菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市)

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2013年12月

体験を創造する私たち

苦しみから解放されることは創造者として目覚めること

 
私たち人間は、思考を通して自分たちの体験を創造していますが、その一部が無意識であり、否定的であるために、不本意ながらにして苦しみを生んでしまっています。

 苦しみという体験は、どのようにして創造されているのでしょうか。まずは、創造のメカニズムのお話から始めたいと思います。

すべての創造は「アイディア」から始まる

 飛行機やコンピューターや電球など、人間が創造したものが、すべて「アイディア」から始まったことは誰にでも分かることです。

 私が文章を書いたら、その文章は「アイディア」から生まれた私の「創造物」ですし、料理を作っても同じことです。

自分が作った物でなくても、それを選ぶことで「体験を創造する」

 私の部屋には、テレビや机やパソコンなど、私以外の人が創造した物がたくさんあります。

 これらの物は、私が作ったわけではありませんが、私が「あ、これが欲しい」と決めて買ってきたわけです。そして、「あっちのテレビではなくて、こっちのテレビを買おう」と決めたとき、それは私の「アイディア」でした。そして、私はこの「アイディア」によって、ある意味では、「自分の部屋をデザインした」のです。


 このように、私たちは、自分にとって最も心地よくて満足するような洋服や家具、映画や音楽、スポーツや恋人を選ぶとき、「アイディア」によって「体験を創造している」と言えるのです。

「住空間」は身近な「創造物」

 その人の部屋を見れば、その人がどんなことに関心のある人なのかが分かります。スポーツ好きの人なら、スポーツ用品やスポーツ関係の本があるでしょうし、音楽を演奏する人なら楽器や楽譜があるでしょう。美術の好きな人なら、絵や彫刻がたくさん置いてあるかもしれません。

 それだけでなく、自分が本当に好きで置いている物と、好きでもないのに捨てられない貰い物と、時期が過ぎたのに捨てていない物が、どんな割合で存在するのかを見ると、その人がどのような「考え方」を持っている人なのかが見えてきます。

 そう、「住空間」にある物を、どのような基準で「選択」しているのか、というところに、その人の「創造者」としての特徴が表れるのです。

「住空間」が心地よくないなら、「アイディア」を変えればいい

 その人の部屋にある「持ち物」を選んでいるのは、本人以外の誰でもありません。ですから、ある「持ち物」が部屋にあることで、心地よくないなら、それを捨てるとか違ったものに買い替えればいいだけです。

 「くれた人に悪いから」という「アイディア」で、本当は置いておきたくないものを置いてしまい、その結果、自分がイヤな気持ちになるのなら、この「アイディア」は自分の幸せにとって、邪魔になる障害物なのですから、変えればいいのです。 

人生の「アイディア」を取捨選択する

 さて、ここから記事の核心に入っていきます。

 実は、「住空間」にある「持ち物」をその人が選ぶことで、人それぞれが「自分が味わう生活」というものを創造しているように、私たちは「意識」にある「持ち物」を選ぶことで、「自分が味わう人生」という体験を創造しているのです。

 この場合、「意識」にある「持ち物」とは、自分の思考や感情のことを指します。

 「僕は何でもやればできる」という1つの思考は「持ち物」です。そして、これはその人が創造したオリジナルではなく、少なくても数千年前から人類の集合意識に存在した、使い古された1つの思考形態です。

 同じように、「僕は何もできない無能なダメ人間だ」という1つの思考も、大昔から人間の意識に浮遊している「持ち物」です。

 そして、他人が作った家具や電化製品を選ぶことで住空間を創造するように、私たちはまた、人類の集合意識にある様々な思考の一部を採用して、人生という体験を創造しているのです。

 「僕は何でもやればできる」という思考を採用した場合、とてもやる気が出て、自己肯定ができるような生活が展開していくでしょう。自分でいることが心地よいという内的体験が創造されます。

 そう、これは1つの創造なのです。「アイディア」を決めて、その結果ある特定の体験が生じる。この体験そのものが、私たちの創造物なのです。

 「僕は何もできない無能なダメ人間だ」という思考を採用した場合、重たくてイヤな気持ちがします。自己否定をし、自信が感じられません。とてもネガティブな内的体験が生じてきます。

 このネガティブな内的体験というものが、実は「アイディア」のレベルで自分が選択したものだと気づくことは、大変パワフルなことです。
  
 「自分の心持ちは自分で選べるのだ」と気づいた人は、conscious creator(意識的な創造者)として目覚めたということです。

 幸せを感じられない人というのは、まずい料理を選んだり、好みに合わない服を買ったり、置きたくない物を部屋に置いたりして、自分をイヤな気持ちにさせてしまいながら、それは自分が選んでいるのではないと主張する人です。

 周囲の人が選ばせているのだとか、皆が同じものを選んでいるのだからなぜ悪いのだとか、自分には違うものを選ぶ能力がないとか、いろいろと言い訳をして、自己責任を認めない人です。

 これと全く同じ方法で、自分をイヤな気持ちにするような「思考」「アイディア」を選んで採用し、それを手放すことができないために、イヤな気持ちがずっと続いてしまうのです。

 自分をもっといい気持ちにできるのは自分の責任です。それは、自分がいい気持ちになるような思考を選んであげることと、イヤな気持ちにさせる思考を手放してあげることによって果たせる責任です。

 そう、ちょうど、自分が幸せだと感じられる物で部屋を満たしてあげ、イヤな気持ちがする持ち物を捨ててあげる「片付け」をするように、「意識の片付け」をするのです。

 あなたは、現実をどのように味わっているでしょうか。そして、その味わいは、どんな「アイディア」を種として創造されたものでしょうか。

潜在意識には長い過去からの思考と感情の集積がある

 さて、多くの人は、プラスに考えようと顕在意識では努力するのに、どうしてもマイナスの思いが出てきてしまうことに混乱してしまいます。 

 こういう場合、潜在意識というものを理解する必要があります。

 つまり、潜在意識には私たちの長い長い過去の集積があり、これは多くの前世をも含んでいるのです。

 ですから、自分の思考や感情の習慣を変えるということは、時には数百年あるいはそれ以上の思い癖を変えることなので、表面で少し考え方を変える程度では動かないこともある、と知っておくと、長い目で見られるのではないでしょうか。

 つまり、私たちは顕在意識(表の意識)では、現在の自分にとって最も建設的で自己支持的な思考を選びながら、否定的な思考や感情が奥から出てきた時には、それを受容的に歓迎して、深いレベルでの書き換えを同時に進めていく、という2つのことをやらねばなりません。

 顕在意識がマイナスになった時には、今すぐに意志を働かせてストップできます。プラスに考えるように舵取りをすればいいのです。しかし、潜在意識から出てくるマイナスには、まったく逆のアプローチが必要です。つまり、いったんはマイナス思考と感情が出てくることを歓迎して受け入れるという段階を通って、手放すという作業をしなければなりません。

