2011年03月07日

許斐機関  UZI

 

普通部1年の時に誰かが他のクラスの幼稚舎からの生徒のことを話していた。珍しい姓の人だった。

その人の事のつもりで、別のまた珍しい姓の人と混同して、幼稚舎からの級友H氏に尋ねた。

「許斐さんの家は医院なの?」
「いや、彼の家は違うよ。東京無線の社長だよ。凄い金持ちで、庭に噴水があるし、車はロールスロイスだし。」  ずっと後に知る事になるのだが、教えてくれたその級友は許斐氏と非常に仲が良かったようだ。

東京無線と聞こえたのだが、東京温泉が正しかったのもずっと後になってから知る。

隣のクラスの許斐氏とは1度も喋ったこともなかったが、背も高く、美人な母親似だったから目立った。

許斐機関の存在を知ったのは、20歳代の頃だったと思う、近くの食堂の週刊誌の記事に少し”戦争中の許斐機関の許斐氏利氏が・・・”と書かれていて、きっと彼の父上だろうと思っていた。同窓生にも名前に氏が付いていたのでそう確信していた。

許斐機関に関する書籍 去年10月に発刊されたようだ。


それが確かな事で、少し詳しく知ったのは、2000年頃。別のクラスのやはり幼稚舎からの生徒と車(+銃器)の趣味の事で何年か振りに再会し、電話の遣り取りなどして尋ねて教えてもらったのだった。彼も許斐氏と懇意にいしていたようだ。
「C組の許斐さんは許斐機関の??」
「そう。射撃も得意で・・・・高額な射撃銃も何丁も持っていて・・・・・」
「Phantom Vを買った時、同時にベンツ600とキャディラックのリムジンも注文したけど、壊れずに最後まで残ったのがPhantom。わざわざ後部座席を電動に特注したんだ。」

うちの爺さんもK機関でも作って中国で工作活動をしていれば凄かったのだけど。

検索したら、田宮二郎の揉め事の仲裁もしていたようだ。難なく田宮二郎の言い分を通してしまったようだ。

一方は散弾銃でオリンピック選手、もう一方は散弾銃で自殺・・か。そして、ロールスロイスの中でも当時最高峰のPhantom V James Young PV23,田宮さんも70年代のSilver Shadowの白だったか。

あ、孫がミュージシャンでUZIさんというらしい。ウージェル・ガル中佐。。




rroyce0615 at 01:34│