絵画を読み解く楽しみ

2007年05月29日

レオナルドの洗礼者ヨハネについて

先日のシンポジウムで聞いたレオナルドの《洗礼者ヨハネ》の新プラトン主義的な解釈の可能性について、自分なりに整理しておこうと思います。いろいろな可能性を考えるのは、とても楽しいです。

「洗礼者ヨハネ」については、<西洋美術解読辞典 ヨハネ(洗礼者、聖)の頁>で次の通りに説明されています。

キリストの先駆者または「使者」とされる。旧約と新約をつなく役割を果たす。旧約の予言者の末尾に位置すると同時に、彼の物語が語られている新約聖書の諸聖人の筆頭に立つと考えられる。



もう少しかみくだく必要があると思うので、整理してみます。

1)なぜ洗礼者ヨハネが先駆者とされるのか?
聖書の予型論(※)による解釈。聖書のヨハネの誕生話では、ヨハネがイエスの予型と解釈される。
ヨハネは聖母マリアの血縁にあった不妊のエリサベツから生まれ、荒野で禁欲生活を送る。これは、処女であったマリアから生まれたイエスと照応しており、ヨハネの話は、子を産むはずがない女性から生まれたイエスが受難の生活を送るという話を先取りしたもの(予兆)だという解釈。聖書中のヨハネ誕生の場面とイエス誕生の場面の記述には、多くの照応関係がみられる。

※予型論(タイポロジー);古くから行われている聖書解釈法のひとつで、『旧約聖書』と『新約聖書』の連関を照合し、『旧約聖書』の人物、行為、出来事を『新約聖書』において成就された事実の予型とする。)

2)ヨハネが使者、旧約と新約をつなく役割をはたす理由
聖書の中でヨハネが救世主到来の予言を述べたことから。ヨハネは、イエスの到来を予言しただけでなく、イエスに洗礼を施したことからも、ヨハネは来るべき新しい世界への導き手であり、旧約と新約をつなく役割をはたすことになる。

1)2)の具体例として、ミケランジェロの《聖家族(トンド・ドーニ)》があげられます。この作品では、向かって右手にいるやや年長の幼いヨハネが、まさに後景の旧約(律法)の世界と前景の新約の世界をつなぐ役割を果たしています。

3)美術上の従来の洗礼者ヨハネの表現
・聖家族の諸場面で幼児キリストと一緒にいる幼児ヨハネ(上記の《トンド・ドーニ》など多数)
・成人してからのヨハネ。多くはやせて髪は乱れ、動物の毛皮をまとう(荒野での生活を暗示)。
子羊と一緒に描かれるのは、「ヨハネは……イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、『見よ、神の子羊』(「ヨハネ福音書」1:36)に由来する。葦の細長い茎でできた十字架を持つ。ビザンティン美術ではヨハネに翼をつける(天使と同じ使者だから)。フィレンツェをはじめとした都市の守護聖人としても表現される。
・荒野の洗礼者ヨハネ。(「ルカ福音書」1:80)に由来し、両親に別れを告げ、天使の導きにより子羊を連れたヨハネが瞑想。

従来の洗礼者ヨハネ像の例
DONATELLO の彫刻
BOUTSの洗礼者ヨハネ
Giovanni Belliniの《Madonna and Child with St. John the Baptist and a Saint》


4)新プラトン主義的な背景
新プラトン主義は、平たく言うとキリスト教的精神とギリシャ哲学を合一させようとする思想で、ルネンサンス期にはフィレンツェでメディチ家を中心に研究が盛んになり、プラトンアカデミーでマルシリオ・フィチーのを中心にプラトンやプロティノスの翻訳・研究が活発になされた。
観念的で完成された神的世界を大宇宙(マクロコスモス)、人間をその写しである小宇宙(ミクロコスモス)とする見方の他、
ギリシャ・ローマの神々という異教(非キリスト教)の神だけでなく、ユダヤ教の秘密の教義であるカバラや魔術、錬金術さえも吸収し、神秘的合一のための複雑かつ多義的な解釈をもたらした。

