クライアントさんの中には、私からの支援を受けて感情的問題をどんどん解いていける人もいれば、なかなか上手に解けない人もいます。

 この差には「2つの能力」が大きな要因として絡んでいると私は思うようになりました。

 その1つは「知的能力」で、もう1つは「情的能力」です。

 「知的能力」と言っても、一般的に言う頭の良さではありません。記憶力に優れているとか、回転が速いとか、知識が豊富とか、そういうこととは違います。

 自分の内面で起きていることに対して、無執着(non-attached)の状態で認識できる能力なんです。

 これは、メディテーションなどを通して培うことができる能力で、
自分の思考や感情などと同一化せずに、そのありのままの姿を知覚できる明晰さとでも言いましょうか。

 この能力が育っていない人だと、自分の思考や感情に飲み込まれて、自分の内面をまっすぐに認識することができません。智慧を育むために必要な「ありのままを見る」という作業ができないわけです。

 こういう人がこの能力を育てたいとすれば、自分の思考や感情を対象化して見るという訓練を積むことが大事です。そして、このように自分の内面を客観的に見ることができるためには、瞑想的・観想的な習慣を身に付けることが役立つでしょう。

 2つ目の「情的能力」は、感情を感じることに対して耐えられる能力です。

 感情的問題を解くときに、抑圧された感情を感じることに心を開かなくてはなりません。ところが、多くの人は、感情を感じないことで自分を防衛してきた過去があります。

 これらの人の多くは、感情を知的に分析して理解することでなんとか解こうとします。そして、最も必要とされる「感じる」ということをできるだけ避けようとするのです。

 このように「感じる」ことを避けていると、感情はプロセスされません。

 感じることに耐性のない人が耐性を育もうとするなら、ハードルの低い感情(感じてもいいと思えるもの)とフィーリングで繋がる練習から始め、感情と対話を通してコミュニケーションをとる訓練も重ねることをお勧めします。

 「情的能力」があまりない人の場合、感情的問題が解けずに様々な症状に悩まされることになります。感じられる方向に成長しなければ、薬を使って症状を抑え込むしか対処法がなくなってしまうのです。薬を使わずに解決できるかどうかは、その人の「情的能力」にかかっています。

 「感情を感じることのできる能力」などというものについて語られることは世の中であまりありません。メンタルヘルスにとっては極めて重要なことなので、もっと広く知られるようになることを希望します。