 顕在意識がマイナスになることは意志力で避けられます。しかしこの意志力を使って、潜在意識から出てくるマイナスを抑えにかかると、マイナスから解放されなくなってしまうので、潜在意識からのマイナスは意志力を弱めて受け身になって感じてあげる、受け入れてあげる、というまったく反対のことを行う必要があります。

 例を挙げますと、「死にたい」という思いが浮かんだら、これが頭に浮かんだ表面的なアイディアであれば、受け流して、「いや、僕は生きることを楽しみたい」と思い直せば済みます。顕在意識が「死にたい」という思いで占領されないように、見張っている。そして、プラスの思いで心を満たしてあげるようにする。これでいいのです。

 しかし、「死にたい」という思いが、とても深いもので、重たい感情やからだの筋肉などの収縮を伴うものである場合、プラス思考に意識を移動させるだけでは十分ではないどころか、このマイナスを再び抑圧してしまいかねません。

 前者の「顕在意識レベルの表面的な思い」と後者の「潜在意識レベルの深い思い」との見分け方は、注意をほかのことに向けたときに、パッと即座に心身の感覚が軽くなるかどうかです。

 私には「死にたい」という信念がありませんので、「死にたい」という観念を頭で思うことはできますが、その1秒後に「今晩はあのテレビ番組を見よう」という具合にまったく別のことを考えると、気分はすぐに晴れます。

 ところが、「死にたい」という感情が深い場合には、テレビのことに意識を移しても、じわ〜っとイヤな感じが心身に振動し続けています。このことで、この思いの根が深いということが判定できるのです。

 この後者のような、根が深い「潜在意識」の感情や信念というものは、重たいエネルギーが表に出てきて、私たちが十分にそれを味わい、吟味し、すっきりするまで流してあげるという作業を経なければ、また奥に引っ込んでしまって、その苦しみから私たちは自由になれないのです。

 このタイプのマイナス思考・感情は、プラス思考によって乗り切ってはならないものです。深く耳を傾けて、そのエネルギーの中を一度通る必要があります。通ることで、抜けていくことが大事です。

 このように、マイナス思考・感情には、そのタイプによって、まったく真逆の2つアプローチがあり、それらを混同すると解放されませんので、きちんと理解しておくことが重要です。

マイノリティーとして生きる

「左利き」「障害者」「スピリチュアル」——世の中のいろんな「少数派」

 私の父は左利きなのですが、子どものころ右利きに矯正された経験をもっています。

 当時は、左利きは「異常なこと」「間違い」として見られていたので、「正しいやり方」に変更させられたのです。

 現在ではこのような偏見がなくなり、「左利きのままでよい」という考えが定着した世の中になっています。

 右利きの人が多数派の世の中に、左利きとして生活するというのは、「マイノリティー」(少数派)として生きるということです。 

 この他にも、私はたくさんの「マイノリティー」に出会ってきました。白人が多数派の社会でアジア人や黒人であること。キリスト教徒が多数派の社会でユダヤ人であること。日本人が多数派の日本で在日コリアンであること。「健常者」が多数派の社会で「障害者」であること。

 このように見てみると、いろんな「マイノリティー」があることが分かります。そして、何らかの「マイノリティー体験」を持っている人を集めると、実は多数派になるのではないか、とさえ思えてきます。

 皆さんは、自分が「マイノリティーだなあ」と感じたことはありませんか。それは、どんな領域でしょうか。 

 私は自分が「マイノリティーだ」と自覚したことが結構あります。まず、スピリチュアルなことが大事だとおおっぴらに発言していること自体、「マイノリティー」です。それから、私は11年間アメリカという白人多数派社会にアジア人として生活しました。

 でも、これらの「マイノリティー体験」よりも、もっと根本的に私自身が「多数派でないことを痛感する」体験を私はもっています。

 それは、私が「バイセクシュアル」という「性的少数者」であることです。(記事「私はバイセクシュアルです」で1月にカミングアウトしました。)

「男女」というカテゴリーに入らない「性的少数者」

  人をカテゴライズする時に、国籍や宗教や信条などよりも、真っ先に意識するのが「男か女か」ではないでしょうか。

 大部分の人間は、自分が男だとか女だとかいう自己認識が安定していて、気にもしないのだろうと思います。

 自分がもてる男かどうか、魅力ある女かどうか、などと悩むことはどこでもよくあることでしょうが、自分が果たして男なのか女なのか、という基本的なところで悩む人は、やはり少数派だろうと思います。

 そして私はこの少数派として生きてきたのです。 

 最近はオネエキャラがテレビを賑わしているので、「ゲイ」や「性同一性障害」についての認識が以前より高まってきてはいると思いますが、まだまだ大部分の「性的少数者」は正直に出て来られないのが現在の日本の姿です。

 人口の 5.2 % が「性的少数者」だというデータがあります。日本の人口を1億2000万人とすると、約600万人が「性的少数者」です。

 約20人に1人ですから、日本中の学校の教室に1人か2人は必ずいる計算になります。しかし、そういった「性的少数者」がいるという前提のもとに家庭生活や学校教育や社会活動が行われるという習慣は、この日本ではまだまだ足りていません。私たちが存在しないかのように、授業が行われ、会話が進むことが多いのです。

 たとえば、日本では出会ったばかりの女の人に向かって「彼氏いるの?」などと質問する人がたくさんいますが、アメリカなど「性的少数者」の認知が進んでいる地域では、恋愛対象が男であるとは限らないという理解があるため、特定の性を想定したこのような質問はほとんど聞きません。「パートナーはいますか?」など、あらゆる性的指向に対応できることばが多く使われます。

「からだの性」×「心の性」×「惹かれる性」=多様な「性」のあり方

 「からだは男、心は男、惹かれるのは女」という人は、「男の異性愛者」。

 「からだは男、心は男、惹かれるのは男」という人は、「男の同性愛者」。

 「からだは男、心は女、惹かれるのは男」という人は、「MTF のトランスジェンダーで異性愛者」。

 「からだは男、心は男、惹かれるのは男女」という人は、「男の両性愛者」。 

 こんな風に、3つの要素の掛け算によって、多様な「性」があるのです。

 私は「からだの性が男」「惹かれる性は男女」なのですが、「心の性」はこれまで仮定してきた「男」ではない気が今しています。私はおそらく心でも「男女両性」がしっくりくるなあと最近自覚し始めました。

 私はトランスジェンダーの人のように、男のからだでいるのがイヤだとか、女のからだになりたいと思ったことはありません。男のからだで満足しています。男に好かれたいときに、女のからだの方がよかったかなと考えたことはありますが、そこまで強い気持ちではありません。

 これまで私は「からだの性」と「惹かれる性」の2本立てで自分を捉えてきたのですが、「心の性は?」と問われると、自分の中に確かに存在する「女性性」というものに意識を向けざるを得ません。これまで私は「女性性ももった男性」だと自分のことを捉えてきました。しかし、よく考えてみると、「男性」を基軸にしているのは、「男性のからだ」をもっているからであって、からだを無視して、純粋に、自分の心の性を問うてみると、「6割女、4割男」という性自認の方が、「女性性ももった男性」というより当たっている気がします。