ボッティチェッリの《春》、《ヴィーナスの誕生》もこれらの知的風土の中に生まれた作品として広く受け入れられている。《春》においては、中央のヴィーナスを中心とする華やかなグループが、左端のマーキュリーによって先導されている。マーキュリーは、ローマ神話に登場する神、メルクリウスの英語名で、ギリシア神話においてはヘルメスと同一視される。天界と地上の伝令役も務めたところから、伝令の神ともされている。カドゥケウスという杖のアトリビュートも、洗礼者ヨハネの葦の細長い茎でできた十字架との照応を感じさせる。


5)レオナルドの洗礼者ヨハネの独自性
毛衣、十字架などのアトリビュートは典型的な姿。ただし、聖母子と一緒ではなく、また荒野で一人でいるようにも見えない。暗い背景に腰から上をあらわした姿は、肖像画の形式を借用しているように見える。

肖像画的な洗礼者ヨハネの例
ANDREA DEL SARTOANDREA DEL SARTOの洗礼者ヨハネ(1528)

少年の姿で描かれた、肖像画的な洗礼者ヨハネ像。毛衣、十字架、洗礼用の杯などのアトリビュートは典型的。
ただ、左手でグラスを持つという不自然さがあり、背景の暗さといい、ホックニー的な解釈では鏡を使用してモデルを用いて描いたという可能性が示唆されるかもしれない。


レオナルドの作品では、光学の知識はあっても鏡を使った特徴は見いだされない。事実を正確に反映したプロポーションというよりは、理想的なプロポーションを求めているように思われる(実際の人物をみて描いても、理想的なプロポーションではないので、理想的な姿にはならないから?)。

非常に中世的な姿をしているのも特徴的だが、新プラトン主義的な解釈ではヘルメス=メリクリウス=天使、つまり天使としてあるいは完全な一なるもの、アンドロギュヌスとして中世的な姿している、ということになる。


6)結論 2つの世界をつなぐ洗礼者ヨハネ

レオナルドの洗礼者ヨハネ


最後に、レオナルドの洗礼者ヨハネの大きな特徴として、観る者に対してまっすぐに向けられた視線があります。こちらをまっすぐ観ているのは、絵画をみる者を意識した作品であるといえると思います。
なぜレオナルドは、このような姿で描いたのでしょう? 
レオナルドは、新約と旧約を結ぶ役割を持つ洗礼者ヨハネを描きながら、同時に作品を観ている地上の人物(我々)と天界を結ぶヘルメスを描いているのではないでしょうか? その証拠に洗礼者ヨハネのその優雅な指は、まっすに天を指差し自分が天からの使者であると告げているように思えます。
さらに、この作品が肖像画的な形をとっていることは、あたかも実際に描かれた人物がいるのだという騙し絵的な効果を狙っていたのかもしれない、とそこまでいっては考え過ぎでしょうか……?


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2007年04月11日

遠近法による絵画の楽しみ方について

遠近法―絵画の奥行きを読む
小山 清男
4022597135

今回は「遠近法」による絵画の楽しみ方について、先日読んだ本の内容を紹介します。
以下は、フラ・アンジェリコによる3つの《受胎告知》です。
※画像はクリックで拡大できます

A(コルトナ、ジェス美術館)
フラ・アンジェリコ 受胎告知 コルトーナ

 
B(マドリード、プラド美術館)
マドリード、プラド美術館


C(フィレンツェ、サン・マルコ修道院)
フィレンツェ、サン・マルコ修道院


本によると、遠近法で分析すると、上記3つの作品は古い順に、A →B→Cに並べられるといいます。
まずは簡単に線遠近法について知っておく必要があるので、P72 より引用すると……




