ある夏の海岸での話です。

 砂浜に座って海を眺めていた私の目に、家族連れの姿が映ってきました。水際から少し入ったところで父親と息子と娘3人が遊んでいたのですが、12歳ほどの兄が少し下の妹にちょっかいを出し始めました。妹にとっては背がやっと立つほどの水深だったので、溺れるかと思ってパニックになったんです。そしてキャーっと大声を出したところ、父親が妹の顔も見ずにほっぺたをいきなりパシーンと叩いて「うるさい!」と言うではありませんか。

 この女の子は黙ってひとりで砂浜に戻り、お母さんの側に座り、うなだれていました。

 私はいたたまれない気持ちになって、彼女に話しかけました。私は彼女が何も悪いことをしていないこと、父親が誤解したことを私が理解しているよというメッセージを伝え、彼女の悲しみに寄り添うと、彼女は泣き声で気持ちを少し出してくれたのでした。

 母親は私たちの1メートル先で本を読んでいて、女の子の心が深く傷ついていることに全く気づいていません。

 私はこの母親に、お兄ちゃんがいたずらをしたので妹さんがキャーっと声を出したらお父さんがいきなり彼女を叩いたんだということを伝えました。そうしたら、この母親は女の子の心配をするでもなく、私がわざわざそんなことを気にしている様子が可笑しく思えたのでしょう。せせら笑ったのです。

 この家族は4人一緒に海岸にやってきて休日を過ごしていたけれど、心は全く触れ合っていませんでした。

 この女の子にとって、この一日は深い傷を受けた一日だったのに、そのことを理解する人がこの家族にはひとりもいないのです。

 彼女が味わった「情緒的孤独」は、残念ながら決して稀なことではありません。機能不全家族にいる多くの子供が同じような辛さを体験しています。

 共感能力が乏しい人が家庭を持つと、表面的には一緒に食事をする、一緒に旅行に行く、けれども心はバラバラなんです。

 「本当の親密さ」がない家族って悲しいですね。