菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市)

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2014年02月

問題の所有者を明確にする

 トマス・ゴードン博士の「親業」の中にはいろいろな智慧が詰まっていますが、その1つは「問題の所有者を明確にする」という部分です。

 「親業」(Parent Effectiveness Training: PET) は、親子間の効果的なコミュニケーション法について書かれていますが、あらゆる人間関係に応用できるため、私はコミュニケーション法を学びたいすべてのクライアントにお勧めしています。

 「問題の所有者」とは、「困っている人」のことです。「問題の所有者」を明確にするとは、「困っているのはいったい誰なのか」をはっきりさせることを指します。

「問題の所有者」が自分である場合

 たとえば、私が香水にアレルギーをもっていたとしましょう。来客が強い香水をつけてきた場合、私は具合が悪くなります。相手の行動は、私の正当な欲求を阻害しますから、「強い香水をつけてこられると、私は具合が悪くなる」「香水をつけないでもらうことで、私のからだは楽になれる」ということを伝えることが、この関係性において大事なこととなります。

 来客の香水によって私の具合が悪くなる際、「問題の所有者」は私です。そして、私は自分が所有する問題を解決すべく、相手に情報を伝え、理解を求めたり、行動を変えてもらうよう依頼をします。

「問題の所有者」が相手である場合

 それに対して、子供が宿題を理解できず困っていて、親である自分に助けを求めてきたとすると、「問題の所有者」は子供です。子供は宿題をしようとするけど、問題を読んでも訳が分からなくて戸惑っています。これは親の問題ではありません。

 親である自分に援助を求められた場合、聞き手にまわって、何がどう分からないのかを理解して、子供がその悩みを解決できるように、必要とされている支援を行います。 

 この場合によく起こりがちなのが、相手の問題なのに自分が所有してしまうことです。自分がその問題を解決してあげなくてはならないという立場をとって、あれこれとアドバイスしたりして、助けすぎてしまうのです。

 この「問題の所有者の不明瞭さ」が、相手と自分の境界線をあやふやにしてしまいます。すると、相手のことを思って親切に助けてあげているつもりの人は、思うように相手が変わってくれないことに不満を感じて怒りたくなるし、お節介をされた方は迷惑に感じたり、あるいは感謝できない自分に罪悪感をもったりしてしまうわけです。

「問題の所有者」が誰なのかによって、対話の仕方を変える

 ということで、健全なコミュニケーションをとるには、「問題の所有者」が相手である場合と自分である場合で、対話の方法を正反対にすることが大事です。

 つまり、「問題の所有者」が自分である場合には、自分が困っている状況やその根底にある欲求を平和的な言葉できちんと自己開示して伝えるという積極的自己主張の方法をとります。表現して伝えることが要求されます。それに対して、「問題の所有者」が相手である場合には、自分が問題の解決をする責任を担う者ではなく、それは相手なのだと明確に認識し、相手が困っている状況や相手の感情や欲求を共感的にただただ聴くことで、相手の問題解決のプロセスを支える側に回ることが要求されます。つまり、主によく聴くことが最重要になります。 

「相手の問題」に触れて「自分の問題」が生じてしまう場合

 ところが、子供が宿題に困っていると、親はそれを子供の問題であると思えず、子供が宿題に困っている事実を見て、自分が不安になったりイライラしたりすることがあります。親が困ってしまうのです。このとき、「宿題がわからない」という「子供の問題」に加えて、「宿題がわからない子供にイライラしてしまう」という「親の問題」が重なってしまい、不明瞭になるのです。

 すると、「宿題がわからない」という「子供の問題」でしかないシンプルな状況においては、親が平常心で子供の問題解決を支援できますが、「宿題がわからない」という「子供の問題」に直面して、親自身が平常心を崩してしまう場合、親は子供の問題を所有してあれこれと解決しようとする前に、自分の問題を解く必要があるのです。

 「私は子供が宿題がわからないという状況に対して、何を感じているのだろう?」「どうして私は動揺しているのだろう?」「どうして私はイライラしているのだろう?」と自問してみるのです。

 そうすると、「宿題がわからない子供を見ていると、自分が勉強ができないという劣等感が刺激され、親として不十分なのではないかと不安になってしまう」とか、「私は仕事だけで手一杯なので、帰宅したら休みたいのに、その上に子供が宿題を見てほしいとなると、私の必要な休養がとれないので、グタッと疲れる」というような気持ちが明確になったりします。

 この、親側の事情、親側の心理状態というものは、「親の所有する問題」です。そして、それをきちんと自覚できていれば、「親の所有する問題」はそれとして親が自分で向き合い、「子供の所有する問題」はそれとして混同することなく支援することができます。しかし、親が自分の問題に無自覚な場合、「親の不安を解決しようとして子供の宿題を見てやる」というような混乱が生じてきます。