図2-18 図2-18
線遠近法は幾何学的な図法で、視点より遠く離れたものも作図によって描く事ができるが、その場合にはふつうにわたしたちのみる形とはずれて、不自然な形になってしまう。そこでふつうの視覚で自然にみえるような範囲を視野として、それをつぎのように定めている。視点を頂点とする頂角60度の円錐ないを許容できる範囲とする。画面上では、この円錐との交線の円内ということになる(図2-18)。それを目安として目の位置を定める事が望ましい。

補足
※HL:地平線 GL(基線):画面と地平線との交線 Vc(視心):画面に垂直な直線の消失点
 



3つの作品については、下記の分析図と平面図とともに以下のように説明されています。

A(コルトナ、ジェス美術館) 
分析図と平面図

…柱廊の左側面の奥行方向の線を延長すると、画面左辺の外、ほとんどそれに接するあたりに消失点ができる(図4−10)。左方へ偏した一点透視である。視野の円を描いてみると、天使は円内に完全に含まれているが、マリアは円外になる。…(中略)…この絵画空間の平面図は、図示のとおりである(図4−11)。


B(マドリード、プラド美術館)
図4−13

…この図では、柱廊の左側に並ぶ3本の柱が柱廊の内側からみた状態で描かれている。奥行き方向の線の消失点が、ジェスの作例とは違って、画面の中、縦の中心線のわずか左寄りにある(図4−13)。したがって、視野の円を描いてみると、画面の大部分がその中に含まれる。この図では、45度線が二様に考えられるため、視野の円も2つ描く事ができるが、そのうちの小さいほうの円でも天使は全身が含まれるし、マリアも顔、胸、膝などの主要部分が含まれる。つぎの図は全体の平面図である。



C(フィレンツェ、サン・マルコ修道院)
図4−16

サン・マルコもまた基本的には同じような柱廊が描かれているが、前面の3本の柱はほとんど画面いっぱいに並び、柱廊の左側に前後に立つ4本の柱は、完全に内側からみた状態で、柱と柱の間から花の咲く庭がみえている。奥行方向の線の消失点は、前例よりもさらに右へ寄り、中心線の右側になる(図4−16)。視野の円を描いてみると、画面左方がわずかに円の外に出るけれども、主要な部分はゆっくり円内に含まれる。以上から求めた平面図が図4−17である。


最終的に、著者は次のように結論を述べています。


以上の三例を比較してみると、ジェスの作品にはなお中世的な情趣が色濃く残っており、プラドの作例ではかなり薄れ、サン・マルコの壁画ではまったく新しい日常的な空間となっている。これを遠近法的にみれば、画面左辺のあたりにあった視点が、柱廊内に移っていく過程と、それにつれて視野の円内にほとんど収まるようになったことがわかる。これはアンジェリコ個人の造形志向の推移を物語るとともに、ルネサンス絵画の動向を示すようで、きわめて興味深い。



念のためにあえて記載しますが、著者は遠近法的に正しく描かれた作品が良い、といっているわけではありません。遠近法的照射の射程内にある場合は、その中でどのような位置づけをおこなえるかを考えて見る事、また射程外にある作品については遠近法以前の作品なのか、故意に逸脱したものなのか、またそこにどのような思考が働いているのかを知る事が大切であり、遠近法での分析が作品を位置づける指標になりうる、といっているだけです。
自分でこの分析図のラインをきちんとひけるようになるには時間がかかりそうですが、このような絵画の見方もあるのだ、ということがわかるだけでも面白いですよね・・・?

ちなみに、Web Gallery of art で制作年を調べてみると、下記の通りでした。Cはあっていますが、AとBが逆転しています。Aでは視野の円外に描かれたマリアが特徴的ですが、果たしてそこに意図があったのか、はたまた制作年に誤りがあるのか、興味はつきません……。

A(コルトナ、ジェス美術館) 1433-34 
B(マドリード、プラド美術館)1430-32
C(フィレンツェ、サン・マルコ修道院)1450


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2005年09月04日

ハンス・メムリンク<真実の愛の寓意>

いつも楽しみにしている「池上英洋の第弐研究室」で『「愛の馬」とハンス・メムリンク<真実の愛の寓意>』が紹介されていました。

メムリンクの馬が気になって、Web Gallery of Artをみていたら、こんな作品を発見しました。

Vanity

<Vanity>という作品です。

ここでは、馬ではなくてグレーハウンドという猟犬が右側にいるのですが、やはり2頭がペアになっているところ、しかも白と茶の2頭というところに共通点がみられて興味深いです。
(もしかしたら、この2頭は夫婦という解釈もありかも・・・?)