 つまり、私はやはり心においても、惹かれる性と同じように、「両性」なのだと思うようになってきました。

 私は「からだは男」「心は男女」「惹かれるのは男女」の「バイセクシュアル」というのが、現時点での認識です。 

 世の中で多数派である「異性愛者」の方達に理解して頂きたいのは、「異性愛者」以外の私たち「性的少数者」には、様々なタイプがあって、みんな同じではないということです。

 私は男を好きになりますが、「ゲイ」ではないのです。というのは、私は「女」も好きになるからです。 

 すべての「ゲイ」の男性は女装するわけでもないし、手術をして女のからだになりたいわけでもありません。

 「性同一性障害」と呼ばれる「トランスジェンダー」の人の中にも、性転換手術を希望する人もいれば、希望しない人もいます。

 彼らの中には、同性愛者も異性愛者も両性愛者もいます。

 たとえば、女のからだに生まれたけど、性自認(心の性)は男である。そして、女を好きになるなら、この人は心の性から言えば「異性愛者」なのです。つまり、生まれもったからだを除けば、「男性の異性愛者」と中身は同じなのです。

 けれど、女のからだに生まれ、性自認は男で、男を好きになる人もいるのです。すると、心の性から言えば、「同性愛者」ということです。

 このように、5.2 % の「セクシュアル・マイノリティー(性的少数者)」は、多種多様なのです。

 それから、テレビに出ている「セクシュアル・マイノリティー」の人たちは、だいたいが目立ちたがりですが、私が出会った大部分の人たちは、極めて普通の地味な人間で、目立つことを嫌う人もとても多いのです。

 ですから、「セクシュアル・マイノリティー」がみんな一定の服装や化粧をする性格ではありません。多数派の「異性愛者」にいろんな性格の人がいるのと全く同じように、「性的少数者」にもいろんな性格の人がいるのです。

 たとえば、私は目立つことが好きではありませんので、女装することも、化粧することも、パレードで派手な衣装を着ることも嫌いです。そして、欧米でカミングアウトしている多くの「性的少数者」に出会うと、彼らの多くも決して目立ちたがりではない、平凡な人間であることがわかります。

「男の世界」と「女の世界」の両方に親しみと違和感をもつ「中性の私」

 さて、私は「心の性」が男女両性だと言いました。ひとことで「中性だ」と言ってもいいかもしれません。そう、私は「中性的」だと思います。 

 この「中性的な存在」として生きるということは、大変でもあり、悩んできたことでもありますが、実はある意味、面白い体験でもあるのです。

 というのは、私は男とも女とも、「同性」として関わることができます。と同時に、どちらとも完全に同じではないので、どちらも「異性」と感じることがあるのです。

 たとえば、私はほとんどの女性に対しては、「同性」と関わっているような心地よさがあります。私の内面は6割が女なので、女の人と会話をしていても、差がそれほどないのです。

 ですから、「女の心はわからん」という男の気持ちが、私には「わからん」のです。

 ただ、私は100%女ではないので、極めて女っぽい人とは、やはり自分は違うと感じます。そして、極めて男っぽい人とも、距離を感じます。そう、私は男性性を多少持ち合わせた女性や、女性性を多少持ち合わせた男性、つまり中性的なものをもっている人と、もっとも近くて話しやすいと感じるのです。

  私は今では自分のセクシュアリティーを受け入れて、面白いと思えるほどの余裕が出てきましたが、20代30代のころは、まだまだ自己否定が強くて、苦しかったですね。とても人に言える状態ではありませんでした。

 同性愛者もこのような苦しみを味わうことが少なくないと思うのですが、私の場合、自分が同性愛だけでなく異性愛も感じるということが、どういうことなのか、理解できずに長年悩みました。

 つまり、「性的少数者」の中でも、私はさらに「少数者」だったので、理解しにくかったのです。

 私はアメリカで「ゲイ」のサポートグループに行ったことがあります。しかし、私は「ゲイ」たちのグループにいて、心地よくなかったのです。私はなぜか「ゲイ」たちに惹かれなかったのです。そして、これは自分の中の「ゲイ嫌い」なのかと自問しました。

 しかし今考えてみると、私は「ゲイ」でもないし、「ゲイ」を性的対象とも感じていないからだと見えるのです。

 私はどうやら「男の異性愛者」「女の異性愛者」「男の両性愛者」「女の両性愛者」に惹かれるタイプのようです。

 自分でもややこしいと思います。(笑)

 周りに自分と同じような人が少ないので、自分で自分を発見していくしかないんです。「私はこのことにはこう反応するなあ」「では私はこういう人間なのだなあ」と気づいていく旅をしてきたのです。そして、今もこの旅は続いています。

 ひとりひとりは個性をもったユニークな存在だと思いますが、私も皆さんと同じくユニークなんですね。だから、私が私を生きる中で、体験的に自分を発見するしかないんだと思うんです。

 以前は辛かったこの旅ですが、楽しめるようになってありがたいと感じています。私と違ういろいろな人の体験を聞くことも、とても楽しいのです。

 今年になって初めてお会いした人の中には、「アセクシュアル」(asexual=無性愛者)という方もいました。恋愛感情や性的欲求がまったくない人のことです。

 恋愛感情や性的欲求のない人生を体験している人が、この世にいる。「わあ、それは可哀想」なんて簡単に片付けられないのではないかと思うんです。彼らには、彼らにしか見えない、感じられない体験というものがあるのだと思います。そして、そこに何らかの価値があるかもしれないのですから。

「マイノリティーとして生きる」ことの課題と使命(スピリチュアルな視点)

 私は若いころ、自分が男であることに何の疑いも揺らぎもなく、女を追いかけている「普通の男」を羨ましく思いました。自分がどうしてそんな風に生まれなかったのかと運命を恨みました。

 外国人と日本人のハーフとして生まれた子が、自分は日本人の中にいても完全に日本人として受け入れられない、そしてもう1つの祖国でも外人扱いされる、自分はいったい何者なのか、と悩むことが多いように、私も自分が男の世界に完全に入れず、女の世界にも完全に入れず、ハーフの子のように境界で生きてきたんですね。

 そして、それは決して平坦な道ではなかったんです。けれども、ここまで歩んで来て、今言えるのは、このお陰で私は自分が何者であるのか、深く深く自問しなくてはならなかった。だからこそ、私は意識の深みを発見できたんだと思うのです。

 そして、私は男女を超えたものを、自分の中に発見できたわけです。

 私の魂は、男に生まれ、女に生まれ、実に様々な人生をいくつも体験してきたことが分かるのです。

 そして、意識の深い次元においては、すべての形ある生命は、ひとつだということも分かったんです。私たちはあらゆるカテゴリーを超えてつながっているのです。

 そのワンネスの自覚から、この時代にこの国に「マイノリティー」として生まれることを選択した私の魂というのは、この生き様を通して、「無条件の愛」を広げていきたいという情熱をもっているのです。