 このように、親が自分の勉強に対する苦手意識や親としての不安をきちんと所有せずに子供の宿題を見ようとすると、子供にきつく当たってしまったりします。すると、親にそのつもりがなくても、実際には、子供は自分が宿題がわからなくて困っているだけなのに、親の劣等感や不安の原因を自分にぶつけられているという体験になるのです。

 これは全て無意識に起こってしまうことです。

 自分が勉強が苦手であることを認めず、子供が宿題がわからないことを責めてしまう親は、勉強が苦手である自分を愛せず嫌っているという行為を、子供に伝承させていることになります。子供は、勉強が苦手であることに対して、親に攻撃されているという体験をします。ですから、「それではダメだ」「お前は嫌いだ」と言われているのと同じなのです。

 自分が勉強が苦手であることを認め、受け入れて、隠さず正直に話せる親は、勉強が苦手である自分を愛しているので、勉強が苦手である子供に対して腹が立ちませんし、受け入れられます。すると、自分に正直な範囲で、子供の宿題を見たり、あるいは他の人に頼んだりできます。すると、「子供の所有する問題」だけに純粋に取り組むことが可能になります。 

 ですから、健全な人間関係のためには、「誰が困っているのか」という「問題の所有者」を明確にして、自分が困っている感情を感じているなら、その「自分の問題」は何なのかをきちんと認識する。そして、相手が困っている感情を感じている場合の「相手の問題」とごっちゃにしないことがとても大事なのです。

「問題の所有者」が混同されている他の例

 子供が選択した職業に親が猛反対をするような場合、親は「問題の所有者」を混同しています。

 子供が小説家になりたいと言ったとします。そして、親は「とんでもない。そんなもので食べていけるはずがない。お前は世間の厳しさを知らなさすぎる」と言って反対します。

 このときに親が動揺しているなら、親は親側の事情があって、何らかの問題を所有しています。そして、この親の問題は、子供の問題とは違います。

 子供の問題は、純粋に、「何を職業として生きていったら幸せだろうか」というものです。そして、本人が自分でベストだと感じる答えを出すことが大事です。親を含め周囲の人間の役割は、本人が納得できる答えを出して、その答えを生きることを支援することです。子供の代わりに答えを出してあげることではありません。

 しかし、子供が「小説家になりたい」と言ったときに、親は心配になるかもしれません。本当にそれが子供の幸せになるとは思えないということかもしれません。

 そうしたら、「お前は小説家になりたいと言うが、お父さんはそれがお前の幸せになるのかどうか確信がもてないので不安なんだ」と言えれば、正直な自己開示です。不安を所有して、きちんと表現できることは素晴らしいことです。

 これは、「そんなのはおかしい。お前が知らなさすぎるんだ」と責めるのとは大違いです。この後者のコミュニケーションでは、親は自分の不安を所有せず、子供に責任をなすりつけています。子供が間違っていると思うことで、自分の不安(親の所有する問題)を解決してしまおうとしています。これは親の不正直さです。

 こういう親の不正直さは、親子関係を破壊します。

 子供は自分が幸せになる道を自分で選んで自己実現をしていくことに責任をもっているのであって、親の期待する形に添う責任は全くありません。子供が親の期待に沿わないことを、親が子供に責めるなら、その親は自分の心理的課題を乗り越えていないことを指しています。親は自分の問題を子供を通して解決することで、甘えているのです。

 同じように、「子供がミスを犯すのを見ていられない」とか「子供が就職できないのではないかと不安で不安でたまらない」とか「子供が不登校のままなのが耐えられない」という親の事情や感情というものは、親の問題を子供の問題の上に投影していることが少なくありません。

 親が不安になるから、子供は外国人と結婚してはいけない。
 親が不安になるから、子供は不登校をやめなくてはいけない。
 親が不安になるから、子供は自分で宿題をしなくてはならない。

 というのは、親の所有する問題によって、子供を束縛しコントロールし、親が自分の器にはまるだけの小さな行動を子供に期待することで、自分が自分の問題に直面しなくていいようにするという方策です。

 ところが、宇宙の大生命というのは、そんな小さなやり方に留めておいてくれません。必ず親の不正直さを暴くような出来事が生じてきます。それは、宇宙の生命原理は、絶え間ざる進化だからです。

 成長に抵抗することは一時ならできますが、成長を永遠に延期することはできないのです。 

 問題が複雑化して、出口が見えないような状況になっているなら、「誰が困っているのか」「問題の所有者は誰なのか」をもう一度よく吟味し、「相手の問題」と「自分の問題」をきちんと区別して認識し、まずは「自分の問題」のみに責任を認めて「自分の問題」だけをまず解決することです。そして、「相手の問題」は相手に返すことが大事です。