この作品は、このように3連祭壇画の中央パネルになっているとのことで、<真実の愛の寓意>とはサイズも微妙に違うのですが、こうやって3連祭壇画として見ていなかったら、この作品が<真実の愛の寓意>の中央パネルなのでは?と思ったかもしれません・・・。

というのは、照応関係が多く見られると思うのです。

<真実の愛の寓意> 白と茶のペアの馬 : <Vanity>  白と茶のペアの犬
<真実の愛の寓意> 着衣の乙女 : <Vanity>  裸婦の乙女
<真実の愛の寓意> 赤いカーネーションをもつ乙女 : <Vanity>  鏡を持つ乙女

<Vanity>・・・虚栄とされる作品だけど、鏡をもった裸婦を<真実>と解釈することもできるのでは・・・?
もっといってしまうと、<真実の愛の寓意>は地上の愛、<Vanity>は天上の愛と考えることもできるのでは・・・?

うーん、制作年代も近そうだし、気になって仕方がありません。








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2004年11月29日

絵画を読み解く楽しみ その8

ヤン・ファン・アイクの「ゲントの祭壇画」は、15世紀ネーデルランド絵画の代表作とされています。
その細密描写もさることながら、私にとってもっと興味深いのは、祭壇画という複数のパネルを構成することによって展開されるストーリー性。

一度教会で祭壇画をご覧になった方なら想像できると思うのですが、祭壇画は教会の祭壇の上や後方に置かれ、通常は閉じられています。もっとも、今では美術作品として閲覧できるように、普段から開いているものが多いようですが、絵が描かれた当時は、通常閉じられている状態を観てから、厳かに開くわけです。

で、まず閉じられた状態から観てみると・・・

ゲントの祭壇画1閉じられた状態の祭壇画の中段パネルには、受胎告知の場面が描かれています。
下段の中央には、洗礼者ヨハネと福音書記者の聖ヨハネが描かれ、その脇には寄進者と寄進者の妻がいます。

ここでは、まだイエスは登場せず、イエスの誕生が告げられるだけ。
洗礼者ヨハネと福音書記者の聖ヨハネがグリザイユという手法を用いてモノグロームで表現されているのに対し、当時の寄進者がカラーで表現されています。(今でいうと、昔の映画やテレビはモノクロだった、という事実を考えると面白いですよね)


そして、祭壇を開くと・・・

ゲントの祭壇画2祭壇画の上段中央には、父なるキリスト。
左右には、聖母マリアと洗礼者ヨハネ。さらにその脇には聖歌隊が列をなしています。
そしてアダムとエバのパネルの上部は、やはり旧約の世界を象徴したグリザイユでカインとアベルの物語が描かれています。

下段の中央パネルは、目映いばかりの「子羊の礼拝(神秘の子羊)」によって、救い主イエスの到来が賛美されています。
きっと当時の人々は、祭壇を開く度に「イエスが到来された」と厳かな気持ちになったのではないか、と想像するわけです。


残念ながら私はこの作品を本やサイトでしか観たことはありませんが、特に祭壇画というのは、然るべき場所に設置された状態で、然るべき順序をもって観ないと魅力が半減してしまうのではないかしら、とつくづく思ってしまうのでありました。