 「マイノリティー」として生まれたすべての人は、無条件の愛をまず自分に与え、人に与えられるようになることで、大きく全体の進化に寄与したいと思って、そのような運命を自主的に選んで生まれてきたと私は考えています。

 自分が受ける「被差別体験」によって、社会の歪みを自分の痛みとしてまずは受け止め、自分を癒し、それを愛として返していく。このことによって、この世は愛と智慧によって、輝きを増していくのです。そう、あなたが生まれてくれたことによって、あなたがあなたでいてくれることによってです。 

RESONANCE

 私が大学の練習室でピアノを弾いていたとき、ある音を鍵盤で弾くたびに、部屋にあったブリキのゴミ箱がジリジリリンと響き出しました。

 物には振動しやすい周波数があって、同じ周波数で振動するものが近くにあると、いっしょに鳴り出すのです。

 「いっしょに鳴る」「いっしょに振るえる」だから「共鳴」「共振」、英語では resonance(レゾナンス)と言います。 

 「共鳴」「共振」するのは、物だけでなく、心もそうです。

 アメリカに住んでいたころ、よく耳にしたのは、次のような表現でした。

 "This book really resonated with me."
 「この本は、とても私に響きました。」

 resonate(レゾネイト)は動詞で、「共鳴する」「共振する」です。

 日本語でも、「琴線に触れた」などと言うとき、「音」や「波動」を想起させますよね。「心に響く」なんて表現も、私たちは使います。

 「この本が私と共振した」としたら、この本と同じような周波数が、私の中にあったということではないでしょうか。

 皆さんは、自分と同じような考えや感じ方の人と出会うと、「そうそう!」と相づちを打って盛り上がりませんか。「え、あなたもそう思うのですか?奇遇ですね」と嬉しくなります。

 こういうとき、
相手の思いによって、自分の思いが強化されて、生き生きしてくるんです。

 このように、考え方や趣味が共通した仲間と集まることは、活力になります。

 さて、この「心の共鳴・共振」は、自分が気づいていないことにも当てはまります。

 たとえば、自分が気づいていない自分の良さを指摘されると、そこに目が向き、その性質が増幅されます。私たちは自分の持っている良さに全部気づいているとは限りません。それで、「あなたの◯◯なところは素敵だね」と言われると、その部分が自分の中でジリリンと響き出して、動き出すのです。

 こうやって、自分の良さは、他人が見つけてくれることで引き出されることがあります。

 さて、ここまでは心のポジティブな共鳴・共振についてお話ししましたが、ここからは、ネガティブな共鳴・共振が起こったとき、それをどのように自分の癒しと成長に繋げていくかというお話をしたいと思います。

 私は子どものころ、食べても食べても骨と皮のガリガリ少年だったので、「細い」とか「ガリガリ」という言葉を聞くたびに、イヤな気持ちがしていました。

 自分の中で「僕はガリガリだ」というコンプレックスがあった、つまり自分のことをそう思って自己否定していたので、人がそのテーマに触れるたびに、私の心の中でこの自己否定がジリリンと鳴り出して、傷ついていたのです。

 このように、自分の中にある自己批判は、周りの人間が似たようなことを言うと、共鳴して強化されるので、こういう体験によって、自己批判に気づくことができるわけです。

 そして、自己批判というのは、もちろん固定されて変化できないものではありませんので、自分の考え方をプラスの方向に変えると、もう同じ周波数では共鳴しなくなって、その結果、同じ苦しみが生じなくなります。

 教育の1つの考え方として、似た性質の子を教室の隣り同士に座らせると、いい方向に成長する、という理論を聞いたことがあります。

 たとえば、シャイで自分を出せない子がいたら、同じような子を隣りに座らせます。すると、自分と同じ面を見てほっとするという面もあるでしょうし、逆に、シャイな自分じゃイヤだなという気持ちが反面教師によって強くなるという面もあるらしいのです。

 つまり、自分と同じような弱点をもつ人の中にいると、イヤでもそこに意識が行きますよね。気づかされます。そうすると、その弱点を感じ続けることで、自然にそこから脱却して成長したいという感情が湧いてくるのです。

 ということは、私たちは自分のプラスの面を強化してくれる相手からも、マイナスの面を強化してくれる相手からも、成長を促されるということです。

 宇宙の秩序って、無駄がなく、うまい具合になっているものですね。

 私の母は結構お節介なんですが、昔はそれがとてもイヤでした。でもある日、気づいたんです。私自身にお節介なところがあることを!母は単に私の弱点を映し出していただけなのです。

 私は幸いこれに気づき、自分を変えていきました。すると、母の行動が私と共鳴・共振しなくなったのです。イヤな思いをすることがなくなりました。

 母へ感じていた「イヤな思い」というのは、実は「私自身がお節介なところを克服したい」という強い感情反応だったのに、それに気づかず、「母に攻撃されているかのように感じる」という妄想をしていたのです。

自分がもつマイナスに共鳴・共振する相手は
苦しみの原因ではない
共鳴・共振するものが自分の中にあることを
知らせてくれる教師である

 相手との「マイナス体験」による学習効果は、実はホメオパシーではないかと私は思っています。

 一般的な現代医学は「アロパシー(異種療法)」で、「ホメオパシー(同種療法)」と対比されます。

 一般医学では、「解熱剤で熱を抑える」「微生物を抗生物質で叩く」という具合に、症状と反対のものを使って戦うというやり方で患者をよくしようとします。

 症状と反対のものを使うので「異種療法」と言うわけです。

 それに対して、ホメオパシーでは、熱が出たら、熱と同じ症状を出すような自然物を希釈して患者に飲ませるのです。つまり、治したい症状と同じものを発生させるものを自然界から見つけ出して、それを極めて薄くして害がない状態にして飲ませるのです。すると、潜在意識に働いて、体が自然に症状とは反対の方向に動き出す、その自然治癒力の活性によって治すというやり方です。

 つまり、教育でいえば、シャイで引っ込み思案な生徒の横には、自信があってはきはきした子を座らせることで、そちらへ引っ張っていこうというのが「アロパシー」的発想なのに対して、先ほどご紹介した、シャイな子の横にわざとシャイな子を置くというのが「ホメオパシー」的発想だと言えます。

 さて、私はこの逆方向での2つのアプローチというものは、カウンセリングにも応用できると思っています。

 たとえば、誰かに恨みをもっているクライアントが来たとしましょう。そうすると、恨みを手放せるように、もっとプラスの捉え方ができないかと話し合ってみたりということも時にはします。これはアロパシーです。