 正直さが鍵です。素直さが鍵です。そして、相手と自分の適切な境界線をきちんと守ることが鍵です。

 自分の不満を相手を通して満たそうとする関係性は、いつか破壊的状況を生みます。

 しかし、遅くはありません。困窮した状況は、きちんと向き合えば、この上なき学びになります。
 

イヤイヤしていることは全部やめる

 私の両親は正月になるとたくさんの年賀状を受け取るのですが、毎年「あらあ、またこの人から来た〜」と言って困った声を出すのを聞いて私は育ちました。

 つまり、欲しくない相手から年賀状が届き、イヤイヤ返事を出す。そして、「来年は来なければいいなあ」と本心では思っているのです。

 とてもイヤな生き方だなあと思いませんか。 

 古い波動の世界では、「イヤなことを耐えて頑張るのが道徳的な生き方」という思想なのです。「イヤでも相手が望むようにしてあげることで、傷つけないのが親切というもの」という哲学です。「お互いにイヤなことを我慢してやり合って、支え合って生きましょう」という村社会の掟です。

 私は新しい波動の世界では、全く違った原理による幸福が可能だと感じています。

 波動やエネルギーに敏感な人は、相手がイヤイヤこちらに会ってくれたり、返事を出してくれたりすると、それを感じ取ります。そして、本当には喜べません。ですから、本当に会いたいと思ってくれる人だけ、返事を出したいと思ってくれる人だけが、そうしてくれることを望みますし、また自分も相手にそうするのです。

 自分も本心に従うし、相手にもそれ以外を期待しないという、精神衛生上とてもクリーンな生き方なのです。

 私は今は「イヤイヤ人に会う」とか「イヤイヤ返事を書く」ということを全くしていません。本当にしたいことだけをすることにしています。ですから、心は大変スッキリしています。以前のように、聞きたくない話を延々と聞くこともしません。きちんとお断りします。受け取りたくない DM は送り返します。勧誘の電話には、番号をリストから外してくれるよう依頼します。

 そうすると、以前より付き合いの数自体は減ったかもしれません。しかし、出会う人との交流はとても深くて意義に満ちているのです。外食をするときも、私が本当に好きだと思う料理とサービスと店の雰囲気のところにしか行きませんので、喜びと感謝を感じます。テレビを見るときも、見たいと思うものだけ見ます。ブログも書きたいと思ったときに、書きたいことだけ書きます。仕事もしたいときにして、休みたいときに休みます。

 私は自分の本心の上に、他人や社会を置いていません。本心に従うことを最上のものと位置づけています。本心を超える権威は外には認めていないのです。

 そうすると、嫌われることも怖くはありません。私には合わない人や物がたくさんあることを知っていて、自分が無理をしていません。それと同じように、私や私の思想や仕事に合わない人もたくさんいることを知っていて、そういう人にまで好かれようとしていないから楽なのです。

 私は全ての人にとって相応しいカウンセラーではないと思っています。私が役立てる人たちは、ほんの一部であることを知っています。そしてまた、その人たちが私との交流で何かを体験して役立てていただくのも、ほんの一時期であることも知っています。

 イヤイヤしていることは、本心ではなく、怖れからくるものです。怖れによる行動パターンを手放すと、本心で動けるようになります。そうすると、今誰に会いたいのか、今何を読みたいのか、今何をしたいのか、今何を手放したいのかが、明確に見えてきます。

 ひまわりにはひまわりになる力が備わっているように、ひとりひとりの人間は自分自身になる力が備わっています。そして、「内なる存在」は常に道を照らすシグナルを送っています。その「内なる声」に正直になる、素直になるだけでいいのです。

 すると、他の誰でもない自分にしか生きられないユニークな人生が展開します。

 そのためには、イヤイヤしていることは全部やめることが大事です。

 美味しくないけど我慢して食べにいっているレストランがあるなら、行くのをやめる。じゃないと、自分に合ったレストランに出会えません。

 自分を尊重し理解し、本心から繋がれる友達と出会いたいなら、深いところで尊重し合っていない友達とは別れる必要があります。

 自分をワクワクさせてくれる住空間に住みたいなら、罪悪感から捨てないでイヤイヤ置いてある持ち物を処分する必要があります。

 やり甲斐を感じる仕事を見つけたいなら、「好きなことをして食べていけない」という哲学を捨てる必要があります。

 「できる」ことを望むなら「できない」という思想を捨てる。

 「自由」を望むなら、「不自由」の信念を捨てる。

 自分に合わないと感じる感覚をまず信じること。そして、そう感じる持ち物や行動を捨てていく。

 そうすると、自分に本当に合うものを嗅ぎ分ける感受性が高まってきます。そこに心の波長がダイアルを合わせていきます。

 もう、イヤイヤ選択しているもので生活を満たすのはやめませんか。自分を生き生きさせてくれる、本当に喜べる、本当に意義を感じられるものが、入って来られるように。
 

家族にカウンセリングを受けさせたい方へ

 家族にカウンセリングを受けさせたいという方から連絡を頂くことがあります。最も多いのは、息子や娘にカウンセリングをして欲しいというお母さま、次いで夫にカウンセリングをして欲しいという奥さまです。