ファン・アイク ゲントの祭壇画
エリザベト・ダネンス 黒江 光彦



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2004年11月24日

絵画を読み解く楽しみ その7

修復家が見た名画の真実を紹介してくれているのが、2004年1月に発売された次の本。

修復家だけが知る名画の真実
吉村 絵美留

青春出版社
2004-01
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著者は、有限会社 吉村美術研究所の吉村絵美留氏(絵画修復家)。
名前だけ見ると女性かな?と思いきや、絵美留は「エミイル」と読み、男性でした。
この名前は、エミール・ゾラ氏が大好きだった父上がつけられた本名だそうで、「絵を美しく留める」と読めるので、ご自身の職業と深いつながりを感じる、と冒頭で紹介されています。

こういう話が大好きな私は、それだけでぐっときちゃったのですが、素人にとってもわかりやすく、内容も面白く、あっという間に読んでしまいました。

例えば、ユトリロの描くあの白い壁は、絵の具を調べてみると、漆喰壁の原料である炭酸カルシウムが含まれていたという話(ズルい・・・! 笑)。あの佐伯祐三も、同様の方法を試していたらしいです。

他にも、藤田嗣治が描く女性の繊細なレースは、本物のレースに絵の具を塗り、キャンバスに押し当てて描いた(これもズルい 笑)とか、ミレーの息子が巧妙な贋作を売りさばいていたとか、いろいろな画家の作品の修復や真贋に関係する話が紹介されています。

どのような素材が修復しやすく長持ちするかなども紹介されているので、観るだけじゃなく、描く人にも参考になるのではないかと思います。

こんな絵画の見方があるのか、と思わず目からウロコの1冊でした。

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2004年11月22日

絵画を読み解く楽しみ その6

「種をまく人」といわれて、普通思い出すのが、ミレーの作品でしょうか。
ミレーは素朴な農民の姿を描いたという印象が強いですが、この「種をまく人」という図像の歴史を追うと、結構古いようです。

ベリー侯のいとも豪華なる時祷書の月歴画10月では、手前右側の人物。他にもアミアン大聖堂の浮彫など、多くは月歴画の10月もしくは11月のテーマとして描かれています。

種をまく人ゴッホの「種をまく人」では、もう少し違った意味が加えられました。

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年)は、牧師になるという強い使命がありながら、挫折して画家になりましたが、たいへん敬虔なクリスチャンでした。



聖書、マタイによる福音書(13章3節から9節)では、キリストが種まきのたとえを語っています。
 
「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍にもなった。耳のある者は聞くがよい」

このたとえでは、種をまく人というのはキリストのことで、種は神の言葉を意味します。
つまり、キリストは真理の種である神の言葉をまくために、地上にあらわれましたが、それを受け入れる人の心の状態(土の状態)が固かったり、根が浅ければ枯れてしまい、良い状態であれば何倍にもなって実を結ぶということを、たとえ話で説明しているのです。

ゴッホが描く「種をまく人」は、人物の頭の部分が背景の太陽と重なり、聖者の後輪を暗喩しているようです。

種をまく人

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2004年11月17日

絵画を読み解く楽しみ その5

街を歩くと、早くもクリスマスのイルミネーションが目に飛び込んできます。
赤や緑で飾られた、ショーウィンドウのディスプレィ。
その中には、いつものように、ポインセチアもありました。

ポインセチアがクリスマスの花となった理由は、赤(キリストの血)や緑(永遠の愛)という鮮やかな色彩を持つということと、その花の形がクリスマスの星の形と似ていたためだそうで、その名はメキシコ人の ジョエル・ロバート・ポインセット(J.Robert Poinsett)に由来するのだそう。

ちなみに、12月25日にキリストが誕生したというのは史実ではなく、日が長くなっていく冬至を祝う祭りだった日を、「義の太陽」に喩えられているイエスの誕生と関連づけたという説が有力なようです。

さらに・・・クリスマスはChristmasと綴り、キリスト(Christ)の礼拝(Mass)をあわせたもの。
XmasのXは、ギリシャ語の綴りでのキリスト「ΧΡΙΣΤΟΣ」からとられていて、はじめの2文字「ΧΡ」だけでもキリストを意味できる。
「Windows XP」の「XP」も、ミレニアムを意識して会社にとっての「救世主」という含みを持たせたのでは、なんて説もあるようです。