 しかし、恨んでいる人はふつう、恨んではいけないとブレーキを同時にかけていることが多いものです。つまり、「恨みたい」という心の作用と、「恨んではいけない」という逆方向の作用が同時に起こっていて、恨みを手放そうとするとき、「恨んではいけない」という抵抗があるばっかりに、「恨みたい」が却って固定化されて、手放すのを邪魔しているということがあるのです。

 だから、いったんは「恨んでいいよ」「恨みを全部吐いてみて」という風に、恨みへのブレーキを外して、とことん恨みを歓迎する方向にまずは行くことを自分に許可してもらう。そして、思う存分恨むことを許されると、あるところで手放す方向に自然に進み出すというわけです。

 それから、手放したい自己否定などの信念を何度も何度もわざと唱えるという方法もあります。

 ふつう「私はダメな人間だ」という信念がある人だと、このように思わない方向に進みたいと思うでしょうが、わざと「私はダメな人間だ」と何度も唱えてもらうのです。すると、からだにあらゆる症状が出てきます。筋肉の緊張、自己否定の感情の活性化などが起きてきます。

 こうすると、潜在意識の奥深くに固定されていたものが、動き出して表面に出てきます。このことを利用して、この信念とそれを取り巻く感情を外へ流し出すということを時々やります。

 人に「お前はダメな人間だ」と言われたとき、イヤな気持ちがしてくる。この体験を人為的に作り出すことによって、それを意識的に癒しに繋げるという方法です。

 「私はダメな人間だ」という信念のない人は、いくら唱えても症状がでてきません。なぜなら、自分の中に共鳴・共振するものがないからです。

 しかし、「私はダメな人間だ」という信念がある人が唱えると、体が重くなり、筋肉が緊張し、イヤな感情が生じます。それは、このことばと共鳴・共振するものが、その人の中にあるからです。

 大自然がその人を癒すために、同種のものを引き寄せるような状況を生じさせるように、カウンセリングにおいて、大自然の働きを人為的に起こさせるのです。

 これは、「共鳴・共振」の原理を利用したセラピーと言えるでしょう。

菅波亮介はどんなカウンセラーか?

 クライアントにとって、自分のニーズに合った相性のよい心理カウンセラーを見つけることは、かかりつけの医師や習い事の先生を見つけるのと同様に大事なことだと思います。

 心理カウンセラーとクライアントは、心を通い合わせながら人生の課題に一緒に取り組む関係なので、信頼して心を開ける相手であることが必要です。

 そこで、私とのカウンセリングを受けようかと思案している方の参考になるように、私が考える自分の特徴をいくつか挙げたいと思います。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

1.心理学からスピリチュアリティーに至る広い領域を扱います。 

 心理学を必要としている人とスピリチュアリティーまで必要としている人ではニーズが異なります。前者には通常のカウンセリングや心理療法で十分ですが、後者には魂の視点が重要です。

 メディテーションや神秘体験、前世の記憶がある私は、この世的な視点だけでなく、多次元的な視点から人間の問題を捉えています。

 特定の組織には所属しておりません。

2.西洋心理学に基づいたカウンセリングと心理療法を中心としながら、クライアントの
エネルギーを読み取る直感力を補佐として用います。

 西洋心理学には①精神分析学、②行動主義心理学、③人間性心理学、④トランスパーソナル心理学の4つの流れがあります。私は①のダイナミック・セラピー、③の来談者中心療法、フォーカシング、ゲシュタルト療法、④のサイコシンセシスを主に用い、②の行動療法は基本的には用いません。ただ、②の論理療法と同じ原則を用いて認知に取り組むことはします。

 「バイロン・ケイティのワーク」や「キネシオロジー」など、心理学以外の手法も用いることがあります。また、クライアントのエネルギーを感じ取る直感力や体質が補佐役を務めてくれることが私の持ち味です。

3.個人レッスンも行っています。

 「バイロン・ケイティのワーク」「感情の紐解き方」「マインドフルネス・メディテーション」などの個人レッスンをカウンセリング中に受けることができます。

4.1回のカウンセリングでたっぷり時間をとることができます。

 30分〜150分の範囲でセッションの長さを自由に選べます。

5.性的少数者としてカミングアウトしています。

 2013年1月に当ブログで、バイセクシュアル(両性愛者)であることを公表しました。ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダー、アセクシュアルなど、人口の 7.6% を占める性的少数者の方々も心のバリアーを降ろしてお話ししていただける環境です。

6.多文化・多民族の方を歓迎します。

 アメリカに11年住み、英語と日本語のバイリンガルです。これまで教師として中国、韓国、フィリピン、タイ、エストニア、ポーランド、フランス、プエルトリコ、シリアなどの子供たちを教えてきました。

 英語でもカウンセリングを提供しています。

7.国内外で様々な勉強を続けています。

 ☆サンタモニカ大学スピリチュアル心理学修士課程前期修了(カリフォルニア)
 ☆バイロン・ケイティのスクール卒業(カリフォルニア)
 ☆ゲシュタルト療法のワークショップ、百武正嗣指導(石川県)
 ☆ヒプノセラピー・ワークショップ、ブライアン・ワイス指導(カリフォルニア)
 ☆非暴力コミュニケーション9日間 IIT(International Intensive Training)、マーシャル・ローゼンバーグ指導(スイス)
 ☆非暴力コミュニケーション6日間セミナー、ロバート・ゴンザレス指導(ドイツ)
 ☆ヴォイス・ダイアログ6日間リトリート、ジェイミー・オナ・パンジェイア指導(オレゴン)
 ☆ヴォイス・ダイアログ個人セッション、ミリアム・ダイアク指導(ワシントン州)
 ☆ヴィパッサナー瞑想10日間リトリート、S.N.ゴエンカ指導(マサチューセッツ)
 ☆ヴィパッサナー瞑想3日間リトリート、地橋秀雄指導(千葉県)
 ☆アレクサンダー・テクニークの個人レッスン受講、1年半(マサチューセッツ)
 ☆「奇跡のコース」365のレッスン実践(マサチューセッツ)
 ☆ホ・オポノポノのワークショップ、ヒュー・レン指導(東京都)
 ☆サイコシンセシス個人セッション、ケイ・テイラー指導(カリフォルニア)
 ☆Psych-K個人セッション、マウラ・トレイラー指導(カリフォルニア)
 ☆The Emotion Code個人セッション、マウラ・トレイラー指導(カリフォルニア)

(2018年8月更新)

カウンセリング申し込み

☆相談内容はカウンセリングの時間まで話さないでください。

カウンセラーへの負担軽減のため、相談内容は予約の段階では話さずに、カウンセリングの時間が始まってからお話しください


☆料金とルールに合意できることをご確認ください。

記事「☆心理カウンセリングを希望される方へ」記載された①料金、②キャンセル・時間変更のルール、③遅刻のルールをお読みになり、同意できることをご確認の上お申し込みください。

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☆カウンセリング当日までにお読みください。

面談の方は「カウンセリング・ルームへの行き方」を、電話・スカイプ・FaceTime の方は「振り込みに関するご案内」をお読みください。

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*文章と地図で場所を説明してあります。駐車スペースのご案内もあります。


