樹木希林さんは卑下したり迎合したり相手に媚びたりというところがなく、あるがままの自分をスッと出せる潔いところがあります。

 自分を抑えて相手に合わせることで波風を立てないようにする人が多いこの日本社会において、「自分を大事にするとはどういうことか」を教えてくれる貴重な存在です。

 今日は「さんまのまんま」「NHKスペシャル『”樹木希林” を生きる』」「直撃!シンソウ坂上」という3つのテレビ番組で目に止まった希林さんの行動について考えてみたいと思います。

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「さんまのまんま」(2018年4月27日放送、10月21日再放送) 

 この番組では、さんまさんがゲストの飲みたいものを出すところから始まるのが通常なのですが、希林さんは梅干しの入った茶碗を持参し、お湯を入れてくださいとさんまさんに頼みました。

 たいていのゲストはウーロン茶とかコーヒーとかコーラとかオレンジジュースなどをさんまさんに頼むのですが、そういう普通のもので飲みたいものがなかったのでしょう。飲みたくないものを無理に飲むより、自分が飲みたいものを持参すればお互いに助かると思ってなさったことだろうと思います。

 多くの人は、身勝手に思われたくないので、こういう状況でも飲みたくないものを無理に飲んで済ませるでしょう。そうすると、体はしんどいですよね。

 自分の体が欲しているものを飲むというのは「自分を愛すること」です。それをさんまさんに出してもらうのも悪いなあと思ったから自分で持ってきた。ここに相手への優しさもちゃんとあります。

 希林さんの行動は決して我がまま(自己中心的)ではありません。自分への労りと相手への優しさが両方ちゃんとあるのです。

 こういう行動を非難する人は、みんなと違う行動を取ること自体を悪いことだと考えているのだろうと思います。みんなと同じ行動をとるかどうか、周囲が期待している行動をとるかどうかで気遣いの有無を判断するというのは、本来間違っているのです。

 どういう心でそれをやっているのか、そこに本質があります。

 私もカフェインを取りたくないので、コーヒーを出されても困るとか、番茶がないときには白湯を飲みたいというところがあり、こういうことは人に説明するのが面倒くさいので、自分で飲めるものを用意するという気持ちはよく分かります。 

「NHKスペシャル『”樹木希林” を生きる』」(2018年9月26日放送) 

 長期の密着取材を断り続けてきた希林さんが、初めてOKして実現したNHKのドキュメンタリー番組です。ただし、木寺一孝ディレクターがひとりで(カメラマンや照明なしに)彼女に随行するという条件でした。

 2017年6月から1年に渡る密着取材でしたが、半年が過ぎたころ、続けることに意義を感じられなくなった希林さんとディレクターが本音をぶつけ合うシーンが2つあります。1つ目は車の中、2つ目は楽屋です。

樹木:ただ漠然とこうやってついて来て何か出てくるんならいいんだけど、私から何か出そうったってそれは出ませんよってのが本当のところでね。(カット)だけどほら、何にも出てこないじゃない、私からは。

木寺:いや、そんなことないですよ。いや、そんなことないです。そんなことないです。

樹木:いや、あなたは言っているけど、私は達成感がないから。

木寺:ああ、そうですか。

樹木:う〜む。(ため息)

木寺:希林さんの達成感がないんですね?

樹木:う〜ん。発見がないからね。

木寺:ああ、自分の?

樹木:うん。

木寺:ああ。

樹木:まあ、こんなような人間なんだよね。(カット)

木寺:だから、そういう意味では偶然しかないなと思ってちょっと長く恐縮なんですがロケさしてもらってて、ふとしたことで・・・

樹木:だから何か悪いから喋んなきゃなと思って喋ってるっていう感じ・・・するじゃない?

木寺:うむ、それがちょっと、あんまりあれですもんね?

樹木:う〜ん。

木寺:まあ、負担になりますもんね?