XとPのモノグラム

XとPのモノグラム

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2004年11月16日

絵画を読み解く楽しみ その4

作品を作った人が誰かということを明らかにすることを「作者同定」などといいますが、有名な美術館にも贋作があったり、というのは結構あるらしい。
結構前に購入した本ですが、メトロポリタン美術館、通称メットの美術館長が赤裸々に贋作問題を告白しているのがこの本。

にせもの美術史?メトロポリタン美術館長と贋作者たちの頭脳戦
トマス ホーヴィング Thomas Hoving 雨沢 泰


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鑑定団などのTV番組で、「どうしてこの作品があの作者の作品といえるのか」を流暢に説明しているのを聞くと、なるほど〜と思ったり、うそやろ〜と突っ込みたくなったりします(笑)。

でも、長年自分の好きな作者の作品を見ていると、「うまく言葉にはできないけど、ココがいいんだよねぇ〜」ということはあるのではないでしょうか?

それは、母親が自分の子供がたとえ双子であっても見間違うことはないとか、自分の愛猫なら遠くからでもわかるとか、そういうことにちょっと似ているような気がします。もちろん、たまには間違うこともある、ということも含めて・・・(笑)。

きっとこれは絵画に関するだけじゃなく、音楽や陶芸、建築などなど、創作に関するものすべてに共通することなのかもしれませんが。

で、今回はアートの贋作/偽物に関する本をピックアップしてみたりしました。

贋作に関する本リスト

個人的には、西洋のノンフィクションが面白そうだな〜、と思っています♪

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2004年11月11日

絵画を読み解く楽しみ その3

前回の「絵画を読み解く楽しみ その2」で、象徴の歴史について知る楽しみがいまいちだったので、今回は象徴の歴史という点に注目してみますね。

「パンドラの箱」というのは、開けてはならない箱を開けた途端、ありとあらゆる災厄が世界中に飛び出していき、希望だけが箱の底に残った、というギリシア神話の物語。

パンドラこのパンドラの箱、もともとは箱ではなくて、瓶(かめ)だった・・・というトリビア的な解明をしてくれたのが、パノフスキー夫妻の共著「パンドラの匣」。

しかも、このすり替えの原因がどこ(誰)にあったか、ということまで調べ上げ、とうとうある著名人が犯人だと突き止めてしまった。


この話を知ったのは、高階秀爾センセーの「美の思索家たち」で、これはかなりおすすめの本です。

本の中には、1508年の文献という犯人のヒントはありますが、

・・・もしそれでも「犯人」がわからなければ、パノフスキー教授の本を本で頂くよりほかはない。

と、犯人は証してくれていません。
私の拙い説明よりも、「パンドラの匣」を読むほうが面白いと思いますが。先に犯人を知りたい人だけ、この続きを読んでください。
私は、どうしてもパノフスキー著の「パンドラの匣」が読みたくなって購入しちゃいました。

パンドラの匣?変貌する一神話的象徴をめぐって
ドーラ パノフスキー アーウィン パノフスキー Dora Panofsky Erwin Panofsky 尾崎 彰宏 菅野 晶

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2004年11月09日

絵画を読み解く楽しみ その2

絵画に興味がある人なら、『イコノロジー』という言葉に聞き覚えがあるのでは?
案外この言葉、単なる絵画の謎解き・・・と誤解されていることも多いらしい。
ちなみに、前回の「絵画を読み解く その1」に出てきたような、絵に描かれたものが何かを明らかにすることは、イコノロジーとはいわず、イコノグラフィー(図像学)という。

イコノロジーは、パノフスキーによって広めらた言葉で、パノフスキーは《紳士が帽子を取る》という日常的な動作を例にあげ、それを見た人がどのように解釈するかを3段階に分けて説明している。

まさに《紳士が帽子を取る》という場面を描いた、クールベの作品「クールベさん、こんにちは」を例に、みてみよう。

こんにちは、クールベさん
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