☆お電話でご予約を承ります。

受付時間は毎日午前11時〜午後10時です。(年中無休)
 
ガイドラインに沿ったお問い合わせのみお受けします。
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電話1 076-225-7425
電話2 0120-011-271 (フリーダイアル) 
[電話2]は全国より通話無料です。
携帯・PHSからもおかけになれます。
番号通知設定にておかけください。

(2018年1月更新)
 

ミッション・ステートメント

 私、菅波亮介は、心理カウンセリング、スピリチュアル心理学セミナー、コンシャスネス・ワークの個人レッスン、EMT の普及、ブログでの執筆活動、LGBT に関する啓蒙活動などを通して、人間が苦しみから脱し、潜在的能力を発揮して、「霊的に目覚めた地球コミュニティー」を共に創成できるよう、私が持つ能力・知識・経験のすべてを、惜しみなく捧げます。

*ミッション・ステートメント (Mission Statement) とは、自分の社会的使命を宣言するものです。

依存から自由になる道

 何かに依存するのは、そこから「気持ちよさ」を得たいからです。

 そして、その「気持ちよさ」によって、和らげたい「心の痛み」が必ずあります。

 アルコール依存の A さんは、「挫折感」を和らげたい。

 ドラッグ依存の B さんは、「虚無感」を和らげたい


 暴力依存の C さんは、「無価値感」を和らげたい


 こういった「心の痛み」を和らげたいという気持ち自体は、決して間違っていませんが、依存によって、自由になるどころか、ますます苦しくなるだけなら、もったいないと思いませんか。

 「心の痛み」は、その本当の解決法を身につければ、解消していけるものです。「痛み」がなくなれば、依存する理由がなくなります。


 ということで、今日は、
「心の痛み」を根本から解決し、依存から自由になる道をお示ししたいと思います。

 この道は、簡単に言えば、「痛みへの抵抗を捨てること」と「根底にあるマイナス感情とマイナス信念を解除すること」の2本立てです。

痛みを受け入れ、根底にあるマイナス感情・信念を解除すれば、痛みは消える

 では、この2つのことについて、詳しくお話ししたいと思いますが、その前に、依存が薬物だけでなく、セックスや食べ物、その他いろいろな物であり得るということを付け加えておきたいと思います。

 また、「心の痛み」を感じることについて触れていますが、「意識の取り組み」に経験の少ない人がすると、精神バランスを崩すリスクもありますので、自信のある人以外は、心理プロフェッショナルの指導のもとに行うことをお勧めします。 

痛みを受け入れること

 痛みを根本的に解消する方法を知らなければ、痛みを和らげるために、何か別のものが欲しいと思ってもおかしくはありません。解消されない痛みをただ感じるなど、ふつうは嫌だと思うでしょう。しかし、痛みを根本的に解消する方法があるとなれば、話は違います。そして、この根本的な解決には、心の痛みをいったん受け入れることが、とても役に立つのです。

 痛みに蓋をしたり、痛みから逃れようとすると、痛みを理解することができません。

 
痛みが消えるためには、いったんは痛みに近づいて、理解してあげることが欠かせないのです。 

 痛みに触れるためには、アルコールや食べ物など、
依存しているものを一時やめてみます。すると、「心の痛み」が体の感覚として浮上してくるはずです。そして、気持ち悪くなると思います。

 さて、ここからが大事なところです。

 ふつう、この状態になったとき、この「気持ち悪さ」を感じなくて済むように、お酒や食べ物に手が出ると思うのです。

 しかし、今回はわざと
気持ち悪い状態のままでいることを自分に許すのです。

 「気持ち悪さ」に対して、「イヤだ!感じたくない!」という体の緊張と強ばりがこれまであったはずです。そして、この「抵抗」が「気持ち悪さ」を奥へ押し込めて、変化できなくしているのです。

 ですから、その抵抗を手放すのです。

 
抵抗を手放して受け入れたものは、初めて自由に動いて、変化できるようになるからです。

 それには呼吸が鍵です。深く呼吸をして、体の緊張を吐く息といっしょに吐き出します。全身で感じていることに対して、戦わずにリラックスするのです。そして、体の感覚をただ観察します。積極的に何もせず、ただ「そこにいる」のです。


 「気持ち悪い感覚」に対して抵抗せず、呼吸とともにただいっしょにいられるようになると、「気持ち悪い感覚」があるままで、自由で大丈夫だ、という感覚になっていきます。

 こうなるだけで、「心の痛み」はすでに和らいでいるかもしれません。そして、残っている痛みとは対話を始めることができます。 

マイナス感情・信念を解除する

 「心の痛み」と触れながら、対話をしていくと、どんな苦しみがそこにあるのか教えてくれます。「寂しさ」が出てきたら、「ああ、寂しいんだね」と共感的理解を伝えてあげます。「失敗した自分がダメ人間だ」と言ってきたら、「ああ、ダメ人間だと思っているんだね」と受け取ってあげます。

 とにかく、そこにあるマイナス感情とマイナス信念を否定せずに、すべて聞いてあげるのです。

 そうすると、「心の痛み」がどんな世界に住んでいるのかが、よく見えます。

 このように否定せずに聞いてあげるだけで、「心の痛み」の半分はもう消えるかもしれません。それほど共感はパワフルなものです。

 しかし、共感だけで手放せない痛みもあります。その場合は、マイナス信念を積極的に解除するという作業をする必要があります。

 マイナス信念を解除する方法は、私のブログで度々ご紹介してきましたので、参考になさってください。

 このように、「心の痛み」の正体は、マイナス感情とマイナス信念であり、共感的理解と解除によって、消えるものなのです。

 この道が、多くの人を解放することができますように! 

"There is no way out but through."

--Burt Harding

「出口は、それを通り抜けた向こう側にある。」
ーーバート・ハーディング 

無防備であることの真実性

 世の中で最も無防備なものは、おそらく赤ちゃんでしょう。

 赤ちゃんは、お腹がすいたら泣く。おむつが濡れたら泣く。気持ちいいと笑う。気持ち悪いと泣く。このように、感じていることがそのまま外に出ます。感情を抑えたりしません。

 ということは、赤ちゃんの感情表現は、すべて真実そのままであり、嘘がないわけです。嬉しいけど泣いてみせようとか、怖いんだけどここでは笑って済ませようなどど、策略を立てることがありません。ですから、赤ちゃんの自己表現は完全に信頼できるのです。そこに、「裸の真実」があるだけだからです。

 裸の自分のままでいる赤ちゃんに対して、私たちは愛おしいと感じます。気持ち悪くて泣いていると、その真実性が私たちのハートに直接触れて、「気持ちよくしてあげたい」と思うのです。そして、おむつを換えてあげたり、ミルクを飲ませてあげたり、汗を拭いてあげたりして、赤ちゃんが笑い出すと、赤ちゃんの喜びが自分の喜びとなり、「ああ、良かった」と幸せを感じます。

