2、N2、O2といった二原子分子を作り、これらはいずれも安定に存在します。しかし炭素の二原子分子は、非常に不安定です。二重結合や三重結合はよいのですが、四重結合は存在しにくいのです。

H2etc

 なぜ四重結合ができにくいかを説明するのは難しいのですが、炭素が持っている4本の結合の腕が、全部つながり合うのは非常に無理があるのだと思って下さい。二人の人が両方の手のひらを合わせるのは簡単ですが、両手両足を合わせるのは大変――というようなイメージです。

 なので、C2をどうにかして作り出しても、他の分子と結合したり、C2同士で反応したりしてすぐに他の化合物に変化してしまいます。というわけで今までは、3500度以上の高温状態や、宇宙空間などにC2が存在していることが知られていたのみで、それだけをガラス瓶に取り出してじっくり性質を調べるようなことはできませんでした。

 ということで、C2分子は作り出すことも大変なら、できたことを示すのも工夫が必要になります。今回、研究グループがC2の生成に用いたのは、次のような反応です。

C4_1

 要するに、炭素-炭素三重結合の両端に、それぞれプラスとマイナスに帯電した置換基をつけておき、一方にマイナス電荷を持ったイオンを作用させると、それをきっかけに両方が外れてC2が遊離するという仕掛けです。原理は簡単ですが、実現はそう簡単ではなく、分子設計の妙(と、おそらく膨大な試行錯誤)によるものでしょう。

 では、どうやってC2ができたことを証明したのか?こうした不安定化合物の検出には、昔からよく使われる方法があります。他の化合物と反応させて安定な化合物に変えた上で、ゆっくりと単離して調べる方法です。たとえばジヒドロアントラセンという化合物は、他の化合物に水素原子2つを与えて、安定なアントラセンになりやすい性質があります。この化合物と、発生したC2が反応すると、水素の移動が起こってアセチレンC2H2が生成することがわかりました。

Htransfer

 それだけでは安心できない、もっと証拠を出せという方もおられることでしょう。実際、科学者というのは疑り深いので、ちょっと違った方面からの証拠を複数揃えないと、なかなか「なるほど」と納得してくれません。

 そこで研究グループでは、溶媒などを使わない条件でC2を発生させる実験を行いました。すると黒色の固体が生成し、ここにはフラーレンやグラファイト、カーボンナノチューブなどが含まれていることがわかったのです。C2が互いにつながり合い、これら炭素物質が出来上がったものと考えられます。フラーレンが出来上がる過程で、このC2が原料となっているという説は以前からありましたが、この結果はその強力な傍証といえます。

C2toC60
C2からフラーレンが出来上がる(イメージ)

 とはいえ、今までにもC2分子は観測されていたわけで、全く新しい成果でもないのではないか?また、一瞬で分解してなくなるような不安定な「物質」を作ったのがそんなにすごいことなのか?という見方もあろうかと思います。しかしこれは、化学者の視点から見れば非常に大きなブレイクスルーといえます。

 まず、C2分子はどのような構造をとるか今まで多くの議論がなされていたのですが、今回初めて炭素と炭素が四重結合した分子であることがきちんと確かめられました。炭素が四重結合を作ることは初めて知られたことであり、これだけでも教科書が書き換わる事実です。

 また、今まで観測されていたC2分子は、非常な高温で炭素材料を「破壊」し、その破片として得られたものでした。こうした条件では他の化合物も粉々に分解されてしまいますので、精密な有機合成への応用など望むべくもありません。しかし今回、不安定なC2を非常に温和な条件で発生させられるようになったことで、様々な応用の道が生まれました。

 C2分子が極めて不安定であるということは、裏を返せば反応性が非常に高いということです。これをうまく活かせれば、今までにない化学反応を起こせる可能性が拓けてきます。あの化合物と混ぜればこんな炭素材料ができないか、あの金属元素とはどう反応するだろうか、アレと混ぜて金づちで200回叩くとどうなるだろう――などなど、筆者程度の者でも思いつくことがいくつかあります。おそらく多くの研究者が、自分の研究にC2が応用できないか考えているはずです。

 個人的には、このC2は新型コロナ治療薬などと並び、「Molecule of the year」に選ばれてよい分子と思います。新たに見出された「炭素の新しい顔」が、今後いったいどのような発展を遂げるか、大いに期待したいところです。