罪悪感は人間の心を最も暗く重たくするものの1つです。

 そして、罪悪感は健康な心と幸せな人生にとって全く不要なものです。

 持っていたほうがよい罪悪感などというものは1つもありません。

 罪悪感が見つかったら、すべて手放してしまえばよいのです。

 では、どうして多くの人間は罪悪感を持ち続けるのでしょうか。

 それは、罪悪感を持ち続けることを無意識ながら選んでいるからです。

 罪悪感をもつことは苦しいのに、なぜ選んでしまうかというと、罪悪感をもつことがもたないよりも良いと信じているからなのです。

 つまり、罪悪感をもつことで、何かを得られると信じているわけです。それは、罪悪感をもつことで許されるということかもしれません。

 つまり、自分を責め、叩き、罵倒し、裁くことで、自分は許されるのだと信じているなら、許しを得るために罪悪感をもつというのは理にかなっています。 

 もう1つの可能性として、罪悪感を捨てたら、また同じ過ちを繰り返してしまうのではないか、また苦しい目に遭ってしまうのではないかと怖れている場合も考えられます。

 つまり、危険を避けるため、苦しみを避けるために罪悪感を握りしめているわけです。

 ところが、ここにパラドックス(矛盾)があります。

 許しを得たいので罪悪感をもつのも、苦しみを避けるために罪悪感をもつのも、うまくいかないのです。

 罪悪感をもつことで得られるものは、実は罪悪感を手放すことで得られるのであり、罪悪感をもつことで避けられるものは、実は罪悪感を手放すことで避けられるのです。

 つまり、罪悪感というのは、「俺にお前の10万円を預ければ、泥棒に盗まれなくて済むぞ」と泥棒に言われて、10万円を預けてしまうようなもので、泥棒が届けてくれると約束しているものは、決して届けてはくれないのです。

 この人を信じて10万円を渡してしまうのは無知のせいです。この人が10万円を私から奪いたくて言っていることを見抜く知恵があれば、騙されて苦しむことはありません。

 同様に、罪悪感を信じてしまうのも無知からであり、その正体を知らないからなのです。

 罪悪感をもつことによって、許しも安全も得られず、それらに対して逆に抵抗しています。

 罪悪感がもたらすのは、苦しみ以外の何ものでもありません。

 その事実に気づいたとき、罪悪感の正体を見抜いたことになります。そして、罪悪感を信じ込み、そこに自己投影をして、苦しみの体験を創造し続けるサイクルから自分を解き放つことができるわけです。

 罪悪感から自由になりたいなら、ひとつひとつの罪悪感を持ち続けることで何が得られると信じているのかを吟味し、実際に得られているのかしっかり見極めましょう。

 何の役にも立たないと悟ったら、罪悪感という1つの現象の言うことに、もう耳を傾けることはなくなります。

 真実の目で罪悪感を正しく見たのです。