 ここに、ハートとハートの触れ合いがあります。そして、この触れ合いは、赤ちゃんが無防備に自分をさらけ出しているからこそ可能になっているわけです。

 「無防備であること」は、「感情をそのまま伝えること」であり、「裸の真実」そのものとしてここにあることとイコールだと言えます。 

無防備=偽らざる感情=真実

 ところが、私たちは育っていく過程で、自分の真実が相手によって理解されなかったり、自分の欲求が相手によって満たされなかったりして、不満が続いたり傷ついたりします。そして、傷つかないように、心の壁を作り、自分を出さないようになっていくのです。

 このようにして、大人になる頃には、私たちは自分を強くガードして、本当の感情が外から見えにくい、建前という嘘を生きる人になっているのです。

 世の中にはいろいろな人がいますから、いろいろな距離で人とつき合えることは大切です。少数の親しい人に対して無防備になれるなら、私たちは十分に幸せに生きていけます。

 ところが、建前の世界ばかりに住んでいて、裸の自分としていられる環境がまったくないと、自分の中の「裸の真実」がいったい何なのかさえ分からなくなってしまうことがあります。自分の本当の感情から切り離され、自分を見失っている状態です。

 職場では無防備になれないけど、恋人や親友の前ではなれるのなら、まだいいのです。しかし、裸の自分をさらけ出せる人がいない、自分自身でも裸の自分が何なのか分からないとなると、誰とも親密さを感じられません。

 人との繋がりや触れ合いは、本物の感情に対する無防備さがあって初めて可能になります。裸の感情のやりとりが、すなわち親密さなのです。そして、人と親密さを感じたいなら、まず自分と親密である必要があります。

 「自分と親密だ」というのは、「自分のあるがままの感情を自分で認識し、受容している」ということです。「自分の感情をそのまま感じることを自分に許している」ということです。

 自分が寂しいと感じる時、寂しいと感じることを許し、偽らざる自分としてそこにいることが、自分と親しいということです。

 自分が寂しいと感じているのに、感じてはいけないと思ったり、感じていることを否定したり、感じないように何かに走ったりするということは、自分と親しくないということです。 

あるがままの感情に触れて受け止めている=自分と親しい
相手の感情に触れて受け止めている=相手と親しい 

 本当の気持ちに直に触れるということは、実は自己実現においてとても大切なことです。

 まっすぐに感情を受け止めた時、その感情より深いところから、その感情に対して必要な反応が生まれます。これによって、私たちは癒され、成長していけるようになっています。そして、瞬間瞬間のあるがままの自分を受け止めることによって、自分がなることのできる最高の自分へと自然に開花していくのです。

感情を受け止めると、必要な成長が起こる
感情を抑えると、成長が止まる 

 これはとても深いことなので、もう少し説明を加えたいと思います。 

 記事の始めに、赤ちゃんが本物の感情を伝えてくれるからこそ、私たちはハートで応えたいという反応をする、という話をしました。

 これは、大人になってからの自分の感情についても、他者の感情についても、同じなのです。

 つまり、私たちの中にあるハートは、自分に正直になった時、そして相手の偽らざる姿を見た時にも、愛による反応が自然に生じるようになっているのです。 

自分の裸の真実に触れた時、愛が生まれる
相手の裸の真実に触れた時、愛が生まれる
偽りは、愛を止める

 自己防衛などの壁を少し横に置いて、自分の本当の気持ちに触れる方向に一歩進むだけで、そこに愛が生まれます。自分と親密になります。そして、真実に触れ、愛に触れることによって、必要な成長は自然に起きてきます。

 小さい子どもは、自分の本当の気持ちが理解されなかった時、悲しい顔をします。そして泣くかもしれません。ここに、真実があります。この子の感情をそのまま受け取れる大人がそこにいれば、その本物の悲しみがハートに届き、この子に愛を感じます。そして、寄り添うことができます。

 この子が高校生ぐらいになって、自分の本当の気持ちが理解されなかった時、悲しい顔をする代わりに、相手を批判したり責めたりするかもしれません。「なんでお前はそんな風に人を否定するわけ?」などと言うのです。これは、自己防衛反応であるため、奥にある「裸の自分」が見えなくなっています。「裸の自分」が見えない表現によって、受け取る側は、ハートから純粋に反応できなくなってしまいます。

 この子は、もう一度、無防備さを学習し直さなくてはなりません。「私、そういう風に言われると、理解されないように感じるから悲しいわ」と、心を開くことを覚えなくてはならないのです。

 赤ちゃんは放っておいても、あるがままで純粋な本物の自分です。しかし、これは無自覚にそうなのです。成長していく過程で、自己防衛を身につけた私たち大人は、自覚をもって、純粋な自分をもう一度抱きとめるという旅をしなくてはなりません。

 赤ちゃんは自分の純粋さを知りません。純粋であるだけです。しかし、成長過程を経て、私たちは再び自分の純粋さに気づく必要があります。そして、このように自覚をもって自分の純粋さを取り戻した人は、本当の意味で「ひと」になっていくのです。

自覚をもって自分にも相手にも無防備になることは
人間のあらゆる真実に心を開き受け止めること
このように真実の自分と相手に触れた人の中で
愛が生まれる
そして愛によって私たちは「ひと」となる 

スピリチュアリティーとはいったい何か

 「スピリチュアリティー」とは「霊性」や「精神性」のことですが、現在の日本には様々な形態が存在します。

1.伝統宗教
 キリスト教であれ仏教であれ神道であれ、先人から受け継いだ道を自らの道として歩む生き方です。自ら信仰心をもっている方々です。

2.世俗的ヒューマニズム
 世俗的社会の中で、人道的であったり、人権を尊重したりして、お互いに幸せな人生が送れるように努めたいと思っている方々です。この中には、死んだら終わりだと思っている即物的な人も含まれますが、宗教を持つ人も持たない人も、関係なく力を合わせて、お互いに幸せな世界を作っていこうとする姿勢があり、これはある意味で極めて高い精神性の現れと捉えることができます。

3.新興宗教
 近代・現代に現れた、新しい宗教の教えを信仰している方々です。 

4.スピリチュアリズム
 組織的宗教に頼らず、死後の世界、霊的世界と直に触れて、その真理を生きようとする立場。ここには、宗教の枠にはまらない多くの霊能者の存在がある。彼らの多くは、社会的権威をもつ宗教から弾圧されてきたが、宗教と調和的な関係にあることもある。前世や守護霊などは、ここで語られることが多い。
 ここには、宇宙人との接触に興味のある集団や、チャネリング、天使、オーラ、占星術、易、タロット、アセンションなど、自分の関心によって、サブ集団ができているものと思われます。
 この分野は時に「ニューエイジ」とも呼ばれています。