樹木:負担っていうか、悪いなあと思って。

木寺:うん。

樹木:うん。何かいい方法ないかね・・・


 ディレクターが漠然とついてくるだけでは何も出せないし達成感もないということを正直に語っています。

 次はその続きです。

樹木:何が面白くて私を撮っているのかという、まあ、これは私が「4本映画をやるから、それにくっついて来たらどう?」って言ったのが良くなかったんだけど、映画をどう向き合っているかっていう話を撮るわけではないわけだからね、結果的に。じゃあ何に興味があって、何に興味がないのか、ちょっと教えてもらいたいわ。あんまり反応が・・・私に興味を持つのは何が興味持つの? NHKが「ちょっとやってみな」って言うから来たわけ?

木寺:いや、そんなことないです。

樹木:何なの?

木寺:その、生き方にやっぱり惹かれるというか・・

樹木:漠然としているよね、それではね。仕事をする対象として私が興味を持つ話もしているけれど、だいたいこう反応で分かるんだけど、実に律儀な反応が返ってくるから弾んでいかないんだよね、話が。(カット)どうするか。どうするかねえ。

木寺:あれですよね。だんだん希林さんと喋れなくなってきた自分がいて・・・

樹木:どういう?

木寺:すいません何か。

樹木:え?

木寺:甘え話みたいで恐縮なんですけど。

樹木:うん。

木寺:やっぱり、こういう風に、まああのこうやって撮ったやつ後で見るじゃないですか?

樹木:うん。

木寺:やっぱり、こう希林さんが今みたいに問われることを、やっぱり誤魔化すんですね、僕が。はぐらかすっていうか。笑って誤魔化すっていうか。多分そうやって自分はまあ多分そういう子供の頃そういう生き方をしてきているので・・・

樹木:うん。

木寺:・・・何かちょっとこう人から怒られると、こう誤魔化したり、あるいはもう最初から近づかなかったり。

樹木:それは人間誰でもそうだから、別にあなたに限らず。(カット)

木寺:だから、結構僕は突きつけられてて、嫁との関係もそうやって多分、子供を作ることについても、別の次元の、家を例えば買うとか、どこに住むかっていう問いかけに、いつもはぐらかすっていうか、誤魔化して・・・(泣き出す)


 「私の何に興味があってこの取材をしているのか?」「あなたから律儀な反応しか感じられない」という希林さんの言葉に触発され、木寺ディレクターは自分の生き方の根本的な部分にまで意識を馳せています。相手が真剣な問いかけをしてくるときに、はぐらかし誤魔化し表面的にしか返さない自分がいる。妻とのやりとりもそうだ。

 希林さんが真剣に生きていて、いろいろなことをあやふやにせず、本当のところはどうなのかを突き詰める人であるからこそ、いい加減な取材では満足できません。求める側に真剣さがあってこそ応えられる。そういうレベルでの仕事をしたい。そうすると、ディレクターも自分の中の真実と向き合わなくてはならなくなったんだろうと思います。

 多くの人は、相手との仕事に納得できなくても、ある程度のところで妥協して、これ以上相手に求めるのは悪いかなあなんて遠慮してしまうものです。けれど、高いレベルの仕事をしようと思えば、本心をぶつけ合わなくてはならない。映画づくりも結婚生活もそうでしょう。

 自分が満足できないとき、その気持ちをストレートに出すことで、相手の真実を引き出そうとする。そういう希林さんに「真実へのコミットメント」を強烈に感じます。

 納得できないものを放置しない。とことん話し合う。これも「自分の愛し方」に違いありません。そして、このように自分を本当の意味で大事にできる人は、相手が逃げたり偽ったりすることを許さないが故に、相手にも自分を大事にすることを促してくれるのです。

「直撃!シンソウ坂上」(2018年10月25日放送)

 2013年に初めて伊勢参りをした希林さん。神社近くのうどん屋に入ったときお店の女将さんがお土産を渡そうとしたのですが受け取りませんでした。

 その時のやりとりです。

女将:(お店のロゴが入った浴衣のようなものを持ってきて)これをな、是非な。これ。ちょっと希林さん、あなた好きじゃないですか?

