羊蹄山に登ってきた。
登ってきたけれど、実のところ書くことがない。
登って、そして下りてきました。
実にそんな感じがする。
いつものメンバーとの山行は楽しかった。
下りて温泉に行ったり、札幌に帰って混んでいるカレー屋でぞろぞろと並んでハンバーグカレーを食べたり、そういうことの方がなんだか記憶に残っている。
山の中での、こう、ぱっとキャッチーな、こんなことがありました!というようなめぼしい話題がない。
今年春から現在にかけてずっと続いている、もやーっと霞んだようなうじうじした曇天の下を、時に大粒の雨に打たれたりもしながら登ってきた。
下の方はずっと樹林帯で見通しが利かなくて、上の方ではもやが霞んでいて白内障になったらきっとこんな風なんだろう、というような下界の景色しか見られなかった。
真っ青な晴天なら全然違ったのだろう。
僕にとっての羊蹄山は、景色を楽しめないときに登っても円山よりつまらない山だ。
道中ずっとうぐいすが啼いていて、たまたまなのかそういうものなのか、上にいる個体ほど囀りが上手だった。
姿を見つけられなかったのだけれど、ずいぶん傍で啼いているのもいて、ひとが傍にいてもかまわず啼き続けるほど真剣なんだろうな、と思った。
お花は下の方ではそこそこ咲いていた。
特に桜は僕等の心を慰めた。
羊蹄山は春を迎えていた。
登ってばっかり、下ってばっかりな山なので、道々心に引っかかる時間が少なくて、それでなんとなく書くことがないような気持ちになるのだろうと思う。
もちろん僕のその時の心境なんかも大いに関係あるのだろうけれど。
そもそもカメラを取り出そうと思うことも少なくて、それでも撮った写真のどれもこれもがぼんやりと霞んでいるようなのばっかりで、振り返ってみても、ああまあそんな感じだったよね、と一人納得する。
風も通らず、蒸し暑い山行だった。
後方羊蹄山と書いたときには「しりべしやま」と読んで、日本書紀にも記述があるという古い地名だ。
アイヌ名はマッカリヌプリ。
マッカリはマクカリが訛ったものらしく、「うしろを廻る」という意味であると更科源蔵が説明している。
尻別川の方から見て羊蹄山のうしろを廻っているマクカリベツ(真狩川)を言い表した言葉のようで、マクカリベツの山だからマッカリヌプリ。
羊蹄山の後ろにあるものは大事だから名前をつけたのだろうが、何の後ろにあるのかはそれほど重要ではなかったらしい。
それとも、これだけ目立つ山なんだから名前をつけることもない、と考えたのだろうか。
確かにあのあたりから眺める羊蹄山は、やま、とだけ言えばそれですんでしまうような威厳がある。
登ってきたけれど、実のところ書くことがない。
登って、そして下りてきました。
実にそんな感じがする。
いつものメンバーとの山行は楽しかった。
下りて温泉に行ったり、札幌に帰って混んでいるカレー屋でぞろぞろと並んでハンバーグカレーを食べたり、そういうことの方がなんだか記憶に残っている。
山の中での、こう、ぱっとキャッチーな、こんなことがありました!というようなめぼしい話題がない。
今年春から現在にかけてずっと続いている、もやーっと霞んだようなうじうじした曇天の下を、時に大粒の雨に打たれたりもしながら登ってきた。
下の方はずっと樹林帯で見通しが利かなくて、上の方ではもやが霞んでいて白内障になったらきっとこんな風なんだろう、というような下界の景色しか見られなかった。
真っ青な晴天なら全然違ったのだろう。
僕にとっての羊蹄山は、景色を楽しめないときに登っても円山よりつまらない山だ。
道中ずっとうぐいすが啼いていて、たまたまなのかそういうものなのか、上にいる個体ほど囀りが上手だった。
姿を見つけられなかったのだけれど、ずいぶん傍で啼いているのもいて、ひとが傍にいてもかまわず啼き続けるほど真剣なんだろうな、と思った。
お花は下の方ではそこそこ咲いていた。
特に桜は僕等の心を慰めた。
羊蹄山は春を迎えていた。
登ってばっかり、下ってばっかりな山なので、道々心に引っかかる時間が少なくて、それでなんとなく書くことがないような気持ちになるのだろうと思う。
もちろん僕のその時の心境なんかも大いに関係あるのだろうけれど。
そもそもカメラを取り出そうと思うことも少なくて、それでも撮った写真のどれもこれもがぼんやりと霞んでいるようなのばっかりで、振り返ってみても、ああまあそんな感じだったよね、と一人納得する。
風も通らず、蒸し暑い山行だった。
後方羊蹄山と書いたときには「しりべしやま」と読んで、日本書紀にも記述があるという古い地名だ。
アイヌ名はマッカリヌプリ。
マッカリはマクカリが訛ったものらしく、「うしろを廻る」という意味であると更科源蔵が説明している。
尻別川の方から見て羊蹄山のうしろを廻っているマクカリベツ(真狩川)を言い表した言葉のようで、マクカリベツの山だからマッカリヌプリ。
羊蹄山の後ろにあるものは大事だから名前をつけたのだろうが、何の後ろにあるのかはそれほど重要ではなかったらしい。
それとも、これだけ目立つ山なんだから名前をつけることもない、と考えたのだろうか。
確かにあのあたりから眺める羊蹄山は、やま、とだけ言えばそれですんでしまうような威厳がある。