5.トランスパーソナル心理学
 「精神分析」「行動主義」「人間性心理学」に続いて、4つ目の心理学としてスタートした「トランスパーソナル心理学」では、それまでの西洋心理学に、東洋宗教の智慧を融合し、「悟り」や「変性意識状態」などを学問として扱います。
 世界中の霊的伝統から、文化特有の要素を除き、人類に普遍的なものを抽出して提供しようとする立場があります。


 このように、霊性を生きている人たちの間でも、かなりのバリエーションがあります。たとえば、伝統的な禅仏教をやっている僧侶ですと、守護霊とかチャネリングなどを否定する方も少なくありません。反対に、「私はスピリチュアルだけど、宗教はイヤだ」という多くの方は、天使と繋がったワークによっていろいろなことを学んだり、愛を感じたりしますが、伝統宗教は人を縛る不自由なものだと感じています。スピリチュアリズムに関心のある方でも、宇宙人の存在などはどうでもいいと感じる人もいますし、宇宙人ばかりに興味があって、人格の向上には関心がない方もいます。

 私のスピリチュアリティーは、1番・2番・3番も経験した上で、現在の中心軸は4番と5番にあります。 特定の宗教の立場をとらずに、自らの直接体験を通して真理を悟るプロセスを大事にしていることと、実験的にあらゆる実践を体験して、自分に有益な本質を学習する中で、広く多くの人に役立てる考え方や実践法を、折衷主義的な立場から提供したいと思っています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 私にポジティブな影響を与えてくれた人物や教えや活動を、5つの分野別に挙げてみたいと思います。

1.伝統宗教
 チベット仏教 ダライラマ14世
 禅仏教・浄土真宗 鈴木大拙
 テーラワーダ仏教 S・N・ゴエンカ
 ヒンズー教 ラマナ・マハルシ、マーター・アムリターナンダマイー(アンマ)
 道教 老子「道徳経」

2.世俗的ヒューマニズム
 アムネスティー・インターナショナル
 ユニセフ
 国境なき医師団
 「親業」 トマス・ゴードン

3.新興宗教
 白光会 五井昌久

4.スピリチュアリズム
 シルバーバーチの霊訓
 エイブラハム・ヒックス「引き寄せの法則」
 バシャール「ワクワクすることをする」
 「奇跡のコース」

5.トランスパーソナル心理学
 インテグラル理論 ケン・ウィルバー
 サイコシンセシス ロベルト・アサジョーリ
 スピリチュアル心理学 ロン&メアリー・ハルニック
 エモーショナル・クリアリング ジョン・ラスカン 
 エネルギー心理学 ドナ・イーデン
 エモーション・コード&ボディー・コード ブラッドリー・ネルソン
 

霊能者について

 私は「スピリチュアル心理学」を取り入れたカウンセリングをしているので、「霊視によるリーディングとどう違うのですか」という問い合わせをよく頂きます。

 今回は、いろいろな角度から、このご質問にお答えしたいと思います。

 お悩み相談には、現在大きく分けて4種類のサービスが広く日本に普及していると考えています。 

1.科学による手法
 大学教育で認められた学問的・科学的な方法だけを使う「精神科医」「心療内科医」「臨床心理士」などによるサービス。

2.宗教による手法
 宗教の教えによって、悩みを解決しようとする方法。仏教系大学では仏僧が、キリスト教系大学では神父や牧師が、カウンセラー役を務める場合がある。

3.霊能者による手法 
 透視能力を使う「霊能者」による診断やアドバイスを受ける方法。大学教育で扱う学問や科学では認められていない。

4.占い
 東洋と西洋にある様々な占いを使う「占い師」による診断やアドバイスを受ける方法。大学教育で扱う学問や科学では認められていない。 


 私はこの4種類のサービスのそれぞれに存在意義があると思っています。つまり、どの領域にもそれを望んでいる人たちがいて、他のサービスでは担えない役割を演じているのです。

 しかし、これらの各サービスには、長所とともに短所もあるのが現実で、利用者はそこを心得た上でサービスを受ける必要があると考えます。

 私が提供している「エナジー・カウンセリング」は、1番と3番の領域の中間に位置し、科学的手法をベースとしながらも、現行の大学教育ではまだ認められていない、「エネルギー心理学」「スピリチュアル心理学」などの新分野からの手法や、トランスパーソナル(超個的)な「悟り」を題材として扱います。また、クライアントの感情やエネルギーを敏感に感じ取る、「エンパス」と呼ばれる生来の能力を活かして、クライアントに最適な療法を見つけたり、潜在意識にある問題を特定化するという点では、ある意味で霊能力も使っていると言えます。

 ただ、私は霊能力に関して注意していることがあります。それは、(1)霊能は間違えることもあることを知っておくこと、(2)最終的にはクライアントが自分の真理を自分で悟ることが何より大事であることを尊重すること、(3)カウンセラーとクライアントは人間として対等であることを忘れないこと、の3つです。

 私は多くの霊能者に出会ってきましたが、素晴らしいインスピレーションに満ちた温かい経験もあった一方、本当かどうか確認できないことを根拠に訓戒されたり指示を出されたりして、返って信用を失ったケースも多々ありました。

 こういった体験を経て感じますのは、最終的には自分にとっての真理や道は、自分で嗅ぎ分けるしかないし、霊能者は神ではないということです。ですから妄信は禁物です。

 さきほどの3つの原則に照らし合わせて、霊能で得た情報を絶対的真理であるかのように説く方、クライアント側の自主性を尊重しない方、上からものを言ってプレッシャーをかける方からは、離れたほうがよろしいでしょう。 

 中でも最悪のケースは、脅しを使ってコントロールする方です。

 私のところに相談に来たクライアントの中には、宗教者から言われたことに束縛されて、苦しんでいた方が若干いらっしゃいます。

 「お腹の子どもをおろさなかったら祟りがある」とか「今の彼氏はソウルメートなのだから、絶対に別れるべきでない」などと言われたというのです。

 人間というものは、ときに弱いもので、悩んでも答えが見えないときには、確信をもって「こうですよ」と言う人に頼りたくなるものです。不確かである状態の不安から逃げるために、本当かどうかわからなくても、明確な答えを出されたら、それを信じることで安心したいと思って掴むのです。

 しかし、人間の成長の大事な部分は、不確かで答えが出ない状況の中にあっても、その不確かさを抱きしめて、自分を支えていけることなのです。

 ですから、安易に答えを出そうとせず、答えが出ないけど出る途中であるという旅路を、ともに寄り添って歩いてくれるカウンセラーや友人をもつことをお勧めします。そして、カウンセラーや友人がいない場合には、霊能リーディングや占いを参考にするのも悪くはないでしょう。ただ、そこで得た情報を、自分を解放して幸せに導いてくれる明るい情報なのか、自分を縛って苦しませる情報なのかを、自分でフィルターにかけて、嗅ぎ取るという作業を省かないことです。

自分を信じること
自分の中に自分に合った答えがあることを信じること
自分の中に自分によいものと悪いものを嗅ぎ分ける力があることを信じること
自分の感覚を信じること 
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