樹木:好きじゃないです。

女将:好きやと思うて。

樹木:いやいや。(手を合わせて)どうもありがとう。気持ちを頂きました。

女将:(納得できない顔でじっと希林さんを見つめる)

樹木:何か言ってる。文句言ってる。

女将:せっかく用意したのに。

樹木:それはやっぱりまずいよ。

女将:宮本亜門さんもな「おうちで着せて頂きます」言うて持っていってもらいましたんよ。

樹木:ああそう。私それ、うちでは着ません。

女将:あらそう。(カット)

樹木:もらっちゃった方が和気あいあいでいいの。だけど、それ粗末にしたら申し訳ないからもらわないの。そうすると喧嘩腰よ。だってそれ着ないよ、そんな尊いもの。

女将:飾っといて、これ。

樹木:お母さんも頑丈だよ。心が頑丈。でも私は負けない。私はご辞退いたします。

 念のために言っておきますが、このシーンの雰囲気は決して険悪なものではなく、ユーモアたっぷりの和やかなものでした。

 この女将さん、お店にまつわるものを希林さんにあげたかったんですね。希林さんにもらって欲しかった。けれど、これは女将さんのためなんですよね。希林さんのことを思ってのプレゼントではない。

 それが証拠に、要らないと言われたときに「せっかく用意したのに」という愚痴が出ました。

 こういう風にもらいたくない物をくれる相手に対して、多くの人は自分を偽って親切を装います。「ありがたく頂きます」と言って受け取るのです。それが相手への思いやりだと思っている人が多い。

 でも、欲しくないものを受け取ることは決して相手への親切ではないと思います。丁寧に断れば十分に礼を尽くしたことになるのです。

 受け取りたくないとこちらが言うのに、「受け取らないとは失礼な」と怒る側に問題があります。ノーと言わせないのですから、強要しているわけです。

 私も英語教室とピアノ教室を経営していたとき、教え子の親御さんから菓子箱をもらって困りました。私はできるだけお菓子を食べたくないわけです。そして砂糖のたっぷり入ったものを家族にも食べさせたくない。「ああ、また甘いお菓子かあ」と困りました。

 ではどうしたかと言いますと、新しい生徒さんが来ると、私は贈答品は受け取らないことにしているのでお気遣いなくと最初に伝えておくようにしたんです。それで9割は解決。知らないで最初に持ってくるような相手には、希林さんと同じように「お気持ちだけいただきます」と言って菓子箱を持って帰ってもらいました。

 要らないものを受け取らずに断る。これが「自分の愛し方」の3つ目です。

 人からのプレゼントやアドバイスや親切行為で、要らないものは受け取らず丁重にお返しします。それで礼は尽くされたのです。

 希林さんの対応には、あちこちに相手への気遣いが感じられます。まず、手を合わせて感謝を伝えています。相手が与えようとしている「物」を悪く言わず、「尊いもの」と呼ぶことで、相手の気持ちを大事にしています。それでも食い下がる女将さんを「頑固」と言わず「頑丈」と柔らかく言っています。

 受け取らないことに対して相手が不機嫌になるなら、その人が自己中心的であり我がままなのです。自分が与えたいものを受け取らせたいという一方的な気持ちであって、こちらの本当の利益には関心がありません。ですから、「何かをあげる」ということは親切行為のように見えて、実質は迷惑行為だという場合が多々あると弁えておきたいものです。

 「受け取らないと失礼」などと解釈し罪悪感や義務感で受け取る必要はありません。それは自分を大事にしていることにはならないのです。

 プレゼントは自分が欲しいものであり、かつ純粋な思いやりから出たものである場合にだけ受け取ることに私はしています。