 困っていて連絡を下さるのですから、何とかお役に立ちたいとは思うのですが、ご希望通りに「では息子さん(娘さん)にカウンセリングをしましょう」「ではご主人にカウンセリングをしましょう」と返答することはできません。

 まず第一に、息子さん(娘さん、ご主人)にカウンセリングを受ける意思があるのかどうかという問題があります。

 多くの場合、ご本人はカウンセリングを望んでいないんです。もしご本人が望んでいないにも関わらず、お母さまや奥さまがカウンセリングを受けさせようとしているとすれば、ふたりの関係に何か相容れないものがすでにあることになります。

 簡単に言ってしまいますと、お母さまと息子さん(娘さん)との関係、あるいは奥さまとご主人との関係に、何らかの問題があるのだろうということが察せられるわけです。

 第二に、お母さまや奥さま自身がカウンセリングを受ける意思があるのかどうかという問題があります。

 ほとんどの場合、私に電話を下さった方が「悩みを抱えている当事者」なのですから、本来はお母さまの悩み、奥さまの悩みを解くお手伝いを私がするという形が最もふさわしいわけです。

 つまり、「息子(娘)のことで私(母)が悩んでいる」「夫のことで私(妻)が悩んでいる」のでカウンセリングを受けたいと申し込んで下されば何も問題はありません。

 「誰がカウンセリングを受けるべきか」という問いに対しては、「問題を解決したいという主体的意思を持った人」という回答になるわけです。

 ところが、電話を下さるお母さまや奥さまの多くは「私が相談したいのではなく、息子(娘)や夫を助けて欲しい」という形で持って来られます。あくまで「自分が困っているわけではない」という立場を固守なさるのです。

 ちょっと乱暴な言い方をすれば、「息子(娘、夫)に困っているから、彼(女)を治してくれ」という依頼だと言えます。

 自分の問題を認めていないんですね。

 そうしますと、連絡を下さったお母さまや奥さまは自分の問題に向き合おうとしていない。そして、息子さん(娘さん)やご主人も私に支援を求めていない。なので、私にできる支援はないということになります。

 私が支援できるためには、自分自身の問題を解決したいという方が支援を依頼して下さる必要があるのです。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

自分がカウンセリングを受けることにしたある女性

 プライバシー保護のため、本質を変えない程度にフィクションを織り込んであります。

 ツナ子さんは結婚3年目で35歳の女性。38歳の夫は金遣いが荒く、浮気が発覚すると謝罪はするがまた繰り返すのでツナ子さんは困っていました。

 本当は夫にカウンセリングを受けさせたかったツナ子さんですが、夫にカウンセリングを受ける意思がないので仕方なく自分が受けたのでした。

 1回目のカウンセリングで開口一番に「夫にカウンセリングを受けさせたいんです」とツナ子さんは私に言いました。

 夫の金遣いの荒さと浮気性が問題なのであって、これらが変わりさえすればいいとツナ子さんは考えているようでした。自分に問題があるとは思っていなかったのです。

 ところが、彼女自身のカウンセリングが進んでいくにつれて、彼女の夫に対する不満の原因が、夫に期待できないことを期待してしまっていることにあると気づいていきました。

 結婚する前に想像していた彼と、実際の彼とには大きなギャップがあった。本当の彼をよく知らなかったんです。そして、自分の期待通りの彼にしようともがいていた

 実際の彼についての理解を深めていくにつれて、あるがままの彼を受け入れていきました。

 この夫は無責任で問題に誠実に向き合えない人でした。このまま変わらなくてもいいなら結婚生活を続ければいいし、嫌ならば別れるしかない。その選択が彼女にはっきりと見えてきたのです。

 これを決める責任は彼女自身にある。それが明確になったところで、カウンセリングは終了しました。

 ツナ子さんは自分の課題に気づいた時から「夫にカウンセリングを受けさせたい」とは思わなくなったようです。「彼をどう変えるか」という問題ではないということが分かったんですね。

 ということで、家族にカウンセリングを受けさせたいと思っている方には2つの選択肢があります。

 ①カウンセリングをご自身が受ける。
 ②息子(娘、夫)にカウンセリングを受けたいか尋ねる。受けたいなら自分で申し込むよう伝える。受けたくないなら放っておく。

(2018年5月12日更新)

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